1.孤独なふたり
昔、あるところにお城があり、王様とお妃様が住んでいました。
そのうちお妃様はとても可愛いらしい女の子を産みました。しかし、もともと体の弱かったお妃様は、出産から間も無くこの世から去ってしまいました。
しばらくすると王様は、新しいお妃様を迎え入れました。新しいお妃様は、産まれたばかりでまだ名のなかったお姫様に、こう名付けたのです。
――白雪姫、と。
◇ ◇ ◇
白雪姫はどんどん美しく成長していきました。その名にふさわしく、透き通るほど真っ白な肌に艶やかに映える桃色の頬。くりっと丸く大きな目は漆黒に輝き、真っ赤な唇はいつでもみずみずしい。
王様はこの美しい娘を溺愛しました。みかけはもちろん、内面も素直で物腰柔らかく、何者にも隔てなく優しい。白雪姫はそんな少女だったのです。
――いいえ、そんな少女であらねばならなかったのです。なにしろ一国のお姫様であり、ただ一人の後継ぎでしたから。その責任は、小さな白雪姫にとっては、さぞかし重かった事でしょう。
だからでしょうか。いつの間にか素直だった白雪姫は、次第に歪んでいきました。父を憎み、義母を憎み、果てはこの国をも憎むようになっていったのです。早く大人になって、こんな所から抜け出したい。そう思うようになっていったのです。
そうやって、少しずつ蓄積されてゆく白雪姫の黒い本心に気付くものは、誰一人としていませんでした。彼女はずっと耐え続けました。父の膨れ上がる期待に必死で応え、どこかよそよそしく、ぎこちない義母と必死で打ち解けようとし、国民にとっては理想の姫であり続けました。
けれど我慢すればするほどに、長い年月は彼女の心を黒く汚していったのです。
◇ ◇ ◇
「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰?」
お妃様は鏡に向かってそんな問いかけをしていました。
「一番美しいのは……誰?」
もちろん、鏡が応えてくれる訳はありません。そんな事はお妃様にも分かっていました。けれど、問いかけずにはいられませんでした。そしてお妃様は今日も悲しい一人芝居を続けるのです。
「――それはお妃様、あなたです」
お妃様は、王に見染められて後妻としてこの城に来ました。新しい環境、立場で頑張ろうと思っていました。娘となった姫に名前をつけ、早く近付けるよう努力しました。大好きな夫と仲むつまじく、いつも穏やかでいるよう心がけていました。
けれど、月日の経過は夫の愛をお妃様から奪っていきました。美しかったお妃様に衰えが見え始めたのです。それでもまだ十分に美しかったのですが、その時、既に王の興味は実の娘へと移ってしまっていました。
それはもちろん、親としての愛だったのでしょう。少なくともお妃様はそう信じていました。けれど、美しくひた向きな白雪姫を見る度、鏡に写る自分の老化を見る度に、お妃様は何とも言えぬ悲しみ、寂しさ、恐怖に襲われるのでした。
「それはお妃様……もちろん、あなたです」
愚痴を言う相手もいない孤独なお妃様には、こうして鏡に語りかける事しか出来ませんでした。
「あなた、です……」
馬鹿だと分かっているのにやめられない。毎日お妃様は一人、ひっそりと涙を流すのでした。
その様子を、少し開いた部屋の扉の隙間から、覗き見ている人がいました。けれどもお妃様はそれに気付く事が出来ませんでした。
◇ ◇ ◇
そんなある日の事でした。事件は始まりました。
その日も、お妃様は部屋で鏡に語りかけていました。
「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰?」
そしていつもの通り、自分で答えようとした、その時でした。
「それはお妃様、あなたでございます」
突然、鏡がしゃべったのです。お妃様は驚いて、もう一度問いかけてみました。
「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰?」
「それはお妃様、あなたでございます」
やはり鏡は答えてくれます。戸惑いながらも、疑惑よりも嬉しさの方が勝ってしまい、お妃様はあまり深く考えませんでした。
「けれど……」
喜ぶお妃様の隣で、鏡が再びしゃべり始めました。決して言ってはならない事を。
「けれど、おそらく1ヶ月後には、この世で一番美しいのは、白雪姫となるでしょう」
◇ ◇ ◇
その日、白雪姫は広い庭に一人きりでいました。自由に外に出してもらえず、友達もいない。彼女もまたこの城で孤独な毎日を送っていました。
高くそびえる塀の向こうには何があるんだろう。これでは檻に閉じ込められた囚人だ……。
白雪姫はレンガを積み上げその上に乗り、爪先立ちで辛うじて外の景色を眺めていました。
「白雪姫様」
背後から声がし、白雪姫は振り返りました。そこにいたのは召し使いの格好の男。けれど白雪姫には見覚えがありません。
「新しく来た人かしら?」
男はそれに答えず、淡々と言います。
「お妃様が、白雪姫を森に遊びに連れて行ってやりなさい、と」
「お母様が!?」
白雪姫は驚きました。そんな事は今までに一度もなかったのですから。そして、何の疑いも持つことなく大喜びで、男について行ってしまったのです。
――その男が、本当に召し使いだと信じて。




