馬鹿とツッコミ
誰も言葉を発せない。いや、発したくても何を言えばいいのか分からないのだ。
なんせ、自己紹介をしていない彼が最初の言葉でつまづいてしまったからだ。
気まずい沈黙を破ったのは、ヒースの咳払いだった。
彼は咳払いをした後、あー…と何かを考えるように視線を彷徨わせて、
「それで?最後の君の自己紹介だけが残っているのだが、やってもらってもいいだろうか?」
どうやら、さっき噛んだことをなしにしようとしているらしい。
残り一人の青年はわずかに申し訳なさそうな顔をして、はいと言った。
「お、おりゃ…俺の名前は、せ、せー…」
「「…」」
「!そうだ!セイン・れびび…レビスだ。とちゅ…年は今年で十にゃにゃ…十七になる」
最後まで終えると、彼は肩の力を抜いたように見えた。
…なんか、最後までよく言えましたって言いたくなるわ…。ちょっとほのぼのとした気分になるが、どうやらそれは私だけだったようで、ヒース君はプルプルと震えて…え、ちょ意外に短気だったりする?実はすぐにイライラする派?
と思っているとヒースは真っ直ぐセインの元まで行き一歩の間を挟んで立つと、
「どんだけ噛めば気がすむんだ!!」
叫ぶ…とまではいかないが、ちょっと大きい声をだした。
ここからじゃヒースの背中しか見えないが、セインがキョトンとしたように目を瞬かせている。
「なんで自己紹介だけでそんな時間がかかり、そして何回も噛むんだ!というか、自分の名前を忘れかけてただろうお前!!」
「う…すまない、俺、ちょっとあがり症で…」
「魔術師になったら色々なところに行くし偉い人に会うかもしれないのにあがり症だとまずいだろ!なんとか魔術学園在学中にそれ直せ!」
「う…すまない…」
…セインって、たしか年十七だからヒースより年上だよね…?
年下に怒られている年上って…。
思わず呆れてしまっていると、ハッとしたように息を呑んだ音がヒースから聞こえた。
「わ、ご、ごめん、ついこういうのを見るとツッコミたくなる性分で…目上の者相手に、すみません…」
「いや、はっきりと言ってもらえると助かる。それに敬語も不要だ。こっちこそ、噛んでしまってすまない…」
どうやら、自分が年上の者に対する態度をとっていなかったのに気がついたらしい。
謝る青年に、無表情のまま大丈夫だと言う青年…なんか、セインって無表情だからちょっと面白い…。
と、眺めていると、セインはこちらに顔を向ける。
「君…たしかリア、だったか。君も敬語とかは不要だ。気軽に接してくれ」
「あ、はい。それじゃあセイン、よろしくね」
…実は頭の中では普通に呼び捨てしてましたとか、言わないでおこう…。
一通りの自己紹介を終え、とりあえずこの迷路を脱出する方法を考えようといことになった。
この部屋は赤と金の絨毯がしいてあるだけで、他には物一つなかった。それどころか、ドアもない。
「とりあえずここから脱出しなければいけないな…」
ヒースが考え込むように顎に手を当てる。セイン無感情な瞳で壁を見つめていた。
何か仕掛けでもあるのだろうか。というか、それしかないような気がする…。トラップもあるって言っていたから、気をつけなきゃな…。
とりあえず突っ立ったままもどうかと思うので、私は一歩を慎重に踏み出してみる。
ここで警戒心もなく行って、なにか変なトラップを発動させるというのはなんとしてでも避けたいからな…慎重に、慎重に…。
「っと!?」
「え!?」
「!?」
と思った矢先、私ではなくって別の人、セインが悲鳴をあげた。
目をまん丸にした彼は、一歩踏み出した足を凝視して、ゆっくりとどかす。
そこだけ、床がへこんでいた。もしかして、なにかボタンを作動させた?
「え?…俺って、そんなに重かったか…?」
「そんな訳ないだろう。これは何かボタンのようだ。何か変なトラップがこないといいのだが…」
そう言いながら、ヒースは素早く辺りを見まわす。
そうだよね、なにがくるのか分からないんだもの。すごく警戒しなきゃ。
…。
…………。
…………………………。
「何も、起きないね…」
「あ、ああ…そうだな」
拍子抜けだ…。
私とヒースの二人で同時に息を吐く。なんとも人騒がせな…あれ。
私は不意に魔術の気配を感じた。いや、この迷路自体魔術でできているって話だから、魔術の気配がして当然なんだけど、そういうのとはまた違った気配が…。
どこからきているのか探してみると、セインの近くだった。…もしかして…。
「?おいリア、どうした?」
「?何か食べ物でも見つけたのか?」
「セイン、そんなわけないでしょ。それよりヒース、セイン、ここから魔術の気配を感じない?」
へこんだ床の部分を指差すと、ヒースとセインが訝しげな顔をしてボタンの近くまで来る。
セインは無表情のまま首を傾げたが、ヒースは何かを感じ取ったらしく考え込むような顔になる。
「これ…魔術の気配だな。もしかしたらなにかあるのかもしれない」
「でしょう?ちょっと押してみよう」
私が軽くへこんだ部分を押してみる、がまったくもって動かない。体重を全部かけてみるが、無理だ。
「うーん…?何かあると思ったんだけど…」
「…待て、僕にやらせてみろ」
ヒースが名乗り出て、へこんだ部分を押すがビクともしない。
うーん?なにか違う方法じゃないとダメなんだろうか。と思っていると、へこんだ部分の2、3メートルほどの真上に水色の魔術陣が現れ…え?
「発動」
「は?」
セインの声が聞こえ、すぐにヒースのキョトンとした声が聞こえた。
次の瞬間。
ザバアッ
水が落ちてきた。
へこんだ床の部分、ではなく、
ヒースの手の上に。
「!え、つめたっ!!?」
状況が掴めていないであろうヒースは、水が当たった手を慌てて引っ込める。
…今の魔術って、セインのだよね…?
セインの方を見ると、案の定しまったというような顔をしていた。ああ、やっぱりセインか。一体なにがしたかったんだろう。頭の上にクエスチョンマークを浮かばせ、口に出して問いかけてみようとした瞬間、ようやくセインが魔術を使ったというのに気がついた(おそっ)ヒースが何かを必死に押し殺したような声で問いかけ…いや、尋問をする。
「…セイン、どうしてだ?」
「ええと…」
声が震えている。
自分が怒られているわけではないのに、ヒースが少し怖かった。となると、怒られている当の本人はもっと怖いだろうと予想できた。
ヒースは額に青筋をたてさせながら、今にも爆発しそうな顔をセインに向ける。あーあ、せっかくの美形が台無しだよ…。
「お前は、何をしようと、していた?」
すぐに答えられないセインに痺れを切らして、もう一度ヒースが問う。
「え、と…その、水でドバアッていったらもっとへこむかなーって…」
「馬鹿かお前は!」
素直に理由を話したら、間髪いれずにヒースが怒鳴った。
途端にビクゥと体を震わせるセイン。…一応確認しておくけど、セインの方が年上…なんだよね?
「そんなんでへこむ訳ないだろう!それだったら、岩を落とす魔術とかもっと大量の水を落とす魔術とか、そういうのを使え!」
「あ、そっか。じゃあ岩を落とすのを…」
と言ってセインが出現させた魔術は、この部屋全体に落ちてきそうなほどの大きさの岩を出現させるものだった。止めようと口を開くよりも前に、ヒースに頭をはたかれる。
「何やってるんだ君は。僕たちを殺す気か!」
「え、あ、すまん」
慌てて魔術を消すセイン。再度魔術陣を出現させようとする彼を止めて、ヒースが僕がやると名乗り出てくれた。
うん、ヒースなら安心かな。
「う…すまん、こういう風にする魔術にすっかり慣れてしまって…」
「たしかに、あの魔術陣に乱れは一切なかったよね」
もしもこれが戦場で、あの魔術を敵方に放つんだったらあの魔術は上出来だ。バンバン使ってほしいくらいだ。
だが残念ながらここは戦場ではない。というか、戦場で使えるほどの規模の魔術に慣れるって、どんな魔術の練習をしてたんだか…。
コントロールさえ慣れれば、上手くいくんだろうけど。というか、絶対力強いだろう。
「発動」
どこか面倒くさそうにヒースが岩を落とす。おお、これまた見事な魔術。
へこんだ床の部分に落ちた岩はそのまま床をさらにへこませる。
どうやら私の考えは当たっていたようだ。更にへこんでいた床は虹色の魔術陣を展開させると、ゴゴゴと部屋全体が揺れ始める。
「正解のようだな」
「それじゃ、みんなで合格を目指そうか」
二人がそう言ったのと同時に、目の前に茶色の扉が現れる。
私は一瞬だけ二人を見て、すぐに前を見据える。
「行きましょうか」
試験の始まりだ。