二
「記憶がなく、自分の名前も思い出せないと?」
長老と呼ばれる男がそう聞き返した。長老と言われても、長命なエルフのこと見た目は青年にしか見えないが。
「で、自分は男であると?」
困ったような顔をして、隣にいる先の黒エルフの女の顔を見る。
「そんなことがあるものなのか? ニーサ」
「そうですね……」
ニーサ。微笑みを絶やさない彼女も神妙な表情を浮かべる。長老の話では村の祈祷師をしているそうだ。
「記憶を無くすというのは稀にあるそうですよ、話に聞くこともあります。ですが……」ニーサはまじまじとこちらを見た。
「男が女になるというのを聞いたことはないですね」
「いや、だから、俺は男なんだって」
「失礼を言いますが、何処の誰だかもわからない記憶ですよね?」すまなそうにして続ける。「記憶を失って混乱されてるだけなのではと思うのです。特におかしい力が働いてる気配もないですし」
そう言われると押し黙るしかなかった。だが、自分の中のえも言われぬ違和感は拭いようもない。声を出すだけで、恐怖に似た感覚に襲われる。
それでも、反論しようとしたが、
「それは置いておくとしてもだ」
長老に遮られる形になってしまった。
「村主の樹の側で裸で倒れていたのだから、常ならざるものを感じなくもない」
「は、は、はだか・・・!?」
目が点になった。恥ずかしさが込み上げてくる。自分のものではない身体が、今、自分であって、その裸体を見られたからであろうか、経験したことのないような恥ずかしさである。ニーサの言うように状況に付いていけずに混乱しているのは間違いない。
「そうです。そこから、わたくしの家まで運びました。そのままというわけにもいきませんので、わたくしの寝衣を着ていただきました」小さく頭を下げた。
「ありがとう……」
それ以上言葉が出なかった。今もニーサの貸してくれたという白い寝衣を着たままである。有難いと思うと共に、止めを刺されたという気持ちにもなった。
俯いてしまう。すると、灰色の胸の上部や太腿が見えてしまって、それはそれで落ち着かない。
「ま、考えてもわからないものはわからない。それより、解決しなければならないことから解決していこうか」
長老は表情を崩して、
「貴方の名前なのだが、これから、ずっと貴方とか、あの方とかと言ってもいられないだろう。何より不便だしな。仮にでも構わないので決めたほうがいいと思うのだが」
「そうですね。名無しではかわいそうですし」
「呼びやすくて、貴方が気にいらないものでなければ、なんでもいいと思うのだが、ファティマとかシンとかベルティーヌとか」
「リンケーサなんて、どうでしょう?」ニーサはにこにこしながら聞いてきた。
「……おい。それ、昔飼ってた梟の名前じゃないか」
「よく覚えてましたね。あなたこそ、昔付き合ってた女の子の名前じゃないですか?」
長老とニーサは笑いあった。だが、妙な緊張感があるのを感じずにはいられなかった。