魔女は合い言葉を忘れました
緊急事態発生。大ピンチです。
師匠から教わった合い言葉を忘れて、魔術師の塔に入れなくなりました。
なんたる不覚。お家は目の前だというのに。
頼まれていたお買い物ミッションを完遂したのに、家の前で立ち往生。間抜けもいいところだ。我が身の不運を呪いたくなる。
「これ絶対、お師匠様にバレたら折檻される案件だぁ。まずい。自力で思い出さないと。えーと……なんか白っぽいの? 白鷺、白鳥、白ギツネ、んん、シロクマ? シマエナガだったかな?」
微妙に違う気がする。
白じゃないなら黒だろうか。うんうん、黒ってなんか強そうなイメージだし。はてさて、黒といえば。
「黒ツグミ、黒鳥、黒猫、黒豹、黒豚、黒山羊……く、黒鯛……? いや、さすがに魚ではなかったような。でも、どれもダメみたい。門扉を守る幻獣に変化はないし」
幻獣は師匠の守護獣だ。
虎の姿をしているが、なんと人間にも化けられる。
この守護獣、師匠には尻尾を振って恭順なのに、一番弟子である私は粗雑に扱う。現に、合い言葉を忘れた私に一瞥すらくれない。
「師匠は寝食を忘れて三日三晩、研究にふけることもザラだし。気づかれるまで、ずっと放置されたまま? やだやだ、そんなのってないよ!」
合い言葉を毎月変えているのは、師匠の研究成果を盗もうとする不届き者が後を絶たないためだ。防犯は大事である。
強行突破すれば、もれなく虎が襲いかかってくる。師匠いわく、死んでも骨は残らない。そんな死に方は嫌すぎる。
ここは雨乞いの儀式ならぬ、師匠乞いの儀式をすべきでは?
私はパンッと両手を合わせて強く願う。師匠よ、いざ来たれ!
「レルイーナ! 家の前で、いつまで百面相をしている。風邪をひく前にさっさと入りなさい……!」
怒鳴りながら玄関のドアが開いた。
師匠に後光が差している。まばゆい長い金髪、神秘的な赤紫の瞳。見慣れたご尊顔に胸が熱くなる。
「お、お師匠様ぁ〜。うっかり合い言葉を忘れて困ってたんです!」
必死に説明すると、師匠が鬼の形相になった。
「は!? お前、また忘れたのか。信じられん」
「信じられないでしょうけど、これが真実です」
「そういう意味じゃない。俺はまた弟子の気が触れたのかと思ったぞ。いつも変な踊りを生み出し、意味不明な呪文をつぶやくし」
「今日はそういう気分じゃありません。それより師匠……合い言葉って何でしたっけ?」
純粋な疑問を投げかける。師匠は嘆息して短く告げた。
「オオルリ」
白でも黒でもなかったね。
一番弟子に手を焼いているお師匠様はなんだかんだ言いつつ過保護です。




