賊の裏事情
「え……?」
胸がドクンと跳ねた。
殺す。いまカクゾウは殺すと言ったのか。ミノルを。私の彼を。
「どう……して?」
「わからんか。怨神討伐のためだ」
どうして怨神を倒すためにミノルまで殺さなければならないのか。まったく理解不能だ。
だが隣のショウイチは違ったらしい。
「なるほどな。怨神にとってミノルは囮ってわけか」
囮……? どういうことだ。わけがわからない。
私は救いの目をショウイチに向けた。ショウイチはあくまで冷静に、私に向けて状況の説明をした。
いわく。
怨神はこれまで、突発的に村に現れては村を壊滅させてきた。だが今回は違う。ミノルを使役して徹底的に都の構造を調査している。おそらく、明日もミノルだけが都を破壊しにやってくるだろう。
怨神は恐れているのだ。人間の作り上げた武器を。兵器を。だから下僕であるミノルだけを遣わせる。そのミノルを仕留めなければ、いつまでたっても怨神は現れない。
ミノルとて刀の腕前がある。多少の雑兵では相手にならないだろう。だが私とショウイチはよくミノルを知っている。二人だけでミノルを倒せる。
反面、怨神は人間の想像を超える力を持っている。だから賊のすべての戦力を神にまわしたい。ミノルのためだけに戦力を減らしてしまえば、それだけ勝率が下がる――
話の途中までは理解できる。あの卑しい神のことだ。ミノルを奴隷のように扱っているのは容易に想像できる。でも、彼を……ミノルを殺すなんて……
「特に相手は神ですからな。勝算はできるだけ高めておきたいという、ただそれだけの話ですわ」
それだけの話だと……!?
怒りのあまり立ち上がりそうになる私を、隣のショウイチは片手で制止した。代わりに賊二人に向かって言う。
「ミノルの実力は俺がよく知ってる。奴もそこいらの男よりゃ強いが、俺ならものの数分で倒せる」
「うむ。良い返事だ」
カクゾウが満足そうに頷いた。
私はキッとショウイチを睨み付ける。
たしか彼はミノルが大嫌いと言っていた。この機会にミノルをどうにかしようとでも考えているのか。
ならば良い。私がそうはさせない。戦わずして、どうにかミノルを神の手から解放させてみせる。ミノルだって都を破壊するのは本意ではなく、怨神に脅されているだけのはずだ。
ショウイチは複雑な表情で私を見返した。……悪い。小さくそう呟いてきた。
そのときだった。
「お、茶、を、持ってきましたです」
ずいぶん若い男の声が聞こえたかと思うと、扉がギィと開かれた。瞬間、わあああっという悲鳴とともに、ガッシャーンと嫌な音が鳴り響いた。
何事かと振り返ってみる。そこにはまだ七、八歳と思われる男児がいた。お盆と四つの湯飲みが彼のそばをゴロゴロと転がっている。
「コ、コウイチロウ! あんたまたやらかしおってからに!」
参謀役が真っ赤な顔で男児に詰め寄ると、ぐいっと小さな胸ぐらを掴み上げた。
「茶だっていまは安いもんじゃねえんだぞ。しかもお頭と来客のための茶を……今度という今度は許さん!」
「あ、あの……私たちは別に、気にしてないし」
私がそう言うと、カクゾウも頷いた。
「まあよい。許してやれ。来客もこう言ってることだしな」
「し、しかしお頭……」
「許せと言ってるのがわからねえか、あ?」
カクゾウの修羅の眼光が参謀役を睨み付ける。参謀役はひいっという声をあげ、そそくさと囲炉裏の前に戻った。
「コウイチロウ。片付けをしてさっさと戻れ」
「は、はい……ごめんなさいお頭」
「いいから早く戻れ」
「は、はいっ」
コウイチロウと呼ばれた少年はさっさと盆と湯飲みを片付けると、急ぎ足で部屋から退出していった。
「おいおい、あんなガキも賊の一員なのかよ」
私の気持ちをショウイチが代弁した。
「ああ。ガキにしちゃ刀もまあまあ使える」
「まあまあと言ってもな……」
納得しかねるようすで頬をかくショウイチ。私も同感だった。あんな不器用そうな少年が、果たしてこの裏社会でやっていけるのか。
「さて、話を元に戻す」
カクゾウが言った。
「今度は俺たちが聞かせてもらう番だ。おまえたちの持っている情報をな」
☆
会話を続けるうちに日が沈んだようだった。
私とショウイチはそれぞれ来客用の部屋を割り当てられた。賊の拠点にこんな部屋が必要なのかと疑問に思ったが、なかなかに悪くない部屋だ。さすがに畳は敷かれていないものの、寝ござや小さな机等が揃っており、充分に快適な空間といえる。夕食はあとで係の人間が運んできてくれるらしい。
ふう。ため息をついて、私は机の前に座った。
結局、会議の結論は変わらなかった。ミノルを殺すか、あるいは一時的に動きを止めるか。それくらいしなければ、怨神は現れない。それが全員の意見だった。
私はどうすればいいのだろう。
明日、ミノルと本当に会えたら……彼はどんな顔をするだろう。
喜んでくれるか。迷惑な顔をされるか。
なぜ都破壊の手伝いなんてしているんだろう。想い人は故郷のために自分の命すら犠牲にした。それほどまでに正義感の強い男が、人々を不幸に陥れるようなことをするだろうか? やはり私や故郷を人質に取られているからか? 彼は私たちを守る代わりに他の人々を殺すつもりなのか。
すべては明日判明することである。考えても仕方のないことだ。でも、それでも考えずにいられない。
私はどうしよう。いざというとき、ミノルの命を絶たねばならないか。私だって、敵が恋人であるがゆえにみんなの作戦を渋ってしまっている。これも欲望なのだろうか。ミノルをどうにかしなければ、都の住人……ひいては、世界中の人々が悲惨な死を遂げることになる。
コンコンという音が聞こえた。扉が叩かれたらしい。
「誰?」
「ご飯……を、持って、きましたっ」
聞き覚えのある声だった。たしかコウイチロウと呼ばれていた少年だ。
ギィという音とともに扉が開かれる。彼はお盆を持っていた。その上に食事が並んでいる。
「ありがとう。君が係の人だったんだね」
と言ってお盆を受け取りにいこうとした瞬間――
「わ、わわわっ!」
特に足をつまずかせたわけでもなかろうに、コウイチロウは体勢を崩した。間一髪、私がお盆を受け取らなければ、いまごろ大変なことになっていたたろう。
「ふう……危なかったね」
息をついて食事を机に置く。
「ご、ごめんなさい。僕、ほんとにドジで……」
「え? ううん。大丈夫だよ、ありがとう」
礼を言ってから気づいた。この少年には聞きたいことがある。座っていいよと促したが、かたくなに「いいです」と拒否するので、軽く話を進めることにした。少年はなぜか顔が真っ赤だった。
「なんで君は……ここにいるの?」
「ここ?」
「うん。ここにいる大人たちがなにしてるか知ってるでしょ?」
コウイチロウはうつむいた。
「……うん」
「差し支えなければ教えてよ。無理にとは言わないけど」
沈黙があった。数秒ののち、コウイチロウは答えた。
「お姉ちゃんは、『捨て子』がどうなるか知ってる?」
「捨て子……?」
聞いたことがある。大人の快楽のためだけに生を授かった子どもや、経済的な困難で育てることができなくなった子どもは、親が人目を忍んで森に捨てる。もちろん現代の世界は、小さな子どもがひとりで生き延びられるほど生ぬるくはない。たいていは餓死するか自殺するか殺されるかと聞いたことがある。
「そんな捨て子を、お頭は拾ってくれたんです。僕みたいな取り柄のない奴でも、こうしてかくまってくれる」
会議中のやり取りを思い出す。たしかにカクゾウは、茶をこぼしたコウイチロウを必要以上に怒ったりはしなかった。
「そっか。あなたは……」
「そう、親に捨てられた。でも僕だけじゃないよ。ここの人たちはほとんど、僕と同じようなものなんだ」
そうだったのか……
カクゾウがいなければ、そして村から奪った『収入』がなければ、この小さな少年は命を落としていたかもしれない。
「お姉ちゃんは……お頭が、嫌い?」
「え……?」
戸惑う質問だった。
「ごめんね。私、親がいないの」
「へ?」
今度は私が沈黙する番だった。その空白の時間で、小さき少年は事情を察したようだった。
「……そっか。じゃあお頭のこと、嫌い?」
「……うん」
「そっか」
ここにきてコウイチロウは、初めて悲しそうな表情を見せた。
「僕はお頭が好き。だからお頭を嫌う人は、僕も嫌い」
そう言って、コウイチロウはなかば逃げるようにして部屋から出ていった。