犬猫は三日扶持すれば恩を忘れず――捌
千崎たちが病院を訪れた頃にはもう、日も沈もうとしていた。
病室に入るときらりんはすぐに千崎を離れ、ベッドに横たわっている千代子のそばへ駆け寄った。
千代子はうっすらと目を開け、夫の姿を確認する。その目はきらりんなど映していなかった。
「あら、今日は大勢だこと」
千崎たちは軽く頭を下げ、ベッド脇へと進む。
きらりんは千代子の視線が動くたびに、彼女の視界に入る位置へと移動する。それでも彼女が彼を見ることはない。
「千代、猫が死んだよ」
滝川は率直に言った。
一瞬病室内が沈黙に支配されたが、それは錆びた鈴の音によって壊された。
滝川は持っていたきらりんの首輪を千代子のベッドの机に置いた。
ちりりん。
「そうかい」
千代子の声は変わらなかった。
「寂しいねぇ」
寂しいと千代子は繰り返した。
「きらりんは千代子さんに会いたがっていました」
千崎はもう触れることの出来ない千代子に擦り寄るきらりんを見つめながら言った。
その視線が自分に向いていないことに気がついて、千代子は自分の手を見つめる。そして優しく笑った。
「崎さんのお孫さんに言われたなら、本当だろうねぇ」
千代子は自分の手元にいる、見えないはずのきらりんに話しかけるように言った。
「千代子さんに会いたくて、あなたと出会った神社を彼は最期の場所に選んだ」
千崎は制服のポケットの中から七つの石を取り出して、その中の一つを千代子の前に置いた。
薄茶色で半透明な小石。それは儚げだが、確かに優しい輝きを放ち、見ているものの心を和ませた。
「これは彼が選んだあなたの石。あなたのような色をした石です」
千代子はそれを眺め、誰に言うでもなく言った。
「ありがとう」
千代子が静かに流した涙の雫が布団の上に落ちるのを見て、きらりんは静かに消えていった。
「え、いいの?」
和泉は庭でラズベリーがたくさん入った小箱を抱えながら声を上げた。
目の前には滝川の姿があった。
「予想外に満足させてもらったからな! 全員で食べな!」
「やった、まじやった!」
和泉は嬉しそうに小箱を抱え、台所へ去っていった。
「今回は本当に感謝しているよ」
滝川は縁側に座る千崎の横に腰を下ろした。
「本当は和泉が盗んだ農園のラズベリーの代わりに依頼したつもりだったが……それ以上に満足してるよ」
千崎は一瞬呼吸を忘れた。室内でお茶を人数分注いでいた柚里の手も止まり、ブラウニーを持ってきた密の足も止まる。
「見ろよこれ! すっげぇうまそう!」
和泉だけが陽気にラズベリーの入った皿を抱えて現れた。
「――和泉くん?」
三人が笑顔で和泉を振り返る。
「あ、れ――?」
異様な空気を察した和泉はそのまま足早に屋敷の奥へと逃げていく。
「お前はまたか!」
「農園の果物盗み食いって万引き同然ですよ!」
「お前だけ今日、ブラウニー味噌汁」
三人は滝川を残して和泉の捕獲に走り出した。
賑わう時雨荘を、滝川は懐かしさを感じながら見回した。そして部屋の一角を見て、微笑んだ。
二百円が入った透明の豚の貯金箱。その隣にまるで彼らのような色をした四つの石が仲良く並んでいた。
第二章完結。
燃え尽きました。
ちょっと厨二病っぽかったですよね、今回。