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ゆる奏屋  作者: 魚岡みお
2/7

羨ましがるもまた苦労

青い海、青い空、そして遠い水平線。どこを見渡してもそれしか見えない。

雲も見えない、島も見えない、ただ海と空しか見えないこの場所は、ゆる奏屋メンバーの住処である離総帝園結界にある、離総帝園結海という海である。海と空しか見えないその場所に、弥生と稲荷卿はいた。

弥生は椅子に座ってピアノの練習をしている。黒いピアノと椅子はというと、青い海の上に置いてある。浮いているようには見えない。ほんの少し水に浸かってはいるが、ちゃんと置いてある。その後ろで海上に立つ稲荷卿が、弥生に声をかけた。

「おい」

稲荷卿がいたことに、弥生は今気づいたらしい。弥生は演奏を止め、稲荷卿の方へ振り返った。

「あ、いなりん」

顔には白い狐のお面、背には黒い大きな羽、赤い烏帽子を被り修験者が着ているような袈裟を着た稲荷卿は、かわいいあだ名に似合わず、ぶっきらぼうに話を続ける。

「時間になったが」

ピアノの演奏が止むと、弥生の胸ポケットのスマホから、アラーム音が鳴っていたのがわかった。弥生はアラームを止めようとしながら言う。

「いつもありがとうございます!やっぱりアラームじゃ、私の集中力には勝てませんね。いなりんの怖い声じゃないと」

「ハッ、だったら録音でもしとけ」

稲荷卿は鼻で笑い、バカにしたように吐き捨てた。

「そういえば、まだいなりんには威張ってませんでしたよね? 私、今度のピアノのコンクールに出られることになったんです。代表に選ばれたんですよ!」

「そいつは良かったなぁ」

稲荷卿はぶっきらぼうのままである。弥生はやっとアラームを止め、スマホを胸ポケットに戻した。スマホのアラームと稲荷卿の役割は、ピアノの教室に行く時間を知らせるためだった。

「ちょっとくらい喜んでくれてもいいんじゃないですか?」

「ハッ、お前が喜べば済む話だろう」

狐面の烏天狗はそう吐き捨てると、ピアノの上に腰掛けた。

「べ、別にいいですけどね。離帝鉄りていてつ!」

弥生が空に向かってそう呼ぶと、足元の海中から汽笛のような音が聞こえた。

「この結界の鉄道が、お前に懐くとはなぁ」

稲荷卿が海中に視線を落とす。すると弥生達の目の前の海中から、真っ白なSLが水飛沫を上げ、勢いよく顔を出した。

「今日は海からなんですね」

そのままそのSLは、弥生達の上空へと進んで行く。青空を旋回後、白いSLは再び海上に着水、弥生の横に1両目が来るように停車した。

「お迎えありがとうございます、離帝鉄」

この白いSLが、離総帝園結界を走る鉄道、離総帝園鉄道。略したあだ名が、離帝鉄である。運転席には誰もいない。意思を持つ蒸気機関車なのである。

「あ、いなりん、そのピアノを神社に持って行っておいてください!持って行ってくれたら、いなりんに何かとってもいいことがー、あった時喜んであげます!」

鉄道に乗り込んだ弥生は稲荷卿に手を振る。それと同時に、離帝鉄は水平線を見据え、水面を滑るように進み出した。

「チッ」

稲荷卿は舌打ちをし、ピアノから降り、SLに背を向ける。すると稲荷卿の視界に、海上に立つ武蔵坊の姿が映った。

「弥生は行ったのか」

ガスマスクをつけ、僧兵が着ているような袈裟を着た武蔵坊は、ひどく冷静にゆっくりと聞いた。

「あぁ、俺に力仕事を押し付けてからなぁ」

「そうか」

稲荷卿の声からは、バカにしていたりイラついていたり、感情が読み取れる。しかし武蔵坊の声からは、それが読み取れない。感情の起伏も無く、冷静で、落ち着いているだけである。

「竜宮城で出張ライブをすることになったのは聞いているな」

「あぁ。確か次の満月の夜、それが今夜ってわけか」

「そうだ、俺と笠地蔵がそれに行く。だがその代わりに、今夜の定期演奏会には弥生に出てもらうことになったと、笠地蔵が言っていた」

「それでピアノを神社に持って行くわけか」

「稲荷卿が持って行ってくれるのか」

「お前が持って行けば、大路は喜ぶだろうがなぁ」

「いいだろう、俺が持って行く」

仏頂面の狐面は、無表情なガスマスクを言い包めた。

「しかし境内をきれいにしなければピアノのキャスターが汚れる。まずは掃き掃除からか」

「ハッ、ご苦労だな」

弥生を送り届けた離帝鉄が、2人の目の前に着水した。狐面の烏天狗とガスマスクの僧兵を乗せた白いSLは、水平線を見据え、水面を滑るように進み出した。




ゆる奏屋が定期演奏会で使っている神社、この神社に祀られているのは、大路ではない。大路は離総帝園結界に封印されたため、神の資格を失っているからだ。本来結界から出ることも不可能なはずなのだが、大路の封印に反対だった御子の協力により、封印から100年ほど経った頃、大路追放派のほとんどが死亡したのを見計らい、外出だけでもできるように細工が施された。その結果、大路達は結界に封印というよりも、結界に呪縛されるという形になった。

「つまりこの神社は結界の外、現実にあるということよな?」

「何で今さら大路が確認するの」

夕方の神社で大路と御子は、優雅にジンジャーエールを飲んでいた。

「話すことが無かったものでな」

「そんなことより、風邪は大丈夫なの」

大路は本殿の縁側に腰掛けている。隣には、脱いだ制服の上着と大きな黒い魔女帽が置いてある。

「まったく、神が真夏にインフルエンザとは、聞いて呆れるな」

「語呂はいいと思う」

御子も本殿の縁側に腰掛け、右脚の包帯を巻き直している。一応書いておきますが、人間は本殿の縁側に座るのはやめましょう。

「竜宮城の医者の言うことだからな、間違いはないのだろう。だが、かかったのは少なくとも先週の定演より前になるからな、もう大丈夫であろう」

ちなみに、定期演奏会は毎週行われている。

「でも良かったと思う」

「確かにな、お代はゆる奏屋の出張ライブで良いとは、余らとしては願ったり叶ったりよのう」

「竜宮城にまで噂が届いているなんて思わなかった」

「定演の日と重なってしまったのは残念だがな」

大路が空っぽになった湯呑みを縁側に置くと、御子は急須を取りジンジャーエールを入れる。大路と御子はまた湯呑みを持つと、優雅にジンジャーエールを飲み始めた。すると本殿の裏から、稲荷卿、笠地蔵、武蔵坊の3人が現れた。アコーディオンを入れたリュックサックを背負っていた笠地蔵は、縁側に座っている大路達に気づくと、近づいてリュックサックを下ろした。

「大路、風邪の具合はいかがです?」

「もう大丈夫なのだがな、うつしてもまずいし今夜の定演は出ないでおくつもりだ」

武蔵坊は、持っていたボンゴを置いて大路に言う。

「必ず戻る」

「どうかご無事で!」

「私達どこ行くんですかねぇ」

稲荷卿は、パイプ椅子を持ってきてそれに座り、持っていた三味線の調弦を始めた。それを見た御子も、篠笛を取り出すと手入れを始めた。

「それでは行って参ります」

笠地蔵はリュックサックを背負った。すると御子が言った。

「おかえり」

「まだ行ってもないんですがねぇ」

「私は弥生に言ったの」

「え?」

笠地蔵が振り返ると、境内に弥生が立っていた。

「いたのですか!今夜はよろしくお願いしますね」

しかし弥生は何も言わなかった。

「弥生?」

「私はピアノ、向いてないみたい」

暗くて目は見えなかった。弥生はそのまま、本殿の裏へと消えた。

「ピアノの教室で何かあったのかもしれんな」

「我々はそろそろ行かねばなりませんしねぇ」

すると稲荷卿が三味線の調弦を終え立ち上がった。

「おい、ピアノを運ぶの忘れてないだろうなぁ」

武蔵坊は置いていたボンゴを持ち上げた。

「すまないが、掃除に時間を使い過ぎて時間がなくなった」

「そういうことなので、稲荷卿お願いしますよ、ついでに弥生のことも」

「ハッ、何で俺が」

「やれやれ、ピアノを運ぶのを頼まれたのはあなたなんですよねぇ?運ばなきゃクドクド言われるのはあなたなんですよねぇ」

「チッ」

「我々も竜宮城でがんばってますから」

「ハッ、がんばるほどのことか」

狐面の烏天狗は、本殿の裏へと消えていった。そして数分後、弥生と稲荷卿の2人は、離総帝園結海の、黒いピアノの前にいた。稲荷卿が後ろから、弥生に渋々声をかけた。

「ピアノ向いてないとか言ってたよなぁ」

「うん」

弥生は稲荷卿の方へは向かず、ピアノの方を向いたまま答えた。

「だったら何でピアノの方向いてんだ」

弥生は振り返らない。

「今日で最後にする」

「ハッ、つまり今夜の定演には出てもらえるわけか」

「うん」

弥生の足元の水面に、波紋が広がった気がした。

「チッ」

痺れを切らした稲荷卿は、黒い羽を羽ばたかせ、黒いピアノの上に飛び乗って座った。慌てて弥生はピアノの方から目をそらした。

「何があった」

「先生に全部怒られた」

稲荷卿の問いに、弥生はあっさり答えた。

「あぁ?」

「だからコンクールでする曲やったら、たくさんダメって言われたの!」

「ハッ、それだけか」

稲荷卿は一笑に付した。

「それだけって!それだけ、だけど」

弥生は思わず、稲荷卿の方を向いた。

「代わりはいくらでもいる。本当にダメなら、怒ってももらえず即クビだろうなぁ」

弥生は黙り込んだ。

「お前は既に、その実力を評価され代表に選ばれた。そして今も代表でい続けられている。どういうことかわかるか?」

弥生は声に出した。

「ピアノ、向いてるってこと?」

「そういうことだろうなぁ。それがわかったら顔洗って先に神社に行ってろ。ピアノは俺が運べばいいんだろうが」

稲荷卿はピアノから降りた。その途端、離帝鉄が元気よく海中から飛び出した。

「ありがと、いなりん」

離帝鉄に乗った弥生を見送った稲荷卿は、ピアノが離帝鉄に乗りそうだったことに気づいた。

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