2.そして老婆になった訳
白雪姫は男に連れられて、森の奥深くまでやって来ました。そこにはたくさんの、色とりどりの花が咲き乱れています。
「まぁ、なんて綺麗なんでしょう」
白雪姫は目を輝かせ、夢中で花を摘みはじめました。初めての景色に、彼女ははしゃいでいたので、後ろに立つ召し使いの男の手にナイフが握られている事に気付くのに時間がかかってしまいました。笑顔で振り返った白雪姫の目に飛び込んできたのは、自分に切りかかって来る男の姿でした。
「きゃ…っ!」
目を瞑り小さく悲鳴をあげた白雪姫の真白な頬を、鋭いナイフの刃先が滑りました。奇跡的にもかすっただけで助かった白雪姫は、叫びました。
「なっ何をするの!?」
男は淡々と答えます。
「お妃様の命令でございます。貴女を殺すよう命じられました」
白雪姫は驚愕しました。まさか、そんな馬鹿な、と。
男は再び構えます。
「城へ逃げ帰っても無駄ですよ。王は今不在、お妃様の意思は国の意思。貴女にはここで死んでいただきます」
男はじりじりと迫ってきます。握られたナイフの刃先にあるのは、白雪姫の心の臓。
「嫌……っ!」
白雪姫は無我夢中で走り出しました。すぐ後ろからは男が追いかけてくる気配がします。彼女はどんどん森の奥へと追いやられて行きました。
その少し後、王室ではお妃様が落ち着かない様子で、部屋を行ったり来たりしていました。そこへコンコン、と扉を叩く音がして、男が一人入ってきました。それは今さっき白雪姫にナイフを向けた男。お妃様は男に走り寄りました。
「白雪姫は……!?」
男は白々しく、こう答えました。
「ナイフを見ただけで極度に驚き、森の奥へと逃げて行きました。おそらくはもう戻って来ないでしょう」
聞いた途端、お妃様は真っ青になり、その場にへたりこんでしまいました。
「そんな……」
◇◇◇
初めて鏡が言葉を発したあの日から、お妃様は何だって鏡に相談してきました。
『王は、白雪姫の結婚を許さないんじゃないかしら。姫を誰よりも溺愛しているし、いくら白雪姫の婿とは言え、他人を信用しない人だし……』
『白雪姫はもっともっと美しくなるわ。それは本当に嬉しい事よ……けれど自分が醜くなって行くのは耐えられない』
『白雪姫が外の世界に憧れているのは分かっているわ。それでも、城の森の向こうには危険なものにあふれていると言うし……』
『夫は最近何かと理由をつけては出かけて行く……きっと女ね。もう私の事など愛してはいないのよ』
鏡は何も答えません。不安になったお妃様は、いつもの呪文を口にします。
「……鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰?」
すると、ずっとダンマリを決めていた鏡が一言答えてくれます。
「それはお妃様、あなたでございます。けれど、おそらく1ヶ月後には、この世で一番美しいのは、白雪姫となるでしょう」
安心と不安が半分ずつ。そして不安が安心の割合を超えた時、お妃様はついに言ってしまったのです。
「ねぇ…どうしたら私はずっと一番でいられるかしら……?」
しばらくの沈黙の後、鏡はある提案をしました。
「白雪姫を殺してしまえばよいのです」
まさか答えてくれると思ってはいなかったので、お妃様は驚き慌てて否定します。
「だめ!バカ言わないでっあの子は私の大切な娘よ。そんな事出来るはずがないでしょう」
「でしたら」
まるでお妃様がそう言う事が初めから分かっていたかのように、鏡はさらにお妃様を誘惑します。そしてお妃様はまんまと騙されてしまったのです。鏡はこう言いました。
「森の奥へ誘いだし、傷をつけてやればいいのです。そう、小さなナイフであの美しい桃色の頬に、ほんの少ーしだけ……」
扉が開く音がして、お妃様の背後には、すでにあの召し使いの格好をした男が、ナイフを持ちそこに立っていました。
◇◇◇
「私のせいだわ……私が白雪姫にバカな対抗心を出したから。私はあの子の母親なのに。そうよ、仮に白雪姫がいなくなったとしても、私が美しくなれる訳ではないのに……」
急激に頭が冷え、お妃様は自分の愚かさに気付きました。いくつもの涙が頬を伝っていきます。けれどいくら後悔してももう遅い。
――今頃暗く冷たい森のどこかで、白雪姫は一人震えているかしら。もしかしたら泣いているかもしれないわ……。
可哀想な白雪姫の事を思い、お妃様は自分を呪いました。白雪姫が戻ってきてくれるのならば何だってする、美しさすらいらない……本気でそう思えました。
「そうよ……美しさなんてもういらないわ。そのせいで白雪姫に酷い事をしてしまったんだもの。私が自ら白雪姫を探しにゆくわ。…あぁでも白雪姫はもう私の事を許してはくれないかもしれない……」
ぶつぶつと悩むお妃様に、しばらく黙っていた鏡が再び口を開きました。
「ならば…」
しかしお妃様は発言を許しません。
「お黙りなさい。鏡などの言う事を真に受けた私がバカだったのよ。もう失敗したりしないわ」
強気なお妃様に、鏡は怯む事無く喋り続けます。
「ならば地下に行き、そこに眠る薬を取ってくれば良いのです。いにしえから伝わるそれは幻の変老の薬……」
「お黙りなさいったら!もう鏡に助けは求めません!」
それきり鏡は嘘のように黙り込みました。しかし、お妃様の脳裏にはしっかりと刻み込まれてしまっていました。
――いにしえから伝わるそれは幻の変老の薬――




