悪役令嬢の嗜み
マルグリットの祖国ヴァンデル王国に到着してからというもの、彼女の表情はどこか固かった。
城内を歩くたびに、すれ違う貴族たちの視線が痛いほど突き刺さる。
ささやき声。
視線に混じる哀れみと警戒。
かつて“断罪された悪役令嬢”として名を刻んだ者にとって、この場所はあまりにも居心地が悪いのだろう。
「……ごめんなさい、あなたまで巻き込んでしまって」
控えめにそう呟いたマルグリットの声は、かすかに震えていた。
エリザベートは扇子で口元を隠しながら、ゆるやかに微笑む。
「何をおっしゃいますの。今日はあなたの友人としてここにいるのですもの。
それに……この空気、嫌いではありませんわ」
「え?」
「悪役令嬢が映えますでしょう?」
冗談とも本気ともつかないその言葉に、マルグリットは小さく息を漏らした。
茶会の広間に入った瞬間、空気が変わった。
貴族たちの視線が一斉にふたりへ向けられる。
「……あの方が……」
「やはり来たのね……」
「国外の令嬢まで連れて……」
マルグリットは自然と背を縮めたが、エリザベートは一歩前に出た。
「ごきげんよう」
その声は澄んでいて、堂々としていた。
「本日は友人の故郷を知る良い機会をいただき、光栄ですわ。
それにしても……皆様、ずいぶんとお優しいご表情をされておりますのね」
一瞬、沈黙が落ちる。
「まるで“罪を犯した者を見る顔”のようで、美しいですけれど」
にこやかな微笑みのまま、視線だけを鋭くする。
「ですが――こうして本人の前で囁き合うほど、礼節に欠ける趣味をお持ちとは、少々存じ上げませんでしたわ」
空気が凍りついた。
「エ、エリザベート……」
マルグリットが止めようとするが、エリザベートは構わず続ける。
「この方は、過ちを裁かれた“元悪役令嬢”かもしれません。
ですが皆様は何を裁かれましたの?
噂に乗り、声を潜め、影で笑うその姿……それこそ、最も卑しい原罪ではなくて?」
貴族のひとりが顔色を変える。
「あなた、失礼ですわよ!」
「ええ、存じております。
ですが悪役令嬢ですもの。
多少の無礼は嗜みですわ」
その姿は、どこまでも堂々としていた。
「これはわたくしの持論ですが――
“悪役”とは、己の信念に従い、嫌われることを恐れぬ者の称号。
顔色を伺って笑うだけの者より、はるかに誇り高い存在ですわ」
マルグリットの手をそっと握る。
「この方は、誇りを失っておりません。
それだけで、十分に尊敬に値します」
ざわめきが小さくなり、やがて沈黙が支配する。
それでもエリザベートは優雅に紅茶へ手を伸ばす。
「さて、茶会を楽しみましょう。
罪人のような空気より、香り高い紅茶の方がよほど上質ですわね」
周囲の貴族は、誰も言い返すことができなかった。
マルグリットは呆然としたまま、ぽつりと呟く。
「……あなた、本気で嫌われるつもり?」
「もちろんですわ」
「でも今、完全に尊敬されていたわよ」
「なぜですの……?」
けれど、その手を握る力はどこか温かかった。
やがて茶会が終わる頃には、あれほど冷ややかだった視線は、戸惑いと敬意に変わっていた。
「……ありがとう」
帰り道、マルグリットは静かに言う。
「久しぶりに……ちゃんと、胸を張って歩けた気がする」
エリザベートはにっこりと笑った。
「それは悪役令嬢冥利に尽きますわ」
「あなた、本当に悪役になる気あるの?」
「もちろんですのよ。
ですが今日はちょっと……友人役も悪くありませんでしたわね」
夕陽に染まる城壁を背に、ふたりは並んで歩いた。
誇りを失いかけていた悪役令嬢と、なぜか尊敬されてしまう悪役志望の令嬢。
その背には、誰にも踏みにじられない確かな意志が宿っていた。
そして誰もが密かに囁く。
――あの黒薔薇の令嬢こそ、真に恐れるべき存在だと。
だが本人はまだ知らない。
今日もまた、自分が“悪役”ではなく
“誇りの象徴”になってしまったことを。




