動き出す時間、沈む月。
「朧は、遊園地とか興味あんの?」
ふと霞がそう尋ねたのは、朝食バイキングの席でのことだ。
質の良い青色の着物をまとい、無造作ヘアーは丁寧にワックスで整え、後ろの髪は少し高いところで1つに結ばれている。
背筋はしゃんと伸びて、優雅に紅茶のカップを傾けた。
朧は唐突な質問にしばらくの間沈黙した。
バランスよくお皿に盛られたのは、目玉焼き、ベーコン、トマトとハムのサラダ、白米、豆腐のみそ汁、漬物、海苔。
程よく塩辛いみそ汁を飲み、海苔を醤油に浸し、白米を包んでパリッと頬張る。
醤油の香りと海苔の青臭さが口の中に広がり、あちあちの白米がより特別な味に変貌する。
朧はもぐもぐと咀嚼をしながら首を傾げた。
「遊園地?どうして?」
「この間の仕事の報酬……アレの使い道を考えてたんだ。」
「結局いくら入ったの?」
朧は目玉焼きを箸で切り分け、大きく口を開けてそれを迎え入れた。
醤油もソースもかかっていない、シンプルな塩味だ。
霞は朧の質問に無言でジェスチャーを返した。
右手は紅茶のカップを握ったまま、左手は5本の指を全部伸ばし、少し低いところでひらひらと振っている。
「50万円……」
朧の控えめな声に霞は首を横に振った。
「500……?」
霞はまだ指をピンと伸ばしたまま、手をひらひらと振っている。
朧が言葉もなく一度頷くと、ようやく左手は膝の上に戻った。
「……どうやって使い切るの?
いつもそんなにもらってるの?」
朧はジロリと霞を見つめた。
「いつもは……まぁ、高級寿司やら鉄板焼やら行って……」
「その金額、食べ物くらいじゃなくならない。
きっと、晴藤菊司はそのお金で芸子遊びしてたんでしょ?」
鋭い指摘だった。霞は目を泳がせ、紅茶をズズッと飲み込んだ。
「……そうだ。私分かった。
霞も、女の子と遊んでたんでしょ?」
朧は小さく首を傾げてニヤリと瞳を細くした。
霞は紅茶のカップを置き、降参するかのように両手を挙げ目を伏せて言った。
「……おっしゃる通りです。キャバクラでパッと溶かしました。」
「やっぱり。」
朧は得意げに笑みを浮かべ、細長いベーコンをくるくると巻き、一口で口の中に入れた。
塩気たっぷりの香ばしい味をよく噛んで飲み込み、朧は言葉を続ける。
「今回もそうしたらいいじゃない。
形に残るものには使いたくないんでしょ?
そんな大金、食事や娯楽じゃなかなか消えない。」
平然とした様子の朧に、霞は傷ついたように顔をしかめた。
「……俺はさ、もう好きな女の子としか遊ばないって決めたんだよ。」
「好きな女の子。」
朧はきょとんとした顔で霞を見つめた。
霞はピクリと頬の筋肉を震わせ、ジトリと朧の目を見つめ返した。
「だから、遊園地に興味あるか聞いたんだよ。」
朧はカチャンと箸を置いた。
そして、ほんの少し視線を宙に浮かべ何かを考え込むと、首を横に振り淡々と告げた。
「遊園地は興味ないかも。」
「そっか。」
霞はカップに入った紅茶をぐいっと一気に飲み干す。
「おかわり入れてくる。」
そう言って、朧に背中を向けてひらひらと手を振り、ドリンクコーナーに足を向ける。
客席を抜け、フードエリアを通り、カレーのスパイシーな香りを浴びながら角を曲がり、フルーツの並んだテーブルのすぐ隣にある、小さなカウンターの前で足を止める。
霞は新しいマグカップに手を伸ばしながら、大きくため息をついた。
「なんっっっで、無反応なんだよ!!」
周りに人が誰もいないことを確認し、小声で強く悪態をついた。
口元を抑え、カップをコーヒーサーバーに置くと、お湯のボタンをポチッと押す。
分かりやすく伝えたつもりだった。
好きな女の子としか遊ばない――。
その好きな女の子は朧なのだと、明確に好意を伝えたはずだった。
しかし彼女は、少し首を傾げただけで、それきりだった。
赤くなりもしないし、目を逸らしもしない。
まるで自分ではない誰かの話を聞いているかのように、淡々としていた。
最近の朧はずっとこうだった。
蒼月と2人でカフェに居たあの時から。
原因として、まず初めに思い当たるのは霞の"秘密の仕事"だった。
しかし、霞はすぐにそれを否定した。
そもそも彼女は人の命というものを、それほど重く捉えてはいない。
普通の女の子であれば、100年の恋も冷める瞬間であっただろうが、朧はどう頑張っても普通ではなかった。
実際今しがたも、仕事の報酬の話に嫌な顔1つせず返事をした。
つまり原因は他にあるということ。
他に可能性があるとすれば、あの時――。
霞がカフェに飛び込んだ瞬間、目にしたのは朧の涙だった。
包帯がじわりと滲み、吸いきれない涙が頬を伝って落ちていく。
蒼月は彼女の頭を撫で、慰めていた。
『嫌……嫌よ。嫌! 絶対に嫌!!
好きなの、本当に私、霞が好きなの!!!』
『大丈夫、ね? 泣かない泣かない』
蒼月の声音は柔らかく、まるで親が駄々をこねる子供を宥めるようだった。
だが、朧の声は悲鳴のように震えていた。
あれがすべての始まりだったのだ。
あの日以来、朧はどこか霞に対する情熱を失ったかのようだった。
あの時、二人はいったい何を話していたのか……。
霞はギリギリと奥歯を噛み締め、苛立ちのままティーバッグを引っ掴み、お湯の中にそれを沈める。
その頃朧は、プチトマトを箸で摘みながらぼんやりとテーブルの1点を見つめていた。
霞の声が何度も、何度も頭の中を反響した。
『……俺はさ、もう好きな女の子としか遊ばないって決めたんだよ。』
――好きな女の子。
これは明らかに朧のことを指していた。
嬉しいはずだった。目の前の窓を突き破って1キロほど叫びながら走れるくらいには幸せで舞い上がるはずだった。
それなのに、何かが朧の心に目隠しをして、素直に喜ばせてはくれなかった。
「私も好きなのに……。」
朧はくしゃりと顔を歪め、プチトマトを口の中に入れた。
奥歯でギュッと噛み潰すと、ゼリー状の果肉が弾けて一気に口の中に広がった。
甘みはほとんどなく、強い酸味で目の奥にジンと痺れが走る。
朧は泣き出したい気持ちをぐっと堪えながら、口の中のものを無理やり飲み込んだ。
そこに、霞は戻ってきた。
涼しく凛とした佇まいで、ティーカップを机に置き、椅子に腰を下ろす。
そして、朧のしわくちゃの顔を見つめ小さく首を傾げた。
「どうした?酷い顔してるけど。」
「……トマト酸っぱかった。」
朧の掠れた小さな声に、霞は大きく笑った。
「あーあ、可哀想。」
「思ってないでしょ。」
「正解。」
クスクスと笑う霞に朧はべーっと舌を出した。
「ところで……」
霞の言葉に朧は視線のみ向ける。
霞はティーバッグを軽く振り、適当な空いた皿に取り出すとカップに口をつけた。
熱い紅茶を少し口に含ませ、再びカップを机に置く。
「桜見に行こうか。」
たっぷり間を置き、彼は囁くように言った。
優しく、甘い声で、うっとりするような笑みを浮かべると、朧はドキリと胸を弾ませる。
それでも、朧はどこか淡々とした調子で返事をした、
「いいよ。」
「ホテルのすぐ目の前の川で、観覧船が走ってるらしいんだ。」
「船から桜を見るってやつ?」
朧がわずかに瞳を輝かせると、霞は少しホッとしたように笑みを浮かべた。
「そう。約束してただろ?」
「うん!」
朧は満面の笑顔で頷いた。
霞は目尻を甘く垂れさせ、静かに彼女の顔を見つめる。
その熱の籠もった視線に気づいた朧は、ちょっぴり泣きそうな顔をして、必死に唇の端を持ちあげて応えた。
*
よく晴れた春空の下、二人は川沿いの桜並木を歩いていた。
満開の花が枝いっぱいに咲き誇り、時折吹く風が花びらをそっと舞い上げる。
空はどこまでも青く、やわらかな陽光が川面に揺れる桜の影を落としていた。
朧は、桜色の振袖に身を包み、小さな歩幅でしとやかに淡いピンク色に染まったアスファルトを踏む。
髪は高く結い、赤い菊結びの髪留めがちらりと陽を弾く。
「綺麗だね。」
そう呟いた唇はリンゴ飴のように赤く、思わず触れてしまいたくなる艶があった。
霞は朧の小さな手を握る力を僅かに強めた。
小さな歩幅に合わせて丁寧に足を踏み出し、キラキラと桜を追いかける彼女の横顔へ、熱を帯びた眼差しをひっそりと落とす。
「……そうだな、綺麗だよ。」
霞の親指が、朧の手をそっと撫でる。
それから何でもないように視線を持ち上げ、青空を埋め尽くすように咲き乱れる花びらを見つめた。
川沿いの桜並木を抜けた先、観覧船の受付はコンクリートで建てられた簡素な小屋だった。
ガラスの向こうに座るお姉さんからチケットを2枚購入し、船を待つ列の最後尾に並ぶ。
船はすぐに到着した。
等間隔に並べられたプラスチックの椅子にみっしりと観光客が座っている。
屋根はなく、船のいたるところに小さな花びらがくっついていた。
先に乗っていた観光客は乗り場スタッフの案内でぞろぞろと陸に上がる。
すぐさまスタッフが手慣れた手つきで椅子を綺麗に吹き上げると、列をなしていた次の客たちが船へと誘導された。
霞たちも、前の客に続いて船へと足を運んだ。
先に船の縁へ足をかけた霞は、体重を乗せた瞬間、ふわりと足が浮くような感覚に襲われる。
そのまま階段状の足場を一段下りたところで立ち止まると、朧が続いて慎重に足を乗せた。
着物の裾を軽くつまみ、船に体重を乗せきったところでふらりとよろけた。
霞は慌てて朧の手を強く引き、小さな身体を抱きとめた。
その瞬間、ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
着物を洗った洗剤の匂いと、その中に混じった暖かく心地の良い、なんともいえない不思議な匂いだった……。
「大丈夫か?」
「う、うん。」
朧は高鳴る胸の鼓動を押さえるように、そっと胸元に手を添えた。
霞は何も言わず、その手を取って、空いている席へと静かに導く。
彼の背中を見つめながら、朧の表情はほんの一瞬だけ歪んだ。
悲しそうに、苦しそうに瞳を揺らし、霞の手を緩く握り返した。
「ほら奥座りな。」
朧は促されるまま端っこの椅子に腰を下ろし、そっと船の下を見下ろした。
水は暗く淀み、川底はおろか魚の影すら何も見えない。
時折白くぼやけた何かが川面に向かって手を伸ばしている。
朧がしばらく水面を見つめていると、霞が背中をトントンと叩いた。
「船が動くから、座って。」
「うん。」
「何か居た?」
座席に座り直した朧に霞はコソッと耳打ちした。
「たくさん。でも、もう二度と動かないと思う。」
朧の回答に霞は顔を歪め、小さく息を吐いた。
「何もしてこないなら良いよ。」
霞はそう言って、船の外に視線を投げた。
そうして間もなく、船は動き出した。
微かな振動とともに、水を裂く音が耳に届く。
船底をなぞるように、さらさらと川がすべり抜け、波がゆらりと紋を描き遠ざかっていく。
両岸には桜が連なり、風に乗った花びらがふわりと水面に舞い落ちた。
水に触れた花びらは、まるで小舟のようにふらふらと揺れながら流れてゆく。
朧は川面に浮かぶ花びらを見つめ、それから川岸の桜に目を留める。
大きく腕を伸ばした枝は川へせり出し、その全てに余す所なく淡いピンク色の花びらが見事に咲き誇っている。
ゆっくりと進む船に合わせ、景色はどんどん移ろい、変わっていく。
橋の上を歩く人々、川を見下ろし気まぐれに船に向かって手を振る若者、川岸に座り込み弁当を広げる家族……。
橋の下をくぐると、また景色は大きく姿を変えた。
桜並木の向こう側には、鋼鉄とガラスでできた街が広がっていた。
高層ビルがずらりと並び、どの窓も陽を受けてぎらりと光り、空の青を鋭く映し返している。
その足元には人や車が行き交い、街は常にせわしなく呼吸を続けているようだった。
一方で対岸は、橋の下をくぐる前と何ひとつ変わらない穏やかな世界が広がっている。
ベンチに座るカップル、ジョギングをする男性、犬を2匹連れた夫婦……彼らの姿も静かな日常の一部に溶け込んでいる。
川を隔て、左右で全く異なる時間が流れている……異質な雰囲気だった。
朧は高層ビル群から背を向けた。
そよそよと吹く風に合わせて桜の枝が小さく揺れる……そんな穏やかな時間の流れにそっと溶け込むように目を細め、美しい景色に視線を預けていた。
「楽しめてるか?」
ふと、霞は尋ねた。
朧はゆっくりと霞の方を振り向き柔らかく笑みを浮かべた。
「うん、楽しい。」
霞は柔らかく目を細めると上体をほんの少し倒し、朧の身体へ身を寄せた。
肩から腕がピッタリとくっついて、手は彼女の指にそっと絡みつく。
朧はドキリと身体を跳ねさせた。
霞の身体はほんのりと暖かく、その熱が触れ合う身体を通して伝わってくる。
彼の視線が、朧の瞳よりほんの少し下を向いた。
ぽってりと赤く艷やかな唇を熱の籠もった瞳が捉え、それはすぐに朧の瞳に再び突き刺さる。
朧は表情を強張らせ、咄嗟に顔を逸らした。
絡め取られた手もするりと抜け出して、まるで火傷をしたかのように、もう反対の手でキュッと握りしめる。
霞は一瞬悲しげに眉を潜め、ふいと反対岸に視線を向けた。
触れ合う肩が、すっと離れていく。
船がゆっくりと進路を変えた。
船首が左方向に曲がり、大きく弧を描いてUターンする。
それから乗り場に着くまで、2人は会話もなく、目を合わせることもなく、それぞれ反対の景色をじっと見つめていた。
船を降りた2人は、公園を静かに歩いていた。
桜並木の道を歩み、ふかふかと絨毯のように散らばる桜の花びらを踏む。
2人の間には、人1人分のスペースが空き、冷たく虚ろな風が通り抜けていた。
霞は着物の上から煙草の箱に触れ、箱の角を何度か人差し指に押しつける。
吸いたい欲求をどうにか堪えながら、チラチラと朧を見つめ、なんとか会話のきっかけを探っていた。
何人も、何人も、人が通り過ぎていく。
桜を見上げ散策を楽しむ人たち、猛スピードで駆け抜けていく自転車、公園の清掃スタッフ。
そのうち、ふと霞はあるものに目を留めた。
小学生くらいの子どもの集団が、両手いっぱいに食べ物を持ち歩いてくる。
フランクフルトに、焼きそば、ベビーカステラ、から揚げ、たこ焼き……。
美味しそうな匂いがどんどん近づいてくる。
「向こうに出店があるみたいだな。」
「……うん。」
朧は小学生たちの手元をじっと凝視し頷いた。
「食べていこうか。」
霞は柔らかく微笑み、右手を差し出した。
しゃらりと花飾りのついたブレスレットが揺れる。
その温かな眼差しと、大きな手のひらを交互に見つめ、朧は左手を伸ばそうとして……やめた。
「ねぇ。」
朧は細い声を絞り出し、足を止めた。
「どうした?」
霞も足を止めると、ほんの少し腰を折り朧に視線を合わせる。
朧はわなわなと身体を震わせ必死な声で訴えた。
「もう……優しくしないで。
私、霞に嫌なことしたのよ。
ちゃんと怒って。隠さないで。」
霞はそっと朧の手を取る。
そして目を細め、温かな声で言った。
「向こうに行こうか。」
朧は強く腕を引かれ、大きな桜並木の道から外れ、細い小道を進んでいく……そのすぐ先に大きなお堀があった。
お堀の向こうには大きな城がそびえ立ち、桜と天守閣を一望できる絶景ポイントだった。
しかし、運良くこのあたりには人気がなく、霞は一度周りを見渡して、お堀の柵に両腕を預けもたれ掛かった。
朧は、その背をじっと見守った。
強い風が吹き、着物の袖や霞の長い髪がひらりと舞う。
桜の花びらが飛び交い、お堀の水面にぷかりと浮かぶ。
それをぼんやりと見つめながら、霞はポツリと口を開いた。
「怒ってなんかない。」
「……え?」
「俺は怒ってないし、お前の機嫌を取ろうともしてないよ。むしろ、悪いのは俺だろ。」
霞は朧の方を向き直り、小さく首を傾げて言った。
朧はぱちくりと瞬きをして大きく首を横に振った。
「なんで?違う!
私、霞の気持ちに応えられなかった。
何回も、何回も、避けちゃった。
霞に見つめられると、身体に触られると、苦しくて……悲しくて……逃げちゃったの。」
「お前の気持ちを確認せずに触るのは、駄目なことなんだよ。だから悪いのは俺だ。
困らせて、ごめん。」
霞の声は静かに、重く朧の心に伸し掛かる。
朧はさらに首を振った。
「私、ずっと言ってたもん!
霞のこと好きだって。なのに、なのに、霞に好きって言われて、私……っ。」
そこまで言うと、朧は小さく嗚咽を溢した。
大きな瞳いっぱいに涙を浮かべ、じわりと包帯がにじむ。
霞は朧の腕を引き、向かい合わせになるように立たせると、リボン結びした包帯の端をそっと引っ張った。
はらりと包帯は解け、さくらんぼ色の大きな瞳がむき出しになる。そのまま彼女の全身は、すっぽりと霞の身体に包みこまれた。
朧は霞の腕の中で、細く消え入るような声で言った。
「私、分からないの。自分の気持ちが。
霞への、好きって気持ちが、分からなくなったの。」
霞は静かに言葉を受け止め、猫のように柔らかい髪に指を通す。
「蒼月に何か言われたんだろ。」
霞の声はどうにか冷静さを保っていた。
朧が小さく頷くと、霞は奥歯を強く噛み締め、朧の身体を抱く手に力が籠もった。
朧の手が霞の着物をくしゃりと握る。
「私の気持ちはね、恋じゃないって言われたの。
私が、霞以外の男の人を知らないから、勘違いしてるって。
私の気持ちは全部まやかしだって言われたの。」
「……俺も同じだったよ。」
霞は言った。朧の言葉を胸の奥深くで受け止め、冷たい氷を溶かすように、かつての自分に言い聞かせるように……。
「お前は家族だった。それ以上でも、それ以下でもない。純粋に家族としてお前を愛していた。
そもそも見た目も中身もまるで子どもだし、完全に対象外だった。
お前に好きだと言われても、気持ちに応えるつもりは全くなかったよ。」
「どうして変わったの?何が変わったの?」
朧が顔を上げると、霞は困った様子で眉を顰め、くしゃりと笑った。
「なんでかなぁ。そんなつもり全くなかったのに。
……里に行ってからだ。あの日の事を全部お前にぶちまけて、お前の身体を抱きながらガキみたいに泣いて……。
そのあたりから、お前を見る目が変わり始めたような気がする。
そうなったらあっという間に、好きになってたんだ。
お前が、愛らしくて、愛おしくて、どうしょうもない。」
霞は朧の両手を包み込むように握った。
真っすぐ、真っすぐ、霞の瞳が貫くように朧の瞳を捉えた。
「俺はあなたに、惚れている。
あなたのことを、心から愛している。」
朧はぐしゃぐしゃに顔を歪めた。
大粒の涙をボロボロと溢し、目をぎゅっと強く閉じ、首を横に振った。
「ごめん……なさいっ。
私、今……霞の気持ちに応えられない。」
「いいよ、それで。」
霞は再び朧の身体を抱きしめた。
朧の小さな身体をすっぽりと包み、背中と肩を力強く抱いた。
「俺は待ってる。あなたの気持ちが落ち着くまで。
もう一度、俺を好きになってくれるその日まで。
それから、ちゃんと大人の身体に成長するまでな……。」
「もし、なれなかったら?
ちゃんと霞に恋をしてるって、ならなかったら?
私、もう分かんないの。分からなくて、苦しくて、どうにかなっちゃいそうなの……!」
ぐずぐずと泣きじゃくる朧に、霞は苦い顔で笑った。
それから、俯いた彼女の顔をすくい上げ、視線を合わせると彼女の白く滑らかな頬をそっと撫でた。
「バーカ。俺がただ黙って待ってるわけないだろ。
ちゃんと、口説くからな。
本気でお前を落とすから、覚悟しろよ。」
ニヤリと口角を歪めると、朧の頬が真っ赤に染まった。
涙はピッタリと止まり、大きなさくらんぼ色の瞳で霞の瞳を熱く見つめ返した。
「好きよ、霞。きっと、きっともう一度、あなたに恋をするから……。」
霞は柔らかく目を細め、ほほ笑んだ。
そして朧の頬を両手で包み、背中を丸めた。
リンゴ飴のように艶々とした唇の端っこにそっと口づけ、甘い声で囁いた。
「一生かかっても、待ってるよ……。」




