理不尽な召喚
真野 遥 29歳。美人顔。身長160。さっぱりしている。
彼 28歳。イケメンではないが、遥から見れば格好良い容姿。
「あつっ」
材料を切っていたら、横で温めていたフライパンを素手で触れてしまって、
火傷まではしなかったけど熱かった。
「えへへ、ドジしちゃったよ」と笑いながら料理の行程に入ると
、後ろで寛いでいた彼から声がかかる。
「大丈夫か?」
心配そうに聞いてくれる彼に、私は恥ずかしくて苦笑い。
「心配してくれて有難う。大丈夫だから」
笑顔で振り向くと、彼は肩を竦めた。
「遥さん、意外とあわてん坊なんだな」
「ふふ、そうかも。頑張るから、待っててよ」
そんな私達は、明日いよいよ籍を入れることになった。
私は嬉しくて、今夜彼と祝う為の食事の準備をしていたのだ。
ようやく今日から契約したばかりの新居に移り、
これから築く2人の生活を思い描いてテンションが高かったのかもしれない。
まだ毎日手際よくはいかない慣れない食事作りだけれど、
彼と出会ってからは料理スクールにも通い、
母にも手料理を習うなどして、腕を上げていたはずだ。
彼はその様子を見ながら、笑っていた。
「美味いメシ期待してる」
イケメンではないが、そこそこ格好良い容姿だと私は思っている。
黒髪黒目、背は180あり体格もいい方だ。
少し子供っぽいところもあるが、彼は今年28歳。私は1つ年上29歳の姉さん女房。
思い返せば、社会人5年目の時、隣の会社の部署に勤めていた彼に偶然出会った。
たまたま時間が押し、たまたま手作り弁当を忘れ、たまたまお向かいのビルの洋食のお店で。
私と同期1人が店の店員に連れられて、4人掛けのテーブルに座っていた彼とその友人2人の前に
相席をお願いして、彼らが了承して座ったのだ。
「君、真野遥さんだろ?」
「え、はい」
彼は私を知っていた。私は彼を知らなかった。
驚いた私へ彼は隣の友人男性と目配せして、笑った。
「俺、実は真野さんのファンでして」
隣のビルから私の勤務先の事をたまたま知り、
たまに私の仕事をしている姿や姿勢を見たことがあるのだそうだ。
「ハリのある大声で、男性陣の中仕切っていたのは、凄かった」
「俺も見たけど。ドラマで美人女優が部下達を叱責しながら仕事をしている姿に見えた」
等で話が盛り上がった。
私より1つ下の彼とその日意気投合し、3か月後にはお付き合いが始まり、
その2年後にはプロポーズを受け、結婚することになった。
幸せで、幸せで天にも昇る気持ちだとこの時は思っていた。
式は海外で2人だけ。披露宴は、お洒落なレストランの貸切で。
籍はこの日と決めた日。両家の両親にサインをお願いし、後は2人で提出することになっていた。
「いよいよ明日だな」
彼と私は、その希望日を有給で休暇を取った。ただの紙きれだけど、
この用紙を区役所に提出したら、正式に夫婦だ。ベッドに入る時、
籍を入れたら法律上夫婦と認められるねと笑いあった。
それなのにその当日、朝目を覚ますと、彼は忽然と消えていた。
「一緒にベッドで寝ていたはずなのに」
ベッドには、確かに彼がそこに居た形跡があった。でも、肝心な彼はどこにもいない。
ベッドの沈んだ場所は、触れればまだ生暖かい。もしかしてトイレ?キッチン?
何故か不安が胸いっぱいに広がり、ベッドから降りて寝室の扉を開けた。
2LDKという空間を慌ててあちこち探したけれど、彼の持ち込んだ物、
全てがそのままに彼ひとりだけ消えるようにいなくなってしまった。
「槇都」
婚姻したことで、夫になった彼を呼ぶが、応えはない。
どうして?
その日から、私は何もやる気が起こせなくなった。
喪失感。
私は毎日泣いた。警察へも届を出した。友人知人、彼の両親から彼と関わる人が協力してくれたけど、
彼は見つからなかった。彼と住むことになっていた新居の2LDKの部屋もそのまま使って半年。
そんな泣いて暮らしている私の前に、煌びやかな青年が現れた。
神々しく光る青年は、私に笑顔で語りかけてくる。
『私は神より貴女がどうされるかの返事を聞くよう承っています』
「神?」
私は怪訝な顔を見せたが、青年は私の様子を見ながらも私の返しに頷いた。
『神です。こちらの世界の神。私は神の使いです。貴女の伴侶である彼は、神の意志関係なく、
勝手に異世界の者達による魔術により別の世界へ召喚されました』
衝撃の一言だった。
「異世界?」
SF、いろいろな覚えのある小説や映画を思い出しながら、私は戸惑う。
「召喚って、異世界って、本当にあったんだ」
『はい。ですが、異世界から召喚することは、その世界の神と別の世界の神との許可が下りた時のみ。
今回は、どちらの神も干渉していないことで、多大な問題が起こりました』
「どういうこと?」
『神と神が了承した召喚は、こちらの世界から別の世界へ行くことで、こちらの世界の存在が消えます。そうすることで、世界の調和が保たれます。ですが、今回は無理な召喚をしたことで、
こちらは神隠しにあったようなことになり、歪みが生じました。その歪みを直すために
、別の世界へ召喚された彼の存在を消さなければいけなくなりました』
ひゅっと、喉の奥が鳴る。私は両腕を体に回して抱きしめました。
震えていたといった方がいいのかもしれない。
「消すって、死を意味するの?」
『そうです』
「どうして?こちらの世界へ呼び戻せないの」
『既に向こうの世界で彼は存在を認められてしまった。
この歪みを直すのに、こちらの神が別世界の神と協議した結果、そのようになりました。
それを伴侶である貴女にお話しして、貴女の記憶を消す。
一応説明をして了承の返事を頂くという命を受けております』
「・・・、それって、記憶抹消前提の返事なのね」
『そうです』
私があまりのことに涙が止まらず、ボトボトと床に落としていると、
青年はふうと大きくため息を吐いて、手紙を見せてくれました。
それは神からの手紙。
これまでの彼の経緯と私の今後の話が書いてありました。彼が異世界で消滅することで、
私は望みを1つ叶えてもらえるという。ただ彼の魂は、
歪みのせいで元の世界には戻れなくなったので、それ以外の望みとなる。
「私は、彼がどうなってしまうのかを見ることは出来ないのでしょうか?」
『見る?ですか?』
「彼は消されてしまうのでしょう?彼の伴侶である私は彼を、彼の最期を見ておきたい」
神の使いである青年は、私の言葉に驚いていた。
『貴女の記憶は、その後消されることになっていても?』
「はい。例え私が忘れてしまっても、少しの時間でも、彼が生きた証を見届けたいです」
私が強い意志を見せると、青年は困惑した顔をさせ、明日再度訪ねると言い残して消えた。
これは、夢の話なのじゃないかと思って抓ってみたけど、痛みを感じた。
泣いてばかりいた私は、彼は私が嫌で逃げたのじゃない事が分かって嬉しかった。
頭の隅に実は不安はあった。
彼が突然いなくなったのは、本当は結婚が嫌だったのではないかと。
もしくは、高校時代付き合っていた元カノと逃げたのかもと。
元カノが探すのを手伝いに来た時は
それは違うことが分かったのだけど。
私と暮らしていく未来を拒否されたのじゃないかと思い始めていたところだったのだ。
神の使いと言っていたあの青年は教えてくれた。彼がこの世界で行方不明なのは、
無理な異世界召喚をされたせいだと。
自分の意志で私から離れたのじゃないことが分かった。
たったそれだけのことだけど、私は彼の愛を今本当の意味で信じることが出来た。
彼は彼の知らぬ間に、異世界へ召喚されたのだ。
彼が望んだことではない。
次の日、約束通りに、朝から神の使いだという青年は姿を現した。
『こちらの神と別世界の神との協議の結果、貴女に彼の最期を見届ける許可を頂けました』
青年の言葉を聞いて、私はまた涙が出た。どうしても彼は、生きることは叶わないようだ。
彼は死が決まっている。彼の意志関係なく、彼を召喚した者達のせいで。
私は、青年の言葉を聞いてから、彼を無理な方法で召喚した相手をとても見たくなった。
彼をこの世界から呼び出して、彼の運命を狂わせた者の姿を。