呼び起こされる過去
雛含む、待機場にいたカリタス隊兵たちは大型の銃剣を装備し、数体のディノクスを連れて基地を出た。大男のカリタス隊隊長が先導し、反革命軍鎮圧のため基地から三キュービッドほど離れた、ロドン郊外のグルノーブルに向かう。
「グルノーブルで交戦中のユスティツィア隊を援護するのが目的だ」
隊長が進軍中に口を開く。
「いいな」
「了解」
一同、力強い返事をする。
「このままじゃまずくないか?」
雛は小声でミネルヴァに聞く。
「確かに面倒なことにはなった」
「これくらい予想してくれていませんと」
「雛の言う通り僕のミスだ。いきなりこうなるとは思っていなかった。でもここで抜ければ怪しまれるしせっかく潜り込んだのに意味がない。だから命令があれば戦場に出て、隙をついてすぐに離脱しろ。一人抜け出したところで関係はない」
グルノーブルに近くなり騒ぎが耳に届いてきた。
絶え間ない金属の軋む音、空気を切る銃声、暴徒のような狂気に駆られた叫び声。すでに破滅の時を迎えたかのような廃墟の街。
すでにユスティツィア隊と反政府軍とが剣を交えていた。
ユスティツィア兵の一人が反政府軍兵士を次々と斬っていく。剣に血が重なり、混じり合い、血が地面に滴る時には兵士は地へと倒れていく。
一人が相手の腹部に物言わぬ剣を突き立てる。
腹部から血飛沫をあげ、目を白眼にし、口が開いて、微かな呻き声を上げ、倒れ、息絶えた。
互いに鬼のような形相で剣を振るい、殺していく。
銃弾を絶え間なく降り注ぎ、殺していく。
「革命軍はグルノーブルを死の街にして政権を握った悪魔だ」
「ティウスは何もしない」
「俺たち貴族を追い出して」
「貴族の人生を革命軍が壊したんだ」
「重税を廃止にしただけだ。前よりを生活が悪くなったんだ」
「未だに政府の権力を盾に暴力の限りを尽くした教会は処罰されない」
「理不尽だ」
「革命軍など生きた屍が仕える墓場だ」
兵士の、入り乱れた千差万別の主張の叫び声が聞こえる。
「一斉に撃て」
ユスティツィア隊隊長が指示を出し、構えていた兵が一斉に銃剣で射撃する。
兵士は呻き声をあげて、銃声と共に地に伏す。
カリタス隊は崩れ落ちた家屋の陰に身を潜めていた。
「隊長、どうしますか?」
ネッケルがカリタス隊隊長に言う。
「俺の合図があるまで待機だ」
カリタス隊に緊張が走る。
反政府軍の兵士が後退してカリタス隊が身を潜める家屋の陰に近づいてくる。
「突撃」
隊長の掛け声とともにカリタス隊が戦場に闖入した。雛も戦場に出る。
カリタス隊兵が次々と反革命軍を倒していく。
剣を突き立て、倒れる兵士の頭を貫く。隊長は、首を取ろうと群れて襲いかかる兵士を立て続けに切り裂く。
構えていたカリタス隊兵が一斉に射撃し、兵士はどっと倒れる。
「早く隠れろ」
斬り合う間を抜け出して家屋に隠れようとしたその時、不意に反革命軍の兵士が襲ってきた。すかさず銃剣でそれを受け止める。そしてブレスレットからミネルヴァが姿を現し、兵士に翼を振り下ろして気絶させる。
「行け」
雛は必死に走った。追っ手はミネルヴァが食い止め、二人は物陰に隠れた。
雛は力が抜けたようにその場にしゃがみこんで目を閉じ、壁に寄りかかった。
「ふざけるなよ」
どのような意味で言ったのだろうか。雛らしくない言葉だった。
時間が過ぎ、殺し合いは終わった。反政府軍は状況を不利と見て逃亡した。
地面に倒れ伏して動かない、無残な死体が岩石のように平然と転がっていた。裂傷から血がどくどくと溢れ、地を赤く染めていく。カリタス隊兵の一人が言っていたように雛も平凡な茶色い土が恋しく感じた。剣は散乱し柄にも刃にも血がしみ込んでいた。青空には厚い、煙のような雲がかかり、暖かな光が霞んでいた。
「平然と死体が転がっているのがグルノーブル含むロドン郊外の現状というものだ。剣も銃も銃剣も勿論の事何も文句を言えずに人殺しに使われる。もしかして武器諸君もこんな光景しか生み出せないと思って案外悲しんでいるかもしれないな」
光景に動揺していた雛に、一人のカリタス隊兵が慰めのつもりで言った。待機場で、幼い頃に自分の村がヘクサ狩りにあったと言っていた兵だ。ブルトン・ナジャという名の男だった。
カリタス隊は負傷したユスティツィア軍兵を治療する任に当たった。カリタス隊が食料を運び出し、ユスティツィア隊兵に配給する。
一人の兵士がカリタス隊隊長に報告を入れていた。
「マクラル家に率いる貴族たちが主導して革命の政策に反対する民衆を集めて、街の治安維持のための巡回中であったユスティツィア軍を襲撃したものと思われます」
「マクラル家というと、ゴルゴンの側近として力を持っていた貴族か。確かに反政府軍が着ていた服にはマクラル家の家紋が多く見られたな。目的は?」
「推測ですがマクラル家は再び政府の要職に就くことではないかと」
「なるほど。理屈としてはよくわかるな」
「理屈など関係ない」
二人のやりとりに背の高い、巻き毛の年老いた男が口を挟む。
「ユスティツィア隊隊長か」
「我々はゴルゴンの不正、民衆への無関心と教会の暴走を正した。だがそれを再び興そうとする者たちがいる。それを食い止めることこそ正義というものだ」
「そうだろうな」
カリタス隊隊長は目を伏せ、答えた。
「それより何でここに来た?」
「救援要請があったからだ」
「そんなものユスティツィア隊には必要ない。お前らがこなくとも我らだけで事足りた」
「そうかい」
カリタス隊隊長は顔色を変えずにさらりと言った。
時間が経ち、カリタス隊とユスティツィア隊は再戦を反革命軍の発見のための周辺を捜索していた。
「結局革命で革命軍が勝利を勝ち取っても争い事が続くなんて笑える話だよ」
カロンが言う。
「仕方ない。利害が一致している者同士が手を組んで革命軍を打破しようとしているだけだ。通常の道理だろう」
ネッケルが答える。
「旧政府軍もこの反革命軍に混じっているかもしれない」
「それは否定できないだろう。マクラル家が率いていたのだから」
「だがゴルゴンの軍は報告ではいなかったようだ。別行動をしていると考えたほうがいいだろう」
ブルトンが言う。
「お前らうるさいな」
ユスティツィア隊兵が口を挟む。
「我らユスティツィア隊に交えてもらえているだけありがたいと思え」
「何だと」
カロンが掴み掛かろうとするがニコラに抑えられる。
「大人しくしていろ」
威圧的な口調でユスティツィア隊隊長が続けた。カリタス隊隊長はその様子を黙って見ていた。
確かに殺し合いの狂乱は静かに終わった。
だが悲嘆と血の匂いが混ざった空気が果てしなく、永遠のようにその街に流れていたのだった。
幾らか歩くと以前、二人が通った瓦礫が散乱した道に来た。以前のように屍のような人たちが屯している。
「きゃぁ」
女の叫ぶ声が聞こえた。
銃剣を構え戦闘体制に入る。緊張の空気が再び漂う。隊長は慎重に声が聞こえた方に兵を進め、路地に突入した。
そこでは、
「やめて」
かすれた、女の声が路地に響く。
「女のくせに俺たちに口答えするな」
「私は何も…」
女が言い終えぬうちに一人の男が顔に蹴りを入れる。唇から赤い血が垂れる。白い肌は泥だらけになり、粗末な服が乱れている。女の髪を別の一人の男が手荒に掴み頭を擡げ、地面に叩きつける。
「ヘクサが」
「ヘクサじゃ…」
再び顔に蹴りを入れる。
「お前らみたいな女はみんな悪魔なんだよ。つまりヘクサだ」
男たちの蔑み、嘲る声が轟いた。
雛は眼前の光景に表情が変わる。目を大きく見開き、唇を噛み締め、銃剣を強く握りしめ、目を鋭くする。肌の色は蒼白になり、地を固く踏みしめる。髪が逆立っているように見えた。
彼らの方に向かい止めようとした。しかし隊長の指示で武装を解除した。その現場に見ぬふりをし、立ち去ろうとする。雛は隊兵たちの行動に戸惑いが隠せない。
「こんな惨めったらしい気持ちになる人も私だけか」
雛は彼らに近づいていくと何も言わぬまま唐突に銃剣を振り回し、一人の腹部に容赦なく打ち付けた。
耳障りな醜い悲鳴を上げて前のめりになって倒れる。
「お前、何様だ?」
「革命軍のくせに市民をいたぶるのか?」
雛は何も答えないまま二人の首筋に銃剣を振り下ろす。回避することもなく直撃を受けて卒倒した。間抜け面が地面に叩きつけられる。泥水が跳ねて男の顔につく。
一人がその隙に雛の背後に回り、首を締めようとする。
雛は身動きが取れずにもがき苦しむ。他者の目があるため、ミネルヴァは出ることができない。
その時、カリタス隊隊長がその男の手をがっちりと掴むとそのまま前方に投げ飛ばした。男は白眼になり気絶した。
解放された雛は呼吸が荒く、額から汗が垂れていた。隊長は気絶した男を哀れそうに見たのち、雛の腕を掴んだ。
隊長に掴まれたまま雛は、痛めつけられて起き上がれず悔しげな顔を浮かべる女を残したまま、連れて行かれた。
周辺の捜索が終了し、二隊は基地へと帰還した。
武器の格納などを終え、雛はカリタス隊隊長の部屋に呼ばれた。
「どういうつもりだ?」
腰を下ろしている隊長が言う。
ミネルヴァは何もブレスレットから答えない。雛も自重して何も言わなかった。だが口の中では猛烈に歯ぎしりをしていた。
「任務外の行動は慎め。我々がやるべきことは反革命軍の鎮圧だけだ」
雛は本棚の方に目を背ける。
「アルビヨンじゃあんな光景は四六時中起きていることだ。それに俺らは警察じゃないんだ。女が大勢に暴力を振るわれていようと取り締まる理由がない」
隊長は目を沈めて答えた。
「止めてもいいだろうと思うかもしれないが結局ああいう貧しい者、特に女は金持ちに見初められて貧困から脱するか、もしくは娼婦として働くかが運命というものだ」
運命。その言葉が土砂によってせき止められた濁水のように雛の頭の中に残り続けた。
「何故です?」
ミネルヴァが言う。
「答えさせてわざわざ人を惨めな気持ちにさせる気か」
雛はその言葉に顔を向ける。隊長は無表情だった。胸の中に抱いている何かを押し殺しているような声だった。
「今日はもう終わりだ。帰ってもいいぞ。もし今回のようなことをこれ以上するのであれば免職にする。情報を提供して、せっかく革命軍に入ったのに職を解かれても元も子もないだろう。まぁ職を解かれるだけで済めばいいが。それ以上に変なことをしてみろ。首をはねられるかもしれないな。この惑星じゃ首の値打ちなんて安い。誰もが些細と思う事柄が発端で処刑された人間なんて大勢いるのだから」
雛はそれを聞いても何も思わなかった。
「あの時から死というものに妙に鈍感なようになった気がするな」
そう思った。何も言わず、形式的な会釈をして雛は部屋を後にした。
二人は帰路についた。黄昏の時間が過ぎ、絶え間ない、きらびやかな美しい夜がやってきた。
人は意外に考えていないかもしれないが、もし広々たる空に光を満たす太陽が無くなったらどうなるだろうか?ただ耐えようもない狂気に襲われるかもしれない。だが太陽がなくても狂気に胸を痛める人もいる。果たしてそれは雛か。それとも他の誰かなのか。
「今日はカードに関する手掛かりはつかめなかったね。明日は…」
「どういうつもりだ?」
ミネルヴァが怒りを露わにした。
「僕の作戦を踏みにじる気か?」
「別にそんなつもりはないよ」
「だったらなぜ余計なことをした?もう一度あんなことをやってみろ。作戦が水の泡だ」
「元々大した作戦でもないでしょう。別に政府官邸を襲撃してカードを回収すればわざわざ革命軍の兵などにならなくてもいいと思うよ」
「怪物化させる技術を持った組織に近づく必要があるんだよ。同じことを何度も言わせるな。お前のくだならない正義感に邪魔されて腹が立たないわけがない。どんな兵が銃剣で強姦の現行犯を殴るんだよ」
「くだらないですか。そうかもしれませんね」
「その態度はなんだ?パートナーを馬鹿にしているのか?ふざけるな。僕は真面目にやっている。お前みたいに醜い行動で死ぬようなやつじゃない」
「醜い。私よりも醜い人間なんて腐るほどいるよ。私だけに使って欲しくはないね」
「急に僕に楯ついていいと思ってるのか?」
「楯ついた覚えはない」
「その発言が楯ついているというのだ。もういい。野卑な発言で僕の作戦を妨害するのなら僕一人で行動する。そんな哲学者に用はない。お前は宿で一日中寝ていろ」
そう言い、翼を無造作に広げて飛び去った。一人殺風景な街に取り残された。
暗くなり街に明かりが灯り始めた頃、外出していたソフィは疲れた様子でネクタールに戻ってきた。
「お帰りなさい、ソフィ」
受付の机で事務仕事をしていたアゴバールが笑顔で言う。
「朝早くにお出かけになられたようですが何を?」
「竜預所にいるディノクスを見てきて。最近四日ほどあっていなかったので彼も寂しいと思ったんです」
「様子はどうですしたか?」
「相変わらず頭をなでてとせがんできて。ほんと甘えん坊ですよ。一時間ほど頭をなでたせいで左手が…」
アゴバールは、左手を振っているソフィを見て微笑を浮かべる。
「そうですか。ところでミスター・尾野とミスター・ミネルヴァは?一日ほど見ていませんが」
「いや、昨日の深夜に帰ってきました。革命軍に潜り込んだと」
「革命軍?はたまたなぜ?」
「あの文書、というより秘密の手紙ですか。あれと関係があるんじゃないでしょうか?詳しく言わずに出て行ってしまったので」
ソフィはカードの捜索を目的に潜入したことについてはアゴバールに言うのを控えた。
「そうですか」
ソフィは黙々と床を掃いているミス・ワルワーラの方を見た。
その時、宿の扉がゆっくりと不快な軋む音を響かして開いた。そこには雛の姿があった。
「お帰りなさい、ミスター・尾野」
「どうでしたか?」
雛は何も答えないまま階段へと向かう。
「ミネルヴァさんは…。雛さん?」
「申し訳ないですが少し疲れたので先に寝かしてください」
断りを入れると重々しく疲弊した苦しい足取りで階段をのぼっていき、ドアを閉めた。顔は疲労で曇り、肩は重圧を上からかけられたかのようにがくりと落ちている。黒い目は濁り、頬から赤みが消え失せていた。雛の背中は、寂しげで空虚に感じられた。
「どうしたのでしょうか?」
アゴバールが戸惑った様子で目を瞬きしている。ソフィは不安に感じ、ひどい胸騒ぎを覚えるのだった。
彼女の叫び声。罵声にかき消された悲鳴。
悲しすぎる現実。
彼女の傷ついた体。汚された精神。
挫折させられた夢。
全てが虚無と化し何も信じられなくなる社会。
死への衝動。
目にした動かない抜け殻。
広がる赤い景色。
手に持った最後の言葉。
叫びが染み込んでいた。
虚像が映った鏡が壊れた瞬間だった。
「あうっ」
雛は呻き声をあげて寝ていたベッドから飛び起きる。額には汗を浮かべ、息が荒い。心臓も小刻みに脈を打っている。
周囲を見回し、宿の部屋のベッドにいることを確認する。
まだ朝は開けていなかった。隣のベッドにはソフィの姿があった。紅い髪が枕元に散っていた。寝ている顔には幼い少女のようなどことないあどけなさがあった。ミネルヴァの姿はなかった。
「また見るようになったか」
過去が人に何らかの変化を生むことは当然といえば当然である。そして心に何かを残す。生きていく自信を。輝かしい未来を。人にとって生きる情熱を蘇らせてくれるかもしれない。
だが彼の場合は違った。
時の流れで散っていった希望。くじかれた目論見。裏切られた信頼。
彼の一つの過去は彼自身に優美の光を与えることはなかった。
鏡の破片が散らばっている景色を思い出す。一切のものはあの鏡のように砕けてしまうものなのだろう。雛はそう思った。