第二話「運命線の接触」
ジリリリリリリリリ!!!ジリリリリリリリリ!!!!
小さなアパートの一室にけたたましく目覚まし時計が鳴り響いた。その瞬間に蒲団が盛り上がり中から一人の青年が顔を出す。ぶんぶんと顔を振り、そのまま飛び起きた。そして目覚まし時計を掴み時間を確認する。針が差していた時間は朝の六時半。すごく早くもないが、まぁそれなりの早起き。
青年はカーテンを勢いよく開けた。まだ新しい朝日が部屋にたっぷりと注ぎ込まれた。青年は伸びをした。うーん、朝。
「ふあぁ、今日もエクスキューズで正義な一日が始まる……」
青年の名前は宮藤エクスキューズ。街の正義を自発的に守る今時見上げた青年だった。ちなみに年齢は十七歳。一人暮らしで学校には通っていない。実際のところ、割と世間体は良くない。
宮藤エクスキューズは顔を洗い、歯を磨くと食パンをオーブントースターの中に突っ込んだ。そしてテーブルの上に置かれていたノートを手に取る。表紙には手書きで『正義日誌』文字が。宮藤エクスキューズが書いたものだが、字は結構汚かった。
『正義日誌』それすなわち正義の日誌である。つまりはスケジュール帳だ。そして日記の役割も果たしている。
ぱらぱらと宮藤エクスキューズが『正義日誌』のページをめくる。宮藤エクスキューズの今日の予定は……。
「そういえば今日は午後に人と合う予定があったな」
宮藤エクスキューズの一日は大抵の場合パトロールに始まり、パトロールに終わる。街を練り歩き、正義に反する者を見かけた場合は正義の名のもとに正義を行う。それが正義の味方である宮藤エクスキューズのエクストリームにエクスキューズな一日なのだ。それは休日である今日も変わりはない。正義に休まる日は・・・あまりないのだ。
しかしこの日はいつもとは少しだけ別だった。三日前に差出人不明、つまるところ匿名の手紙が宮藤エクスキューズの安アパートのポストに投函されていたのだ。手紙の内容は単純にして明快、そして不可解。三日後に指定した時間に指定した場所に来てほしい。貴方の正義の力を借りたい。たったそれだけ。
普通の人間ならばこんな手紙には間違っても反応しなかっただろうし、すぐに悪質な悪戯だと思って捨ててしまっただろう。但し宮藤エクスキューズはその限りではなかった。
彼は、宮藤エクスキューズは根っからの正義だ。混じりッ気のない、純度百パーセントの正義なのだ。そして正義とは誠実である事で、愚直なまでに素直でいるという事。
つまり宮藤エクスキューズはそこに明確な悪の存在を感じない限りにはどんな事でも信じてしまうのだ。特に、誰かに助けを求められると。
要するに宮藤エクスキューズはバカだった。そしてそれが、宮藤エクスキューズという人間なのだ。
「しかし宛名がないとはな。まったく、困ったものだ」
宮藤エクスキューズはもうすっかり狐色になったトーストを咥えるとごそごそと着替えを始めた。トーストを食べ終えた頃にはすっかり着替えも終わり、お気に入りの赤マフラーを巻く所。赤いマフラーは寒いから巻く訳ではない。赤は正義の色なのだ。要するに、かっこいいから付けるのだ。ファッションなんて、そんなもの。
●
宮藤エクスキューズのパトロールが始まった。宮藤エクスキューズは正義の味方だが、ぶっちゃけそれは自称。傍から見れば只の無職。だからそこまで派手な事は宮藤エクスキューズには出来ないのだ。
殺人事件やそれに準ずる様な大犯罪。宮藤エクスキューズにはそれが絶対に許せない。だがしかし、それは警察の領域だ。
「正義とはまず、地道な事だ」
地道な正義。それが宮藤エクスキューズの信条だった。
家を出て数時間たったころだった。時刻は恐らく、午前の十時程。宮藤エクスキューズはちょうどとある駅前にさしかかる所だった。駅の近くには正義を行うべき場所がいくつもある。道に困っている人も見かける訳だし、駅を取り囲む繁華街ではトラブルがつきものだ。
宮藤エクスキューズが匿名の手紙で指定された場所は自宅からある程度離れた所にある郊外の廃墟の病院だった。その時点で凄まじく怪しいのだが当然宮藤エクスキューズは気にしない。
困っている人間の穴場であるいくつかの駅を通過しつつ病院の廃墟へ向かう。それが今日の宮藤エクスキューズの行動計画。抜かりはない。多分。
その時だった。駅前の方から中年男性の大声が聞こえる。
「ひったくりだ!誰か捕まえてくれぇ!」
聞こえた瞬間にもう、宮藤エクスキューズは走り出していた。
誰かの為に、そして自分の正義を貫く為に。
●
「ここがあの手紙に書かれていた場所か……」
宮藤エクスキューズはどうしようもなくぼろい廃墟の病院の前に立っていた。窓は割れ放題で壁には良く分からない植物が這い、所々にシミの様な模様が出来ている。
その病院自体に狂気めいた魔力があった。たとえ特異で危篤な趣味を抱えておらずとも、好奇心から足を踏み入れてしまいそうな魔力。
宮藤エクスキューズはその迫力に一瞬たじろぐ。宮藤エクスキューズは廃墟に来るのは初めてだった。一応ある程度頭の中に廃墟のイメージはあった。しかし目の前の廃墟はあまりにも廃墟廃墟しすぎていた。
その時、宮藤エクスキューズのポケットの中で携帯電話が震動を始める。いつでもマナーモード。これも宮藤エクスキューズの正義の一つ。
「もしもし」
「おう、宮藤か。俺だ。亜馬場だよ」
亜馬場啓司。宮藤エクスキューズの知り合いの刑事だった。
「話聞いたぞ。お前又ひったくりを捕まえたらしいな」
「何故知っている。誰にも話した覚えはないし名乗った覚えはないぞ」
宮藤エクスキューズが言うと、亜馬場は電話の向こうで溜息をついたようだった。
「まぁお前からすればそうだろうな。だけどこっちじゃお前はある程度有名でな。被害者の中年男性がひったくりを捕まえたのは赤マフラーの青年だって言ってたからすぐに分かったぞ」
「そうか、俺は有名になってしまったのか……」
心底から悩ましげな声を宮藤エクスキューズは捻りだした。彼にとって有名になってしまうのは失態だった。彼にとって正義とはあくまで寡黙なものなのだ。それにもしも真似する人間でも出てきたら目も当てられない。正義とは生半可な気持ちで行われていいものではないのだ。宮藤エクスキューズはそこまで考えて、溜息をつく代わりに唾を飲み込んだ。
無論彼の悩みはしょうがない程に杞憂である。
「お前何か勘違いしてないか?まあいいや。何を心配してるのかしらねえが、あんまり無理はするなよ。人助けもいいが自分が怪我してちゃ世話ないぞ。大体なぁ……」
亜馬場啓司の親切な忠告。しかし宮藤エクスキューズに彼の言葉を聞いている余裕はなかった。亜馬場啓司の言葉の後ろにハイライトの様に浮かび上がるコール音。つまりは宮藤エクスキューズの元に電話が掛ってきていた。
「悪いが、電話が掛って来たので切るぞ」
「おい!まだ話は終わってない……」
亜馬場啓司との通話を終了した瞬間、宮藤エクスキューズの赤い携帯電話の画面に『非通知』の文字が踊り出た。
宮藤エクスキューズはまったく警戒する素振りを見せず、携帯電話の通話ボタンを親指の腹で押す。
「もしもし」
「やぁー、宮藤エクスキューズ。はじめましてと言うべきかな」
聞こえて来たのは少女の声。どこか人を小馬鹿にしている様な雰囲気のある、そして下から上へと値踏みしながら舐めまわしているみたいな耳に残る声。
「何故俺の名前を知っている……!」
宮藤エクスキューズは冷や汗を流した。さっそく有名になった弊害が出た様だった。宮藤エクスキューズは自分が有名になってしまった瞬間からある程度の覚悟はしていた。例えば自分の追っ掛けが現れるとか、自宅をファンに張られるとか。
しかし流石の宮藤エクスキューズもこんな短時間で携帯電話の番号を特定されるとは思っていなかった。電話越しの宮藤エクスキューズのファンは、あまりにも熱心にファンファンしすぎていた。
無論、全て杞憂であり電話越しの女は宮藤エクスキューズのファンでもなんでもない。
「そんな事はどうでもいいんだよ僕にとっては。しいて理由があるとすれば僕が物知りだから。それより宮藤エクスキューズ、ちゃんと指定した時間に病院に来てくれた様だね。僕は嬉しいよ」
宮藤エクスキューズは自宅に届いた匿名の手紙を思い出す。
手紙は匿名。電話も非通知。
名乗らないとは正義が足りないと宮藤エクスキューズは思った。
「お前があの手紙を俺に出したのか」
「ああ。そうだよ。君に見せたいものがあってね」
「見せたいもの?」
助けて貰いたいんじゃないのか。
宮藤エクスキューズは一瞬疑問に思う。
「そう見せたいもの……もとい渡したいもの。今から僕の指示に従って病院の内部を進んでくれ」
宮藤エクスキューズは僅かに怪訝に思いながらも電話の少女の声に従い病院の内部に足を踏み入れた。窓ガラスが割れていたり、机や椅子が散乱していた建物内部を進んでいく。
「えーと、次を右かなぁ。それでまっすぐ行って付きあたりの部屋」
「一体お前は何が目的なんだ」
「さぁーね。だけど僕は君の正義に頼らなくてはならなくなったのさ。そう、僕は今困っているんだ。君の助けが必要なんだ。その為に、僕の指示に従ってくれないかな」
「そう言われると……俺は断れない。困った時のエクスキューズ、俺宮藤エクスキューズ、正義の味方だからな」
「知ってるさ。だから手紙を出した。君以外にあんな手紙に従って来てくれる人間なんていないからね」
宮藤エクスキューズは遂に目的地であるらしい廃墟の病院の一室に辿りついた。ドアの上には『手術室』の文字が書かれている。
手を掛けて押してみると、僅かに軋む音を立てながらドアが開く。
中は非常に閑散としていた。中央に手術代が残っている以外は何もない。そしてその手術台の上に布がかけられていた。
布は膨らんでいる。そう、まるで手術台の上に誰か人がいて、その上から布をかぶせたみたいに……というより、宮藤エクスキューズの目にはそれで絶対に間違いない様に見えた。
宮藤エクスキューズは手術台に駆け寄る。そのまま布を剥ぎ取った。布の下から現れたのは一人の少女。髪の毛をポニーテールにしたその少女は気を失っている様だった。
「見せたいものって、この子の事なのか?」
電話の向こうに問いかける宮藤エクスキューズ。しかし一向に返事がない。宮藤エクスキューズは小首を傾げると携帯電話の画面を確認した。いつのまにか、電話が切れている。
「ど、どうしたものか……」
手術台の前に立ちつくした宮藤エクスキューズは手術台の上に横たわる少女を僅かの間見つめた。少し色が白く、美少女だった。
その瞬間、少女の眉が少し動いた気がした。
宮藤エクスキューズは訳もなくすこしたじろいだ。
しかし気のせいではなかった。少女の槍眸の瞳が開かれる。
「君、大丈夫か?」
宮藤エクスキューズが問いかけると、ポニーテールの少女はゆっくりと首を動かし宮藤エクスキューズに視線を合わせた。
その直後、少女は自分の頭を押さえ呻いた。
「ううっ……。頭が痛い。ここ、どこだ……あんた、誰だ……?」
まさか、と宮藤エクスキューズは思った。
「俺は宮藤エクスキューズ。ここは廃墟の病院だ。君の名前は?」
「華香課ハクシ……。あたしの名前。それ以外は何も分からない……」