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失われた未来の再建  作者: 水素
17/18

大理石のように冷たい人の心

「社会とはこういうもの、か」

 雛は無意識の彷徨いから目を覚ます。ネクタールの部屋のベッドで横になっていた

 隣でミネルヴァとソフィ、アゴバールが言葉を交わしていた。

「傷はそれほど深くありません。安静にしていればすぐに回復するでしょう」

 アゴバールが口を開く。

「たいした怪我にならなくてよかった」

 ソフィが安心した様子で言う。

「しかし、何故こんなことに?ミスター・ミネルヴァはご存知ですか?」

「ご存知だとも。雛より詳しいぐらいだ。簡潔に言えば、教会での一件だ」

 雛は会話をよそにベッドから起き上がり、窓のカーテンを開ける。陰鬱な雲が空に立ち込め、雨が容赦なく地面に降り注いでいた。

「ミスター・尾野、起きて大丈夫なのですか?」

「まぁ大丈夫ですよ。完膚なきまでに叩きのめされましたが体はいたって正常です。それよりカードを四枚除いて全て…」

「二枚は取り返した。だが希の哲学者の目的はネオジムだ」

「教会で回収したものですよね」

「そうだ。おそらくホルミウムと併用して用いる気だ。だが希の哲学者らの組織がアルビヨン現政府に協力する目的がよくわからない。傍聴した話では大理石の採掘場を怪物化の技術と引き換えに譲渡したようだ。そこに行けば、と言いたいところだがどこにあるかがわからない」

「そうですか」

 雛は陰鬱にそうに答えた。ソフィはその様子に心配を覚えた。

 数時間たち、雛はベッドに横になったまま昨日のことを考えていた。希の哲学者の言葉が頭の中で錯綜していた。

「裏切られる希望。夢が塵となって消えていく墓場。確かにその通りかもしれない。でも私は菖実さんを…」

「心配しすぎかもしれませんが…」

 雛はソフィが入ってきていたことに全く気がつかず、聞かれてしまったことを一瞬焦った。

「地球という星にいた時のことで何か引きずっていることでもあるんですか?」

「ないと言えば嘘になりますね」

 ソフィは椅子に座り、雛を見る。

「菖実さんという方のことですか」

 雛は黙ったまま頷いた。

「その方のこと、差し支えなければ教えていただけませんか?」

 再び、黙ったまま頷いた。

「唯一の友人でした。彼女はどんなに悲しいことがあってもそれに抗おうとする強い意志があった。彼女と出会う前、私にそのような考えは全くなかった。今生きていられるのも彼女のおかげだと思えます。でもその彼女が強姦され、廃人になった。人一人が絶望の谷底に落ちていく瞬間を目にしたんです。彼女は私を肯定してくれた唯一の存在でした。互いに色々な事を話せて、色々な事を教えあい、色々なことで笑った。そんな彼女が、鏡が砕けるかのように欲の刃に砕かれた。最初はニュースにもなりました。でも恐ろしいものですよ。ものの見事に彼女は罵声と嘲笑を浴びせられた。被害者に非があるとかなぜ抵抗しなかったんだ?とか。たとえ戯言であってもそれぞれが意志を持っているかのように彼女を殺し続ける。ひどくありませんかね。彼女は社会そのものを小さい頃から怖がっていた。ずっと怖がり続けていたんです。だから何もできなかった。私はそんな彼女に何もしてあげられなかった」

 一息ついて再び口を開く。

「彼女は自ら命を絶った。悔しかった。自分を恨んだ。一番そばにいた自分が一番彼女の惨状を見ていたのに何もしてやれなかったことに、何も気づいてやれなかったことに。好きだった人をこれっぽっちも助けられなかったことに。もし自分が彼女の思いに気づくことができたらこんなことにならなかったんじゃないかって」

 ソフィはその話に涙を流していた。

「泣かないでください。所詮、自業自得なんです」

「でも、そんな責めなくても…」

「社会に八つ当たりしたと思いますよ。社会の血染めの悪。希の哲学者の言葉も的を射ている。こんなことが平気で起こるのですから。社会に生きる人々は何か感じても喉元過ぎれば熱さを忘れる。もし取り上げようとすれば必ず潰しにかかる。でも社会に当たれば私が傲慢だと言われる気がします。私も彼女のように社会を恐れているのでしょうね。なんだか無茶苦茶な話ですね。自分のせいだと言っておきながら社会のせいだと言って。一体、どう考えてどう思えばいいのかわからなくなってきます」

 雛はベッドに再び横になった。降りしきる雨音が鋼のように冷たく響いていた。

「アルビヨンで女性が殴られているのを見ました。それで止めに入り、そのような行動をとり続けるのなら最悪の場合処刑されると言われました。でも何も感じなかったんです。初めて怪物に襲われ、死にそうになった時も彼女の元に行くことになると思っただけ。死にたいする恐怖を感じなかった。もう過去のことについて何も考えたくないから死んでもいい。そんな考えですよ。私はただのエゴイストです」

「そんなことないです。人は誰でも気持ち悪いもの、気分が悪くなるもの、不快になるものは存在していたとしてもそれを否定し、目を背けます。存在を肯定すれば一掃される。そんな悲しいことが起こるのが社会です。でも雛さんは孤立しても一生懸命、そのことを考え続けて死への誘惑に負けず生きています」

「いや、今まで考えないように生きてきた。仕事で研究を選んだのも、何も考えずに取り組むことができる、楽だと思ったから。はっきり言って数学は大嫌いです。数学は自然の真理を教えてくれるが社会の真理は何も教えてくれない。当たり前の話ですけどね。とにかく考えないための仕事、というだけです」

「なら何故、雛さんは女性が殴られているのを助けたんですか?」

「結局、自分のためなんですよ」

「でも助けたのは事実です。雛さんには目を背けない強い意志を思っています。決してエゴイストではないと思います」

「社会から見ればただの…」

「その前に一人の人間であり、一つの命です。命を踏みにじるような社会の無情を受け入れるつもりですか」

 雛はその言葉に行き場のない悲しさと並々ならない決意を感じた。彼女も、過去に何かあったのだろうかと思った。

「菖実さんだって納得するつもりはないでしょう。私であれば決して納得などしません」

「ソフィさん」

 その時、ミネルヴァがぎこちない歩きで部屋に入ってきた。全身ずぶ濡れで嵩のある威厳ある羽から水がぽたぽたと落ちている。ソフィは急いでタオルを持ってきてミネルヴァに渡した。受け取ると簡単に体を拭き、雨水が染み込んだびちょびちょのタオルを返した。

「一体何をしてきたの?」

 雛はミネルヴァの姿に呆気にとられる。

「ちょっくらそこまで。それはさておき、今はなすべきことはこれから行くべき場所のことだ。寝てないでこい」

 雛はベッドから起き、テーブルを囲んで三人は座った。

「大理石の主要な採掘場は二〇カ所ある。小さいのも含めれば約一〇〇カ所」

「まさか、一つ一つ行くわけないよね」

「聞くまでもない。まず稼働していない場所を調べた。全部で十カ所。そのうち五カ所は大理石が枯渇したことによる停止。三カ所は反革命軍の占拠により稼働していない。残り二カ所のうち、一つはロドン内にある。だから偵察に行ってきた。採掘に関係のない機材ばかりが置かれ、別の発掘が行われていた。おそらく組織はその採掘場を貰い受けたに違いない」

「今から行くの?」

「もちろん。雛は元気だろう。夜の方が昼に比べて目立たずに行動できる。哲学者でない君は来るか?」

「えぇ、行きます」

「足手まといにならないように来い。では出発だ」

 

 冷酷に降りしきる雨の中、一人の中年の男が傘をさして人混みを分け入って進む。そして教会の前で足を止め、傘を閉じると中に入った。石造りの壁に水が泥とともに飛び散り、X字のシンボルが流れ落ちる雨粒と重い空で霞んで見えた。男は礼拝室の長椅子に腰を下ろした。祭壇では、聖職者と思われる厳かな緑色の祭服をまとった老人が、装飾が立派な本を片手に長椅子に座る九人ぐらいの人々に説教をしていた。

「人は古くから争いが絶えない、愚かな種族です。金、名誉、権力。人々を惑わす欲望は社会の中で感染症のごとく蔓延し、人々をその病で犯し続けました。ですがみな純朴で美しい声で何のしがらみもなく生きている小鳥のように自由なのです。悲しみや憎しみ、悔しさなど人々が無意識の中で見ている霞なのです。それによって人々は前が見えず、闇夜へと誘われてしまうのです。天は人々が誤った道に進まないよう、知恵という光をこの広大な空から私たちに照らしてくれるのです。ですが、この天の慈しみを阻む鉛色の雲こそへクサなのです。へクサは人々に悪魔の種を植えつけ、その芽を咲かせ、悪の大樹を育て上げ、世界に光というものをなくし、欲望の渦巻く世界へと変貌させようとするのです。へクサは悪魔に魂を売った邪悪な怪物であり、人ではない。へクサは死よりも恐ろしく、呪わしく、醜い存在なのだ」

 耳を傾けていた人々に拍手で迎えられる。

「シュプレンゲル司祭、崇高なる説教をありがとうございます」

 説教が終わり、司祭や人々は礼拝室を後にし、男一人だけになった。司祭とすれ違い様に一人、別の男が入り、すでに座っていた男の隣に腰掛けた。

「アンリポアか」

「しけた顔だな。それよりたまには名前で呼べよ。カリタス隊隊長ロフシェコー」

「女みたいな容姿に加えて女みたいな名前のせいでお前は馬鹿にされてきたんだ。加担者にはなりたくない」

「私は自分という存在を誇りに思っているし、誰が何と言おうと名前にも誇り持っている。せめて友人である君には名前で呼んでほしい」

「そうか。じゃあ、カレン。秘密会議はどうだった?」

「カードを使ったヘクサ弾圧はもうすぐだ。会議終了から数時間後のことだが技術提供者がカードを奪還したとの情報も届いている」

「俺の仕事も用済みか。でっ、カードをここから頂いた犯人の方はどうするんだ?」

「会議では技術提供者の意向に任せるとした。つまり、政府は対処しない。ところでロフシェコーは犯人にあっているんだよな」

「そうだ。だが甲冑のようなものに身を包んでいて誰かはわからなかった」

「確か情報提供者がいたとか」

「そいつはカリタス隊に入れた」

「他に話を聞いたのか?」

「いや、聞いていない。どうしたんだ?」

「そいつは計画について知っているのではないかと思って」

「だから?」

「協力が得られるのではないかと」

「カレン、まさか…」

「そうだ。そのまさかだ。私は革命政府の計画には反対の立場だ。だから蜂起しようと考えている」

「お前は名門貴族だ。地位も金も十分にある。革命時、アンリポア家は革命派についたことで貴族の中でも追放されずに政府にとどまることができた。だがもし今革命政府に逆らえば首が飛ぶのは間違いない。ただでさえお前は俺に極秘事項を喋っているんだ」

「だから君がカードの捜索を任されたと聞いた時、すぐに君にカードの件について話したんだ。この計画を知った時点で私は反対ではあったが今日の秘密会議でティウスの言葉を聞いてさらにその意志が強まった。私が革命軍に味方したのは腐敗した旧体制、つまり教会と政府の癒着。家父長を中心とする政治体制。そして平等主義の廃絶を推し進める旧政府に対して怒りを覚えていたからです。しかし現政府、つまり革命政府は旧体制を引き継ごうとしている。私はそれを許すことができません。人はそれぞれに生まれながらの自由があり、それぞれに自由の上で生きていく権利を持っている。革命政府はゼウス教という歴史を用いてその権利を殺すつもりなのです」

「だが左右を見てみろ。教会の絵はまさにアルビヨンの差別の歴史。その中で女が虐げられてきた。まぁ女でなくてもよかった。とにかく力の弱い存在を圧する体制を作り上げることで頂点を作った。その方が社会として安定した体制を築くことができる。差別は社会の必要条件と言っても過言ではない」

「ですがそれほどの存在ながら誰もその存在を認めようとしません」

「当たり前だ。綺麗なものにしか見る気がないのはいつの時代も変わらない」

「ですがどんなに綺麗でなく、みなが社会の奥底に隠そうと存在するのです。女性、特に貧しい女性はずっと社会の体制に虐げられてきた。女性の権利を擁護し、加えて平等を唱えるヘクサもそうです。また人間以外の動物たちもそうです。特にコウモリは悪魔の手先とされ、ヘクサ狩りでは幾つもの命が奪われた。革命でも同様に混乱の中で命を落としたものもいる。差別と弾圧の歴史を再び繰り返そうとしているのです」

「カレン、お前の気持ちはよくわかるがそれが現実だ。新入りもお前と似たようなことを思っていたようだが俺は仕方ないことだと言った。お前も仕方ないことだと思え」

「私には無理です」

「わざわざ立場を崩してまですることか?」

「そう思います。決して差別や弾圧を仕方ないことだとは思いません。目を背けずに対峙しなければならないものだと考えます。たとえそれが社会の必要条件だとしても」

「俺は旧政府軍の時の軍人だったが今は革命軍にいる。革命派についたからだ。ただ自分の身を守るために社会の流れに乗ったにすぎない。確かに体制に対する憤りや惨めさを感じたことはある。新入りにヘクサ弾圧の理由を尋ねられた時もそう思った。だがそれだけだ。別に何か行動を起こして変えたいとは思わない」

「ロフシェコーの考えはよくわかる。だが誰かが行動を起こさなくては何も変わらない。真の革命はこれからなのです」

「そうかもしれんな。今回の革命で変わったことはトップの人間。そして王政を廃し、表面上の民主制の実施したというだけだ。真の革命はこれからかもしれない」

 カリタス隊隊長は、カレン・アンリポアの真剣な眼差しを見て深く溜息をついた。

「結局、俺はお前に協力せざるをえないようだな」

「ありがとう、ロフシェコー」

「それにお前から極秘情報を聞いた時点で首が飛ぶことは確実だったからな」

「本当にすまない」

「気にするな。お前は間違っていない。誰かが体制を変えなくてはならない。首をつっこむつもりは毛頭なかったが仕方あるまい。当たって砕けるしかなさそうだ。でっ、当てがあるのか?」

「ロドン内にある大理石の採掘場がアルビヨンにおける技術提供者の本拠地になっている。カードの情報を得る上でそこ以上に最良の場所はない。私は今からそこに潜入するつもりでいる。」

「アンリポア家の当主が大それたことを」

「だから君が信頼する兵を二名連れてきてほしい。私は私で兵を二名連れて行く」

「なぜたった六人なんだ?」

「潜入に多数の兵を動員しても意味がない。ただ情報を得ることだけが目的だ。決して攻め込むわけではない」

「ほう、なるほど」

「兵を連れて採掘場の近くにある『トポロジー』という表札が立っている小屋に来てくれ。私はそこで待っている」

「わかった」

 二人は立ち上がり、別れの抱合をした。

 アンリポアは礼拝室を去ろうとするがカリタス隊隊長は立ったまま、畏怖堂々と聳える聖像に目を向けていた。

「ロフシェコー、どうした?」

「いや、お前の言葉を聞いて思ったのだが天とは一体なんなんだろうな。ゼウス教によって作られたただの偶像なのだろうか」

「そうかもしれない。だが天がもしいたとしても生物の自由を奪う存在では決してないはずだ」

「そうだな」

 二人はそうして教会を後にした。


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