黒薔薇の会 ― 悪役令嬢なのに尊敬されるサロン ―
黒薔薇の会 ― 悪役令嬢なのに尊敬されるサロン ―
第1話「黒薔薇の招待状」
王都の空気が、どこか騒がしい午後だった。
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツは、その理由を噂ではなく、手元の封筒で把握していた。
黒い封蝋。
黒薔薇の意匠。
そして流麗な筆致で記された一文。
――悪役として生きる覚悟のある方のみ、お越しなさいませ。
「完璧ですわね……」
静かに頷きながら、自らの筆跡を確かめる。
これほどまでに冷酷で高慢、そして孤高の悪役らしさを演出した招待状が、かつてあっただろうか。
あるはずがない。
「これでようやく……真の悪役令嬢が育つ環境が整いましたわ……」
微かに震える声には、感動さえ滲んでいた。
悪役としての未来。
孤高の存在として、畏れられ、嫌われ、そして伝説となる道。
黒薔薇の会は、その第一歩。
だが――翌日。
指定された庭園の一角に設えられた東屋に、集まり始めた令嬢たちの雰囲気は……なぜか想像と違っていた。
「えっと……ここで、合っていますか……?」
おずおずと顔を出したのはマルグリット・ド・セルヴァン。
かつて断罪を受けたはずの少女は、再び“悪役”を志す覚悟を決めた表情であった。
その後ろから、
「わたしも……強くなりたくて……」
フローラ・リュミエールが控えめに微笑む。
「ふふ……悪役って、つまり華麗な沈黙と皮肉の権化でしょう?」
クレア・フォン・アイゼンが冷静に眼鏡を押し上げた。
さらに、
「わぁっ!ここが悪役養成所なんですね!?楽しみです!!」
と、リリア・ベルモントが元気よく両手を振り、
最後に、ため息混じりでセシリア・ノアールが静かに言った。
「……ここに来れば、少しは“理想の令嬢ごっこ”から解放されるかと思いまして」
六人の令嬢。
全員が、どこか覚悟を秘めた眼差しをしていた。
エリザベートはゆっくりと立ち上がる。
「よくいらっしゃいましたわ」
すっと扇を広げ、冷ややかな微笑を浮かべる。
「あなた方は今日から、わたくしが直々に導く……
“悪役令嬢候補”です」
一瞬の沈黙。
だが次の瞬間、なぜか空気が温かくなった。
「……なんて高潔な響き……」
「まるで新しい誇りを与えてくださるようですわ……」
「私たちの居場所……」
「…………?」
エリザベートは微かに眉を寄せる。
「誇り、ですか?
違いますわよ。わたくしたちは嫌われ、恐れられ、避けられる存在になるのですわ」
そのはずだった。
しかしリリアが瞳を輝かせて言った。
「つまり!自分の信念を貫くヒロインですね!!」
「ヒロインではございませんことよ!?」
だが誰も動揺しない。
マルグリットは胸に手を当て、真剣な表情で頷いた。
「私……ここでなら、自分を好きになれる気がします」
「…………なぜですの……?」
セシリアが静かに口を開く。
「この場にいるだけで、不思議と心が楽になりますね。
きっとエリザベート様が導いてくださるからでしょう」
導く……?
指導するのは悪役なのだが。
クレアが冷静に続ける。
「私たちのような者を、価値ある存在として扱ってくださるのは初めてです」
黒薔薇の会。
それは冷酷なる悪役養成機関のはずだった。
しかし、東屋の空気はどこまでも穏やかで、優しくて、温かい。
エリザベートは扇子で顔を覆った。
「……何か、重大な齟齬が起きている気がいたしますわね……」
その時。
「エリザベート嬢……ここは一体……?」
聞き慣れた声が、東屋の入り口から響いた。
王太子であった。
「噂で聞いたのだが……令嬢たちのための、素晴らしい思想団体ができたと――」
全員が一斉に振り返る。
エリザベートの顔から、優雅な微笑が消えた。
「……殿下」
彼女は、ゆっくりと、氷のような声で告げた。
「どうか今すぐ、お引き取りくださいませ」
「だが、実に感動的な活動だ。女性たちが――」
「帰りなさい」
沈黙。
令嬢たちはぽかんとしながら、どこか尊敬のまなざし。
「なんて毅然としたお姿……」
「理想の女性像ですわ……」
「……違いますわよ……?」
だがその囁きは、もう誰にも届かなかった。
そうしてこの日、王都にひとつの噂が生まれる。
――黒薔薇の会。
誇り高き淑女たちによる、精神改革の黎明。
そして当事者であるエリザベートだけが、空を見上げ、小さく呟いた。
「わたくし……悪役になりたかっただけなのですけれど……?」
黒薔薇の革命は、
誰よりも真剣な悪役令嬢の“勘違い”から始まった。
次回予告
第2話「最初の集い ― 悪役宣言は感動を呼ぶ」
本格的な“悪役レッスン”開始。
しかしなぜか、感動の涙が止まらない。




