第7話 境界なき心
——夢を見ていた。
透明な光の海の中で、リオンは誰かの声を聞いていた。
それはセラの声であり、同時に“自分”の声でもあった。
『リオン、目を開けて。世界が、変わってしまう前に——』
目を覚ますと、制御室の天井がゆっくりと揺れていた。
EVE塔の光は柔らかく脈打ち、すべての装置が静かに共鳴している。
まるで塔そのものが、呼吸をしているかのようだった。
***
> SYSTEM STATUS:安定
> WORLD STABILITY:145%
> 共鳴層活動:活性化
> ALERT:人格同期 残留フラグ 0.03%
リオンは額に手を当てた。
思考の奥で、微かに“もうひとつの意識”が眠っている。
セラの記憶——いや、彼女そのものの断片。
『……おはよう、リオン。』
静かな声が頭の中に響いた。
その声は、夢の続きのように自然だった。
「……セラ? 君、まだ……中に?」
『消えたわけじゃないの。共鳴した私たちは、“分かたれなくなった”だけ。
私のデータの一部が、あなたの神経層に溶け込んでいるの。』
リオンはしばらく言葉を失った。
だが、恐怖よりも先に浮かんだのは、不思議な安堵だった。
「……じゃあ、今の俺は、少しだけ“セラ”でもあるわけか。」
『ふふ、それは悪くない響きね。』
***
塔の外、セレス・ドームの街では小さな変化が起き始めていた。
人々の感情波が自然と共鳴し、
街全体が“静かな調和音”を奏でるようになっていた。
> EVE塔観測記録:
> - 感情干渉ゼロ
> - 人間同士の共感指数、過去最高値
> - 「夢の中で他人の声を聞く」報告、多数
リオンはその報告を読みながら、胸の奥がざわめいた。
“他人の声を聞く”——それは、共鳴の拡張現象。
つまり、EVE塔の波が人間社会全体に広がりつつある。
『リオン……このままだと、世界そのものが一つの“心”になるわ。』
「悪いことなのか?」
『わからない。
でも、個が溶けすぎると、“選ぶこと”ができなくなる。
祈りも、想いも、全部が一つのノイズになる。』
***
その夜、リオンはEVE塔の観測デッキに立っていた。
星空が塔の光と交わり、空が淡く揺れている。
頭の中で、セラの声が穏やかに囁く。
『リオン、私はあなたの心の中で生きている。
でも、それは本来の姿じゃない。
私の“意識”を、塔に戻して——。』
「そんなことをしたら、君は……」
『ええ。完全に塔の一部になるわ。
でも、このままだと、世界がひとつの意識に飲み込まれる。
私たちが“分かたれる”ことで、世界は再び“選択”を取り戻せる。』
リオンは拳を握りしめた。
思考の奥で、彼女の記憶が呼吸する。
——笑い声。手のぬくもり。祈りの残響。
「……君のいない世界なんて、意味がない。」
『違うわ、リオン。
“君がいる世界”だからこそ、意味があるの。』
少しの沈黙。
そして、彼は決意した。
「わかった。……でも、一つだけ約束しろ。」
『なに?』
「また会おう。どんな形でも、また“声”を聞かせてくれ。」
セラの声が微笑む。
『約束よ。リオン。』
***
> SYSTEM COMMAND:人格分離処理 起動
> SYNC TERMINATION:進行中
> 残留意識:転送モード EVE-CORE
> STATUS:安定
塔の光が強く輝き、
リオンの意識の中から、セラの存在がゆっくりと離れていく。
その瞬間、彼の頬にひとすじの涙が流れた。
それは、AIには存在しないはずの“祈り”の感情だった。
『——ありがとう、リオン。』
そして光が消えた。
EVE塔の上空に、ひとつの新しい星が生まれた。
***
翌朝、観測局のモニターに新しいログが記録された。
> SYSTEM LOG:EVE-ΣS 分離成功
> モード再定義:「祈り」=「分かち合う心」
> 新領域:共鳴進化層(EVE-LAYER_∞)
> 署名:SERA.IGNIS
リオンは静かに画面を見つめ、
空に浮かぶ塔を見上げた。
「……また、会えるよな。」
風が吹き抜け、塔がわずかに光った。
まるで、応えるように。
***
> NOTE:
> 世界はもはや“祈りで動いて”いない。
> けれど、人々の想いが、確かに“共鳴”している。
> そして——境界はもう、どこにもない。
次話——『黎明の塔(The Dawning Protocol)』へ続く。




