第五幕:サクラとフヨウ、早すぎる縁結び
………自分で自分が理解できない。
何で私はあんな約束を取り付けてしまったのだろう…いいや私じゃない、ヨシノだ。
ロールプレイの末に、私の体現したい生き様を具現化した私の半身。
彼は、私でありながら…私より攻撃的になるきらいがある。
男性故の傲りさえ、私は再現してしまったのか…
「…はぁ、こんなだから昨日も逃げてしまったんだ」
私は冷たい水で顔を洗い、意識を無理やり覚醒させる。
朝の五時…寝間着を寝室に脱ぎ捨てたまま鍛錬へやに向かう。
この鍛錬部屋を用意するためにわざわざ大家と交渉して増築と防音処理を施してもらった…
未だ私は、家族の力なしには何も出来ない未熟者だ。
そう自分に…自分の中のヨシノに言い聞かせながら道着に袖を通して、帯を締めた。
「…すぅ……ハッ!!」
バッ、と布が激しくすれる音しかしない。
これがヨシノの体なら風を切り、鉄を叩き折るのも容易いだろう。
私ではせいぜい、瓦程度だ。
「ふっ…そやぁ!!」
だいたい、男に対する憧れは元々強かった。
あの人に助けられてからは、私は道を与えられた迷い人のように…河を見つけた鮭のように…滝を見つけた鯉のようにひたすら後を追った。
「せいっ!!やっ!!」
あのイリマとかいう少女に、そんな私がなぜ興味を持った…?
誓約令までかけて、なぜあいつを許せなかった?
あの時…あの脱力したイリマの顔が……
あの人の諦めた顔に似ていたからか?
「ぜぁぁぁあああ!!!!」
気合いを入れ、演舞の締めに拳を地面に向けてインパクトの前に寸止めをする。
壁に掛けたスポーツ用の長刀や木刀が、圧でカラリと音を立てた。
実家の鍛錬場で、演舞の度に乾いた拍手を送ってきた父の部下達…彼らの声に、その音が似ている気がした。
「…っはぁ、ふぅ…」
たった一時間の演舞で息があがってしまう。
ああ、私はどこまでも女だな。
………逃げたい。
「しっかりするべフヨウ、イリマたんに合う首輪はプレゼントしてやんべ」
もはや空気すら重い、そういわんばかりに肩を落として落ち込みながら登校する僕に榊は追い打ちをかけるように言った。
「うるさいよ…ていうか負けるの前提で話さないでよ」
「逃げたいとか思ってたくせに?」
…口にでていたかな?
「いや、顔に出てるべ」
「顔から思考を読まないでよ」
昨日見せられた勝手極まりない内容のウィンドウは…早い話が奴隷の誓約書だ。
もちろん戦神楽onlineのシステムにも、ヒモロギ列島全体の法にも、奴隷制なんてものは存在しない。
しかし例外としてあるのが、主従システムによるアカウントの管理だ。 戦国時代の再現である戦神楽の世界は、普段こそ従来のMMOと同じく平等に見えるが…戦争などにみられる政治活動においては下克上ありの縦社会だ。
平等の時代に生きるプレイヤーにわかりやすく縦社会を認知させるのに用いるのが誓約令だ。
遊撃隊や傭兵ならともかく、直接的な上司と家臣が結ぶものであり、チームとしての団結の証として上司たるリーダーにアカウント管理を任せるというシステムがあるのだ。
そしてヨシノはどこで手に入れたのか、この世界で最大のアカウント管理権を持つ天帝の印が入った『決闘誓約令アイテム』を使ったのだ。
つまり、イリマが負けたり逃げたりしたら…あとは僕が戦神楽を辞めるその時まで、イリマは実質的にあのいけ好かないヨシノの奴隷になるのである。
「自分でこんな事言うのも難なんだけど…いいの!?大事なイリマたんがあんな奴の奴隷にされるんだよ!?」
「寧ろ良い機会じゃねえべさ、あんな危ないやられかたするくらいなら、やめろ。」
強く、そう言われて胸がズキッと痛んだ気がした。
「…ごめんなさい」
「…まぁ神童とか言われてたおまえが、二度と格闘できない身体になったトラウマは…そう離れることは出来ないのはわかるべさ。でもな、それであんなことになるなら、俺は大事だからこそR.P.G.R.を取り上げてでも辞めさせる」
怒ってる、親友がかつてないくらいに…
「それにNTR属性も良いもんだ、ぐへへぼるっ」
回し蹴りが親友の頬に入った。
凹んだ頬をそのままに、榊は真剣な顔に戻って言った。
「それで、どうするべ?
決闘受けるのか、逃げて奴隷になるのか
戦神楽を辞めるか…今日び戦神楽以外にもVRDMMOはいくらでもあるし…な?」
「………」
…思い出す…ヒモロギ列島の、あの広大なフィールド…それを自由にかける開放感…
現実世界では肩以上に上がらなくなった右腕を、思いっきり振るって…仲間と一緒に戦場を駆ける、あの試合に似た快感…
そして、あの部屋の前の主との約束…
胸に手を置いて、僕の中のイリマと一緒に…言った。
「受けるよ…受けて、勝つよ」
正直に言って、あんな負けかたをしたのは僕だって悔しい。
柳生の面目を保つため…あの侍に少しでも好意を持ってしまったことを挽回するため…僕とイリマは剣をとった。
なのにあんな終わりかたにしてしまったのは悔やんでも悔やみきれない。
寧ろ感謝すべきなのかもしれない…僕らにリベンジのチャンスを、ヨシノは与えてくれたのだ。
…やるなら、絶対勝つ!!
「…おぉおぉ、フヨウが珍しく男らしい顔つきになりやがった」
「…ほんとお!?」
ぱあとした笑みで榊を見ると、榊は呆れたように見下した。
「見間違いだったべ」
「え…えぇ~……」
しょんぼりする僕の肩に、榊は手を置いた。
「イリマたんがそういうなら、ファンクラブとして手伝ってやるべさ」
「イリマたんいうな」
「そうだべ、そう言うならこの前のつづきだべさ」
「………は?」
呆けた僕に、榊は良い笑顔で言った。
「フヨウとイリマ分離作戦、第二段だべ」
一限目の講義が終わり、榊に連れられて僕はいつもの通学路の桜並木に来ていた。
「あれまだ続けるのぉ?…うくっ」
何故かおでこにチョップを食らった。
「おめー、昨日は結局リュウさんやオフ会のネカマ仲間にしか…しかも自分から正体開かさなかったらしいな?」
「うっ…」
そうなのだ…正直リュウさんにばれてたのすら意外なくらいで…結局僕は女の子と偽ったままオフ会に参加してしまっていたのだ。
「阿呆かおのれは、そんなんじゃイリマたんとして柳生で暮らすのと何もかわらんわ!!」
びすびすびすと、榊は人差し指で僕のおでこを何度もつついてきた。
割と強く。
「ひう、わか、たから、おでこ、つつか、ないでぇ」
涙目で懇願するとやめてくれた。
おでこいたい…
「現にあの脱力はふとした拍子にイリマたんの意識にフヨウが上昇してきたから起きたようなもんだ、つまりおまえがイリマたんの邪魔をしたんだ」
「う……確かに、そうかも」
「つまりそれほどイリマたんとフヨウは精神的に隣り合わせって事だべ」
榊はデジカメのデータを漁りながら言った。
「こうなったらフヨウには、自分が男だとガツンと自覚してもらうしかないべ」
「ど…どうやって?」
嫌な予感しかしない…
「女の子にナンパしてこい」
僕 は ダッシュで逃げ出した。
ミス!! 榊 からは 逃げられない!!
「むむむ、無理だよお!!」
「初恋の子にすら告白諦めて逃げ出したんだろ?良い機会じゃねえべさ」
「ぬがぐ…」
「それになぁ…ニュース掴んだって言ったろ?」
榊がデジカメの写真を僕に見せてくる…しかしその前に、僕の視界には分岐した別の通学路から優雅に歩いてくる、写真と同じ青黒い髪の女の子が既に映っていた。
「彼女、今年からまた後輩だとよ?」
「……うそ…」
僕は、戸惑いと歓喜がない交ぜになったような顔をしていただろう。
彼女の名前は染井サクラ、大企業染井グループのご令嬢であり……既に言ったかもしれないが…わかってる人もいるかもしれないがあえて言おう、僕の初恋の人だ。
「………って」
まさか……と思い、榊と一緒に横道の茂みに入って隠れる。
そして榊は親指を立てた。
「彼女、今もフリーだとよ」
今行けすぐ行けと、言わんばかりに榊は親指を前に出した。
「む、無理だよぉ!!」
榊と会う前に、僕は彼女を諦めた。
告白しようとする前に、僕は唯一の取り柄だった空手を失った。
だから僕には彼女に釣り合うものを何も持っていないんだ。
だから諦めたんだ……
「そりゃあお前小さいぜ…聞いた話じゃ、お前それまで染井と仲良かったんじゃないかよ」
「だけど…」
言い返そうとした瞬間、僕の背中を押す榊の手が引いた。
「おら行け!!!!」
そして一気に押し出してきた。
気が緩んだ僕はそのまま茂みの外へ飛び出してしまった。
「ちょまっ!!とっ!!まっ…あー……」
「危ない!!」
ふわっとやわらかい手に肩を包まれる、細く綺麗でありながら前よりも力強くなった染井さんの腕だ。
あぁ、これが逆ならよかったのにと重力に身を任せながら思った。
とっさにかばった僕の顔を見て、染井さんは一瞬固まった後真っ赤になって目を見開いた。
「なっ!!ふ、ふ、フヨウさん!!」
「あぁ……染井さん、昨日ぶり…」
「昨日は、驚いてそのまま帰ってしまって…すいませんでした」
「いやいいよ、こんな広い東京で昔の知り合いに出会ったんだもの…そりゃ驚くよ」
桜並木を一緒に歩きながら、僕と染井さんは昨日の話をする。
ふとちらりと横を見ると、榊がなにか猛烈にジェスチャーを繰り返している。
『キ・ノ・ウ・ア・ッ・タ・ナ・ラ・ナ・ゼ・コ・ク・ハ・ク・シ・ナ・カ・ッ・タ』
(………できるか馬鹿野郎!!)
二年ぶりの再会なんだぞ、会って即告白するってどんだけだよ!!!!
逆に引かれるわ!!!!
「あの…フヨウさん」
「ひゃい!!」
「あの事故から…お怪我の様子はどうですか?」
ほんのり赤く染まった顔で見上げてきながら、彼女は訪ねてきた。
「あ、うん…大分良くなったよ。前みたいな無茶は出来なくなったけど、普通に生活できてるよ」
「…っ、無茶って………空手も、剣道も」
「うん、柔道も…カポエラはギリギリかな?さすがにそれは習ってないけど」
苦笑いしながらお茶を濁そうと試みるが…ざんねん、染井さんの表情は重いままだ。
そりゃそうだ…彼女はずっと、馬鹿みたいに格闘やってた僕の応援に来てくれていたんだから。
「…なんか、ごめんね。こんな姿見たくなかったかな…」
「そんな事はありません!!」
染井さんは見上げたまま大声を出した。
「残念じゃないと言うと、嘘になりますけど…でも、私はフヨウさんをずっと見てきたんですよ!?」
「えっ…」
胸につかみかかりながら、染井さんは潤んだ瞳をまっすぐ僕に向けていた。
サカキも茂みの中で呆然としてしまっている。
「なのに怪我したくらいで…いいえ、ただ力を無くしたくらいでなんですか!!諦めた顔をして、おいて行かれた私の気持ち…フヨウさんにわかりますか!!!!」
「そ、そ、染井さん?落ち着いてって…っ」
そのまま僕は、押されて桜の木に背を付ける形になった。
これ逆じゃない?…って、何の?え?え?
「もう我慢の限界です、聞いて下さい!!」
「は、はい!?」
二年前までは思いも寄らなかった染井さんの強い態度に、僕は逆に弱々しく答えた。
そして……
「フヨウさん、大好きです!!付き合って下さい!!!!」
目をつぶって、顔を近くしながら…彼女は大声で勇気を振り絞り、叫んでいた。
僕は、彼女の腕の隙間で身をちじこませながら…ただ呆然としながらも
(あれ?これなんて返すんだっけ?)
などと実感すら麻痺して聞いていた。
そして…応えた。
「は……はい………」
桜並木から祝福するように大量の花びらが舞った…が、『あれ?これで良いのか?』と言わんばかりにつむじ風で渦巻いた。
次回:イリマとサカキ、相語らう