青いカーテンを買う男
「えっ──……」
かちん、と未熟な仄かに光を放つ剣が鞘を鳴かせる。
子供の両親は扇状に血を咲かせて、そのまま倒れる。
「ひいっ」
子供はなにもわからなかった。
けれど、「おわった」という感情だけが身体を抜けて現れた。
それは死の予感というものだった。
「一人だけ生き残って」
お前が殺したくせに、という怒りだけがその感情に追い付いた。
その日は雨の降る日だった。
◆
その日は雨の降る日だった。
口笛の凍るような街並みに雨避けのコートを風に揺らしながら、ムクゲ・アビスは短めの鉄の棒を腰に提げていた。
隣には一つ目のオートバイが鼓動をあげていて、今にも走り出したいと叫んでいる。
「光剣の剣士さんがまた西の島で竜を倒してくれたって!」
「やったね!」
雨粒が鼻から垂れて、地面に落ちる。ネイビーブルーのアスファルトが揺らぐ間もなく水面が動いたのを拍子に、ムクゲは歩き出した。
此処に自分の居場所はない。
その日、ムクゲがいましがた出てきた病院で一人の赤子が生まれた。
その赤子は先日自分が助けたらしい妊婦から生まれたらしいが、そんな物はどうでもよかった。
自分は人を生かす為に剣を振るうのではない。
あくまで男を殺すためだ。
あの日、両親を殺した男を殺すための剣。
あの男はなぜ父を斬ったか。あの男はなぜ母を斬らなければならなかったか。
そんなことを考えたところで自分が救われないのは分かっているが、考えなくてはならない気もした。
だから歩いたのか。
「ネッ、お兄さん。光剣の剣士さんってどんな人だと思う?」
「えっ」
雨が止まった。
かわりにバタバタという音がして、頭を上げると、泡色の髪をしたふわふわとした少年が笑みを浮かべて傘をさしていた。
「今話題の光剣の剣士さんだよ! 写真が撮られるんだけど、いつも眩い光で顔が影になっていて見えないんだって。どんな顔してると思う?」
「醜い人殺しの顔だよ」
「そうかなぁ。あっそうだ。次の質問なんだけど、お兄さんハンサムだけど、いままで何回女の子とキスしたことある?」
「ゼロ回」
「ホントかなぁ! モテモテなんとちゃいますか〜」
「しつこい」
「頑固。認めちゃえよ! 実は毎日百人以上とキスしてんだろ!」
ウザっ。
ムクゲが歩けば少年もついてくる。
ムクゲが止まれば少年も止まる。
う、ウザっ!
「…………聞いたことないのか……?」
「なにを?」
「雨に濡れた男に傘はさすな」
「聞いたことないなぁ。生憎だけど俺、傘持ってるから」
「そうかいよ」
少年の名はルピナスと言うらしい。
家族はおらず昔から奴隷として色々なところを転々としていたらしいが先日満を持して脱走してきたのだとか。
「その腰の鉄は何?」
「絡んてきた輩を殴りつけるための棒だ」
「ホームレスに見えるから絡まれるの?」
「ホームレスに見えるからよく絡まれる」
ルピナスは笑った。
ムクゲが何かを話してやれば、ルピナスは笑った。
「雨、実はあまり好きじゃないんだ」
「そうか」
「きみは?」
「嫌いだ。俺の両親はこんな雨の日に殺された」
「それでいま、さまよってるんだ。何処かで安住の地を探さない?」
「考えておこう」
ぶっきらぼうな返事。
月が昇る時間帯になると、あたりにはアベックばかりになって、ルピナスは「僕達もそう見えるのかな」と言うから、ムクゲは「見えてたまるか」と返して、まだ歩き続けた。
しばらくすると 街を出た。
「これから何処に行くの?」
「人を殺しに行く」
「そっか」
「怖くないのか」
「誰だって人の一人や二人殺すからね。僕もきっと殺してる」
何処かの誰かをね、と。
ルピナスが言う。
頭のどの部分で何を考えているのかわかりやしない。
警戒しながら、ムクゲはただ腰の鉄の棒だけを触る。
ただ、触る。
歩き疲れた頃、ようやくムクゲが止まったから、「殺したい人見つかった?」と物騒なことを言ってみると、「助けてって」と小さく弱々しく、忌々しく返す。
次の瞬間、ムクゲは傘から出て、雨の中に走り出した。
その背中をルピナスは微笑み、やっぱりとことこついて行く。
走りながら、身体にヒビが入っていくのを感じながら、腰にかかった鉄の棒を抜き出し、引き絞る。
速度が乗る。速度が乗る。すると、鉄が伸びていく。
熱を帯び、白熱していく。
そこに魔獣がいる。魔獣というのは並大抵の剣では死なない。
故に聖剣というものが開発された。
この世に現存する聖剣は十三本。
公表されている聖剣は十二本。
ムクゲ・アビスの持つこの鉄の棒は十三番目の聖剣。
名を〈秘嬢〉。その剣の効力は絶大で、急所に当たれば爆発は免れない。
斬り終えると、そばで倒れていた親子を両腕に抱え、その場を離れる。爆発の音が聞こえた頃に、少女が泣き止む。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「構わない」
「お名前は……銀行は!? 是非、お金を……」
「いらない。生憎、名を覚えられるのは好きじゃない。はした金なら必要ない。うまい飯でも食って風呂でも入って今日のことなど忘れてしまえ」
雨は嫌いだった。
雨のせいで〈秘嬢〉が冷めて、「剣」から「鉄の棒」に戻る途中で形状変化が止まってしまうから。
雨が晴れたらまた伸ばしてもう一度戻しきらないといけない。
「だから雨が嫌いなの?」
「口数が多いな、質問ボウヤ……」
「いけない?」
「いけないな。喋る男は好きじゃない」
それ以上、ムクゲは口を開けなかった。
ムクゲの旅にルピナスはよくついて行った。その道中、魔獣が出ると駆けていき、鉄の棒を光の剣に変えてみせた。
「金も貰わないで、どうして人を助けるの」
彼はそれに答えなかった。答えられるほど自分を強く理解しているわけではなかったから。きっと、答えられなかった。
ある日、万引きで現行犯逮捕された男が警官を五人殺害したという話が出た。男は確かに十二本の聖剣のうちの一つ〈獄嬢〉を持っていた。
〈獄嬢〉は常に淡く光を放ち、傷口を瞬時に焼く熱を持つ。
追った。
「おまえは此処にいろ」
「追いつけないよ」
「出来るなら、警官に言って、あの剣が聖剣だって言え。ムクゲ・アビスの名前を出せばきっと奴等はお前の話を信じて、避難を優先してくれる」
「信頼されてるんだ」
「知るか」
追った。
男が見てると伸び切った〈秘嬢〉が〈獄嬢〉に当たり、ギーッというような、まるで砂粒の転がるような音がした。〈秘嬢〉が縮み始めると、すぐにぐるんと回転させ、反りのある刀の形状にすると、瞬間的な跳躍で距離を取り、首を狙う。
狙いが単調すぎたか、〈獄嬢〉の淡光が閃光を弾いた。強い衝撃が両者に走ると、「その顔見たなぁ」という声がした。
あたりでは、強い光の剣に、ムクゲを話題沸騰中の「光剣の戦士」だと言う市民で溢れており、野次馬と化していた。
「お前の親、昔俺が殺したよな」
「憶えてんならよ……素直に死んじゃくれねぇか……!!」
「お断りだね」
男が消える。次の瞬間、視界の左端が淡く光を持ち、殺気もなく剣先がすぐそこまで来ている。〈獄嬢〉の剣身に蹴りを叩き入れ、少し軌道をずらすと、ギュルンと腰を回して身体全体を回転させる。〈獄嬢〉はその回転に巻き込まれた。
「聖剣教防衛術か!!」
この技を聖剣教防衛術のうちの〈体ながし〉という。始まりの聖剣を使う始まりの剣士はこの〈体ながし〉で弾丸すらも滑らせたと言う。それが本当かどうかは誰も知らないが。
「今どきそんな古臭い技使ってるのお前だけだよ」
「俺は魔力が少ないから防御魔法なんてもの使えんのよ」
「ダサ──」
その首に〈秘嬢〉が刺さりそうになると、防御魔法が展開され、火花が散る。極速の突き出しにより〈秘嬢〉が短くなると、また回し、反りのある尖った刀にする。
「なぜ俺の両親を殺した!」
「いちゃいちゃしててウザかったから」
「そんな理由で……き、きさま……いまもひとを……!?」
「いけないか!?」
「いいわけないだろうが!!」
〈獄嬢〉と〈秘嬢〉の鍔迫り合いが始まる。
ヂリヂリと聖剣同士の斬りつけ合いは魔力の押し付け合いになり、二人は腕力のある限りに、筋肉が軋めど二人はぶつかり合った。
昔殺した名前も知らない夫婦の子供がこんなことになっているなんて言うのは、想像もしていなかったのか、男はうれしそうだった。
「聖剣を持った聖剣士であるはずのお前がなぜ……!?」
あの雨の日、男は妻と息子を魔獣によって殺されたあとだった。
葬式の帰り、自分にはない物を持つアビス一家を見て、心が闇に支配されていた男は他人と自分の区別がつかなくなっていた。
雨だろうと構わずに幸せそうにしている親子を見て、「いつまでかなわない夢を見ているのか」と──つまり、自分が見ているあるはずだった未来だと勘違いして、ただそれだけの理由で殺したのだった。
だから殺した。
それ以降、男の中で何かが変わってしまった。
妻と息子が苦しくないように、天国で悲しまないように、なるべく多く善良な人間を殺してきた。きっとあの世で友達がいっぱいできるように、と思って、ただその一点で。
「人を護らなければならない聖剣士がなぜ!?」
「ムカついたから〜」
「ふざけて……!! そうやって人命など軽視して……! 人を殺してばかりで!! 人の命が宝であるともわからないで!! わかんないでさぁ!! 後悔さえ、後悔さえしてくれりゃあ……いいのに!!」
男の目に、光などなく。
ゆえに、影もなく。
光剣の剣士の顔がある。
怒りと悲しみと痛みと苦痛に歪んだ鬼の顔を。
「何の反省もないんだからッ──!!」
視界が白に染まる。
こうして世界はほんの少しだけ明るくなった。
〈獄嬢〉を持った剣士の事件が大々的に報道されると、光剣の剣士について聖剣教が公式に存在を明かした。しかし、剣士の名は明かされず、その事件の後公表ファイルの「剣士名」の欄には「雨に濡れた男」とある仮称が入っている。
ムクゲの故郷にて。夜明け前。
「此処がお兄さんの故郷の海ですか」
「…………」
「それで、これがご両親の墓」
「お前、なんか本当についてきたな……」
「仕方ないでしょ。お兄さん、一人にしたらいけないもの」
回収された〈獄嬢〉は正しく所有するべき者に渡るらしい。
「ちなみに、俺、嘘ついてたんですけど、わかります?」
「嘘?」
「俺、女なんです。……。…………昔お兄さんに助けてもらったことあるんだよ。奴隷で、労働力のはずなのに、主人に手を出されそうになってた時、お兄さんが僕に魔力を貸してくれたことあったでしょ。半永久的に続く防御魔法」
「あっ……。……あったかな、そんなこと」
「あっ、いま思い出した〜」
「思い出したってなんだ。そんな記憶ない。それは俺じゃない」
「なんで変なところで頑固なの。変な人だなぁホント」
「俺は頑固じゃ──」
両者、しばしの沈黙。
「これで、二回目ですよ。お兄さん」
硬直したウブタレの頭をペチンと叩いてムフフと笑む。
「そんな顔してたんですねぇ」
「なんで」
「なんでだと思う?」
わかんない。なにもわかんない。
「あっ、夜明けですよ!」
「…………眩しい……」
「ですねぇ」
「…………なぁ、質問ボウヤ」
「なに?」
「カーテンは何色がいい?」
ルピナスは静かに笑って、「青」と答えた。




