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2ー1 12月31日 午後 自宅
「匡彦、ちょっといい?」
部屋でくつろいでいると母が来た。
「構わんよ。何?」
俺はテレビを観ながら言った。
「お姉ちゃんの墓参りに行こうと思うんだけど、車出せる?」
「ああ、いいよ。身支度したら下に行くよ。」
「じゃあ、お願いね。兄ちゃんにも父さんにも準備するように言っておくから」
そう言い残して母は階段を降りて行った。
(兄貴も連れてかないといけないのか…)
あまり良い気分ではない。
俺は兄が幼少の頃から好きではなかった。
背が低い事がコンプレックスで人見知りも激しかったので外では大人しい。
しかし、家では違った。
姉貴も背が低い。
弟は五歳年下。
当然、自分より小さい。
兄は内弁慶だった。
親は長男には甘かった。
兄より一つ年上の姉には厳しい。
「お姉ちゃんなんだから!しっかりしなさい!」
母からは、いつもこの言葉しか言われなかったと姉は冗談めかして言っていた。
末っ子の俺は…
「お店が忙しいんだから、自分で何とかしなさい!」
が母にいつも言われる言葉。
兄は親に怒られない。
親は長男に期待をし、外での態度と同じ様に兄は親の前では良い子だった。
そして兄弟には小馬鹿にするような態度。
俺は幼い頃から違和感を覚え、年齢が上がるにつれ、
それが嫌悪感だと知った。
兄の姉に対する態度は変わる事がなかったが
俺に対する態度は変わった。
俺が成長期を迎え、兄より背が高くなり、
反抗期に入った頃…
兄は卑屈な態度をとり始めた。
何かと気を遣い、腫れ物に触る様な態度。
俺の嫌悪感は日に日に増していき、
親への反抗心もあり、
家に居たくない子供になった。
父は仕事人間で俺が起きる頃には出社して、
寝た後に家に帰る。
休日は自分の店の事務処理に忙しい。
仕事している姿以外で記憶にあるのは酔っ払った姿だけ。
母は毎日、経営するコンビニの店番。
パートやバイトが来る時間は家事に追われ、
子供に構う時間はなかった。
家族団らんの時間がほとんど無い家庭。
俺にとって家はバイトをして金を稼ぎ、
飯を食い風呂に入って寝るだけの場所。
そう思っていた。
態度を変えた兄、顔を見れば小言しか言わない親。
嫌悪感を伴って反抗心だけが増大していく…
親の言う〈自分で何とかしなさい!〉を
俺は自分なりに実行していく。
その中で自我が目覚めた時、
人を目下す人間、
人をバカにする人間、
人を頭ごなしに決め付ける人間、
人によって態度が変わる人間、
人に命令する人間が嫌いになった。
相手がどんな人間か探り分かるまで距離を置いた。
家族だけではない。
友達、大人、教師にまでそういう態度。
俺にとって人付き合いとは必要なのは理解しているが
ひどく面倒なものだった。
友達は友達…
欲しいのは仲間、
そして心から愛せる人。
家族に求められない愛を欲しがっていた。
2ー2 高校1年春 教室
宗一郎に入学式で言われた言葉。
「ようこそ可笑しな学校へ」
を俺は実感していた。
中学には当たり前にあるはずの物がない。
校門、運動場、下駄箱、ロッカー、暖房器具、
時間割には工業科目があるが故に音楽も美術も無い。
そして、治安が悪かった。
喧嘩やいじめなど至るところで暴力が横行し、
学校内で窃盗まであった。
教室を空にすると誰かの何かが無くなる。
それを防止する為に体育の授業では
持ち回りで生徒二人が授業を免除され教室に留守番する。
実習工場の授業では教科書やノート以外の全てを持って移動しなければいけない。
(普通科は違うんだろうな…)
普通科の校舎は道を挟んで向かいにある。
同じ学校なのに同じ敷地にはない。
放課後ぐらいしかすれ違う事がない普通科。
別の学校の生徒の様に感じていた。
工業科にはやんちゃな生徒が多い。
テレビドラマで観る工業高校…
湾曲されてはいるがイメージとしては間違っていない。
電気科、電子科、機械科、3学年合わせて40クラス以上あり、
全員が男子。
虚勢を張りたい、いきがりたい、自分は無敵、
そんな事を思っている年頃の男が何百人も集まれば当然、軋轢が生まれる。
ただ軋轢ばかりではない。
皆、上手に棲み分けをしていく。
やんちゃな奴はやんちゃな奴同士、
真面目な奴は真面目な奴同士、
体育会系は体育会系で1つに纏まっていく。
棲み分けをしないで生きようとすると、
極端に嫌われるか、皆に好かれるかどちらかだ。
好かれる人間は稀だが…
俺は空気に徹していた。
なるべく目立つ事はしたくない。
面倒だからだ。
だが、棲み分けを超えた友達がいつも隣にいる。
コータツだ。
彼は明るくいつも笑顔で皆に声を掛ける。
皆に好かれている。
だが…コータツはいつも俺の隣にいる。
そしてずっと喋っている。
俺が一人で居られるのは授業中だけだ。
でも不思議に嫌な気持ちにならない。
一緒に居て心地好い友達。
コータツは不思議な魅力がある。
「キョーちゃん、何してるの?」
休憩に入り、コータツは俺の席に遊びに来た。
「皆の分、提出物が集まったか確認」
担任に渡された名簿に提出が確認出来た名前の横に○をつける。
「それって総務の仕事でしょ?吉田にやらせればいいじゃん」
コータツはむくれている。
「言ったところでやらないでしょ?無駄な事はしない」
俺は確認を続けた。
「副総務だからってキョーちゃんが全部やらなくていいじゃん。」
コータツは尚も言う。
「なぁコータツ。誰もやらなかったら、今度は全員で怒られるんだよ?
帰りのホームルームが長引いてさ。そんな面倒は御免だよ。早く帰りたいでしょ?」
俺は続けて言った。
「コータツ…キョーちゃんて呼ぶな。何か嫌だ(笑)」
コータツはむくれたままで、
「だから吉田にやらせなよ。あいつ威張ってるだけで何もしないし。」
コータツは表情を変えて
「もう呼び名が決まったから諦めなよ(笑)」
コータツは笑っている。
機械科の科目にパソコン実習がある。
最初の授業でしたのは自分の名前を画面に入力する事。
俺はどうしても名前が打てなかった。
〈匡〉の字が変換出来なかったからだ。
仕方なく先生に聞いた。
「先生、いろいろ試しましたが漢字が出ません。」
「おぉ紀藤が出来ないなんて珍しいな。そっか!お前の名前は難しいからな。ちょっと調べるから待ってろ。」
先生は本棚から分厚い本を取り出し調べ始めた。
「紀藤、〈きょう〉で変換してみろ」
「きょうですか?」
俺は半信半疑で変換してみるとちゃんと出た。
このやり取り…コータツに何かを閃かせた。
「タダヒコにはアダ名がいるよ!今日からタダヒコはキョーちゃんね♪」
コータツは嬉しそうに言った。
俺は名前で良いからと断った。
だが、未だにコータツはキョーちゃんと呼ぶ。
昼休みになり、提出物と名簿を纏めて担任の所へ持っていく事にした。
コータツはいない。
さっき、「ちょっと電子科の教室行って来るね♪」と言って出て行った。
(別に断り入れなくても良いのに…)
そう思っていたがコータツには言わない。
(さ、とっとと厄介事を終わらせて来るかな)
俺は席から立ち上がろうとした時、
吉田が来た。
「なんだよ…まだ行ってねぇのかよ、早く行けよ」
何もしない奴は文句だけは言う。
吉田は総務に指名され勘違いをした。
担任は野球部のコーチ。
吉田は野球部。
だが、スポーツ推薦で入った部員しかほぼレギュラーになれないこの高校の野球部。
吉田は一般入部だった。
野球部にとって一般入部者などお荷物でしかない。
ボールを触らせて貰えない野球部員が
クラス唯一の野球部というだけで総務。
奴は舞い上がった。
自分は偉くなったと思い込んだ。
自分は人気者だと振る舞った。
皆に偉ぶった態度を取り、
皆に嫌われた。
そして、彼は弱い者いじめを始めた。
自分の後ろの席にいる吉野。
吉野は背が低い割に太っていて性格が大人しい。
格好の的だった。
使い走り、暴行、言葉の暴力。
エスカレートしていった。
たまに宗一郎が遊びに来ると大人しくなる。
宗一郎はいきがっている奴が嫌いだ。
徹底的に潰しに掛かる。
相手を見て態度を変え、見ていない所でいきがる。
俺が最も嫌うタイプだ。
「おい、聞いてんのか、早く行けよ」
2度の命令口調…
俺はイラついた。
「だったら、自分で行けよ」
吉田の胸に書類を叩きつけた。
吉田は大声で叫んだ。
「お前、安達と仲が良いからって調子に乗んなよ!」
吉田は俺の胸ぐらを掴み、息巻いている。
俺は静かにいった。
「調子に乗ってるのはお前だろう。それに宗一郎が何の関係がある?意味が分からん。」
吉田が俺を殴ろうとした時、
突然、椅子が飛んで来た。
「何してんだ、てめぇ」
コータツが今まで見せた事がない鋭い目付きで睨んでいる。
(不味い…)
俺は宗一郎に聞いた事を思い出した。
「コータツってさ…ああ見えて怒るとやべぇんだよ。後先考えずに相手を殴ってさ。
相手が動かなくなるまで容赦しねぇんだ。だからタダヒコ、お前、止めてやってくれよ。お前ならコータツ止めれるから。」
宗一郎は寂しそうに話していた。
(しまった…何とかしないと)
俺は胸ぐらを掴まれながら言った。
「コータツ、大丈夫だ。ちょっとした小競り合いだから」
コータツの表情は変わらない。
吉田しか見えてない様だった。
(このままだと…コータツが暴れだす)
いっそ俺が吉田を殴ろうと掴まれた手首に手を掛けた瞬間…
大きな、そしてドスの効いた声がした。
「おい、誰だ?でけぇ声で俺の名前叫んだ奴は!」
宗一郎がコータツの肩に手を当てながら此方を睨む。
「まさかお前じゃねぇよな?つうか、お前誰だ?」
宗一郎は吉田をいたぶる様に顔を睨み付けながら此方に歩いて来る。
俺の胸ぐらを掴んでいる吉田の手が震えている。
俺は吉田の手を払った。
宗一郎が吉田の肩に手を当て、
「おい、何とか言えよ」
口調は静かだか怒気を孕んでいる。
「キョーちゃん、大丈夫?」
コータツは静かに言ったが視線を吉田から外さない。
吉田は硬直したまま何も言えないでいた。
(このままではヤバい)
俺はわざと笑顔で言った。
「宗一郎。教室戻れよ。」
「何でだ?このまま終わらす訳にはいかねぇ。お前も分かるだろ?」
宗一郎は明らかに吉田の肩に当てた手に力を入れた。
吉田の顔が苦痛に歪む。
コータツも殴り掛かる気満々だ。
「宗一郎、言いたい事は分かる。だが、時間的に不味い。もうすぐ先生が駆け込んで来る。お前に吉田の声が聴こえたなら職員室にも聴こえてる。それにコータツが投げた椅子の音がデカかった。たぶん生活指導を連れて来るだろう。宗一郎…」
まくし立てて俺が言っているのを遮るように
宗一郎は俺の方を見て笑顔で言った。
「面倒は御免だ、だろ?タダヒコ?」
俺は笑顔で言った。
「ああそうだ(笑)コータツ、散らばった書類集めるの手伝って。早く担任の所に行かないとまずい(笑)」
コータツは怒っていたが「分かった(笑)」といつもの笑顔で応えてくれた。
吉田を引っ張って行きながら宗一郎が俺達から離れる。
「お前には落とし前つけて貰うからな」
吉田にそう言いながら教室を出て行った。
入れ違いで担任と生活指導の先生が来た。
「紀藤!何があった?」
俺はわざと驚いた表情を作り担任に言った。
「あっ、先生。どうしたんですか?今、火野君とじゃれてたら椅子ごと転んでしまって(笑)何か大きな音立ててすいません」
見え透いた嘘…
でも、俺には確信があった。
担任は話を丸く納めようとすると。
次期野球部監督を目指している彼は問題を大きくしたくない。
況してや状況を話すのは成績優秀者の俺。
生活指導の先生に連れて行かれただけで学校側から問題にされる。
彼は訝しげに俺を睨む生活指導の先生を余所に言い放った。
「なんだよ、紀藤。気をつけろよ。その書類、今、もらってやるよ。」
俺は苦笑いをしながら
「すいません、先生。気をつけます」
コータツも一緒に頭を下げてくれた。
「じゃあ、行きましょうか、先生」
担任は生活指導の先生を急かすように出て行った。
生活指導の先生は…
最後まで無言のまま俺から目線を外さず出て行った。
その目は宗一郎の鋭い目付きと同じだった。
「手間が省けて良かったな、コータツ。」
俺が空気を変えようとコータツに話掛けると、
「そうだね」
コータツは気のない返事をした。
顔を覗き込むと…
怒りに満ちた顔をして一点を見ている。
視線の先には吉田が居た。
だが、俺が覗き込んでいるのに気付いたコータツは
いつもの笑顔で、
「キョーちゃん、放課後、暇?サ店行こうよ?相談したい事があるんだ♪」
コータツは相談事と言っているのに何故か陽気だ。
「俺、キョーちゃんの秘密知っちゃったしねー♪」
(秘密?)
俺は何の事だかさっぱりだったが
「いいよ。宗一郎も誘おうよ。さっきのお礼が言いたい。結果的に助けて貰ったし。」
俺がそう言うとコータツはむくれて、
「えー、あいつはいいよー。二人でいいじゃん。」
ごねるコータツを宥めていたら、
チャイムが鳴った。