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あなたはいつだって……

前回から続いています。

(この心は、決して叶うことはない参照)


朧が一週間口を聞いてくれないそうです。

失恋、喧嘩、そして一歩先の世界へ。


今日は特別、空気が澄んでいる1日だった。

雲1つない、清らかな青空。

川辺に並ぶ木々は赤く色づき、そよそよと流れる透き通った川は鏡のように赤い葉を映し出している。

ふと視線を川に移すと、ポチャンと魚が跳ねた。


「見ろよ、朧。綺麗だろ。」


霞は温かく目を細めて言った。


「ここは桜の名所で、春になると川に桜が映ってな、夜はライトアップされて、月と桜を眺めながら酒を飲むのに絶好の場所らしい。」


霞は足を止め、橋の手すりに身を預ける。

川の向こうには遊覧船が浮かび、ゆっくりとしたスピードで泳ぐようにこちらへ進んでいた。


「ほら、船だ。この時期でもやってんだな。

ここじゃなくてもいいけど、いつか春になったら乗ってみよう。」


霞がくるりと後ろを振り向くと、そこには誰もいなかった。

朧は霞の声に一切耳を傾けず、スタスタと通りの向こうへ歩き続けていた。

霞は、特に傷ついた表情を見せるわけでもなく、ひたすら無感情に徹して朧を追いかけた。






「朧、そろそろ飯にするか。何が食べたい?」


多種多様な人々が忙しなく歩く大通りで、無言のまま足早に歩く朧へ、霞は大股でゆっくりと追いかけながら尋ねた。


「……。」


朧はツンと口を閉ざしたまま、歩き続けた。

すぐ目の前にはたこ焼き屋の大行列があり、たこ焼きが焼ける独特の匂いとソースのしょっぱい匂いを全身に浴びながら通り過ぎていく。


「じゃあ、俺が勝手に決めるぞ。」


霞は意地悪げな顔で朧の腕を引っ掴み、信号を渡った先にあるステーキハウスの戸を開けた。






宿に着いた。

今回は電車移動もあり、比較的余裕のある体力で、宿泊の手続きを行った。

どこにでもあるような簡素な受付に、どこか身体がリラックスするようなオレンジ色のLEDが室内を照らしている。


客はおらず、カウンターの中にぼんやりと時計を見つめる従業員の女性と、空室検索の為にパソコンを睨みつけている従業員の男性、そして霞たちを含め、この場にはたった4人しかいなかった。


「申し訳ございません。ツインルームは満室で、ダブルルームとシングルルームしかございません。

シングルルームには子供用のベッドが別にございますが、いかがなさいますか?」


従業員の男性が申し訳なさそうに顔を上げると、霞は隣に立つ朧を見下ろした。


「シングルでいいだろ?お前の寝相はかなり悪いから、

ダブルは無理だ。」


茶化すような口調で言うが、朧は無表情に、無言を貫いた。


「じゃ、シングルでお願いします。」


霞はすぐに従業員の男性に向き直り、にっこりと笑みを浮かべた。


「かしこまりました。」


従業員の男性は手際良くパソコンを叩き、ルームキーを受付カウンターの上に置いた。


「お部屋は5階です。左手のエレベーターからどうぞ。」

「はい、どうも。」


霞はルームキーを受け取り、朧の手を引いてエレベーターに向かった。






カードを扉に付いた白い機械にかざすと、ガチャリと鍵が開いた。

霞が扉を開け、まず朧が部屋に入る。

続いて霞が部屋に入り、左手にある照明のスイッチにカードを差し込むと、白い照明がパチっと点灯した。


霞は何よりも先に狩衣を脱ぎ、窮屈なブーツと袴と足袋を脱いで、青色の単と素足の姿になると、脱いだ衣服を衣装ダンスのハンガーに丁寧に引っ掛けた。


「朧、昼間の肉美味かったよな。」


霞は衣装ダンスの鏡越しに朧を見つめた。


「街を出る前にもう1回行こうな。」


朧は無言でシングルベッドに寝っ転がった。

霞は困ったように眉をひそめながら、すぐに切り替えて明るい声を出した。


「そういや、この間買ったあの着物、まだ一度しか着てないよな。

この辺に有名な寺があるから、せっかくだし着てみるか?ほら、服を出せ。」


朧は動かなかった。ただそこに居るだけで、全く霞の言葉に向き合おうとしない。

霞は一度、唇を一文字に結んだ。

やや疲れたような顔で頭を掻き、くるりと朧の方を向いた。


「朧さん、そろそろ口を聞いてくれないか。

さすがに1週間も無視されるとキツイんだけど。」


朧の肩がピクリと揺れた。

そう、朧はあの日から――、霞が女の子とデートしているのを目撃したあの時から今日に至るまで、霞とは一切口を聞いていなかった。


霞は椅子をベッドに向け、腰を下ろす。


「……見てたんだろ。俺が女の子と飲み歩いているところ。」


そう言えば、朧は体を起こし、久しぶりにちゃんと霞の顔を見た。

霞は心の奥で安堵しながら言葉を続ける。


「お前がどこで何をしているかくらい知ってる。

あの日の夜、お前が近くを歩いていたのは気付いていた。

あんな所を見て、お前が俺を軽蔑するのも分かるし、俺を無視したいのも分かる。

でももう仲直りさせてくれ。限界だ。」


霞がじっと朧の瞳を見つめると、朧は目を伏せ、消え入るような声で言った。


「何で怒らないの。」

「……なんだって?」


霞が聞き返せば、朧はベッドから飛び降り、目に涙を浮かべて叫んだ。


「何で怒らないの?何でそんなに優しいの?何でそんな目で見るの?」

「は?どうしたんだよ急に。」


霞は困惑したように言った。


「私のこと、子どもだと思っているんでしょ!

優しくすればすぐに機嫌が治るって思ってるんでしょ!」

「待て待て待て、どうしてそんな――」

「霞なんか嫌い!大っ嫌い!!!」


朧はビリビリと鼓膜が震えるような声で叫んだ。

出会ってこの方見たことないような癇癪の起こし方に、霞は戸惑いを見せながら、しかしすぐにムカッとしたように声を荒げた。


「……はあ!?どうしてそうなるんだよ!

お前、我儘もいいかげんにしろよ!」

「うるさい!!もう霞と一緒にいたくない!!大嫌い!!」


朧は逃げるように走り出した。

廊下を抜け、オートロックの扉の鍵に手を伸ばす。

その瞬間、霞は朧の体を捕らえ、鍵をつまむ手を掴んだ。


しゃらりと霞の右手のブレスレットが、朧の右手に触れる。


「なんで逃げるんだよ。」

「いや!霞と話したくなんかない!!!」

「そうじゃねえ!無一文で出ていくやつがあるか!」

「は?」


朧が身を強張らせると、霞は懐から財布を出し、適当にお札を掴むと朧の手に握らせた。


「持っていけよ。」

「……返さないよ。」

「全部使え。」


朧は、ちらりと手の中のお札を見た。

1万円札だ。5枚もある。

朧は、涙をボロボロと溢し、唇を噛んだ。


「それから、この宿は1週間とってあるから、それまでに帰ってこい。街の外には出るなよ。」

「……っ、」


朧はみるみる顔を真っ赤に染め上げる。

霞はチラチラと彼女の表情を伺いながら、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。


「今晩は焼肉を予約してやるよ。2人で取るからな。」

「霞のバカぁ!!!!」


朧は力いっぱい霞の体を突き飛ばし、鍵を開けて部屋の外に飛び出した。

 




朧はただ走った。

名前を呼ぶ声も、追いかける足音もないのに、

何かから逃げるように。

宿の扉を開けた瞬間、真っ白な陽光が瞳を焼いた。

目を細める暇もなく、熱をまとった喧騒が頬を撫でていく。

見知らぬ言葉が、水のように耳の奥を流れていった。

笑い声、子どもの叫び――。

なのに、世界のどこにも朧の居場所はないように思えた。


観光客でごった返す寺の門前を、肩をすぼめて人波をすり抜ける。

光と影が交互に落ち、誰にも気づかれないように、ただ、足早に通り過ぎる。


やがて、空のように透き通った川が現れた。

そのほとりには、さっき霞が言っていた赤くきれいな並木道があった。

紅葉が揺れ、静かに土手へと誘う。

朧は小さく息を吐き、まるで誰にも見つからない場所を選ぶように、紅葉の影に隠れたベンチに腰を下ろした。


葉が1枚、肩に落ちた。

それだけで、涙がこぼれそうになった。

手の中には、握りしめてくしゃくしゃになった1万円札が5枚もある。

それを見つめていると、さっきの霞の言葉が頭の中を反響する。

朧は、強く奥歯を噛み締めた。

まるで半日も経てば機嫌を直し、宿に戻って来ると決めつけるような言い草に無性に腹が立った。

同時に、自分がお小遣いを貰わないと満足に家出もできない子どもであることに、情けなさが(つの)った。

だから駄目なんだ、子どもに見られるのだ、対等にはなれないのだと、次から次に自分を責める言葉が頭の中に降り注ぐ。


何より、ずっと機嫌を取ろうと話を振り続けていた彼の言葉を無視し、それを指摘された途端癇癪を起こすなど、幼稚で、ダサくて、情けなくて……、でも同時に彼の女の子を見つめるあの瞳が忘れられず、胸の中に焼けるような苛立ちが蘇るのだ。


朧は怒りのままに、悲しみのままに、静かにひっそりと嗚咽をこぼした。




目の前を遊覧船が通った。

何度も、何度も、船頭を変えながら通り過ぎ、しばらくすれば見覚えのある船頭が再び川を下っていく。


短かった木の陰が、徐々に長さを持ち始め、冷たい風がひやりと頬を撫でた。

遠くから聞こえていた喧騒は、いつの間にか無くなり、かわりにどこかの家から香ばしいご飯の匂いが漂い始めた。


――夜だ。


顔を上げれば、真っ暗な空に浮かぶ月が、静かに朧を見下ろしている。

朧はベンチを降りた。

乾いた涙をコートの袖でゴシゴシと拭い、橋の上へ続く階段を登っていく。

あんなに居た観光客は、もうどこにも居ない。

代わりにこの辺に住む地元住民らしき人達が、まばらに道を歩いている。


朧は行く宛もなく、とぼとぼと歩き始めた。

5分も歩かぬうちに、公園にたどり着いた。

人気のない公園は、街灯の明かりが届かず、まるで人々から忘れ去られてしまったように、しっとりとした雰囲気を醸し出していた。


落ち葉にあふれた土を踏み、崩れた山が鎮座する砂場の横を通り過ぎる。

錆びて塗装の剥げた滑り台を見つめ、その奥にあるブランコに朧はそっと腰を下ろした。


なんとはなしに、特に勢いをつけるわけでもなくブランコを漕ぎ出すと、音のない公園にキイっと金属がこすれる音が響いた。

ゆっくりとした、メトロノームのようなリズムで、キイっと音が鳴る。

ブランコに身を任せ、朧は空を仰いだ。


いったい今頃、霞は何をしているのだろうか――。


キイ……キイ……

朧の足が止まってなお、微かに鎖の揺れる音が残っていた。

それもすぐに、風とともに音も匂いも消えた。

あの玉ねぎが焼ける匂いも、人の気配も、遠くの車の音も、何もかもが、抜け落ちたように存在を消している。

まるで世界ごと、どこかの瓶に閉じ込められたかのようだった。

時が止まったわけではない。

ただ、朧のいる“この場所”だけが切り離されたような違和感があった。


胸の奥に、濁りのような違和感が満ちる。

背後に生い茂る草木がガサガサとわずかに揺れた。

朧はそれに反応し、背後をちらりと見た。


――誰もいない。


風もないのに、草木がほんの少しだけ揺れ続けていた。 


「…………」


朧はゆっくりとブランコから立ち上がった。

その瞬間。

ザリ……ザリ……と、乾いた土を踏みしめる音が聞こえた。

朧はピクリと肩を震わせ、周囲を見渡した。

その音は砂場の奥、錆びた鉄棒の影から響いていた。

赤茶色の鉄棒の下、光のないその場所に、何かが立っている。

ゆらりと、その影が朧の方に首を傾けたように見えた。

街灯のかすかな光に照らされ、ヌラリと鈍く光る何かが見えた。


――刃物だ。


それは、手の長さほどもある、刃の厚いナタだった。

持ち主の姿は黒ずんでいた。

顔があるのか、ないのかも分からない。

ただ、そこに立っている。

静かに、まるで呼吸すらせず、ただナタを垂らしながら、こちらを見つめている。


ザリ……ザリ……。


それは、足を引きずるように、一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。

刃の先が土を擦る音が、ぞりぞりと響いた。

緊張ゆえか、身体が少々震えた。

まさか自分が、あの程度の存在に身震いするなどありえない。


包帯越しの霞んだ視野で、ナタを握る何かを見つめた。

目は使わずとも、体は動ける。

だが、呼吸が浅くなる。喉の奥が引きつる。霞が居なくてもやれるのか――。


フーっと、"影"は息を漏らした。

炭酸ガスが隙間から漏れ出すように、奇怪な音を発しながらゆっくりとナタを持ち上げた。

その重たげな動きは、まるで確信に満ちた儀式のようで、それが“切る”ためのものだと、朧は本能で理解してしまった。


"影"はナタを振り下ろした。

その斬撃は衝撃波となって、朧が先ほどまで座っていたブランコをへし折った。

朧は走り、ぴょんぴょんとうさぎのように飛びながら、滑り台に足をかけ、強く蹴り出した。

銃弾のように素早く"影"へ突進し、宙で身を翻らせ蹴りかかった。

足が、真っ黒に煤けたような顔を直撃すると、ボキボキと顔の骨が折れ、いびつに変形した。


朧は地面に足をつけ、再び飛び上がった。

まるで宙ででんぐり返しをするように、足を振り上げ、踵落としをお見舞いする。

"影"は全身を強く地面に打ち付け、体のほとんどが土にめり込んだ。

朧は"影"から距離を取り、姿勢を低くし、左手を突き出す。

体中の妖気を貯め、それらを全て左手に集約する。

そして一気に"影"へ放出しようとしたその時、"影"は目を剥いて朧を凝視した。


ドクンと、朧の体中の血液が湧き上がったような気がした。


"影"は黒いモヤとなり、ゴボゴボと細かな泡を吹き出す。

鉄のような、髪の毛が焼けるような、様々な臭いが混ざり、それは毒のように肺の中に溜まっていく。

"影"は動いた。

朧はすぐにエネルギー弾を撃ち込もうと反応を見せた――。


『朧……。』


"影"が声を発した。

朧は全身を硬く強張らせ、集めた妖力が再び全身へ散る。

"影"は姿形を変え、1人の青年として朧の前に現れた。

青年は、温かい笑みを浮かべて再び声を発する。


『朧。』

「霞……っ」


朧は瞳を小さく縮こませ、唇を震わせた。

霞だ。"影"が霞に化けたのだ。

艷やかな長い黒髪も、落ち着いた雰囲気を醸し出す和服も、スラリとした体格も、何もかもが本物と瓜2つだ。


"影"は一歩、朧に歩み寄る。


『こんな遅くまで何をしているんだ。早く宿に帰ろう。』


朧は震える手で、再び妖力を集約する。

しかし、何度試しても、どうやっても力が集まらない。

エネルギー弾が駄目なら毒霧を撃つか……、これも不発に終わる。


"影"は一歩ずつ、距離を詰める。

もう手を伸ばせば届きそうなほどにまで来た。


朧は何度も、あらゆる攻撃を試した。

しかし駄目だった。不可能だった。

たとえ偽物だと理解していても、霞の姿をした奴を攻撃することは出来なかった。


朧はガックリと膝を付いた。

体が震え、目から涙があふれて止まらない。


"影"は膝をつき、朧の頬を撫でた。

霞の顔で、柔らかく微笑む。

その目は欲を孕み、朧の目を焼き尽くすような熱を持っていた。

朧が願ってやまない、あの欲が向けられている。 


「違う、違う!!やめて!!そんな目で見ないで!!!」


朧は頭を抱えた。

"影"はその手を取り、朧の顎をすくった。

"影"の手に巻きついた、花の飾りがついたブレスレットがしゃらりと揺れる。


"影"はうっとりするような笑みを浮かべたまま、朧の唇にキスをした。

朧の体は動かなかった。

毒を飲んだように体が痺れ、唇から伝わる人肌の温度にくらくらと目眩がした。


その時、"影"の手元で鈍く金属が光った。


「キャアアアアアアアアアッ!!!!」


刃が空気を切り、血飛沫が舞い散る。

朧の全身がずたずたに切り裂かれ、朧は地を割るような悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちた。

腕が、足が、動かない。

ぼやけた目で自分の体を見ると、それはひどい惨状だった。

腕や胴の肉に深い切り傷が走り、両足の腱を切られている。当分動くことは不可能だろう。

更に、太腿の太い血管をやったのか、大きな瓶をひっくり返したかのように血が地面に広がっていく。

急ぎ止血をしなければ、命に関わる致命傷だ。


目の前で、"影"が霞の顔を模倣し、ニタリと笑みを浮かべている。

鈍く輝く大きなナタを振り上げ、朧の首に狙いを定める。


朧は目を閉じ、静かにその時を待った。


ナタが、勢いよく降りかかったその時、バチンッと目の前で何かが弾けた。


朧はハッとしたように目を開け、"影"を見上げる。

見えない壁のようなものが、朧の前に立ちはだかり、ナタは壁に深くめり込み動かなくなっていた。


「朧、さっさと止血をしろ。」


朧の背後から軽やかな足取りで誰かが近づいてくる。

彼はひらりと朧の体を乗り越え、見えない壁の前に立った。


「か、かすみ……」


青い単に身を包み、長い黒髪を風に揺らしながら、彼は笑った。


「あとは任せな。」

「何で、どうして……。」

「話はあとだ。敵の情報を教えてくれ。」


霞は"影"に背を向け、朧に向き合い腕を組む。

朧はワナワナと震える身体で、どうにか上体を起こした。


「情報って、まさか見えてないの?」

「何言ってんだ、見えている時の方が少ないだろ。」


霞は何も悪びれずにキッパリと告げた。

霞は最強の陰陽師の孫でありながら、霊の類を見ることができなかった。

よほどの大物――、それこそ霞の命を脅かすような存在であれば視認は可能なのだが、今回はどうも、あの"影"は見えていないらしい。

朧は力なく笑いながら言った。


「私の嫌いな人と同じ姿をしている……幻覚かも。

その姿になる前は、真っ黒で、炭のようで、それからちょっと柔らかかった。」

「上出来だ。」


霞は口角を吊り上げ、犬歯を見せるように笑みを深めた。

その時、"影"からの攻撃を阻んでいたあの壁が消えた。

時間経過によるものだ。

再びナタが振り上がる。


「後ろ!!!」


朧は影を見つめ叫んだ。

霞は朧の瞳をただまっすぐ見つめ、そして振り向きざまに"影"の顔を鷲掴んだ。


「ビンゴ……!」


霞は目を細め、力を解放する。

多量の霊力が霞から吹き出し、"影"は沸騰した湯のようにゴボゴボと泡に塗れていった。

ひどい悪臭を放ちながら、"影"は苦しみ悶え、ドロリとした液状になってもなお地面を跳ねて暴れ、そして忽然(こつぜん)と消失した。


公園には再び静寂が訪れた。

次第に、止まっていた時が動き出したように虫が微かに鳴き始め、遠くから車のエンジン音が聞こえてくる。

朧はボロボロと決壊したように涙を流しながら尋ねた。


「なんで、霞がいるの。」

「言ったろ。お前がどこで何をしているか、全部知ってるって。」


霞は朧の脇にしゃがみ込み、手を取って傷の1つ1つを確認する。


「………バカ。霞のバカ!!!」


泣きじゃくる朧を見つめ、霞は唇を歪めて首を掻き、思い切って強い声で言った。


「何がバカだ!勝手なことをするな!あと少しで死ぬところだっただろ!

勝手に居なくなって、勝手に危ないことして、心配するこっちの身にもなれよ!」


胸の奥がビリビリと響くような声に、朧は大きく体を跳ねさせた。

驚くあまり涙さえ引っ込んでしまった。


「言っただろ。お前に何かあったら泣くって。

お前のいない人生なんて、考えられるかよ。」


霞の目の端が、微かに煌めいた。

眉間に深くしわを刻み、唇を強く引き結ぶ。

朧はあんぐりと口を開け、すぐに目を吊り上げ怒り出した。


「嘘。絶対に嘘!嘘つき!私のことなんて好きじゃないくせに!私のこと、あんな風に……変な目で見たことないくせに!」

「当たり前だろ!お前自分の姿を鏡で見たことないのか!!……もう何年も、家族同然に過ごしてきただろ!」


霞は頭を項垂らせ、大きな手で自分の顔を覆い隠した。


「……大事にしちゃ悪いかよ。」


朧は声が出なかった。

ポッカリと口を開けたまま、視線を震わせる。

暗い公園は再び静寂に包まれる。

近くの家から水道の水の音が聞こえ、1つ隣の通りからおじさんの笑い声が響いた。


霞はこのじっとりとした静けさに耐えきれず、とうとう顔を上げた。

大きな着物の袖で目から下を隠したまま、朧を見つめる。目が合った。

朧はみるみる顔を赤くし、そしてついに口を開いた。


「……っ、悪くない。」

「じゃあ、もう仲直りでいいよな。」


霞は顔を覆う手を、そのまま朧に差し出した。

朧は小さく体を震わせ、瞳に薄っすらと涙を浮かべた。

締め付けるように痛む胸に手を当て、首を横に振る。


「できない……。」

「は!?なんで――」


霞が怒ったように身を乗り出すと、朧はその体に強く抱きつき、ぶちゅっと唇に自分の唇を押しつけた。

霞は金縛りにあったように全身を硬直させた。


「嫌いなんて嘘なの。思ったことない。

本当は好きなの!霞のことが好き!」


朧は霞の体に再び飛び込んだ。

反動で霞の体は後ろに倒れ、青の単にベットリと血がついた。

霞は困ったように眉をひそめ、朧の背を叩いた。


「お前のこと、そういう目では見れない。」

「本当に好きなの。私だって、霞がいない未来なんて考えられないの。」


朧はしゃくりあげ泣いた。


「…………わかったよ。」


霞は参ったように言った。


「お前が心も体も大人になったら考えてやる。」


朧は霞の体に強く頭を押し付け、首を横に振った。


「それじゃ嫌。もう他の女の子に会わないって約束して。」

「はあ!?さすがにそれは無理だって。俺だって普通に性欲とかあるし、定期的に……」


霞は朧の肩を掴み、自分から引き剥がした。

朧は潤んだ瞳で霞を見上げ、その瞬間、霞は言葉を詰まらせた。


「……一生は待てないからな。」


霞は目頭を押さえ、大きく息を吐いた。

朧はぱあっと顔を明るくし、霞の首に腕を回す。


「大丈夫。私、霞よりずっとお姉さんなんだから。」

「はいはい。」


霞はそのまま朧の体を抱き上げた。

宿へ戻る道中、朧はこの1週間溜め込んでいた話をペラペラと饒舌に話した。

霞はすべての話に相槌を打ち、愛おしいものを見るように目を細める。

しかしそれは、決して恋愛感情のあるものではなかった。

大切な、大切な宝を見るような目で見つめていると、朧は小さく微笑んだ。


自分が大人になるまでのほんの少しの間だけなら、このままの扱いも悪くはないかもしれない……。




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