三
青々とした樹々に囲まれた黒エルフの住まう西影の森。空気も日差しも穏やかで暖かい。その中心部であろう家々が集まっている場所を灰色の肌の女性がゆっくりとした足取りで散策していた。
「ユーフェ」
ニーサはその女性に声をかけたが気付かないようである。
「ユーフェ。ユーフェメディナさん」
再度呼びかけた。やっとニーサに振り返って、気まずげに微笑みを返してくる。
「すまない、その名前に慣れなくて。気付かなかった」
はじめの頃に比べれば大分ましになったのだが、ぎこちない歩き方でニーサに近づいてきた。おっかなびっくりといった感じである。
痴話喧嘩のような長老と祈祷師の長々とした話し合いの結果、ユーフェメディナ、通称ユーフェという名前になった。長寿として知られるエルフだけあって、話し合いも長いらしい。「これでいいですね」と引きつった笑顔でニーサに詰め寄られて、はいとしか答えられなかった。
「背中が丸まってますよ。もっと胸を張って」
「いや、なんというか、その……」ユーフェは明にたじろぐ。
「……恥ずかしいんだよ」
「何をいってるんですか。そんなに格好いいじゃないですか」
言って、ニーサは木陰に置かれたテーブルに導いた。木陰は気持ちよく、椅子にしばらく座っていると眠くなってきそうだ。
足を組もうとして、はっとして、もじもじしているところにニーサが話かけてきた。
「ここには少しは慣れました?」
「ああ、皆、よくしてくれて有難い限りだ」
周りより、自分の体に手間取っているとは言わなかった。立っているだけバランスを取らなければならないし、肩凝りも酷い。
村の者が3、4人連れ立って通りすぎざまに挨拶していく。ニーサと共に軽い挨拶を返す。仲間内ではしゃいでいる様子が見て取れた。
「皆、いい人達だ。俺が話に聞いていた黒エルフは廃墟や洞窟に住んでいて、冷酷で残忍……」言って、慌てて謝った。
「白いエルフみたいな言いようですね」
ニーサは怒ったふうでもなく、いつものように微笑んで答えた。
「エルフは夜目がきくので、そういう所でも生活できるでしょうが、心地よくはないでしょうね」悲しげに続ける。「故郷の森を追われたのでしょう」
村の中心にある村主の樹と呼ばれる大樹が一種の結界のようなものを張っていて、外部の者を容易には寄せ付けないようになっていると、説明した。それゆえに村主の樹を失うことは、村を失うことと同義なのだとも。
「白いエルフが自らを白エルフと言わないように、わたくし達も自分達を黒エルフと言うことはあまりないです。エルフはエルフですからね」
「……一つ、聞いてもいいだろうか?」
ユーフェは疑問に思っていたが、聞きづらかったことを口にする。
「どうして見ず知らずの俺に、こんなに親切にしてくれるんだ?」
知らずに小声になった。視線を反らせて言葉を続ける。
「貴方方は綺麗な褐色の肌だ。俺は見ての通り灰色をしている。こんな肌、見たことも聞いたこともない。貴方方の同族とも思えない」
ニーサは目を閉じた。椅子に座ったまま微風を感じているかのようだった。
「だって、あなた、記憶を失って困っているでしょ? 困ってる人に手を差し伸べるのに理由が必要ですか?」
目を開いて、優し気な表情を浮かべる。
「青みがかった灰色の肌、とても美しいですよ」
「いや、どう見ても人のものとも思えない、酷い色だ」
「そんなふうに言ってはいけません。仮にそうだとしても、例え村主の樹に倒れていたのが白いエルフだったとしても、わたくし達は助けたと思いますよ」
ユーフェの金の瞳を見詰めて頷いた。
「そうか? 白い奴等だったら、俺は考えるけどな。もちろん女性で美人だったら助けるが」
「ジェイド!」
長老がおどけたふうにして木陰に近づいてきた。長剣を帯びた男を一人連れていた。長身で真面目そうな顔つきである。
「みんなして長老と呼ぶもんで、一瞬、誰のことかと思った」
「はあ、そうですか」ニーサが呆れたような声をだした。
「こいつは村の外れほうに住んでいるブセントというやつだ」
ユーフェは椅子から立って挨拶を交わす。
折に触れて、このように長老は村の者を連れて挨拶に来てくれる。
「ブセントはなかなか剣が達者でな」
長老がブセントの紹介をする中、ユーフェは居心地の悪さを感じた。ブセントの視線が自分の胸に向いている気がして、恥ずかしいような腹立たしいような気持ちになったからである。
紹介が終わると、ブセントは上ずった声を上げた。
数拍の後、よろしくと言ったのだとわかった。
長老はブセントの肩を叩きながら笑う。
「真面目なお前さんの顔が赤くなるとこを見るなんて、500年は寿命が延びた気がするぞ」
ブセントは長い耳を真っ赤にしながら抗議の視線を長老に送る。構わず長老は肩を叩く。その度に腰の長剣が音を立てた。
ユーフェは揺れる剣を見詰めた。何か心に引っかかるものがあって、ずっと気になっていたからである。
「その剣を手に取らしてもらってもいいだろうか?」
ブセントは返事をしようと口を開いたが止めて、頷いて長剣を手渡す。
受け取ってみるとしっかりとした重さを感じて、ユーフェは眉をしかめた。
「抜いてもいいか?」
頷きが返ってくる。
長剣の握りに力を込めると一気に抜き放つ。その勢いのまま切先が地面に刺さった。
ユーフェは目を閉じた。記憶を失う前の自分が朧げながら心に浮かんだような気がした。常に剣を持ち、剣で戦い、剣と生きていたそんな姿が。今のこの女性の体でいることより、剣を持ったときの感覚のほうがよほどしっくりきた。かつて自分は剣を手に生きていたんだと確信させるものがあった。
「一つ、わかったことがある」
ユーフェは静かに言葉を発する。剣を持つ手に力を込める。
三人の視線がユーフェに集まった。
「これは……」長剣を見詰めて続ける。「重くて、持ち上がらない」