第5話 王太子の誤爆愛情事件
作者様が申し上げますには、
「今日の事件もエリザベートは無実です」とのことですわ。
……無実? 当たり前ではございません?
黒薔薇会の誰かが暴走し、殿下がやらかし、
学園が勝手に騒ぎ、
そして最終的に“エリザベート様すごい!”で終わる――
その繰り返しが事件簿でございます。
好きに騒いでいてくださいませ。
わたくしは優雅に眺めていますわ。
第5話 王太子の誤爆愛情事件
朝の中庭は、いつもより妙に落ち着きがなかった。
ざわざわとした空気の中心にいるのは――もちろん、エリザベートだった。
「なぁ、本当に今日やるのか……?」
「殿下、決意は固められたと伺っております」
生垣の陰で、王太子アルフォンスと側近たちがひそひそと相談している。
木漏れ日の下、エリザベートはベンチに腰かけ、本を開いていた。
(……なにやら、非常に嫌な予感がいたしますわね)
黒薔薇会の面々も、少し離れた場所でピクニックのようにシートを広げている。
フローラは花冠を編み、マルグリットはお弁当の包みをそっと整え、クレアは本を読み、リリアはなぜか腕立て伏せをしている。
セシリアは優雅に紅茶を飲み、セラフィーナは木に背を預けて腕を組み、警備兵のような目で周囲を見ていた。
「殿下、そろそろです。エリザベート様がページをめくる回数、さきほどから三回。集中が途切れた瞬間です」
「そんな基準があるのか……!?」
「観察の結果です」
クレアの冷静な分析を、新聞部が物陰からメモしているとは露知らず。
アルフォンスは一度深呼吸し、自分を鼓舞した。
「いいか、今日は“自然なさりげない優しさ”でアピールだ。
押し付けがましくなく、だが印象は強く。
スマートに、エレガントに……」
「殿下、そこまで言っておいて、今まで一度も成功していないことを思い出してください」
「やめろ!!」
側近の容赦のない一言に、アルフォンスは涙目になりながらも、ついに一歩を踏み出した。
⸻
エリザベートは静かに本を閉じた。
風がページをめくるように頬を撫でる。
(そろそろ黒薔薇会の皆さまと合流して、お茶にいたしましょうか)
優雅に立ち上がったその瞬間――
影が差した。
「……エリザベート!」
顔を上げると、王太子がまっすぐこちらへ歩いてくるところだった。
いつもより少しだけ姿勢がよく、顔つきも決意に満ちている。
(あら……今日はいつもより真面目そうですわね)
「エリザベート、これを……!」
アルフォンスが差し出したのは、小さな花束だった。
春の庭に咲く花を集めた、意外とセンスのいい一束。
周囲の女子たちがざわめく。
「きゃ、殿下が……!」
「エリザベート様に……花を……!」
エリザベートは一瞬だけ固まった。
(……これは、さすがに誤解されますわね)
王太子からの花束。
ここで普通に受け取れば、“公然たる寵愛の証”扱いになるのは必至だ。
「殿下、その花……」
どう断ろうかと考えるより早く、黒薔薇会の視線が一斉に突き刺さった。
フローラは「わぁぁ……」と口を押え、
マルグリットは「え、エリザベート様……!」と涙ぐみ、
リリアは「ついに来ましたね!!」と意味不明に興奮し、
セシリアは「やれやれ」と肩をすくめ、
セラフィーナは無言で王太子を睨み、
クレアは眉を押さえた。
(これは……一歩間違えれば血の雨が降りますわね)
エリザベートは、静かに微笑んだ。
「殿下、そのお花は……たいへん美しゅうございますわ。
ですが――よろしければ、学園の皆さまのために飾られてはいかがかしら?」
アルフォンスが瞬きをする。
「……皆の、ため?」
「ええ。
殿下がこのように花を選ばれるお心は、とても素晴らしいと思いますもの。
わたくし一人ではなく、多くの方の目を楽しませる方がよろしいかと存じますわ」
中庭の空気が、一瞬で変わった。
「殿下が……皆のために花を……!?」
「なんて慈悲深い……!」
新聞部が狂ったようにメモする。
その中でクレアだけが、静かにため息をついた。
「……エリザベート様、本来の意図は“個人的な贈り物の辞退”だったはずですが」
「余計なことを言わないでくださる?」
エリザベートは小声で返した。
アルフォンスはというと、
自分の花束が“全校向け”のものに変換されてしまったショックで固まっていた。
「い、いや……これは……その……エリザベートにだけ……」
ごにょごにょと続けかけた言葉は、その時。
「殿下ッ!!」
教師の鋭い声にかき消された。
中庭の端から、担当教師が青筋を立てて走ってくる。
「また勝手に騒ぎを起こして……!
中庭を私物化しないでくださいと、何度申し上げれば!」
「ち、違う! 私は、これは……! エリザベートのためであって――」
「殿下ァァァ!? だから問題なのですよ!? 公私混同はおやめくださいと!」
周囲がどっと笑いに包まれる。
王太子はどんどん追い詰められていく。
フローラが心配そうに呟いた。
「殿下、今日も大変ですねぇ……」
リリアは元気よく言う。
「エリザベート様にアピールしようとして全部裏目ってるだけですけどね!!」
クレアが低く補足する。
「殿下の行動は、全て“燃料”になっています。誤解という名の」
教師はため息をつき、エリザベートに向き直った。
「ローゼンクロイツ様、申し訳ありませんね。
王太子殿下が、ご迷惑をおかけして」
エリザベートは慣れた調子で微笑んだ。
「いえ、殿下のお気持ちは常にまっすぐですもの。
ただ……周囲への影響力が少々、過剰なだけでしてよ」
「フォローが上手すぎますわエリザベート様……!」
マルグリットが感動で震える。
だが教師は、その言葉を別の意味に受け取った。
「……やはりローゼンクロイツ様は冷静で、全体を見ておられる……。
殿下にも、この冷静さを少しは見習っていただきたいものです」
アルフォンスの肩ががっくりと落ちる。
「な、なぜ私の評価だけが下がっていくんだ……?」
セシリアが紅茶を飲みながらさらっと言う。
「殿下。あなた、愛情の向け方が下手なのよ」
「ぐはっ……!」
言葉のナイフが深々と刺さった。
セラフィーナは腕を組んだまま、容赦なく追撃する。
「そもそも、想いを伝えたい相手に、自分の感情だけ押し付けるな。
周囲の目と影響を考えろ。王族だろう?」
「ぐっ……! 正論が……痛い……!!」
リリアが勢いよく手を挙げた。
「殿下、今のセラフィーナさんの言葉、ノートに書いて反省文百枚ですね!!」
「なぜだ!? なぜそんなことに!?」
新聞部が、会話の一部始終をしっかり書きとめている。
「《王太子殿下、恋の誤爆で教師と悪役令嬢に公開説教》……っと」
「やめろおおおお!!」
悲鳴にも似た王太子の叫びが、中庭に虚しく響いた。
⸻
事件から少しあと。
黒薔薇会室では、“王太子誤爆愛情事件”の反省会(という名の雑談)が行われていた。
「殿下の評価、また下がってましたねぇ……」
フローラが心配そうにため息をつく。
クレアが書類をめくりながら答える。
「最近、教師間の会話で
“エリザベート様は王妃にふさわしいが、殿下がまだまだ未熟”
という意見が増えているようです」
「こ、こわいですわね、その評価の仕方……」
マルグリットが震えた。
セシリアがさらっと言う。
「実際そうなんだから仕方ないわ」
セラフィーナも頷いた。
「心意気は悪くない。だが、行動が伴っていない。
鍛え直した方がいい」
「全員、殿下に厳しすぎませんこと……?」
エリザベートは一応、形だけ庇ってみる。
リリアは楽しそうに笑った。
「でもエリザベート様!! あれだけ空回りしても、
殿下、毎回ちゃんと来ますよね!」
「……そこは、殿下の長所ですわね」
エリザベートはふっと目を伏せた。
(不器用で、空回りばかりで……
でも、決して諦めないところは……嫌いではありませんわ)
そう思ったことは、誰にも言わない。
その時、扉の外からくぐもった叫び声が聞こえた。
「新聞部ォォ!! それ以上書くなぁぁぁ!!」
「殿下が追いかけ回してますねぇ」
「元気ね」
黒薔薇会室の中は、やわらかな笑いに包まれた。
その日の学園事件簿には、こう記される。
――《王太子殿下、恋心をアピールしようとして見事に自爆。
教師・黒薔薇会・鋼鉄令嬢から総ツッコミを受けるも、
唯一エリザベートだけが少しだけ優しい視線を向けていた……気がする事件》――
もちろん、その“少しだけ”を信じるかどうかは、読む者次第である。
それにしても、あの王太子……ほんとにもう……。
あ、そういえば皆さま。
『異世界ダイナリー〜創造神に選ばれた僕は、婚約破棄された公爵令嬢リリスを全力で幸せにします〜』という作品、読まれました?
あちらの殿方は“全力で婚約者を幸せにする”そうですわ。
……うちの王太子にも耳の穴かっぽじって読ませたいですわ!!




