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20 ヨーゼフ⑪ メラニアの最期

「いやよ……私は……貴方を愛しているの……。愛しているのよ……」


 メラニアが私に縋るように泣き崩れる。


 だが、もう私は彼女の涙を見ても何も感じる事はなかった。


「メラニア……お前は私の前で涙を流しすぎた。私はもうお前の流す涙を見慣れてしまったよ。もはや私がお前の涙に心を動かされる事はない」


 私はそう言って、用意していた離婚届を彼女に差し出した。


「署名だけしてくれれば良い。しかし、もし拒むなら先程の侯爵家への返済に加え、お前が使い込んだ我が家の金も上乗せする。お前のついた嘘を隠蔽するために使った金だ。我が家がそれを払う義理はないからな……。だがお前が素直に離縁に応じてくれるなら、慰謝料代わりとしてその返済までは求めない」


 私は心を鬼にして冷たく言い放った。


 その言葉で漸く諦めたのだろう。メラニアは震える手で離婚届に署名した。

 

「出来るだけ早く荷物を纏めて出て行ってくれ。それと、犯罪にでも手を染められたら困るからな。全てをお前の両親に話しておいた。ご両親は帰って来て良いと仰っていたよ」


 それを聞いたメラニアは、辛そうに目を伏せた。難関と呼ばれる文官採用試験に合格した彼女は、両親にとって自慢の娘だった。


 彼女は私と結婚してからも偶に両親の元を訪れていたらしい。


 その時彼女はいつも私の事を自慢していたそうだ。


『ヨーゼフはね。もう直ぐ宰相になるのよ。この国全体があの人の指示で動くの! 凄いでしょう!!』


 それがどうしてこうなったのか……。


 これからの20年と言う長い、償い続ける日々の中で感じて欲しかった。


 王妃は言った。彼女の末路は娼館に身を落とすか、犯罪に手を染めるかだと……。


 だがメラニアがそのどちらを選んだとしても、ノアの人生には大きな傷がつく。ノアはまだ幼い。そして彼に罪はないのだ。それだけはどうしても避けたかった。


 王宮からの帰り道、私はメラニアの両親が営む花屋を訪ね、事情を話して助けを求めた。


 両親は私の話に困惑していたが、最後には頷いてくれた。


 結局、3日後メラニアはラデッシュを連れて屋敷を出て行った。この3日間で両親と連絡を取り合った彼女は、暫く両親の元へ身を寄せ、今後の事を考える事にしたらしい。


 メラニアが出て行ったあと、私は王妃に拝謁を申し込んだ。きちんとした答えが出たら報告すると言っていたからだ。


 私はそれに乗じて、侯爵への執り成しを王妃に願い出る事にした。


 王妃は直ぐに時間を作ってくれた。


「そう……彼女出て行ったの……」


「はい。暫くは実家に身を寄せ、家業を手伝うそうです。ですが恐らくこれは侯爵が望むメラニアの結末としては甘いのでしょう」


 侯爵は手を回し、彼女のまともな働き口さえ潰していた。そうでなければ彼女は平民とはいえ、元王宮で働いていた文官。探せばそれなりの働き口は直ぐに見つかった事だろう。


 恐らく侯爵が望むのは、彼女がアイリスにした仕打ちに見合うだけのメラニアの悲惨な末路……。


「ですがメラニアはノアの母なのです。もし彼女が、以前王妃様が仰った通りの末路を迎えたとなれば、あの子の将来に大きな影を落とす事になるでしょう。考えてみて下さい。ノアはアイリスにとっても、たった一人の血を分けた弟なのです。アイリスは優しい子です。そんな事を彼女が望むでしょうか? お願いします。これで納得してくれる様、侯爵夫妻に執り成しては頂けませんか?」


 私は一番卑怯な手段を使った。メラニアが過去、ノアの名を出し利用したように、私はアイリスの名を出し、情に訴え出る事にしたのだ。


 王妃はそんな私の意図に直ぐに気付いた。


「……それは……そうでしょうね。でも分かっているの? そんな事をすればまた、侯爵の怒りを買うわよ? 侯爵は貴方が最後まで彼女を庇ったと受け取るでしょうから……。貴方、今の場所から一生這い上がれ無くなるわよ? それでも良いの?」


 王妃はそう言って、私を憐れみの籠って目で見た。


「はい。元よりその覚悟です。今回の事は元を正せば全て私の不得ゆえに起こったのです。私はアイリスからずっと目を逸らし続け、彼女を苦しめた。その罰は受けなければなりません」


「そう……。分かったわ」 


 私の決意を感じ取ったのか、王妃は頷いてくれた。


 その後、王妃が執り成してくれたのだろう。


 侯爵の手が花屋に向かう事はなかった。


 メラニアは両親の花屋を手伝い始めた。


 王宮の文官から貴族に嫁いだはずの彼女が、花屋の仕事を手伝っているのだ。色々と噂されるだろうが、それもまた、彼女が受けるべき罰だ。


 そして私はと言うと、宰相に一番近い場所から新人の就く部署へと異動になった私には、常に王宮中からの侮蔑の目が付き纏った。


 あらぬ中傷も受けた。


 だが、それでも私はただ粛々と自分に与えられた仕事をこなし続けた。


 それに良い事もあった。


 一つ目は、セフィール殿下とアイリスの婚約が発表された事だ。


 それを耳にした時は、思わず顔が綻んだ。


 二人は幼馴染だ。気心も知れている。


 あの最後の誕生会の日の二人を思い出す。彼は必死に娘を守ってくれていた。


 殿下なら、必ずアイリスを……私の娘を幸せにしてくれるはずだ。


 そしてもう一つ。文章課に異動した私は時間にゆとりが出来、ノアと過ごす時間が増えた。


 毎日屋敷に帰った後、時間の許す限りノアと共に過ごす。彼の寝顔を見るだけで心が癒された。


 以前もそうだったのだ。


 仕事が終われば必ずアイリスの寝顔を見に行った。それだけで体中の疲れが取れた気がしていた。


 いつからだっただろう……。あの子の寝顔を見なくなったのは……。


 忙しさにかまけ、あの子から目を逸らす様になったのは……。


 ノアの寝顔を見るたびに、幼い日のアイリスのことを思い出し涙を流す。


 そんな日々が続いた。


 それから暫くして、突然事件は起こった。


 男爵が花屋を襲ったのだ。彼はラデッシュの目の前でメラニアを刺したと言う。


 その知らせを受けた私は、直ぐに花屋へと向かった。


 花屋に着いた私はその光景に愕然とした。店は荒れ果て、そこら中に売り物の花が散乱している。


 私は慌てて店の中へと入って行く。するとメラニアの両親が私を見て、直ぐに私を彼女の元へと案内してくれた。


「あの子、伯爵に会いたがっていたんです。間に合って良かった……」


 部屋に入った私に、メラニアの母親が涙を流しながらそう言った。


 それだけで、今の彼女の容態が分かる。


 彼女はもう長くはないのだ。


 それを証明するかのようにベッドに横になるメラニアの顔は真っ青で、既に精気を失っているように見えた。ラデッシュは彼女の手を握り締めながら、涙を流しメラニアに何度も呼び掛けている。


「お母様……。お母様……」と……。


 その様子を見た私は、目の前の現実が信じられず、ただ呆然と立ち尽くした。


 そんな私に気付いたラデッシュが叫ぶ。


「何しに来たの!? 貴方のせいよ! 貴方のせいでお母様はこんな目にあったのよ!!」


 その時、メラニアの閉じていた目が薄っすらと開いた。


「ラデッシュ……。それは……違う……。これは全部……嘘を吐いた私のせい……。私は……罰を受けたの……。でも……ヨーゼフ……私……本当に貴方を……愛していたのよ……」


 彼女は最期に掠れた声でそう言い残し、そこからもう二度と目覚める事はなかった。


「あの女が悪いんだ。あの女は、俺に一生金を払い続けると言ったんだ。だから俺は仕事を辞めてあの女の吐いた嘘に付き合ってやったんだ。なのに離縁したからもう払えないだと? だったら俺や家族はこれからどうやって生きていけば良いんだ!? 巫山戯な!!」


 その後、騎士団に捕らえられた男爵はそう自供した。


 私と離縁したメラニアは男爵にもう金は払えないと言ったらしい。


 それを恨んでの犯行だった。彼もまたメラニアによって、その人生を大きく変えられた一人だった。


 そして……私の償うべき罰は、まだ終わってはいなかったのだ。


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