9 さようなら、お父様
実はそれこそが祖父母が父に頭を下げてまで、誕生日会を1年伸ばした理由だった。
成人を迎えれば私はもう1人の大人として扱われる。つまりもう父の許可を得ずとも、私にその意思があれば祖父母は私を養女として侯爵家に迎え入れることが出来るのだ。
私は父を横目に歩き出し、メラニアとラデッシュの前に立ち止まると手を出した。
「それは私のものよ。返して!」
私は彼女達にもう一度、さっきと同じ言葉を投げかけた。
「い……いやよ!」
またも空気の読めないラデッシュが必死に首を振る。メラニアもまた、余程悔しいのかこちらを睨みつけ、ネックレスとイヤリングを外そうとさえしない。
「……分かったでしょう? それらは王妃様から《《私が》》頂いたものよ? それを知った上で返さないと言うのなら、貴方達は正真正銘の泥棒。まぁ、それでも良いって言うのなら構わないけれど……。ねぇ、貴方だって王宮で働いていたのでしょう? そんな事をすればこの先どうなるのか……そんな事も分からないの?」
王妃様からの拝領品をそうと知った上で無理やり奪い取ったとなれば、それこそ王家からどんな罰を受けても文句は言えない。
自分の負けを悟ったのだろう。
メラニアは射殺さんばかりに怒りの籠もった視線を私に向けた。
どうやら彼女は、自分の置かれている状況がそれでもまだ理解出来ていないらしい。
私は諭す様に彼女に話しかけた。
「言っておくけれど、これは冗談ではないから。これからはもう、私はこの家とは何の関係もなくなる。貴方達に忖度する必要もない。そしてこちらには今回の一部始終を見ていたセフィール殿下と言う証人もいるの。貴方に盗まれたってありのままを王妃様に報告するわよ? それでもかまわないの?」
すると父がため息を吐きながら二人に命じた。
「二人ともいい加減にしろ! 早く返しなさい。この家がなくなっても良いのか!?」
父のこの言葉で漸く諦めたのか、彼女達はネックレスとイヤリングを外し、それでもまだ私を睨みつけながら私の手のひらに置いた。
それが最後の抵抗だったのだろう。
「それからもう一つ。今まで私から奪い取った物は全て、必ず返して貰うから。貴方は覚えていないかも知れないけれど、私はお母様が遺してくれた物は全てはっきりと覚えている。大切な物だから一つでも欠けていたり、キズでもついていたら、どんな事をしてでも必ず償って貰うからそのつもりでいてね」
そう言って私がメラニアに向かってにっこりと笑みを浮かべると、メラニアは余程悔しいのか、顔を青ざめさせガタガタと震えていた。
それが私への怒りからなのか、それともこれからの事を考えたからなのか……私にはもうどうでも良かった。
恐らく今回の事がこれからどんな結果を齎すのか、今の彼女達は本当の意味でまだ分かってはいないだろう。
だが軈て遠くない未来、彼女達は気付くはずだ。高位貴族を敵に回したその恐ろしさに……。
でももうそんな事は、私の知った事ではない。
彼女達がこの後どんな結末を迎えても、もはや私は同情もしないだろう。
私は王妃様が送ってくれた母と私へのプレゼントを手に握り締めると、セフィール殿下と共に屋敷を出ようと再び歩きだした。
そんな私に父が後ろから声を掛ける。
「本当に出て行くのか? 誕生日会は……。誕生日会はどうするんだ? もう準備は出来ているんだぞ!」
父はそう言って私に縋る様な視線を向けた。
今更だ。
私は笑みを浮かべた。
「折角の誕生日だもの。今日は心から私の成人を祝ってくれる人達と一緒に過ごします」
私はきっぱりとそう答えると、また歩き出した……。
そして私はまた、胸のロザリオを握り締める。このロザリオは母が亡くなった時身に付けていた物だった。
「お父様から初めて貰ったプレゼントなの」
母は頬を赤らめ、まるで少女の様に歯にかみながら私にそう教えてくれた。母は最期、このロザリオを握り締めながら亡くなった。
だから私はこのロザリオだけは彼女達に奪われないように、常に身に着けて守った。
母は死ぬまでずっと父を誰よりも愛していたのだ。
父は母のその自分への愛の深さに気付いていただろうか……?
「お父様のことを……お願いね……」
死ぬ間際でさえ父の身を案じ続けていた、母の自分に向けられたその深い愛に……。
いや、考えるのはよそう。
気付いていれば、母の唯一の忘れ形見である私に、こんな酷い扱いはしなかった筈だ。
私の頬を涙が伝う。
「さようなら、お父様……」
私は振り返ることなく父にそう、心の中で別れを告げた。
侯爵邸に向かう馬車の中でも、私はその涙を抑える事が出来なかった。
「お母様が……亡くなった時、お父様が私の手を握りしめて言ってくれたの。大丈夫……これからはお母様の分も自分がお前を守るよって……。そう言ってくれたのに……お父様も嘘つきだわ……」
そう……父は私を守ってはくれなかった。
父が最後まで守ろうとしたのは彼の新しい家族。
私では無かった……。
それが無償に寂しくて、私は殿下の前で泣きじゃくった。すると、私の手をセフィール殿下がそっと握った。
「これからは私がアイリスを守るよ。大丈夫。私は君に嘘は絶対につかないから」
殿下は照れくさそうにそう言うと、もう一方の手で私の頭を撫でてくれた。
その手はあの日の父と同じで、とても暖かかく、そして優しかった……。




