赤いビッグスクーターと弥生の悲鳴
青い空に、ありえないほど青くて大きな建物がそびえ立つ。その教会のような建物の、青い鉄製の扉へと続く3段ほどの青い階段に、1人の人間と2人の人外がいる。
「もう見た目の説明は充分だと思うんですが」
「そろそろくどくなってきましたかねぇ」
弥生と笠地蔵がそう言うので、姿形の描写は割愛する。弥生と笠地蔵はバスケットを挟んで階段に座っている。武蔵坊は、竜宮城のボンゴの大会で準優勝してもらった赤いビッグスクーターに腰掛けている。
「赤いビッグスクーターっていうのも長いですよねぇ」
「じゃあ略して赤ビーで」
「なん……だと……」
この青い教会は、遥か上空にある白い空中庭園から見下ろすと見える、青い空中都市にある。教会のような見た目だが、中は書物で埋め尽くされた、大図書館である。
「それで、相談とは何なんです?」
笠地蔵がバスケットの中身を確認しながら弥生に聞くと、弥生は事情を説明した。
「来週遊園地で、ジェットコースターに乗ることになったんですけど、その練習をさせてほしいんです」
「漫才の入りみたいですねぇ」
上空には、田んぼの庭園や収穫の終わったリンゴの庭園など、たくさんの白い空中庭園が浮かんでいる。庭園自体は自然な緑だが、むき出しになっている地面は、機械で覆われ白くなっている。笠地蔵はバスケットの中からせんべいを見つけると、武蔵坊にも投げて渡した。
「俺がジェットコースターに乗る人の役。弥生がジェットコースターの役か」
「逆でしょ」
「逆……だと……」
「逆でもないですかねぇ」
弥生はようかんを探し出し、ガッツポーズをした。
「あ、そういえば、かさじい! いなりんはどうしたんですか?」
「稲荷卿ですか? 武蔵坊、知ってます?」
武蔵坊はこちらを向いてはいるが、黙ったままだった。
「むっさん?」
「武蔵坊?」
2人が心配そうに呼ぶと、武蔵坊は、重い口を開けた。
「俺はジェットコースター。ジェットコースターは喋らない」
チリンチリンと風鈴が鳴った。
「天水」
境内で縁側に腰掛けていた稲荷卿が呟くと、境内に一瞬だけ雨が降り、一日中晴天だった夕方の境内は、少し涼しくなった。
「なるほど、境内の掃除当番をサボった罰として、10分おきに打ち水の刑といったところか」
境内の外の木の上から、大路の声が聞こえた。
「そんなところだ」
「鋭かろう?」
「正確には5分おきだがなぁ」
大路は木の上から飛び降り境内に着地した。
「御子に言われたのか」
「妖力にも体力のように限りがあるのを、あいつは理解する気がないらしいな」
「まぁそう言うな」
大路も縁側に座って帽子を取った。
「本当に嫌いなヤツには罰すら与えんものだ」
「ハッ、そのセリフ、笠地蔵にも聞かせてやりたいものだな」
「まぁ、笠地蔵はちと優しすぎるところがあるが」
大路は立ち上がった。
「誰しもいずれは忘れてしまう。罰を受ければ、その分忘れにくくなるであろう? そういうことだ! 疲れた時は余の言葉を思い出すのだな!」
「ハッ、忘れてなければなぁ」
大路は手を振って本殿の裏へ戻っていった。
「天水」
稲荷卿が呟くと、また境内が少し涼しくなった。稲荷卿は空を見上げた。
「大路のヤツはああ言ってやがるぞ、凪……」
風鈴は鳴らなかった。
「また言ってる」
いつの間にか、御子が買い物から帰ってきていた。両手に膨れたエコバッグを持っている。
「凪はもういない、忘れないで」
「チッ」
どこからか、寺の鐘の音が聞こえてきた。6時になったようである。その数9回、鳴り終わるまで2人は、黙ったままだった。
「打ち水はもういいから、晩ご飯作るの手伝って」
先に口を開いたのは御子だった。
「何で俺が」
「一口なら、味見させてあげる」
「ハッ、乗った」
稲荷卿は立ち上がると、御子のエコバッグを持って本殿の裏へ消えた。御子も遅れて結界に入った。その途端、蒸気と煙の満ちた工場地帯に現れた2人は、耳を疑った。
「この悲鳴、弥生か!」
「まさか、こんな所で」
慌てる2人の目の前を猛スピードで通り過ぎたのは、赤いビッグスクーターに乗った大路と弥生だった。
「大路、バイク運転できたの」
「驚くところそこなんですね!」
状況を飲み込めない御子と稲荷卿の後ろから、笠地蔵と武蔵坊が現れた。
「おい武蔵坊! なんだあれは」
「俺はジェットコースター。ジェットコースターは喋らない」
「喋ってんじゃねえか」
稲荷卿と御子に、笠地蔵が事情を説明した。
「ジェットコースターに乗る練習ですよ。赤ビーにはちょっとした妖術をかけてあります」
大路と弥生を乗せた赤ビーは、工場地帯の川の上や煙突、パイプなどに沿って縦横無尽に跳び回っている。笠地蔵は続けて言った。
「心配ありませんよ、ここら辺に発生したことはありませんからねぇ」
「知ってる。でもそういうのって、フラグって言うんでしょ」
御子が見つめる大路と弥生の目は、笑っていた。