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春の兆し、溶ける雪。 6


朧は霞の腕の中にいた。

小さな身体は長く骨張った右腕に優しく包み込まれ、すらりと細長い脚は畳へ伸ばされている。

折り畳まれた布団に上半身を預ける彼の腹の上には、白い冊子が乗っていた。


済んだ食事の御膳は縁側に置いて、薄く開いた障子のすき間から、そよそよと気持ちの良い涼しい風が室内に入り込んでいる。


「霞って、どんな女の子が好きなの?」


朧は霞の肩を枕にして、胴体に腕を回し、冊子の中の女性をまじまじと見つめた。

写真館で撮影されたと思われる背景と椅子、そこに腰掛けカメラを見つめ、魅力的に微笑んでいる。

別のページには女性の名前や年齢、住所、学歴、家族構成、親の職業、事細かにプロフィールが刻まれている。


霞は写真などには目もくれず、プロフィールを隅から隅まで目を通しながらはっきりと答えた。


「黒色の柔らかいくせっ毛、溢れ落ちそうなくらい大きくて真っ赤な瞳、人形みたいに綺麗な形の唇。

太ももがむっちりして、胸も尻も大きくて、無自覚に俺を誘惑してくるあざと可愛い大人の女。」

「……は?」


朧が蔑むような視線を送ると、霞は苦い顔で反論した。


「お前のことだよ。」

「髪と目の色しか合ってないけど。」

「大人の姿になったお前が忘れられないって言ったろ。」


朧はガバっと身体を起こし胸を覆うように腕を組んだ。


「そ、そんな目で見てたの!?」

「見てたよ。悪いか?」

「開き直るし……。」


霞が朧の腕を引くと、朧は再び彼の身体に沿ってごろりと寝転がった。

頭を肩に乗せ、何度か位置を調整して、だらりと身体の力を抜く。


「まぁ、年上の女の子が好きだよ。

余裕たっぷりの色気のある感じ。」

「……ふぅん。」


朧は自分の胸をペタペタと触り、写真の中の女性とそっと見比べた。

霞はそんなことなど気もせず、冊子を閉じて床に置き、また別の冊子を手に取った。


「お見合い、本当にするの?」


朧が恐る恐る尋ねると、霞はちらりと彼女の頭を見下ろした。


「するよ。そうしないと、叔母さんは一生言ってくるからな。」

「上手くいったら、結婚しちゃうの?」

「上手くいかないよ。」


霞はそっと朧の髪の毛に指を通し、言った。


「俺は結婚する気は全くないし、お見合いを成功させるつもりもない。

ただ適当な女の子と顔を合わせて、食事をして、気に入らなかったと答えるだけ。

叔母さんは渋々納得して引き下がり、後日別のお見合い話を用意する。

それを繰り返しながら、俺は打開策を考える。

――完璧だろ?」


霞はニヤリと口角をつり上げた。


「そう上手くいくの?

向こうの女の子に気に入られたら?

叔母さんがその人と結婚しなさいって言ったら?」

「大丈夫だよ。その為に、ちゃんと選んでるんだから。」

「選ぶって、どうやって?」

「相手の好みに、俺がハマらなければ良い。

そういう女の子を探すんだ。」

「分かるの?」

「もちろん。俺がこの1年どれだけ遊び歩いたと思ってんだ?」


ニヤニヤと笑みを絶やさない霞に、朧は冷ややかな視線を送る。

そして、新たに開いた冊子のプロフィール文を一読し、そのまま視線を写真に移す。


「そうだな……この()にしようかな。

家がしっかり堅くて、一人娘の箱入お嬢様。

女子高出身。家に猫が2匹。

特技はピアノと刺繍。得意料理は里芋の煮物。」

「どうして、その子がいいの?」

「目の前で煙草吸っただけで嫌われそう。

というか、服や髪の毛に匂いをつけただけで、この娘の父親が猛反対するだろうな。

決めた、この娘にするよ。」


パンと冊子を閉じて、霞は身体を起こした。

その瞬間、朧の胸にザラリとした何かが触れたような気がした。

黒い霧のような何かが、身体の中に溢れ出していく。


「……あの人の部屋に行くの?」


朧も身体を起こし、何でもない顔を作って尋ねた。


「あぁ。お見合いの話だけして戻ってくるよ。」

「一緒に行こうか?」

「……そうだな。庭で待っててくれると助かる。」

「分かった。」


どうしても、見届けたいと思った。

霞が選んだその女性に、椿はどんな反応を見せるのか。

お見合いの日取りはいつなのか。

椿の本気度はどれ程のものなのか……。

部屋の外からどれだけ会話を聞けるか分からないけれど、ほんの少しでも知っておきたいと思った。


朧は照明の紐をくいっと引いた。

明かりが落ち、2人は障子を開けて部屋の外へ出ていった。






中庭には夜風が流れ、庭に咲く椿の花が微かに揺れていた。


朧は霞が椿の部屋に入っていくのを見届け、縁側の少し離れた場所で腰を下ろす。

足をはしたなく投げ出し、身体を横向きに倒して、耳をぺたりと床板にくっつけた。

目を閉じると、様々な音が映像のように明確に頭の中に飛び込んでくる。


足袋が畳に触れる音がする。

1歩、2歩、部屋の中央に向かって進み、止まった。

座布団と着物が擦れた――正座をした。

とん、と男の指が畳に手をついた。


『叔母さん。』


声が少し反響して聞こえる。

いつもより声色は明るく、胡散臭い笑顔を貼り付けているのが目に浮かぶようだ。


『先ほどのお見合いの件ですが、この方に是非ともお会いしたいと思いました。

段取りをお願いできますか?』


霞はお見合い写真を一冊椿に手渡した。

椿はそれを受け取ると、冊子を開き『まあ!』と飛び抜けて明るい声で言った。


『よかったわ。私も霞さんのお嫁さんはこの娘が良いと願っていましたのよ。

やっぱり、分かるものなんですね。』

『分かる、というと?』


霞の問いかけに、椿はクスクスと笑みを浮かべて言った。


『この娘の家は陰陽師の家のご分家さんなんてすって。

天堂家って、聞いたことあるかしら。

晴藤家、加賀宮家に次ぐ、古くからある由緒正しい陰陽師の家よ。』

『えぇ、まあ。噂程度には……。』


霞の声が一気に冷え込んだ。

朧はそっと床から耳を外し、ギュッと胸を押さえた。

心臓が飛び出そうなくらい強く激しく拍動している。

浅く短い呼吸を繰り返し、口の中に溜まった唾液をゴクリと飲み込んだ。


――嫌だ。


朧は唇を引き結び、強く瞼を閉じた。

霞は"上手くいかない"と言っていたけれど、とてもそうは思えなかった。

どうしてそんなに自信を持って言えるのだろうか。

まだ会ってもいないのに。

霞がその女の子を好きになってしまうかもしれない

女の子やその家族が、霞のことを気に入ってしまうかもしれない。

加賀宮椿が無理やり結婚を決めてしまうかもしれない。

そうならない確証はいったいどこにあるのだろうか……。


朧は自分の身体を抱きしめるように腕を組み、零れそうになる涙をぐっと堪える。


そこに、音もなく長い影が差し込んだ。

ゆらりと真白の髪が揺れ、切れ長の瞳が三日月のように歪み、じっと朧を見下ろした。


「酷い顔ですこと――。」

「天音……。」


朧は顔を上げた。


「なんて浅ましい。二本足で歩くだけでは飽き足らず、人間の感情まで模倣するのですね。

どんなに繕ったところで、あなたの本質は何も変わらないというのに……。

霞さまのような方がどうして、こんな悍ましい怪物に心を寄せるのか、理解に苦しみますわ。」


蔑むような眼差しに、朧は内心腹を立てていた。

しかし、こんな所で喧嘩などをして、騒ぎ立てるわけにはいかない。


朧は頬をヒクつかせながら尋ねた。


「それ、さっきも霞に言ってた。

私の本質って何?真の姿ってなんなの?」


すると天音は絶句した様子で目を丸め、口をあんぐりと開けた。


「……嘘でしょう!?まさか、そんな事すら分かっていないの?」

「前に蒼月が人間に擬態しているのを見た。

霞たちが妖怪と呼ぶ彼らは、みんな人間に擬態できるの?あなたも、本当の姿ってものを持っているの?」

「蒼月さんとやらが、どのような方なのか私は存じませんが……そうですよ。

あなたも私も、この姿は仮のもの。

人間界で暮らす上で、必要だから人間の真似事をしているに過ぎません。

人間に擬態出来ない妖がほとんどですが、式神に選ばれるようなものたちは出来て当然です。」


天音は大きく胸を張り、高らかに告げた。

今の自分を誇るようなその姿に、朧はふとした疑問を投げた。


「嬉しいの?式神に選ばれたことが。

加賀宮椿に仕えることが。」


天音は一度目を大きく丸めると、すぐにクスクスと笑い出した。

口元を袖で隠し、瞳を細めて言った。


「なんてことを仰るんですか。

脳みそが茹で上がったあなたと一緒にしないでください。」

「……あっそ。」


朧は小さく息を吐いて、視線を廊下の向こうに投げた。

霞と椿はまだ話し込んでいる。

地面を伝う微かな音の波長が、床板にくっつけたお尻や手足を通して頭に入ってくる。

細かな内容までは聞き取れないが、椿がお見合い写真の女性を褒め称え、霞がにこやかに相槌を打っていることは何となく分かる。


朧は床板から手を離し、自分の胸の前でキュッと握りしめた。

あまり聞きたくない。それでも聞きたい、聞いておきたい。

相反する2つの感情が、胸の中でぐるぐると渦巻いた。


「さっきの話ですが――」


突然、天音が静かな声音で沈黙を破った。


「何の話?」

「あなたの真の姿ですよ。」


天音は朧の隣に腰を下ろし、庭の奥をぼんやりと見つめる。


「おそらくあなたは、混血です。

そうに違いありませんわ。」

「混血って、どういうこと?」


ぱちくりと朧はまばたきをして、天音の顔を見つめた。


「あなたは"道"を知らなかった。

自分の本当の姿さえ知らない。

つまりあなたはこの世界で生まれ、その瞬間から人の姿だったということ。

あなたの両親のうちどちらかが人間でないと、そうはなりません。」

「私が……、私のパパが……?」


ドクンと心臓が大きく脈打った。


霞が言っていた……。

『俺が子どもを作らなかったら晴藤の血は完全に途絶える』と。

それから、『朧は人間の男と子どもを作れるのか』と尋ねた。


……できるかもしれない。

自分の父親は人間かもしれない。

自分のママは、人間の男と番になって、子供を産んだかもしれない。

つまり、自分は霞の子供を産める可能性があるということだ。

そうに違いない。


朧は、ざわざわとしたモヤが渦巻く胸をそっと抑えた。


霞は人間の女の子と結婚する必要がなくなったかもしれない。

それなのに、朧の心は決して晴れやかではなかった。

とても、自分と霞が番になるなんて考えられなかった。

あまり、考えたいと思わなかった。怖かった。怖くなってしまった。

あんなに霞のことが好きだったのに、彼にここまで愛されているのに、2人の未来を想像しようとすると心のどこかでブレーキがかかってしまう。


自分の、霞に対する思いに、絶対の自信を持てなかった。

彼を愛おしいと思う気持ちは全部まやかしなのだと、耳元で囁く声が常にしているのだ。

それと、ほんの少しだけ、彼の相棒じゃない自分を想像して……女として隣に並び立つ自分を想像して、嫌だと感じてしまった。


「……今の話、私が混血かもしれないって話、霞に言わないで。」


朧は胸を押さえたまま、掠れた声を絞り出した。

天音は目を細め、意地悪く笑って言った。


「えぇ。私は一向に構いません。

椿さまの怒りを買うような真似、したくありませんもの。」

「……うん。ありがとう。」


朧はそう言った所で、ハッと目を剥き立ち上がった。

そして、廊下の奥……椿の部屋がある場所に顔を向けると、天音は眉間にしわを寄せ、朧を見上げた。


「どうしたんですか。まだ椿さまはお話中ですよ。」

「30分ルール。昔、霞が決めたのよ。」

「まだそんなに経っていないでしょう。」


天音は怪訝な顔で言った。


「そうね。でも終わりよ。」


朧は床板から伝わる音をずっと聞いていた。

椿と霞の会話は、望んでもいないのに勝手に耳に入っていた。

会話の流れが、つい今しがた、変わったのだ。

変わってしまった。もうあの女は、見合いの話などしていない――。


朧は唇を引き結び、走り出した。


「朧!待ちなさい!!」


天音の制止の声を振り切り、廊下の突き当たりまで来ると、勢いよく障子を開けた。

朧は鋭い目つきで部屋の中を睨みつける。

そこに慌てて天音がやってきて、朧と部屋の間に割り込むように立ち、勢いよく膝と手を床板に付いて頭を下げた。


「も、申し訳ございません!!

椿さま、私は止めようとしたのですが――」


天音はそこまで言ったところで、はてと首を傾げた。

そして頭を上げ、初めて部屋の中を見つめた。


座布団の上に座る霞と、座布団も何もないところに膝をつく椿。

椿は両方の手で霞の手をぎゅっと握りしめ、身体をべったりと彼の身体の右側に寄せていた。


天音の顔から、表情がスッと抜け落ちた。

そして再び頭を下げ、感情の籠もらない声で言った。


「……申し訳ございません。

すぐに朧を離れへ連れ戻します。」


椿は眉をピクリと震わせ、鋭い目で朧を睨みつけた。

しかし朧はいつになくハッキリとした大きな声で言った。


「霞を呼びに来たのよ。お風呂の用意ができたの。

彼は明日の朝早くから、修行に行くのよ。だから早く眠らないといけないの。

もう、連れて行ってもいいかしら。」


椿は開きかけた口を閉じ、無感情に朧を睨みつける傍ら、霞はホッとした様子で口角を緩め、異様に明るい声で言った。


「すいません、叔母さん。

明日の早朝、裏山の泉に参ろうと計画を立てていたんです。

地主神さまへ挨拶をして、そのまま修行に移ろうかと。

もう行ってもよろしいでしょうか。」


すると椿は霞の手を離し、小さく息を吐いた。


「霞さんは本当に、ストイックでいらっしゃいますわね。あなたの力は、菊司さまから譲り受けた才能だけではありません。あなたの努力があって初めて花開いたもの……。

いいでしょう。今日はゆっくりおやすみなさい。」


霞はすぐに椿に向き直り、畳に手をついて微笑んだ。


「ありがとうございます。それでは、おやすみなさい。」

「えぇ。おやすみ。」


椿の挨拶を合図に霞は立ち上がり、素早く部屋を抜け出した。

天音がそのまま障子を閉めようとすると、部屋の中から鋭い声が飛んだ。


「天音、話があります。中にお入りなさい。」


天音はビクリと肩を跳ねさせ、青い顔で頷いた。


「か、かしこまりました。」


霞はそんな彼女の背を憐れむように見つめ、一方で朧は振り向きもせず小さく舌を出した。

天音は部屋に入り、障子をピタリと閉じる。


「……悪いことをしたな。」


縁側を歩み、椿の部屋から少し遠ざかった所で霞はぽつりと言った。

朧はぼんやりと夜空を見上げ、間もなく首を横に振った。


「天音は平気よ。何もかも、全部演技だわ。」

「まぁ、前任者と、そのさらに前のやつと違うってのは分かるけど……。」


霞は縁側の角を曲がり、引き戸を開け、離れへ続く渡り廊下を歩く。

ふと、霞の指が朧の指に触れた。

彼にしては珍しく、夜風のように冷たく白い。


「……大丈夫?」


朧の問いかけに、霞はすぐ頷いた。


「大丈夫だよ。」


彼はそう言って、朧の手を握りしめた。


廊下を抜け、2階に上がる階段の目の前で、霞は足を止めた。

朧気に浮かぶ月と満天の星空が優しく2人を見下ろし、中庭の池が空を反射しキラキラと輝いている。

霞は青い葉の匂いに誘われるように、塀の向こうの竹林を静かに見つめた。


「座る?」


朧が尋ねると、今度は少し間を置いて頷いた。


「そうだな。」


そっと闇夜の隙間を縫うような、落ち着いた声音だ。

朧はその場に腰を下ろして女の子座りをすると、霞は隣に座り、沓脱石の上に足を置いた。

そのままぼんやりと闇を見つめ、ただひたすら静寂に耳を傾げる。


夜風が吹くと、池の水面が揺れ、松の枝がカサカサと音を立てる。

鳥や虫の声はなく、かといって"道"のように生命の気配が何もないわけではない。

肌寒く、息を吸えば肺の深くまでひんやりとした冷気が染み渡っていく。


霞は一向に口を開こうとはしなかった。

ゆっくりとしたリズムで夜風を体内に取り込み、肩を小さく丸め、沈んだ顔のまま、何もないところをずっと見つめている。

朧は何度も霞の顔色を伺いながら、ぽつりと声を発した。


「煙草、吸わないの?」

「……今は、あの匂いに触れたくない。」


朧は何も言わなかった。

かける言葉を間違えたかもしれない……。

まだ彼女には、彼の心の動きを正確に読み取ることは難しかった。


霞にとって、晴藤菊司は心のよりどころだったはずだ。

加賀宮家を出てすぐ、初めての仕事で得た金で、彼は煙草を買った。

たまたま入ったコンビニで、アイスクリームをレジに出し、ふと壁一面に陳列された煙草の箱を見つけた。

懐かしいものを見る眼差しで、彼は突然、迷う素振りもなく1つの銘柄を選んだ。

それがかつて、彼の祖父が愛用していた品だと知ったのは、だいぶ経ってのことだった。


それを今は拒絶している。

どうしてかは分からない。

ただ、彼はきっと、深く傷ついているのだろう……。

それしか分からない。


霞は着物の上から煙草の箱の角に指を押しつけ、悲しげに目を伏せ、口を開いた。


「そんなに、似ていると思うか?

爺さんに……。」

「さあ……面影はあったと思う。

でも彼の若い時の姿は知らないから、蒼月に詳しく聞いてみたら?」


蒼月の名前を口にしたその瞬間、霞は眉間に深くシワを刻み、嫌悪の色を濃く出した。

朧は霞の手をそっと撫で、細い声で……しかしはっきりと告げた。


「アイツは大丈夫……。

嫌なやつだけど、私は嫌いだけど、聞いてみるくらいは大丈夫よ。ちゃんと話してくれるわ。」

「……なんで大丈夫だって言い切れるんだよ。」

「私が、彼を可哀想だと思ったの。」

「可哀想だから、里を襲っても良かったって?」


霞が声を荒げると、朧はまっすぐその瞳を見つめ、首を横に振った。


「それは違った。私はほんの少し、誤解をしていたの。

私はあの日カフェで、蒼月の話を聞いたのよ。

彼の言葉は、信じていいかもしれないと思った。

あとは、あなたが本人から聞いてみて。

あなたが、信じるかどうか決めて。

信じられないというなら、私はあなたに従うわ。」


霞は口を閉ざし、朧の瞳を見つめ返す。

そして間もなく苦い顔のまま視線を庭に移した。


「お前がそういうなら、そうする。

怒鳴って悪かったよ……。」

「謝るのは、もう少しあとでいいわ。

私が間違ってるかもしれない。」

「いいや。お前の直感も、人を見る目も、だいたい合ってる。俺は蒼月のことが心底嫌いだし、信用できないと思ってるけど、お前のことは信じてる。」


霞はそう言って、朧の肩をそっと抱き寄せた。

僅かに震えるその手に、朧は小さな手を重ねた。

広い肩に頭を預けると、霞は柔らかな髪に口を埋める。

彼女の香りを吸い込むと、全身に甘い痺れが走る。

胸の中に埋め尽くされていた小さなトゲが、少しずつ溶け出して、身体全体が軽くなっていくようだ。


「なぁ、朧。」

「……うん。」


霞の問いかけに小さく返事を返すと、彼は僅かに口角を上げ、しっとりと優しく囁いた。


「お前が隣にいてくれて、良かったって思うよ。」


ドキリと朧の胸が高く鳴った。

そっと顔を持ち上げると、甘く穏やかな視線と目が合った。

霞はうっとりとするような笑みを浮かべ、少女の髪に触れる。


「愛してる。今日も、明日も、変わらずあなたを愛している。」


朧は、唇をギュッと引き結んだ。

目の奥がツンとして、胸の奥にチリ付くような痛みが走り、咄嗟に顔を伏せる。

泣いてしまいそうになるのを必死に堪え、頭を霞の胸に擦り付ける。

そして言った。

叫び出したいのを抑えながら、静かに、ゆっくりと、心の中をすべて吐き出すように言った。


「絶対って、約束して。

お見合いしても、変わらないって……。

私のことを待ってるって、約束して。」


霞はくしゃっと笑って、朧の身体を強く抱きしめた。


「一生待つって、前に約束しただろ?

俺の気持ちは、もう何があっても絶対に変わらないよ。」

「絶対、絶対よ……。」

「約束するよ。絶対に、あなた1人を愛し続ける。」


朧はすがりつくように、霞の背に白く棒切れのような腕を回した。

涙を必死に堪え、小さな肩を震わせて、男の心を繋ぎ止めるように力強く抱きしめた。


霞は口元を緩め、少女の小さな耳に砂糖を煮詰めたような声で囁いた。


「さっきの続き、する?」

「……まだ、だめ。」

「だよなぁ。」


霞は目尻にそっとキスを落とし、小さく笑った。


「あの時、天音なんか無視しとけばよかったな。」

「やめないでって、私は言ったわ。」

「でも、今はだめなんだろ?」

「えぇ、だめよ。」


霞はクスクス笑って、朧の頭に顎を乗せる。


「じゃあ、また今度だな。」


霞の腕の中で、朧はチリチリと痛む胸を抑え、静かに頷いた。

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