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水よりも大切な物

 テレビのリモコンをオンにして、買ってきた物を冷蔵庫に詰める。背中ではテレビから地震に備える備蓄商品についての説明が流れている。

『最近地震関連の情報を取り上げることが多いな。もしかして大地震の兆候があるのを隠しているのかな。ドラマとかでも、会議で学者の警告を官僚が聞き流していることが多いもんな。誰かがマスコミにリースしているのかな』

「なお経済産業省はトイレットペーパーについて、各ご家庭で一ヶ月分程度の備蓄を行うことを推奨するよう呼び掛けを行っています。一ヶ月分程度の備蓄を推奨する理由は、トイレットペーパーがほぼ全量を国内で生産されており、そのうち四割程度が静岡県で生産されているため、今後発生が予想される南海トラフを震源とした地震による津波で被災した場合に、深刻なトイレットペーパー不足になることが予測されているからだそうです」

『ん?トイレットペーパーを一ヶ月?』

「官公庁がこういった特定の商品の名をあげて、国民に買うように推奨するのは、非常に珍しいことですね。南海トラフの地震によって、静岡県に津波が押し寄せることになったら、皆が思っている以上にかなり深刻な状況になるのでしょうね」

 コメンテーターが言っていることは、半分正解で半分間違っている。

 各省庁では、災害に備えて自宅に備蓄しておいた方が良い商品をきちんと特定しており、それを一覧にして説明している。ただし、それらの備蓄量は最低三日分、推奨は一週間分だ。トイレットペーパーを一ヶ月分備蓄して欲しいというのは、他の備蓄品に比較すると結構多い量で、相当深刻な事態を予測してのことなのだろう。経済産業省は、今後発生が予測されている南海トラフでの地震による津波によって、相当にまずい状況が発生すると考えていると思われる。


 日頃から防災情報についてはウェブで検索したりしていて、自分が災害にあった時に何が必要になるかは、十分に理解しているつもりだった。しかし、各家庭でトイレットペーパーを一ヶ月分ストックすることを推奨していることについては、今まで検索していた諸々のページの中で一度も見たことはなかった。

 早速経済産業省のホームページを見てみることにする。確かに載っている。なんと十年以上も前から掲載されていることがわかった。全く知らなかった。お役所のやることは、本当に国民に浸透していないなぁ。こんなこと知っている人は周りに誰もいない。


 こんなことは当然知らないだろうから、急ぎ母親に電話をしてみる。

「さっきテレビでやってたんだけどさ、静岡あたりで地震があると、津波でトイレットペーパーの生産ができなくなって、世の中からなくなるらしいんだけどさ、そっちはトイレットペーパーのストックってどのくらい置いてある?」

「そうねぇ、いつも一パック買って無くなりそうになったら買うぐらいかしら。がさばって邪魔だもん」

「静岡あたりの地震はさ、一番可能性の高い地震だからさ、少し多めに買っておいた方がいいよ」

「何言ってんのよ、あんたは昔っからそうだけど、ほんとに心配性だねぇ。そんなの無くなったら薬局に並べばいいんでしょ。年寄りには時間がたっぷりあるんだから、全然問題ないわよ」

「そんなこと言ってマスクが手に入らなかった時、ストックがあったら送ってくれって言ってたの誰だよ」

「あんなこと滅多に起きるもんじゃないでしょうよ。だいたいトイレットペーパーなんてもんは、無きゃ無いで、昔は新聞紙で拭いていたんだから。大したことないわよ。今から韓流ドラマ見るんだから切るわよ」

 とっとと切られた。新聞紙っていつの時代のことだよ。昔のぽっとん便所じゃなくて、今は水洗トイレだぜ。どうやって使った新聞紙流すんだよ。まあ何を言っても仕方がないか。放っておこう。


 両親のところは諦めるとして、妹に連絡を取ってみることにする。

「久しぶりじゃん。どうしたの?」

「テレビでやってたんだけど、南海トラフで地震があると静岡が津波にあって、トイレットペーパーの生産が出来なくなるらしいんだ。家にストックを多めに買っておいた方がいいらしいんだけど、お前んとこはさ、どの位買ってある?」

「お兄ちゃんさー、ウチ狭いの知ってるでしょうよ。あんなに場所取る物置いておく訳ないじゃん」

「でもさ、トイレットペーパー無くなると相当ヤバいことになるぞ。ストック多めに置いといた方がいいよ」

「まあ大丈夫よ、もし無くなったらお兄ちゃんに送ってもらうから宜しくね」


 昔からずっとこうだ。この家族になぜ私のような心配性な人間が混ざっているのか、全くもって意味不明だ。私を除く家族全員がケセラセラで生きている。一体私は誰に似たのだろうか。

 家族旅行に出かけるときは、いつも自分一人だけ大きな荷物を持って行った。病気になった時の薬だの、重い土産を買った時に取っ手が食い込まないようにするグリップだの、割れ物を買った時に巻き付けるプチプチだの、なんだのかんだの・・・。もちろん持って行った物が役に立ったこともあったけれど、ほとんどの場合は、私以外の家族の誰かが必要になるだけである。悲しいことに、逆に持っていないと、準備していないことを皆からなじられるのである。


 前にSARSや新型インフルエンザが流行した時は、自宅のマスクの備蓄がギリギリまで減ってしまったので、それ以降は相当量のマスクを常に備蓄していた。だから新型コロナが流行して、日本からマスクが無くなってしまった時も、自分自身はマスクに困ることはなかったのだ。ただ、散々警告していたのに、ストックを持たない両親と妹からは、再三の催促の電話があって、仕方なく送ってやることになってしまった。

 家族旅行の時と全く同じだ。陶器市に行くのだからパッキングできる物を持って行った方が良いよと言っても、彼らは何も準備することはなく、現地でいざ必要となったときは、いつも私の持っている物を、当然のことのように分捕っていく。この悪循環は永遠に続いていくのだろう。家族の中に一人だけ異分子がいると、一生苦労することになる。


「南海トラフでの大規模な地震は、今後三十年以内に発生する確率が、七十から八十パーセントと言われています」

 テレビの情報番組は、気象庁のお役所文章をそのまま伝えることしかしない。こんな言い方じゃほとんどの人には伝わらない。皆三十年先は、やばいんだろうけど、今日明日の話じゃないんでしょ、としかとらえない。

 確かに実際には十年以内の確率は、三十パーセント程度だと言われている訳で、皆が思っていることは、当たらずとも遠からずだと言えなくもない。

 ただ地球にとって三十年なんて一瞬のことだ。三十年後も今日も同様に危険だということがわかっていない。だいたい南海トラフ地震が、三十年以内に起こると言われてから、既に十年以上経っているはずだ。多分番組ディレクターも良く分かっていないんだろうな。他のエリアの地震予測の多くの発生確率が、多くてもわずか数パーセントと言われている中で、南海トラフ地震の十年以内の確率三十パーセントというのは、異様に高い数字なのだ。


 まあ皆が地震発生予測に対して、軽く考えるのも仕方ない部分はある。日本の地震予測なんてものは、関東大震災六十九年周期説とか言いながら全く起こらなかったり、三十から四十年おきに同程度の地震を繰り返す宮城県沖地震が、想定外の大きさになってしまったり、ほとんどの予測がオオカミ少年状態で、警告していることが正確に当たったことは、一度もないと言って良いだろう。これから三十年間危険だと言われても、南海トラフ観測は全国で一番充実していると言われても、どうせ当たらないさと、警告に聞く耳を持たない人が多いのは、ある意味当然で仕方のないことかもしれない。

 朝の天気予報で『今日の降水確率は七十パーセントです』と言われたら、大多数の人は傘を持っていくはずなのに、全く同じ確率であっても、大地震の予測だとそれに備えようという人はほとんどいないのである。


 過去において、正確に行うことができなかった地震予測であったが、少しずつ状況は変わってきているようでもある。地震学者たちは、東日本大震災を予測できなかったことを相当に悔やんでいるようで、何とか次の大地震こそは予測するぞと、必死になって研究を行っているようだ。

 テレビで地震予測についての番組を見たが、自分の考えが全く間違った方向だった学者たちや、大地震の兆候かもしれないデータを掴んでいながらも、検討する前に大地震が起こってしまったと悔やむ研究者たちが、インタビューに答えていた。地震を研究している様々な人々が、想定外だったと言うような状況はもう作りたくない、とにかく次の大地震までには間に合わせたいと、地震の前兆現象について必死になって研究している。

 日本では、独自の衛星を打ち上げて、GPSの精度が飛躍的に上がったと聞いたことがある。その精度の高いGPSを使って、日本列島の歪みを、詳細に観測するようなこともしているようだ。まるで人体内部をスキャニングして病巣を発見する医者の様だ。

 地震計の設置も予算を増やして、網羅するエリア・台数共に、危険なエリアを中心に増やしているらしい。飛躍的に演算処理能力の上がったスーパーコンピュータも活用している。もしかすると次の南海地震は、正確な予知が可能になってくるのかもしれない。期待はしたい。


 東京に住んでいる私にとっては、大地震に対する備えは、非常に大事な問題である。東京という場所は、近県から会社や学校に来る人たちによって、昼間人口は住んでいる人の百五十パーセントにもなるエリアである。昼の間に大災害が起こったら、水や食料など最低限の生活に必要なすべての物が取り合いになる。インバウンドも毎年増加していて、外国人観光客だって相当数都内にいるはずだ。もちろん自治体や各企業は、そういう事態に備えて備蓄品を備えてはいるが微々たるものだし、結構チェック体制が甘くて期限切れの商品を平気で備蓄していたりすることも多いのだ。

 だから自宅には、ミネラルウォーターやカップ麺・乾麺やレトルトカレーなど、一ヶ月近くは生きていくのに必要な物は、常に常備している。都内では、救援物資が手元に届くことなんて期待しては駄目に決まっているのだ。そういう物資にありつけた人はただラッキーなだけだ。政治家の一部が言っている通り、公助ではなく自助だ。

 ただ人間が生きていくために必要な飲料水が、一日最低二から三リットルだと言われているのは知っているが、自宅に一ヶ月分ぐらいをストックするのは、スペース的には限界がある。一般的な住宅の床は、設計上一平米あたり百八十キログラム位までが限界だ。だから二リットルのペットボトルが九本入ったダンボールを、三段重ねてストックするみたいなことは重量的にできない。床が凹む。かといって沢山の段ボールを重ねずに置いたら、部屋が狭くなって仕方がない。飲料水に関して余裕のあるストックは、一軒家で広い倉庫を持っている以外は、普通の部屋なんかでは無理なのだ。足りない分は流石に給水車頼りになる。だから折りたためるバケツやポリタンクなんかも用意して、万が一に備えている。


 災害用の食品備蓄として、乾パンなんかを買っている人が周りにも結構いるが、『この間大きな地震があったから、家に置いてある乾パン確認してみたんだけど、びっくりすることに賞味期限が二年も過ぎていたんだ。勿体ないけど捨てちゃったよ』、『そもそも乾パンなんて美味しくもないから無理して食べたくもないしね』なんて言っている。

 このような備蓄の仕方は、一番やってはいけない食品備蓄の方法である。乾パンの味が大好きで、前歯がこれ以上伸びないようにガリガリしたい、げっ歯目のような人がいるとしたら別だが。

 望ましい備蓄とは、日頃から食べている物の中で、保存期間の長い商品を、少し多めにストックしておくことである。その中で期限が近い物から順次食べて、消費した分は新たに補充する。ローリングストックと言うらしい。賞味期限に多少の注意は必要になるが、日頃から食べている口に合っている物を、多めにストックしているだけだから、非常時だっていつもと同じに問題なく食べていける物ばかりだ。スーパーのセールの時や、ネットで割引率の高くなるまとめ買いなんかを利用してストックしておけば、割安に備蓄しておくことができる。

 日頃まったく食べない乾パンみたいな物を、ストックしたことも忘れてしまい、結局賞味期限が過ぎてしまったのに気付いて、そのまま開封もせず廃棄するなんて無駄なことをしてしまうこともなくなる。

 世の中では、フリーズドライの製品なんかは、災害用備蓄として度々取り上げられている。日本のフリーズドライ技術は、最近の進歩が物凄く、カレーだの親子丼の具だのと、種類が大幅に増えている。確かに味噌汁なんかは、弁当を食べるときにさっと作れるし、自分が作った物と遜色ない物だから、多少は在庫しているし、ローリングストックとしても問題ない商品といえる。ただおかず類のフリーズドライは、買って試したことはあるけれど、価格はまだまだ高い物ばかりだし、味もまだまだという製品が多く、定期的に食べていく物としては採用したくない。だいたい災害があった時に、被災をして大きいストレスを抱え、やりたいことも出来ず、楽しみと言えば食事ぐらいしかない時に、今一つな物など食べたくはない。被災時の食事は単なるカロリー摂取であってはいけない。食事は重要な娯楽の一つだ。


 自分が常備している食品で一番多くストックしているのは乾燥パスタだ。以前は腹持ちが良いから、米を多くストックしていたのだが、災害で電気・ガスが止まってしまった場合に、ご飯を炊かなければならないのは非常に面倒なことだ。バーベキューコンロを使って炊くことはできるけれど、焦げないように何十分も傍に居て見張るなんてことは、部屋の後片付けなどやることだらけの被災時に勿体ない時間の使い方だ。

 そもそも米は鮮度品だと言っている人がいる通り、精米した傍から劣化が始まる。新米と古米があったら、当然新米を選ぶ。古米とは一年前に収穫した物である。たった一年前だ。そういう意味では、賞味期限が六ヶ月とか一年とかである食品ということになる。

 乾燥パスタも同じような物だと思われがちだが、賞味期限は三年位ある。また警視庁が公式に調理法を取り上げているのは、パスタを水に漬けておき、調理用の水の量も、ゆでる時間も削減する方法で、災害時の便利な食材だということを知った。登山をする人たちが良く使っている方法らしい。装備も時間も節約したい人たちが行う方法だから、信頼できるやり方なのだろう。

 乾燥パスタを常備品にしたから、最初はレトルトのパスタソースを多くストックしていた。味の種類も多いから、毎日食べていても飽きもこないし。ただある時思ったのは、パスタソースは、賞味期限がそこそこ短い。大体一年程度だ。もちろんパスタ料理は好きだから、一ヶ月に二回食べるとして、二十個を在庫しても期限が切れることはない。だから別段問題のないことかもしれないが、もう少し期限の長い物もあった方が良いなと探していたところ、レトルトカレーは賞味期限が二年以上ある物が多く、思った以上に種類が増えていることに気が付いた。パスタソースと同じような内容物だと思うのだけれど、なぜかカレーの方の期限が大幅に長い。なので、ある時からレトルトパスタソースのストックは少なめにして、レトルトカレーに置き換えていった。カレーパスタでも全く問題はないし、災害でストレスが大きいときに、カレーのスパイシーな香りは、心を落ち着けてくれる安定剤のようなものだ。


 最近はフェーズフリーという言葉があるようだ。フェーズとは、段階とか局面というような意味だ。つまり、もはや日常時と非常時の区別なく、日常時から非常時を考えた物で身の回りの物を揃え、非常時であっても変わらない日常を過ごすというような意味を持っているのだろう。まあ、理論的にわからないではないが、実際にやろうと思ったら、日常が不便極まりない物になってしまう気がして仕方ない。例えばフライパンを日頃からキャンプ用の物を使うとしたら、取っ手を握るのに、耐熱の手袋かペンチが必要になりそうだし、カセットコンロをやめてコンパクトなシングルバーナーにしたら、煮え切った鍋をひっくり返しそうだ。


 兎にも角にも、東海地震が発生するとトイレットペーパーがなくなるというのは、全く知らない情報であった。

 水や食料とかは、災害が起きたとしても問題ないように充分なストックをしているし、もちろんティッシュペーパーやトイレットペーパー、食品用ラップ、ゴミ袋など日用品類も多めの在庫をしている。ただし、工場が被災して当分の間トイレットペーパーの供給がストップするというのは、全く気が付かなかった点であった。

 当然のことと思うが、災害の備えを調べるには、区役所や警察庁・消防庁といった、災害に関連のありそうなホームページを検索する訳で、経済産業省のページを調べに行くなんて想像すらできない。経済産業省が、他の省庁の関連したページに、トイレットペーパーについての追加の記載をお願いするだけでも、国民への周知度は少し上がると思うのだけれど、縦割り行政の壁というのは、そんなにも強固なものなのだろう。


 早速トイレットペーパーのストック量は、どの程度が適正なのかを計算してみることにした。

『取りあえず自分が使っている量で計算をしてみるか』

 私が日頃使っている量は、一回大体九十センチ弱だ。以前はもっと多く使っていて、きちんと正方形にたたむように百五十センチ位は使っていたと思う。

 ある日トイレで用を足している時にふと思った。

『温水洗浄便座になったのに、なかった時と同じ拭き方で良いのだろうか』と。

 温水洗浄便座がなかった時にトイレットペーパーを使用する目的は、汚れを拭きとる事であった。つまり汚れを拭き取るためには、お尻に密着させた状態で、数センチだけスライドさせなければならないから、手を汚さないように、一定の大きさが必要となる。しかし、温水洗浄便座を使うようになってからは、使用目的は濡れたところの水を吸収させることである。スライドさせる必要はない。トイレットペーパーを押しつけて、水分を吸収させればよいのである。だから大きさより厚みが必要となるのでは? と気が付いた。今までの正方形を、更に三角に折って使えば良いのではと思い試してみた。実際は両手を使って捻るようにクルっと指先に巻き付けて、三角っぽくするだけだが。そうしてみると面積が半分に、厚さは今までの二倍になる。そこまでの厚みは必要なかろうと、少しずつ量を減らしていき、今の九十センチ程度に落ち着いたのだ。気が付くまで結構無駄にしていたことが残念だ。

 トイレには一日に三回行くとして、一ヶ月の使用量は、九十センチ×三回×三十日で約八十メートルだ。自分用のストックは、何ヶ月分ストックするかを決めれば確定するが、どうせまた母親や妹から、ストックがあったら送ってほしいと懇願されるに決まっている。ストックは両親の分と妹家族の分も計算しておかなければならない。 

 彼らはどの位使うのだろうか。トイレで一回どの位使うのかを母親や妹に聞くことには、さすがに躊躇いがある。こういうことは肉親程かえって聞きにくいものだ。ネットで平均の使用量がどの程度なのかを検索してみることにする。

『このデータは一センチ単位まで算定しているな、正確そうだけどいったいどんなデータだろうか』

 早速ヒットした頁を見てみる。

『なんだ、サンプルが数十か。しかも温水洗浄便座を使ってないな』

 あまり参考にならない。他を検索する。

『この頁は全国で使われたトイレットペーパ―の重量合計を、人口で割って一人当たりの重量から長さを計算しているな。参考にはなるけれど、家庭で使う量の計算にはなっていないな』

 色々とヒットはするのだが、前提条件が記載されていなかったりして、自分が必要としているデータはなかなか見つからない。例えば温水洗浄便座の使用ありなしによって、トイレットペーパーの使用量は異なるだろうが、その記載がなければ、前提条件としては使えない。温水洗浄便座の普及率は、全国の二人以上の世帯で八十パーセント程度らしいが、単身世帯率が四十パーセント程度もある日本で、二人以上の世帯のデータを言われてもあまり意味はない。単身世帯用の賃貸物件なんかは、安い方が人気だろうから、余計な設備はついていないとも思えるし、今時は温水洗浄便座ぐらい付いていて当たり前だと考えられなくもない。

 インターネットが普及してからは、何か調べたいときに、データを簡単に見つけることはできるようになったが、本当に必要としている前提条件のデータなのかどうかが不明なものが乱立している。

 取りあえず使えそうなデータはいくつか見つけた。男性二人、女性二人の四人家族の場合は、一ヶ月で十六ロールが必要だとなっている。また女性は男性の四倍近く使っているとのこと。あちらこちらに記載があるから、まあある程度は根拠ある数字なのだろう。ただこういうデータはあくまでもベースとして使用するデータであり、必要な計算はそこから係数を掛けたり割ったりして、データを加工しなければならない。  

 十六ロールというのは、平時の四人家族での使用量だ。普通四人家族だったら、夫は会社に、子供二人は学校に、主婦もアルバイトに行ったり、習い事や友人と会ったり、外出の機会も多いことだろう。

 トイレットペーパーが世の中から無くなった世界では、会社にも学校にも諸々の施設にも、トイレットペーパーはなくなってしまうのだ。毎日二十四時間四人全員が、自宅でトイレを使うのだ。常識的に考えれば、平時の最低二倍の量が必要となってくるだろう。

 南海トラフでの地震だから、東京での可能性は低いかもしれないが、断水や停電することだって否定はできない。温水洗浄便座が使えなければ、トイレットペーパーの使用量は三倍四倍に膨れていくだろう。平時の使用量だけで算定していては、いざというとき絶対に足りなくなる。ネットで検索したデータを鵜呑みにしていると、いざというときに厳しい状況となってしまう。

 業界のホームページには、『災害発生時には、輸入の増加やトイレに流せるティッシュペーパーの生産、キッチンペーパー製造からトイレットペーパー製造への切り替えなどで対応しても、一ヶ月程度は供給不足が続くことが予想されている』と掲載されている。

 この内容を信じて、供給状況が一ヶ月で改善するのを前提としてよいのだろうか。酷い被害を受けたら、工場の再稼働も流通も元に戻るまで三ヶ月位はかかることになるのではないだろうか。当然のことだが、買い占めも起こってくるだろう。マスクの時に経験済みだ。


 そもそもあんなに軽くて安い商品をどうやって流通させているのだろう。静岡生産の製品がなくなった時は、当然他のエリアから製品を持ってくることになるから、物流がどうなっているのかを知っておくのは大事だ。疑問に思ったので、ちょいと計算をしてみることにした。

 ネットで十トン車のサイズからトイレットペーパーのサイズまで、色々調べて算定してみると、十二ロール入りが六個入った段ボールで、二百五十ケース位が一度に運べる量だ。ざっと売価で六十万円、重さで二トン強だ。十トン車にわずか二トンの積載だ。

 商品の売価に占める物流コストは、一般的に五パーセント程度と言われている。更に物流コストの中で輸送費はその半分位だから、六十万円の商品を輸送しようと思ったら、一万五千円位だ。更に更に大型トラックが運び入れるのは物流倉庫までだから、各店舗への配送に必要な輸送費も別途掛かるはずだ。すべてを計算すると、静岡東京間の輸送費は、一万円そこそこになってしまう。あり得ない数字だ。きっともっと重量のある商品なんかと混載にしたり、諸々工夫を凝らして輸送しているのだろう。

 製造ラインが復旧し、東京に向かって大型トラック軍団が、トイレットペーパーを大量に積んで、ガンガンと来るようになったら、どこの店舗でも必要な時に必要な分を、購入することはできるようになるのだろうが、トイレットペーパー優先の物流では、コストが非常に跳ね上がり、以前の価格より相当高い金額での販売が続くのだろう。それでもしばらくは即完売という状況になるのではないか。

 トイレットペーパーの無くなった状況を想像すると、現状の価格で好きなだけ購入できる状態に回復するまでには、半年位かかるだろう。マスクが無くなった時もそんな感じだった。まあ、マスクは海外生産が主流だったから、同じではないかもしれないが。取りあえず安全を見て、六ヶ月分のストックが必要だな。心配性の人間がこういう計算をするときは、あれもこれもと条件が増えていき、数字がどんどんどんどん膨れ上がっていく。

 人と待ち合わせをする時は、もし信号の待ち時間が長かったら、もし乗り換える時に階段が混んでいてダラダラとしか歩けなかったら、もし忘れ物捜索で電車がちょっと止まったら、そんな不安な要素を諸々計算していくと、出発時間がどんどん前倒しになって、結局待ち合わせの二十分前に着いてしまうことになる。改めて誰に似たのだろうかと考えてしまう。

 断水や停電が発生して温水洗浄便座が使えない時は三倍ぐらい使うことになるだろうが、東京であればそれほど長い期間になることはないだろう。最大一ヶ月程度と考えれば、自分の分として、最初の一ヶ月で二百四十メートル、残りの五ヶ月で四百メートルが必要量だ。使用しているトイレットペーパーは六十メートル巻だから、六ヶ月分で十一ロールをストックしておけば良いことになる。思っていたより多くないな。真剣に考えるほどではなかった。大体の商品は一パック十二ロール入っているから、普通にストックしておけば問題ない量だ。経済産業省の推奨は、女性や家族のいる世帯に対しては、もっともっとアピールが必要だけれど、男性の単身世帯に関してはあまり関係のないことだな。

 さて問題は私の分以外の計算だ。まああいつらの性格からして、雑にグルグル手に巻いて使っているのだろうから、平均より多めに使っているということで計算しよう。私の使っている長さの一・五倍で計算しよう。これならネットで見た平均のちょっと多めの数字になる。自分の分は六ヶ月分で計算したけれど、彼らの分は三ヶ月分位で良いだろう。予め忠告はしたのだから。

 親父の分は最初の一ヶ月で二百四十メートルと後二ヶ月分百六十メートルの一・五倍で六百メートル、十ロールだな。お袋の分はその四倍だから四十ロールか。妹家族四人分はその倍だから百ロール、自分の分も入れると合計で百六十ロールちょっとか。十三パックのストックとなると結構邪魔な感じになりそうだ。自分の必要量の十倍をストックするのは大変バカらしい行為だけれど、五千円弱で、毎日の催促電話から解放されることを考えれば安いものだと考えるしかない。

 私が使っているトイレットペーパーは、以前近所のスーパーでも販売していた商品だったが、最近はちょっと遠くのドラッグストアにしか置いていないので、メーカーのオンラインショップで箱買いしている。一箱十二ロール入り六パックで幅六十四センチ、奥行き四十二センチ、高さ四十六センチだ。二箱購入して十二パックをストックすると、ちょっとじゃまだな。自分用ならば仕方ないが、自分用じゃない物が大半なのに、そのストックのために、部屋が狭く感じられるのも嫌だ。

 もう少しコンパクトな物はないのかと、他の商品のサイズを確認するのにアマゾンで検索していると、商品名にロングとか二倍巻きといった名称が付いている商品が多くあった。

『最近はこういうのがトレンドなのか、知らなかった』

 昔から食品や日用品は、気に入った商品があれば、それをずっと使い続けている。トイレットペーパーも以前たまたま買ってみた、消臭効果のある緑茶成分が入っている商品を気に入ってずっと使っていたので、他の商品のことをほとんど知らなかった。早速細かく調べてみる。

 ウェブで検索してみると一番長そうなのは六倍巻というすごい商品があったが、一般的なロールよりは、かなり太く巻いている商品で、自宅のトイレットペーパーホルダーには入らない大きさの商品だ。両親と妹用には、在庫スペース削減になるし、これでも良いかと一瞬思ったが、こういう変わった商品を送り付けると、あの人たちは、送ってもらったことに対する感謝などは一切なく、使いづらいとか送り返すから普通のを送ってくれとか騒ぎまくるに決まっている。やはり変わったことはやめておこう。

 早速ドラッグストアに行って商品を見てみることにする。商品棚をぐるっと眺めてみると、知らない間にこんなにも商品が変わっているのかと驚く。一・五倍巻き、二倍巻き、三倍巻き、ネットでも見つけた六倍巻きと多種多様だ。昔から販売されているなんとなく知っていた商品は、端っこに追いやられていた。考えてみれば、輸送も在庫もこういったロング巻き製品の方が明らかに効率は良い。当たり前の流れだな。知らなかった自分がちょっとだけ恥ずかしくなった。

 自宅にストックを多くする時の注意点としては、すべてを同じ商品にすることである。同じ六ロール入りとか十二ロール入りとかでもメーカーやブランドによって若干ではあるがサイズが異なったりしている。サイズの異なる商品を重ねてストックしておくことは、見栄えも悪いし、バランスが取れずに崩れてくることもある。また特殊な商品だと、メーカーが製造を中止してしまったり、取り扱い店舗が少なくなって手に入れることが難しくなり、ローリングストックする商品としては適正でない。

 一店舗だけ見ても、ここのチェーンの調達担当がたまたま一つのメーカーに強くて、大量の仕入れをしている場合もあるので、もう一店舗覗いた上で、どちらの店舗にも大量に置いてある、誰でも知っている大手メーカーの商品に決めてテスト用に購入してみた。

 買ったのは二倍巻きという商品だ。三倍巻きは残念ながらシングルの商品がなかった。 

 一般的にトイレットペーパーの表面は、エンボス加工という多少凸凹とした加工がされていて、ふんわりした肌触りになっている。昔の商品より二倍とか巻いてあるのにサイズがほとんど変わらないのは、凸凹が潰れて使用感が悪いのではないかという心配があったので、大量に買ってから後悔するよりは、一度試してみて間違いのない銘柄を確定して買おうと思った。

 今まで使っていた物と二倍巻きとの直径の差は、わずかに二センチ大きくなるだけだ。メーカーによると、多少隙間が空いていた巻きを、精度高くきつく巻くことにより、あまり大きくならずに巻いているという。長さが二倍で重さがほぼ二倍だから、同じ長さに使っているパルプの量は同じということになる。ぱっと見て少し薄い感じはするが、仮に薄いとしてもパルプ量が同じということは、その分使用感がかたいのかもしれない。

 自宅のトイレにはペーパーホルダーが二個ついているので、使いかけのトイレットペーパーを一個外して、二倍巻きを設置して使用感を比較してみることにした。

 使用した感じはやはり薄い感じがしないでもない。ただ表面はエンボス加工されているから、フワフワ感はあまり変わらない。特にかたいとは感じない。仮に多少薄くてもパルプの量は同じだから破けやすいとかもなさそうだし、これに決めて問題なさそうだ。

 在庫スペースを考えても二倍巻きが良さそうだ。一・五倍巻きという商品もあったが、八ロール入りだから二個×二列×二段という形で包装されている。ストックする時の奥行きが今まで買っていた商品と変わらない。二倍巻きの方は六ロール入りなので、奥行きが今までの約半分で済む。

 物を在庫するときに邪魔と感じるのは床面積を取ることだ。床に物を置くと、その上の空間は空いているということになり、無駄なスペースとなってしまう。だからストックする物はなるべく薄くて上に積み上げられる物が良い。かといってトイレットペーパーを袋から出して剥き出しにしてストックするのは、長期間の在庫になるとクモやダニの巣になってしまいそうで嫌だ。

 今までの商品で計算したストック量が百六十一ロールだから、この商品だと八十一ロールで済む。六ロール入りの商品だから十四パックの在庫になる。幅で約五十センチ、高さ二メートルちょっと、奥行きは十センチちょっとだ。文庫棚が一個増えたと思えば邪魔にはならない。よしこれに決めよう。

 ストックする棚もこの程度なら、床と天井に突っ張り棒形式の棚があるから、安い物で済みそうだ。

 アマゾンでポチッとして・・・。

 




 発災当日


 緊急地震速報がけたたましく鳴った。

 エリアから見て東海地震だ。すぐに東京にも揺れが来た。相当大きい。棚から物が落ちてくる。東日本大震災の時よりも、揺れが大きく感じる。揺れが長く続く。長周期地震動なのだろうか、それとも東日本大震災のように、複数の震源が立て続けに破壊されているのだろうか。全然収まりそうな気配がなく、部屋が大きく揺れ続けている。

 二分近く続いた揺れは、ようやく収まってきたように感じるが、これだけ長く体が揺れ続けていると、揺れがまだ続いているのか、自分自身が揺れているのかわからなくなる。テレビの中では、アナウンサーがヘルメットを頭に被って、必死に地震から身を守る行動を取るように注意を呼びかけ続けている。東京二十三区の最大震度は速報で震度五強だ。東京都下では震度六弱のエリアもあるみたいだ。

 東日本大震災の震源は、東京から三百キロ程の距離があったが、静岡辺りからだと二百キロを切るぐらいか。距離が近いのに震度が同じ程度だから、想定されていたマグニチュード九クラスの巨大な地震が起こったわけではなさそうだ。

 静岡は震源に一番近いから震度七の地域があったようだ。大津波警報も出されている。最大で十メートルの大津波がくる予測だ。

 取りあえず自宅のライフラインを確かめてみる。テレビはついたままだから、電気は消えていない。蛇口を急いでひねって断水かどうかを確かめてみる。普段通り勢いよく水は出る。しかし考えてみたら、水道管に水が残っているのだから、断水になったとしても、すぐに水が出なくなるわけではない。少し動揺しているのかもしれない。念のため風呂場に行き、風呂桶にいつもより多めに水を溜めておく。水は出続けているから上水道に問題はないようだ。台所に戻ってコンロを付けてみたけれど火は付かない。残念ながら都市ガスは止まっているようだ。東京二十三区は震度五強だったから、ガスのマイコンメーターの安全装置が作動して、供給が遮断されているのだろう。急いで外に出てメーターの安全装置を復帰させ、急いで部屋へと戻る。再びコンロをひねってみるが、残念ながらガスは供給されていない。恐らく自宅周辺は、都市ガスが供給停止になっているようだ。窓から外を見渡して周辺の状況を確認してみたが、建物が崩れているような大きな被害は出ていないようなので、ガスはすぐに復旧するだろう。


 身の回りに大きな問題はないので、急ぎ外に出て自転車に乗り、近所のドラッグストアを目指す。地震の直後に混むのはスーパーやコンビニのはずだ。まず皆が最初に考えるのは、水や食料の調達だろう。だからまだ混んでいないはずのドラッグストアを目指す。

 今向かっているところは、大手チェーンだが駐車場が三台分しかなく、がさばる物を買う人はあまり来ない店だ。私の目的はただ一つ、トイレットペーパーを買うことだ。水や食料などは自宅に十分ストックしてある。トイレットペーパーも十分にストックしてあるが、一番発生して欲しくない東海地震が起きた以上、手に入るなら一個でも多くストックしておきたい。現時点で、静岡の製紙工場の被災状況がわからない以上、どのくらいの期間トイレットペーパーが不足するのかは未知の状況だ。トイレットペーパーを購入するのに、ドラッグストアを狙うのは間違っていないはずだ。

 三分ダッシュで着いたドラッグストアは、通常の平日昼間よりは自転車の数が多いように感じたけれど、予想通り外に並ぶ程ではない。早速店内に入り一目散にトイレットペーパーを両手にぶら下げ、レジに並ぶ。流石にレジ前には長蛇の列だ。

『まさかトイレットペーパーが無くなることは、国民に周知徹底されているのか? 俺だけが最近知ったのか?』思わず自分を疑う。

 いや絶対にそんなことはない。あの経済産業省の告知が、世の中に浸透している訳がない。皆自転車に積めるだけの食料を買うことに頭がいっぱいなだけだ。レジ待ちの人が何を買っているのか、周りの人のカゴを覗き込む。安心した。皆が買っている物は、水・牛乳・カップ麺・チンするご飯・レトルト商品だ。若いお母さんは、両手におむつを抱えている。トイレットペーパーを買う人はほとんどいない。やっぱり皆知らないな。ちょっとだけ優越感に浸る。

 レジを済ませ、両手にトイレットペーパーをぶら下げたまま自転車に乗る。本来ハンドルを握る手に、荷物を持って自転車に乗るのは、ハンドル操作を誤りやすく非常に危険な行為だが、持っているのがめちゃくちゃ軽いトイレットペーパーだから、ハンドルを取られるような不安は全くない。ただし現在世の中は、救急車が全車出払い、搬送先の病院も見つからない可能性のある状態の時だ。万が一にもバランスを崩してけがをするわけにもいかないので、ゆっくりと慎重に自宅へと向かう。

 家に戻り直ぐにテレビをつけ、パソコンもスリープを解除する。

 静岡エリアでの地震に関しての被害状況は、クルーがなかなか向かえないのか、現場からの映像はなく、アナウンサーがニュース原稿を読み上げるだけだ。最近のテレビ局は、視聴者からの動画投稿を受け付けている窓口があるから、もう間もなくそういった映像を流してくれるだろう。早く製紙工場近辺の情報が知りたいとジリジリする。

 震源近くのニュースが、なかなか増えてこない。仕方ない、他のことをしよう。ネットで、トイレットペーパーの販売状況を調べてみることにする。既に売り切れだらけだ。仮に国民のたった一パーセントがトイレットペーパー不足になることを知っていたとして、その十パーセントがネットで物を買うと仮定すると、それだけでも十三万人がトイレットペーパーを一斉に買うことになる。売り切れるのも当然だろう。転バイヤーたちも既に動いているはずだ。

 SNSを見てみると、トイレットペーパーがないという書き込みが急に増えだした。地震とは関係なく、普通にストックがなくなった人が、いつものようにネットで買おうとしたらどこにも売っていないので、『どこのサイトも売り切れなんだけど、何かあった?』などとのんきな書き込みをしている。その発言にマウントを取りたい人が、一斉にトイレットペーパー生産数量が多い静岡が被災したことを書き込み始めたのだ。一つの話題が増加しだすと、今度は逆マウントを取ろうとする人が出てくる。

『コロナが流行った時も、デマ情報でトイレットペーパーがなくなったじゃん、みんな学習してないな、デマだよ』と。

 いやー残念。学習してないのはあなたの方だ。ちょっとしたマウント取って気分は良いだろう。けれども事実を知らないことで、これからずっとトイレで苦労するのはあなたの方なのだから。

 SNSを見た人、SNSを見た家族からメールを送られてきた人が、一斉に近所の店にトイレットペーパーを買いに走っているはずだ。タッチの差だった。直ぐに買いに走って良かった。ギリギリセーフ。

 しかしこれだけストックしている私のような人間が、トイレットペーパーを取り急ぎ買い込むなんてことは、非常に恥ずべき行為なのだろう。私の買った二パックで世の中のどこかにいる二家族は、この後トイレで苦労することになるのだから。ただ私にも買う理由がある。一八五四年の安政東海地震が起こった時は、二日後に安政南海地震が時間差で起こった。四国あたりにも製紙会社があるはずなので、もし今回の地震がこれで終わりにならなければ、トイレットペーパーを作る拠点がまた減ってしまうことになる。経済産業省の呼びかけがどの程度のところまでを前提にしているのかわからない以上、念には念を入れたストックが必要なのだ。


 日頃の生活の中で、ベビーカーを押しているお母さんにエレベーターを譲り、駐輪場で将棋倒しになった自転車を周りの人と一緒に片付け、道に迷っている外国人と目的の場所まで一緒に行ってあげ、日々少しずつ徳を増やしてきた。前に見たドラマの中では、そうやって徳を貯めておいて、ここ一番の時にその積んだ徳を使うんだと言っていたシーンがあった。ここ一番の時に貯めた徳を使うことが出来るとは思っていないが、日々徳を積んでおけば、何か悪いことが身に降りかかった時に、回避できるのではないかとは思っている。

 以前首都高速道路を走っていた時に、右の車線にいた大きなカーキャリアトラックが、前方の渋滞に気づくのが遅れたのか、渋滞の最後尾に突っ込みそうになり、衝突を回避するために、いきなり急ハンドルで左車線の私の前に突っ込んできたことがあった。その時は、こちらもブレーキが間に合い、ギリギリで衝突しなくて済んだ。地下鉄の階段を下っていた時、後ろの方からバランスを崩して降ってきた女性に、体当たりされて一気に階段五段飛びして踊り場に着地した時は、オリンピックの体操選手のように、微動だにしない十点満点の着地をすることができた。そういったときに日頃貯めていた徳が生きたなと感じていた。しかしそれは違っていた。今回のことでわかった。人間として何となく後ろめたいことをする時に、エクスキューズの為に徳を使うのだ。私は日頃から徳を積んでいるのだから、こんなことぐらい許してと。


 静岡の状況は未だ細かくはわからない。地震から三十分は経っているので、既に津波が到達してもおかしくない時間になっている。南海トラフ地震は、震源が陸地から近いため、地震から短時間で津波が到達するような記事を読んだ記憶がある。このままニュースをジッと見続ける。

 気象庁が出す大津波警報は、三段階に分かれており、十メートル超、十メートル、五メートルと数値で発表される。大津波警報の十メートルという予測は、五メートルを超える十メートル以下の津波ということだ。気象庁は東日本大震災以降、科学的というよりは最大限の危険を前提に、多少大きめに警報を発出しているような気がする。台風・大雨・津波、諸々の災害が迫っている時に、すべてにおいて気象庁発表の最大ナントカという予測は、実際起きてみるといつも下回っている傾向があるように感じる。今回の地震の規模からいって、最大でも五メートルを超えるか超えないか程度だろう。震源のマグニチュードからすると、大津波警報の中では一番低い三メートルから五メートルの範囲のもののような気もするが、やはり少し大きめの予測にしているのだろう。まあ、現在出ている予測だとしてもギリギリセーフか越水しても少しの量で済みそうだ。十メートル近い津波はないはずだ。

 以前に静岡の製紙工場がどんな立地のところにあるのかを、ウェブのマップで探しているときに、ついでに海岸線も見てみたことがある。ウェブで見れるマップは道路から撮影したデータだけだから、海岸線から道路が離れているところは見ることができないが、確認することができる部分の防波堤は、高さ五メートル位の大きなものがずっと続いているように見えた。港の防潮堤はどうなっているのだろうか。以前気になっていた記事が一つあった。それは清水港の防潮堤が予算の関係で進んでいないとのものだった。海岸線に防波堤が出来ていても、港から入ってしまえば街は水没してしまう。『清水港、防潮堤』で調べてみると清水港の防潮堤に予算が付き、漸く工事が始まるという記事を見つけた。

『田子の浦港はどうなのだろう』

 製紙工場が多いエリアに近い港は田子の浦港だ。『田子の浦港、防潮堤』で急ぎ調べてみる。見つけた記事によると、田子の浦港の防潮堤は、計画された時から見積もり金額がどんどんと高額になってしまい、予算計上ができないため、防潮堤を設置することができなかった。結局防災ではなく減災に切り替えたとある。

『まずいな、津波が街に入ってくる前提だな』

 記事には残念ながら日付が載っていないため、見つけたこの情報は古い情報なのかもしれない。清水港の防潮堤のように、後になって予算がついているかもしれない。こういう時は、行政のホームページで調べるのが、一番新しい情報を得られる。田子の浦港は何市だ。富士市か。事前に細かく調べておけば、情報が必要な時に、こんなにバタバタしなかったのにな。富士市のホームページで探ってみる。残念ながらやはり防潮堤は無いようだ。沿岸の防波堤は十七メートルもある様だ。マップで見て五メートル位かと思っていたのは全くの外れである。富士市は、海岸沿いに八メートル以上の高台が広がっている珍しい地形をしている。ウェブのマップは陸上側から見ているから、見た目数メートルの防潮堤が、海側からは高さ十七メートルだというのも理解できる。富士市への津波は最大六メートル、十五分で到達とある。六メートルの津波ならば防潮堤を越水することはないから市内に一気に津波が流れ込むことはないのだろう。

 到達時間が三十分だと思っていたのは記憶違いか。もう既に到達している時間だ。港に防潮堤がないということは、津波がそのままの高さで中に流れ込むことになる。ただし地図で見ると田子の浦港の入り口は狭いので、数メートルの津波が流れ込んできても、広い港内でそれを吸収してしまうということなのだろう。

 田子の浦港につながっているのは沼川という川だ。他にも支流なのだろうか、幾つかの川が流れている。製紙工場は川沿いに点在している。紙を作るには、かなりの量の水が必要となっていただろうから、昔に建設された工場は川沿いに建てられたのだろう。防災マップによると、田子の浦港から入った津波は、港や沼川周辺であふれる想定になっていると記載されている。ただ被害想定は港付近のごく狭い地域に限られており、浸水想定区域でも最大で二メートル未満程度となっている。浸水想定区域に製紙工場がないわけではないが、港付近に集中しているわけではなく、川の少し上流に位置しているところにあるので、防災マップ上では、わずかな製紙工場が床下浸水する程度だ。河川を監視しているライブカメラも幾つかあったので見てみるが、停電で回線が切れてしまっているのか、ライブ映像は映らない。ライブカメラが設置されている地点に表示されている図によると、水深が四から六メートル位までは越水しなさそうな岸壁の高さはある。ただ何か所も直角に近く蛇行している川なので、その大きな蛇行部分で遡上してきた津波が溢れてしまいそうな地形ではある。

 そもそも富士市の防災マップで製紙工場の大部分が浸水しないのであれば、なぜ経済産業省は、南海トラフ地震が起きると静岡でのトイレットペーパー生産ができなくなるから、家庭で多めの備蓄をお願いしますなんてことを言い続けているのだろうか。経済産業省と富士市がお互い勝手なことを言っているだけなのだろうか。改めて経済産業省のホームページを再確認する。東海地震による被害があった場合という記載はあるが、津波とは書かれていなかった。地震の揺れによる被害ということか。記憶違いだ。余計なことばかり無駄に調べてしまった。

 たまに思い込みで大勘違いをやらかす。母親は私が犯した百に一つのミスを、鬼の首を取ったようにしつこいくらい指摘し続ける。どれだけ記憶力がいいのだろう。いつも持っている下痢止めの薬をたまたま忘れたときにお腹を壊したこととか、電車の上りと下りを間違えて終電に乗れずタクシー代に大枚を叩いたこととか、子供の時からの数十年に亘るわずかなミスもずっと記憶している。


『そういえばウェブのマップに標高表示の機能があったな』

 知識としてはあったが、生活の中で標高を調べる必要が出てくることはなかったので、使ったことのない機能だ。富士市の防災情報を信じれば上流の工場は問題なさそうだが、地形上何となく不安があるので、いちおうチェックしてみる。

 マップの使い方をウェブで検索してから、田子の浦港周辺を表示してみる。立体マップだと製紙工場の位置が分かりにくいので、別に平面マップも開いて製紙工場の位置を見ながら立体マップで確認してみる。港から一キロぐらい上流だったら少しは標高も高いだろうと思っていたけれど、工場の敷地や前を通っている道路の標高はわずか二メートルだ。津波が川を遡上していけば、堤防からの氾濫や排水溝の逆流で市内に相当量の海水が流れ込んでしまう。どう考えても富士市の浸水想定区域だけで済みそうな感じはしない。


『まずいな、何か想定外のことが起きていなければ良いが』

 今回の地震は震源のマグニチュードが八.〇だった。東日本大震災の震度は、九.〇だった。マグニチュードは二つ上がると千倍になるから地震のエネルギーは約三十分の一だ。予想されていた最大は、東日本大震災と同程度だったから、予想されていた最大のリスクよりは小さくて済んだ。十メートルの津波によって、製紙工場の二階までが水没するような状況はなさそうだ。ただ一階が床上浸水するだけでも、相当な被害にはなるだろう。扱っているものが紙だから。

 流れ込んでくる水は海水だから、塩分を含んでいる。海底の沈殿物を巻き上げた泥水だから、建物自体に損害がないとしても、清掃だけでも相当な時間が掛かりそうだ。紙を薄く延ばすプレス機には、表面に砂一粒ついていても傷の原因になるだろうから、床の清掃レベルではない、相当大事な清掃作業になるだろう。機械の電気系統も心配だ。基盤が泥を被ってしまえば丁寧に洗浄するしかない。


 静岡方面の情報が少しずつ入ってきた。ただニュースに取り上げられるのは、震源に近い御前崎だったり、最大の港である清水港だったり、川幅の大きい大井川周辺だったりして、富士市の情報は全く流れてこない。もしかすると富士市の防災マップどおりに津波の被害が少なかったのかもしれない。





 発災二日目

 ~東京は今日も大混乱~


 関東では、電気・水道・都市ガスといったインフラが、大規模ではないものの、あちらこちらで止まっているようだ。私のところではガスが、両親のところでは電気が、妹のところでは電気と水道が止まっている。

 断水は水道管の中の空気を抜く弁の不具合によって、漏水が発生しているためだ。その漏水を止めるために送水を中止しているケースが多いようで、空気弁を閉じる作業さえできれば、そのエリアの送水を再開して、断水は直ぐに解消する。しかし、漏水箇所があまりにも多くありすぎて、弁を閉じる作業をできる人員が不足しているようで、現状の漏水箇所に対応できるだけの職員を確保できていない様子だ。外注にもお願いしているが、すべての箇所を復旧させるまでは、まだまだ時間が掛かるようだ。

 しかも、すべての漏水箇所が弁を閉めれば復旧するというわけでもないようだ。地中の水道管は、全国で二割近くのものが、既に耐用年数を超えているといわれている。いつ壊れてもおかしくない部分が、今回の地震による振動で、壊れてしまったところもあるようだ。このような地震が発生しなくたって、漏水の緊急工事をしょっちゅうやっているのだから。

 電気についても、電線の地中化が進んでいないから、電柱が折れてしまったり、傾いた造作物が電線に接触しているため、送電が止まっている。マスコミも電線に何かが引っかかっていて、火花が飛んでいるシーンは画になるのか、同じようなニュースが繰り返し報道されている。

 都市ガスも、この揺れ具合だと一旦エリア毎に供給をストップしたのだろう。都市ガスは、復旧させるエリアの住宅などを見回りながら、ガス漏れがないかを確認して供給を再開することになっている。だから都市ガスの供給が再開するまで時間が掛かる。


 地下に共同溝とかを通してインフラをそこに集めれば、このような事態の時も復旧が楽になるし、景観もよくなる。世界の大都市の中でこれだけ電柱が立っている都市は、東京位ではなかろうか。都市ガスや水道の敷設や補修工事で、道に穴を開けているところもしょっちゅう見かける。

 しかし、こういった政策はなかなか進まない。日本の場合、新しい橋を架けた政治家は次の選挙で当選できるが、既存の橋をメンテナンスしてコストを低減しながら、この後も長きに亘って使えるようにした人は、残念ながら見向きもされない。人口が減っている国なのに、何十年も前に決定されたことなのに、古い都市計画に基づいて、あちらこちらで道路の拡幅も進行している。こんな国で共同溝を作ろうなんて政治家はどこにもいないのだろう。投票する国民・都民も、こういったことを真剣に考えていかなければならない状況になっている。


 発災後の余震はそこそこあるものの、そんなに大きいものも起こらないので、近所の状況を見てみようと外に出てみる。別に買いたいものがあるわけではない。生活に必要なものは、すべて部屋の中に揃っているから。

 スーパー・コンビニ・ドラッグストア、とにかく至る所に長い行列が出来ている。コンビニとドラッグストアが隣合わせのところには、いったいどっちの店の行列なのか分からないカオスが展開されている。

 これだけの数の人々に夫々の帰る家があるのかと思うと、改めて東京の人口の多さ、日本の中での一極集中を感じてしまう。

 こんなに人が集まっていると、当然だが揉め事も多くなる。長い行列に皆が大人しく並んでいるところに、たぶんその家族か知り合いなのだろうが、途中に合流して並ぶものだから、後ろに並んでいる人が、それを排除しようとして叫んでいる。配送業者のような恰好をして、行列をスルーしていきなり店内まで行ってしまう人もいる。こういう時の日本人って、静かに整然と行列に並ぶのが当たり前のように思われているから、ちょっとでもそれを乱す行動に出る人が現れると大変だ。客と客、客と店員、そこここでちょっとした小競り合いが起こっている。

 東日本大震災の時には、世界から日本人は素晴らしいと言われた一枚の写真があった。それは電車が再開するのを待っている人々が、人が通れるスペースをきちっと開けながら、階段に整然と座り込んでいる写真だった。時がだいぶ過ぎて、日本人の性格は、少し欧米化してきているような気がする。





 発災三日目

 ~トイレットペーパーは消えた~


 朝起きて各放送局のニュースをザッピングしながら朝食を作る。発電所の点検のため、一部地域で計画停電が発生するかもしれないというニュースを聞いていたので、朝のメニューは冷蔵庫にあるものを早めに片付けてしまおうと思い、食パン・ハム・卵と冷蔵品中心のメニューにした。

 食事を終えてから、今日も近所の状況を自転車で見て回ることにした。

 昨日あんなに長く伸びていたコンビニの行列は、今日は全くなくなっている。コンビニの中を覗いてみると、店内の棚には商品がほとんどなくなっている。皆が根こそぎ買いまくった上に、静岡以西からの流通はほぼ断たれているため、発注品の在庫がセンターにないのだろう。あったとしても都内の流通が、あちらこちらの工事による大渋滞で時間通りに来ることができない。店舗への納品の便数も減らされているのかもしれない。

 一方ドラッグストアは場所によって混み具合がマチマチだ。商品が多く在庫されている店には長い行列が続いている。在庫が多いところと少ないところがあって、店内にある商品量が大きく異なっているようだ。ジャストインタイム方式で、在庫を極力持たないようにしていたチェーン店は、一瞬にして店舗の在庫がなくなってしまったのであろう。逆に昔ながらの在庫の持ち方を変えていないチェーン店は、まだまだ豊富に在庫があるようだ。店舗の裏に多量の在庫を抱えていて、そういった余計なコストを削減できずにいるから、競合他社との価格競争に負け気味の低収益のチェーンだったが、逆に在庫商品をガンガンに売って独り勝ちになっている。

 飲食店は材料の調達が出来ていないのだろう。メニューを限定してオープンしている店が多い。個人店は在庫の材料で作れるものを提供できるが、セントラルキッチン方式のチェーン店は、自社工場で製造したものが届かなければ、店では何も作ることが出来ない。

 トイレに行きたくなったので自宅へ戻る。今は外出先でトイレに行くことは不可能だ。発災前ならコンビニに寄ってトイレを借り、感謝のつもりで何かを購入していたが、トイレットペーパーが不足している今、トイレを使わせてくれるコンビニはどこにもない。


 部屋に戻って付けたテレビからは、昨日の再放送かと思うぐらい見たことのあるニュースばかりが流れている。他局が流したニュースの現場に行って取材をしているからだろう。世の中のトイレットペーパー状況が気になったので、テレビを消してパソコンでトイレットペーパーを売っていそうなサイトを検索してみる。早速転売ヤー達が活躍している。発災当日の夜からどこもかしこも売り切れ状態だったトイレットペーパーは、販売を再開しているが、大体一ロール千円を超えている。地震の前の三十倍位の価格になっている。思わず目を上げて、ストックしてある棚のトイレットペーパーを繁々と眺める。

『ここにあるだけで二十二万円分か』

 自宅にストックしてあるトイレットペーパーを、ネットで売るつもりなど全くないが、ついちょろちょろと計算してしまうのは、人間の性なのだろうか。なんとなく薄笑いしている自分に気が付いて、はっと我に返り、パソコン画面へと目を戻す。

 石油が日本からなくなるという有名な小説のタイトルが油断だったと思うが、今度は紙断という言葉が生まれるのだろうか。紙断? 生まれることはないな。何かカッコよくない。

 恐らくトイレットペーパーやティッシュペーパーなど在庫不足になっている商品は、近々政府から高額転売禁止の商品に指定されることになるだろう。新型コロナが流行して、マスクやアルコールが無くなった時もそうだった。

 だが、果たして自由経済下において、高額転売禁止にすることは、はたして正しいことなのだろうかとも感じてしまう。

 例えば高額のサービス料金設定をしている高級エステ店があったとして、トイレットペーパーの在庫を切らして店舗内のトイレが使えないことによって、営業ができず休業を余儀なくされるとする。しかし、千円という有り得ない高額なトイレットペーパーであったとしても、それをネットで購入することによって、一日の売上を三十万円確保できるとしたら、そのエステ店のオーナーはどうするだろうか。当然その高額のトイレットペーパーを購入すれば、通常の営業を行うことができ、通常の売り上げを上げることができるのである。

 転売ヤー達の論理は、買う人がいるから売っているだけなのだってことだろう。高額であってもその商品を買わざるを得ない、必要に迫られている人が、その商品を手に入れることのできる唯一の手段をシャットアウトしてしまうことは、決して認められることではないようにも感じる。悩ましいところだ。ただし、元々在庫を持っている人が転売するのではなく、バイトを大量にかき集めて、店から商品を根こそぎ独り占めしてしまい、それを高額で転売する行為は、断じて許されることではない。


 昨日と一昨日は、様々な情報を得るためにパソコンの前に座り続けていて、その辺にあった栄養補助食品やチョコレートなどを食べながら一日を過ごしていたので、まともな食事をしていなかった。朝食に続いて冷蔵庫にあるものを消費するため、昼飯は冷蔵庫に残っていた肉まんを食べることにする。前にテレビドラマで見たことがあったのだが、肉まんをホットサンドメーカーで潰して焼いて食べるシーンが記憶に残っていた。主人公が『一度やってみたかった』とおいしそうに食べているのを見て、機会があればやってみたいと思っていた。テレビで見た通り、上下にバターを塗り、肉まんをぎゅっと潰してカセットコンロの上で焼いてみる。バターの焦げた良い匂いがしてきたところで裏返し、反対側も焼く。たった五分で出来上がり。アツアツを食す。

『うまい、これは簡単でうまい』

 テレビでは主人公があまりのうまさに、もう一個買えばよかったと後悔していたが、その気持ちが良く分かる。その通りだ。

 今度時間が出来たら、神楽坂まで行って五十番のでかい肉まんでやってみよう。大阪では肉まんと言えば、蓬莱だろうが、東京で有名な肉まんと言えば、五十番の肉まんだ。中の餡はほぼ中華料理が詰まっているから、焼くときはバターではなくゴマ油だな。いや、大きすぎてホットサンドメーカーに挟んだら割れてしまうか。横浜の中華街に有名な肉まんがありそうだから、今度探してみるか。 





 発災四日目

 ~製紙工場の被害状況~


 都内や首都圏の被害状況のニュースが一段落したのか、漸く静岡の製紙工場の被害状況を伝えるニュースを目にすることが出来た。工場が泥まみれになっている取材映像は既にあったのだろうが、ニュース性があまりないと判断されていたのだろう。高額転売のサイトや、ドラッグストアに並ぶ転バイヤーのアルバイト達、トイレットペーパー関連の様々な材料が集まったので、漸くまとめてニュースとして放送することになったのだと思う。

 製紙工場の被災状況はずっと気になっていたので、製紙会社のホームページのチェックをしたり、SNSで検索したりしていたのだが、ウェブ上だと工場が被災したことはわかるものの、当事者たちが対応で忙しいのだろうか、更新は全くされず、今どのような状況なのか詳細がわかるものはヒットしなかった。細かく伝えてくれるのは、結局大きなテレビ局になってしまう。

 港に近い工場は、津波と液状化で相当被害は大きいようだ。少し川の上流にある工場は、津波による被害想定地区ではなかったが、予想より津波が川を遡上したために、床上浸水となったようだ。工場内に流れ込んだ高さにもよるだろうが、津波が遡上したことによる浸水だから、塩分の含まれている水に浸かった電気系統は、ほとんどすべて入れ替えることになるだろう。直ぐに修理可能なものなら良いが、一から作り直すとなると、結構な時間が掛かってしまいそうだ。パルプの倉庫も、水害により原料としては使用できなくなってしまったようだ。再生紙を原料にする場合、一旦洗浄してから使うものなので、水に濡れた再生紙も使えそうに思うが、塩分を含んだ上に海底に溜まっていたヘドロのようなもので汚れた原料は、洗浄の回数も多くなってしまう。洗浄水や洗浄剤を多量に使用することを考えると、廃棄してしまった方が良いと考えるのが妥当な線だろう。再稼働したとしても、原材料不足によって通常の生産量が確保できるかどうか不安視される。

 火災により全焼した工場も二ヶ所あったようだ。工場内には燃えやすいものがあちらこちらにあるわけだから、一旦火災が起きてしまったら、消火することは難しかったのだろう。市全体が大きな揺れで被災している状況だったわけだから、当然消防車の到着は遅れただろうし、火種が燃え尽きるまで、延焼を防止するぐらいしかできることはなかったのかもしれない。

 トイレットペーパーなどの紙製品の完成品を一時保管するストックヤードも港付近にあったため、在庫品のほとんどは水浸しになってしまった。製紙業界が言っていた、供給不足が続く期間は一ヶ月程度というのは、ちょっと雲行きが怪しくなったような気がする。やはり六ヶ月程度のストックをしておいたのは正解だった。

 昼食用に冷蔵庫に残っているものを確認する。こういう時は当然のことながら、賞味期限の短い物から食べていくことになる。冷蔵庫にあるもの・冷凍庫のもの・常温品の順に消費していく。レトルトのきんぴらがあったので、冷凍していたご飯と一緒に食べることにしたが、時間もあるので、ただレンチンして食べるのではなく、前にキャンプ特集で作っていた、ご飯を使ったホットサンドにトライしてみる。

 ホットサンドメーカーにごま油を引き、ご飯を半分敷き詰める。きんぴらをその上に敷きその上に残ったご飯を載せる。軽く箸の先で押しつぶしてからごま油を塗り、少し押しつぶす感じでホットサンドメーカーを閉じ、弱火で時間を掛けてじっくりと焼き上げる。きんぴらの汁がご飯に染み込み少し焦げ始める。焼きおにぎりと同じ香りが漂い始める。

 裏返して反対側も焼き、トータル十分程度で完成。ホットサンドメーカーを開けると、美しく茶色に焦げた大型の焼きおにぎりが姿を現す。外カリカリの中ホッカホカに出来上がったところに、即座にかぶりつくのが一番おいしいのだろうが、さすがに今かぶりつくと、口の中の皮が剥けてしまいそうだ。おいしそうな匂いにお腹が鳴る。日本人は醤油の焦げた匂いに弱い。





 発災五日目

 ~家族からの恐喝~


 スマホが鳴った。ワンギリだ。覗くと母親からの電話だった。実家を出て一人暮らしをして以降、何十年も母親からの電話はワンギリだ。最初のころは怒りもしたが、もはや文句も無視もしない。要件は想像できる。

「もしもし、電話した?」

「あんたんとこにトイレットペーパーあったら、ちょっと送ってほしいんだけど」

 まあそんな内容の電話だろうとは思っていたが、少しだけイラっとした。

「前にストックしておけって電話したら、年寄りは暇だから、並んで買えばいいって言ってたよな」

「そうなんだけど、毎日並んでも、今日は在庫がない、今日は入荷がないって言われて全然買えないのよ」

「無くなったら新聞紙使うから問題ないんだって言ってなかったっけ?」

「そうだっけ? そんなこと言った? そんなことしたら、トイレに詰まっちゃうでしょ、昔のトイレじゃないんだから。あんたのことだから、部屋にトイレットペーパーが山のようにあるんでしょ、少し送ってよ」

「大して置いてないよ、こっちも送るほど余裕はないよ」

「うそつきなさい、あんたのことだから、部屋の隅から隅までトイレットペーパーだらけなんでしょうよ。そんなこと言うんだったら、そっちに見に行くわよ」

「わかったわかった、少しだけど宅急便で送るよ」

 いきなり家に押しかけてこられて、持って帰れるだけ持っていかれても困るし、まあ、何を言ったところで、結局は送ることになるのだからと、了解して早々に電話を切った。どうせこんなことになるのは予想していた範囲のことだ。幸いなことに両親の住んでいるエリアは、停電も二日程度で解消したから、温水洗浄便器も使えるようになっている。年寄りには時間はあるのだから、トイレットペーパーはなるべく使わずに、温水洗浄便器で洗ったら、そのまま自然乾燥するまでトイレに座ってろってメモ入れて送ってやろう。少し位は嫌味を言っておきたい。いや、やっぱりやめておくか。赤壁の戦いのときの曹操軍から撃たれた藁人形のように、母親からの矢継ぎ早の電話に、ブスブスと矢まみれになることは避けたい。大体しつこいくらい何度も掛かってくる嫌味の電話代は私が払うことになるのだから。


 ついでだから妹にも電話してみた。

「そっちの被害はどんなんだい?」

「ちょっと離れたところだけど、液状化でズブズブになったから、水道管が壊れてずっと断水よ」

「まじか、ウチもお袋んとこもセーフなのに、マンション住まいのお前のとこだけ断水なのか、きついな」

「毎日毎日、何度も何度も、給水車に並ばなきゃいけないから、その度に階段の上り下りが大変だわ」

「エレベーター使えないのか?」

「そうなのよ。業者に連絡してるらしいんだけど、順番待ちで全然来ないのよ」

 高層マンションに住んでいた知人が、神戸の震災の時に相当苦労した話を聞いていたから、妹にはマンションを買うときに、安いし何かあった時に安心な下の方を買えって言っていたのだった。

「俺の言うこと聞いてさ、二階とか三階に住んでおけば良かったのにな」

「冗談じゃないわよ。エレベーターで会った時、上の方に住んでいる人が、下に住んでいる人を見るときのあの蔑んだ目、お兄ちゃんには絶対わからないわよ。物凄いんだから。絶対下の方なんていやよ」

「ところで前に電話したけど、トイレットペーパーはストックしておいたのか?」

「それがさー、地震の二、三日前に無くなりそうだったし、ちょうど特売だったから、買ったばかりだったのよ、運が良かったわ。この辺の人は、みんな薬局にぞろぞろ並んでるけど、全然買えないみたい。ラッキーだったわよ。とりあえず一ヶ月ぐらいは持ちそうだから、その間にトイレットペーパーも買えるようになるでしょ」

「旦那の会社と子供達の学校は?」

「みんな自宅待機で家に居るわよ」

「おまえは外出しないのか、しょっちゅうランチだ、デザートバイキングだって外出してただろ」

「そんな暇ないわよ。一日中水汲みでぐったりだわ」

「じゃあ四人がみんなで一日中トイレ使ってるじゃん」

「そうなのよ、だから給水車に並ぶ回数が半端ないのよ。旦那はリモートで仕事やってるから忙しいって手伝ってくれないし、子供達はめんどくさいとか言ってゲームばっかやってるし」

「違うよ、水の話じゃない。そんなじゃトイレットペーパーもあっという間になくなるぞ」

「そっか。なんかあっという間に減ると思ってたのよ。そっか。急に不安になってきたわ。ねー、そっちにストックあるんでしょ。少し送ってよ」

「ちょっと位だったら送ってあげるけど、マスクの時みたいに、ママ友に自慢したりするなよ。お前は昔からマウント取りたがるからな。今回はあの時みたいに追加を送る余裕はないからな」

「わかってるって。ありがとー、助かるわ」

 まあ想定通りだな。人の忠告を素直に聞いてストックをするような家族は一人もいない。


 冷蔵庫はほぼ空なので、冷凍庫をあさってみる。チキンライスが残っていたが、一食分には足りない。冷凍していた食パンで挟むことにしてみよう。前にチキンライスをパンに挟んだら美味しかったという話をしたら、気持ち悪いと言われたことがあった。炭水化物オン炭水化物だからだそうだ。でも世の中には焼きそばパンってものが存在しているし、ナポリタンドックはあるし、大阪にはお好み焼き定食だってある。炭水化物で炭水化物を食べる、皆が普通にやっていることだ。チキンライスサンドのどこがおかしいのか理解できない。

 地震が起こってから、ホットサンドメーカーの出番が多い。私が持っている物は、洗いやすいように上下分離することが出来るから、片方だけ使用すれば小さめだけど、フライパンとしても使えるし、皿を使わずそこからそのまま食べるとしても、邪魔にならないサイズだ。洗い物が少なくて済む。

 普通のフライパンなどは持たずに、こういう調理器具を用意しておくことこそが、フェーズフリーと言われている行動なのかもしれない。意外と難しくなく移行できることなのかもと思うようになった。ネットで検索してみると、農協か何かのページには、焼きナスはホットサンドメーカーで作るのが一番で、だれでもトロトロのおいしい焼きナスが作れると書いてある。ホットサンドメーカーで作るレシピを集めた本も販売されている。ネットで注文してみよう。ホットサンドメーカーの時代が来ているのかもしれない。





 発災六日目

 ~街の飲食店は休業状態~


 体がなまらないようにと、毎日近所を自転車に乗ってブラブラしているが、今日は街の状況が一変した。休業中の店が突然増えた。特に飲食店はほとんどが休業してしまった。発災直後は、割れたガラスや商品を片付けるために、休んでいる店があちらこちらにあったが、次の日位にはほぼどの店も、発災前の営業時間に戻って営業をしていた。ところが昨日あたりから休業の店がポツポツと増えてきていた。昨日はあまり気にもしていなかったが、こんなに休んでいる店が急に増えると、ちょっと気になる。入口に貼り紙のあるチェーン店に近寄ってみる。どうもトイレットペーパーの在庫が店にないことにより、トイレを使用することができなくなったので、もはや休業せざるを得ないようだ。

 飲食店などは、備え付けていたトイレットペーパーが相次いで盗難され在庫がなくなり、それでもトイレが使えないとの貼り紙をしたり、入ってきたお客さんにトイレが使えないと声掛けをしたうえで、営業を続けていた。しかし、ご飯を食べたりコーヒーを飲んだりすると、トイレに行きたくなる人は周りにも結構いる。トイレが使えない店で、ランチを食べようとするのは、やはり不安があるだろうし、店に入るのをためらってしまうだろう。アルバイトも仕事中に長時間トイレが使えないならと辞めてしまったに違いない。

 コンビニやドラッグストアなどの物販店はほぼ営業している。こういった店の利用者は店内の滞在時間が短いから、トイレを利用する率が、飲食店に比べれば非常に少ない。だから客用トイレがない店舗も多く、あったとしてもトイレの使用禁止が売上に大きく響くことがない。タクシーの運転手たちには厳しい状況だろうが。

 大型の物販店の場合は、大体バックヤードに従業員用のトイレがある。トイレットペーパーの在庫が若干でもあれば、アルバイトも困ることはないので辞めることもないのだ。


 定番のルートを一巡して自宅に戻り、スマホを見たら着信履歴があった。母親からだ。自転車に乗っている時は、スマホをお尻のポケットに入れているから、電話に出ることはない。まあ母親からの電話は常にワンギリだから、スマホをどこに入れてあろうが、電話には出られない。

 母親にリダイヤルする。

「届いたよ、助かるわ」

「俺もギリギリだから大切に使ってよ」

「送ってもらったやつ、なんかいつも使っているやつより薄っぺらいんだけど、自分だけ高いやつ使って、こっちには安いやつ送ったんじゃないでしょうね」

「あのね、最近はこういうロング巻き商品が増えてるんだ。買うときにもがさばらないし、家に置いといてもスペース取らないだろ。別にいつも使っている奴と薄さは変わらないよ」

「そうなの? なんか薄っぺらいけどね」

「年寄りは時間があるんだから、お尻をシャワーしたあと、少し水が乾くまで我慢してさ、使う量を減らしたらいいよ」

「じゃあ、お尻が乾くまで座ってれば、トイレットペーパー使わなくて済むわね」

 宅急便を送るときに嫌味で書いて入れておいたメモは、やっぱり見てもいない。

「あのね、そんなことしたらお尻がガサガサになるよ。冬に唇なめたら、その後ガサガサになるだろ。あれと同じさ」

「そうなったら余ってるリップクリームお尻に塗ればいいのよ。リップクリームって何で家に何本もあるのかしらね」

 母親は昔、高枝切狭で庭の木を切っていた時に、切った枝が当たって頭から血を出していたけれど、軟膏を塗って直してしまった人だ。だからリップクリームでお尻も直してしまうのかもしれない。

「まあ、何でもいいから、大切に使ってくれよ。今回の不足は長引きそうだから」

「足りなくなったら、あんたに送ってもらうから大丈夫よ。どうせまだ沢山あるんでしょ、あんたの性格なんてお見通しなんだから。ドラマの再放送始まったから切るわよ」

 母親の電話にいらっとしたら、腹が減ってきた。今日のメニューはナポリタンだ。

 警視庁のつぶやきにあったように乾麺を水で戻す。前に一度試したときは、麺をゆでた後レトルトのパスタソースを上からかけただけで食したが、決して美味しいとは言えない出来上がりだった。ウェブでは生麵の様だとの評価もあったが、何となく水っぽくコシもないようなものになってしまった。

 今回は説明にあったようにしっかりと炒めてみた。見た目はなかなかの食べ物に仕上がった。日本にパスタという単語が一般的ではなくスパゲッティーと言われていた頃、食べ方はミートソースかナポリタンしかないような時代に、喫茶店で食べたナポリタンの味に仕上がった。ウェブで知った情報は、勝手な解釈で応用形を行ってはならない。忠実に実行するのが正しいと理解した。昼はレトルトカレーと一緒に炒めてカレーパスタにしてみよう。





 発災七日目 

 ~トイレットペーパーの代用品~


 ニュースでは毎日被害状況がトップニュースだったが、発災から日数が経ったせいか最初のニュースは他の事件とかになり、地震関連のニュースはその次になった。しかも被災状況というよりは、どうでもよいくだらないニュースが増えてきた。

 今日は古着屋の在庫がなくなったとのニュースが流れていた。古着屋に向かった人たちは、とにかく安いTシャツなんかを買っていき、それをハンカチ程度の大きさに切って、トイレットペーパーの替わりに、お尻を拭くために使っているのである。Tシャツが一枚あれば、ハンカチサイズの布切れが二十枚ぐらいは作れるだろう。外で着れないような変な柄のTシャツだと、なかなか買ってくれる人がいなかっただろうから、百円位で売っている。お尻ふき一枚が十円を切るコストで済むことになる。百円ショップでハンカチを買うより遥かに安上がりだ。

 他局では、新聞が売り切れになっているというニュース。これもお尻を拭くためだ。駅の売店、コンビニでは、発売時間前から行列が出来ているらしい。若者世帯では、スマホかパソコンでニュースを見るから、新聞を取っている世帯は少ないし、東京のように単身世帯が多い場所ではなおさらだ。新聞販売店に購読契約を申し込んでも、今は新聞社が用紙の追加発注ができず増刷の対応ができないために、新規の契約を断っているらしい。皆がなんとかお尻を拭くための新聞を確保しようと必死になっている。早くから並んだ人に独占されないように、一人一紙という制限がされている。これにはスポーツ紙好きの人達が、大変に困っているらしい。この人たちは、毎日何紙も買うわけではないが、追っかけている選手が活躍した次の日に、選手のしゃべったことを一言も逃したくないので、少しずつ内容の異なる数種類のスポーツ紙を購入して切り抜きをファイルする。自分の好きな芸能人が載っているときに、同じようにしている人たちもいる。それが一紙しか買えないので困っているのだ。仕方がないので周りのファン達と連絡を取りあって、異なるスポーツ紙を購入しコピーを取りあって交換しているらしい。

 新聞を購入する上で、穴場なのは販売店の自販機だという。在庫さえあれば、無尽蔵に買うことが出来てしまう。まあこんなニュースが放送されてしまえば、明日からは自販機に行列ができてしまうのだろう。

 マンガ雑誌も同じように即完売状態だ。ネットでは、雑誌のツルツルしたカラーページを除いた、お尻を拭きやすいページ数と価格から、一ページの単価を計算している書き込みがリツイートされている。流行っているようだ。どの雑誌のコスパが良いのか一覧を作ったまとめページもある。

 紙製品では、女性用の衛生用品、赤ちゃん用のお尻拭きなどは、いち早く無くなったのは当然のことながら、こんな商品もなくなるのかというものまでなくなってきている。コーヒーフィルターも品切れになり、ペット用のシートなんかも売り切れた。コピー用紙や習字で使う半紙なんかも、最初のころは在庫があったものの、今や買うことはできない。

 面白いところでは、ファスナー付きプラスティックバッグの在庫が、ほとんどなくなってしまったことだ。外出先で温水洗浄便座を使った後に、ハンカチとか古着の布切れとかでお尻を拭きそれを自宅まで持ち帰るときに、プラスティックバッグに入れて臭いが外に漏れないようにしているらしい。袋タイプがなくなった後は、コンテナタイプのものまで売り切れている状況だ。ネットショップも皆が知っているサイトは、当然ながら売り切れ続出だ。ネット通販をよく知っている人は、文具の通販とか、工具の通販とかのサイトに行って買っているそうだ。こんな情報もだんだんSNSで広がってしまったので、見てはいないがもう在庫はないのだろう。 

 消臭するための商品も、普通の消臭剤がなくなるのは当たり前。代用品として、重曹にお茶の葉、キャンプ用の炭、観葉植物用のゼオライト、学校のグラウンドに線を引く石灰などなど、SNSで消臭効果があると誰かが書き込んだ商品は、次から次へと店頭から、サイトから消えていく。





 発災八日目

 ~ドラッグストアの商品発注~


 今日は近所のドラッグストアでアルバイトの日だ。週に二日四時間だけのバイトをしている。先週は地震の直後でバタバタしていたので休んでいた。相当お客さんが来ていたはずだが、そういう時にバイトに行くと、他の部署を手伝わされたりするのが面倒くさいので、有給休暇を取ってしまった。接客をするのは苦手なので、バックヤードで発注業務だけを担当している。

 バイトを始めたきっかけは、以前地元のバーのカウンターで、このドラッグストアの店長とたまたま隣り合わせになったことだ。店長の仕事の話を聞いているうちに、手伝いをするようになったのだ。店長曰く、業務の範囲が広すぎて、時間がどれだけあっても足りない。発注業務の時間が取れなくて、アルバイトのおばさんに頼んでいるけれど、パソコン作業が苦手なようで、物凄く時間が掛かってしまうのだ。

 店長がやっていた時は、大体三、四時間で出来ていたものが、おばさんに頼むと丸一日掛かってしまっていたようだ。アルバイト代がかさむし、発注時間に遅れると納品が遅れてしまうから、結局頼むのは諦めて自分がやるしかないと愚痴をこぼしていた。

 突然思い出したのは、大学の基礎経済学で習った分業のプロセスだった。詳細は忘れたが、確か弁護士と庭師の話だった。

 時給の高い弁護士は、自宅の庭の手入れを最初は自分で行っているが、やがてそれよりもずっと時給の安い庭師に手入れを頼むことにする。その作業の代金を庭師に支払っても、その間に弁護士として稼いだ方が、自分で手入れをするより儲けが多いからだ。だから分業が進んでいくというものだった。弁護士の時給が百ドルで、庭師の時給が二十ドルだとして、弁護士が三時間自分でやっていた庭の手入れを、庭師に頼んで自分が仕事をすることによって、三百ドル稼いで六十ドルを払うことになり、差額の二百四十ドルが収入増になる。

 それでは庭師より庭の手入れの作業効率のよい弁護士がいたらどうなるか。弁護士が二時間で終わる庭の手入れが庭師に頼むと四時間かかるとすると、弁護士は二時間で二百ドル稼ぎ、庭師に八十ドルを支払う。弁護士は百二十ドルの収入増だから、やはり分業は進む。これと同じに考えれば、ドラッグストアの店長は、自分より時間がかかってしまうアルバイトであっても、その業務を任せることになる。

 しかし、会社に入って知ることになった現実の経済活動は、全く異なっていた。基礎経済学には、時間という概念がないのだ。何時までに終わらねばならない業務があったら、時給の高い安いではなく、その時間に間に合わすことができる人が、その業務を期限までにしならなければならない。だから他人に任せておくと間に合わなくなってしまう作業は、それがどんなに簡単な作業であったとしても、時給の高い人が実行しなければならなくなってしまう。だから、発注業務が締め切り時間に間に合うように、店長自身が自分で行うことになる。結果的に時給の高い人のところに、業務が集中してしまうのである。大学で習ったことは実社会ではほとんど役に立ったことはない。


 早速デスクで発注画面を開いてみる。発注作業をする前に多分欠品であろうから、検索画面でペーパーとか紙とか名の付くものが、どんな在庫状況なのかを検索してみる。

 紙製品だと思われるものは、全て在庫なしで納品日未定だ。クッキングペーパーはまあ当然としても、似て非なるクッキングシートも在庫がない。まあ商品写真見れば紙は紙だからな。でもあんな表面ツルツルな紙じゃ尻は拭けないよな。クラフトペーパーは、まあクシャクシャに揉んだら、使えないことはないかな。新聞紙と同じようなものか。

 ここの店舗ではDIYの商品は扱っていないから、素早くスクロールをしていると在庫がない商品があって手が止まった。サンドペーパーだ。笑った。多分どこかの店舗で、店長に『商品名にペーパーとか入っている商品はとにかく発注しろ。時間との勝負だからな』とかいい加減な指示をされたアルバイトが、サンドペーパーってどんな商品なのかも考えることなく店長の指示を忠実に守って、在庫があったからオーダーしたんだろうな。商品が店着して相当怒られたに違いない。『この紙やすりで自分の尻を拭いてみろ』って。

 外で酒を飲んでいるときに、隣で部下の出来が悪くて指示通り仕事ができていないと愚痴をこぼしている中年の管理職っぽい人を見かけるが、こういう人の話を聞いているとだいたい主語がない、話が飛ぶ、論理的でない話をする。そんな話し方を聞いていると、部下が悪いのではなく、あなたの指示が悪いのではと思ってしまう。こういう人に限って部下が指示通りやりましたけどと反論すると、そんなの常識で判断しろと怒る。サンドペーパーを発注したアルバイトもかわいそうだ。

 店の在庫はだいぶ減っており、欠品になっているものも多くて、棚が空いてしまっているところも多いのだが、発注出来る商品も少ないので、やらなければいけない作業が少ない。予定時間より前に完了してしまったが、店長から早々に帰って良しと言われたので、気が変わらないうちにとっとと帰宅する。

 この店舗は比較的大きく、食品もそこそこ取り扱っているので、牛乳とか豆腐とかいった日配品も多く扱っている。日配品は消費期限が短いものも多く、その中で期限が今日までのものなんかを、半額でしかも社員割引きで買えていたので、アルバイトの日はその日安く買えた商品を使って、夕飯を作っていたのだが、さすがにこの状況では安く買える商品は何もない。今日も冷凍庫のもので夕飯を作ろう。





 発災九日目

 ~動画サイトの投稿者たち~


 動画サイトには、トイレットペーパー関連で関心を引きそうなタイトルをつけて、少しでも視聴数を増やそうと躍起になっている人で溢れている。暇なのでくだらないタイトルの動画を見てみることにする。


『ローションティッシュを流してみた』


 普通のティッシュペーパーをトイレに流すと、溶けることなく配管に詰まってしまうのだが、家にローションティッシュがあったら、トイレットペーパーの替わりにトイレで使用して、そのまま流すことができるというものだ。

 白衣を着ている人が、マグネチックスターラーを使った本格的な動画で、ローションティッシュがどの程度溶けやすいかを実験しているものだ。スターラーとは実験室なんかで液体を攪拌するために、ビーカーの中などに細長いチップを入れて、そのチップを磁力で回転させるものだ。結構高い製品だから、会社か学校から持ってきたのかな。この実験によると、普通のティッシュペーパーでは、撹拌してもなかなか細かくならないので、トイレを詰まらせてしまいそうだが、ローションティッシュであれば、水に入れて攪拌するとかなりバラバラになるので、トイレに流すことができると結論付けている。本当なのかな。

 そもそもティッシュペーパーとトイレットペーパーの違いは何だろうか。ウェブで調べてみると、原料のパルプの繊維の長さが少し異なるようだ。ティッシュペーパーは、ほぐれにくいように長い繊維、トイレットペーパーは、水に溶けるように短い繊維を使用しているようだ。更にティッシュペーパーは、樹脂などを混ぜていて、使用時にほぐれにくいようにしている。

 ローションティッシュは、保湿剤を入れて普通のティッシュペーパーより水分量を多くすることで、皮膚との摩擦を少なくしている。途中までは普通のティッシュと同じ製造である、と書いてあるので、ローションティッシュをトイレに流せるというのは誤りであろう。確かにスターラーで撹拌している動画では、ローションティッシュが、ある程度細かくなって水の中でフワフワしているが、恐らくトイレ水を流す時の撹拌状況より、かなり長時間攪拌しているのではないだろうか。動画を信じてトイレに流してしまった家では、トイレが詰まって困っていることだろう。こういう動画を単純に信じてはいけない。

 時間があったから、トイレットペーパーの基準って何だろうかとウェブで探ってみた。

 トイレットペーパーには、ちゃんとJIS規格があって、その中の溶けやすさの基準は、マグネチックスターラーを使用して、規定された回転数で試験を行い、百秒以内にほぐれるものが、JISによる規格品質である様だ。あの動画は明らかに百秒より長く攪拌していたな。

 他に関連でヒットした頁には、流せるティッシュという商品のテスト結果をまとめたものがあった。トイレに流したら、配管が詰まったというクレームが多いそうで、このテストによるとトイレに流せるという商品であっても、トイレットペーパーのほぐれやすさの基準に満たない商品が数多く販売されているようだ。またトイレットペーパーであってもJIS規格ではない海外製品が安く売られているようで、その商品でトイレが詰まってしまうこともあるようだ。トイレットペーパーという名称で売られているものであっても、JIS規格を満たしていなければ、トイレを詰まらせてしまう可能性があるのだから、トイレに流せると書いていないローションティッシュじゃたぶん詰まるだろうな。


『和紙を作ってみた』


 かなり本格的に和紙を作っている動画だ。恐らく本業で和紙を製造しているのだろう。

 新聞紙をミキサーで細かくして、風呂桶にぶち込み、網戸ですくって紙を作るというものだ。動画ではかなり薄い和紙が出来ていたが、素人が真似したらたぶん分厚いゴワゴワしたものしか作れないだろう。お尻の負担が大きそうだ。


『ペーパー以外で拭いてみた』


 タイトルからして明らかにくだらない内容だと思って見てみてみたが、意外にもまともに歴史に基づいて作り込まれており、挿入されているイラストなんかもきちんと描かれているかなりの大作だった。

 古代ローマでは海綿、北欧では雪、砂漠では砂、アメリカではとうもろこしのひげや乾かした芯を使っていたようだ。

 日本人にとって、トウモロコシを使っていたというのは、クエスチョンマークが三つ位つきそうなことだが、よくよく考えてみれば、日本人があらゆるものに稲わらを使っていたように、アメリカには、私たちの想像を絶するような、広大なトウモロコシ畑が広がっている。終戦後日本に来たアメリカ人も、コーンパイプを使っていたな。

 このように紙以外で拭くのは、遥か昔の話だと思っていたが、紙を使用しているのは、現在でも世界の人口の三分の一ぐらいなのだそうだ。


『色々な葉っぱを使ってお尻を拭いてみた』


 日本は温暖気候なので、様々な植物が生えており、昔は葉っぱで拭いていたようだ。ふきの葉が大きいし裏側が柔らかく拭きやすいそうだ。この動画では、キャベツの外側の硬くて食べない葉っぱを茹でてから拭いてもいた。前にテレビでゼロ円生活みたいな家族が、キウイの葉っぱをトイレットペーパーの代わりに使っていたが、裏側がフワフワしていて使いやすそうだった。

 ただ地球温暖化によって、日本も温暖気候というよりは、亜熱帯気候に近づいてきている。将来東北ではリンゴが取れなくなり、ミカンを栽培することになると言っている人もいる。日本も南の方の地域では、高温の中で育つ植物が増え、日本に昔からあった、お尻を拭きやすい柔らかい葉っぱは、なくなるのかもしれない。逆に暑いから大きな葉っぱの植物が増えて使いやすくなるのかな。そういえば飼料用のトウモロコシが、世界的に不足がちになっており、日本でも栽培を推奨するようになったそうだ。日本人も近い将来アメリカのように、トウモロコシの芯で拭くようになるのかもしれない。





 発災十日目

 ~動画サイトの閲覧再び~


 昨日は深夜遅くまで動画サイトを見てしまった。最初は動画サイトなんて、閲覧数上げるために、震災関連のタイトルをつけて、くだらないことしかアップされていないだろうと思ったけれど、意外にも面白いものが多くて見入ってしまった。昨夜眠気が限界になる前に、お気に入りに登録しておいた動画が、結構溜まっていたので、今日はこれを見ることにする。ずいぶんお気に入りにしてあるけど、記憶がほとんどない。


『タオルを粉砕してお尻ふきを作る』


 タイトル通りタオルをフードプロセッサーで粉砕して綿上にし、お尻を拭いたらそのままトイレで流せるとのこと。

 怪しい。

 綿状にするということは、脱脂綿みたいなものが出来るということだろう。脱脂綿ってアルコール消毒する際に、べちょべちょに濡らして使用するが、もろもろになることはなく、もろもろになっては使いにくいものである。そんなものをトイレに流したって、水流で細かくなることはなく、排水管を間違いなく詰まらせることになる。

 お気に入りに入れていた他の動画を見ようと思ったが、どれもこれもつまらなそうなものばかりだ。本当に私がキープしたのか。コンピュータウィルスが、勝手にキープしたのではないかと思ってしまうような、わけのわからない動画が幾つもキープされている。

『どのぐらいトイレを我慢できるか』

『荒縄でお尻を拭いてみた』

『拭かないとどれだけ臭うか』

 ひどいものだ。どの動画も大声で、『痛い!痛い!』とか『くせー』とか大声で叫んで、周りの奴らが指を指して爆笑しているようなものばかりだ。学生の頃から深夜に眠たくなると、途端に能力ががくんと落ちる。年を取ったらますますひどくなっているような気がする。

 ただこういうくだらないものも、何が当たるかわからない時代だ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるだ。テレビで流行っている動画だというものが放送されることがあるが、どこが面白いのか理解できないものもたくさんある。まあマスコミが流行っているといっているものは、これから流行るかもしれないというものでしかない。考えてみて欲しい。渋谷のセンター街で七割の女性がミニスカートを穿いていたら、いまミニスカートが流行っていますと雑誌やテレビが取り上げるだろうか。答えは否だ。五パーセントか十パーセントの人が穿いているのを編集であたかも皆が履いているかのように見せている。全国のどこかのバーのカウンターで、雑誌編集者が、テレビディレクターが、『ルーズソックスを流行らせたのは俺だ』『パステルカラーを流行らせたのは私だ』と自慢話を繰り広げている。『先月の放送で流行っているとお知らせしましたが、実際には流行りませんでした。お詫びして訂正致します』などという情報番組はどこにもない。

 あまりにもバカバカしい動画ばかりなので、時間の無駄だと見るのをやめようと思ったとき、一つのタイトルに目が行った。


『少ない量のトイレットペーパーでお尻を拭く』


 私がトイレで考えて実行してきたことを、同じように考えている人がいるんだな。

 温水洗浄便座で洗ったとき、お尻の周りの濡れている部分は直径で約五センチ。濡れている幅は指で約三本分、長さは中指の先から第二関節ぐらいまで。

 ある医学博士によると、お尻を拭く際に、指まで菌を通さないためには、トイレットペーパーを三十六枚重ねて使う必要があるのだそうだ。だからこの動画では、トイレットペーパーを五センチ幅で蛇腹に十七回折りたたみ、更に直角方向に二つ折りすることで、長さが九十センチあれば、菌を通さない完全に清潔なトイレットペーパーを使用することが出来ると説明している。

 動画を一時停止してトイレに向かい、トイレットペーパーを九十センチに切って、説明通りに三十六枚重ねのものを作ってみた。かなり小さくはあるが、お尻の濡れた部分を覆うことはできそうで、指には濡れたところが付着しないサイズではある。動画の続きを見る。

 重ねたペーパーを指三本の上に乗せ、親指と小指で軽く挟み、中指の第二関節を中心にお尻にあて水分を吸収する。

『第二関節?』

 ちょっとだけ脳がフリーズした後、直ぐに再起動した。

『そうか、この人はお尻を拭くとき、前か後ろから拭くんだ』

 以前に、女性は衛生上、前から拭かない方が良いという記事をネットで見たとき、世の中には、前から拭く人もいるんだということを知ったのを思い出した。私はお尻の右側を少し上げて、横から手を差し込んで拭いている。皆がそうだと思っていた。

 考えてみれば、お尻の拭き方を誰かに習った記憶は一切ない。もちろん最初のうちは、親が一緒にトイレに入って教えてくれたのだろうけれど、どんなことを教えてくれたのか全く覚えてはいない。記憶があるところから数十年は、当然ながら自分一人で拭いている。他人の動作を見たことは、これも当然ながら一度もない。皆が同じように自分一人で考えて拭いているのだ。

 一人で個室に入り可能な動作の範囲で、何十年と自分に適した動作を工夫しながら、比較対象もなく拭き続けてきたわけだから、人それぞれ色々な個室の使い方があるのだろうと思い直す。トイレットペーパーの使い方も人それぞれなのだろう。たまに外出先のトイレを使っているとき、個室から延々カラカラとトイレットペーパーを巻き取る音がしてくることがある。どれだけ使っているのかとびっくりする。

 そういえば、男性がトイレの個室をどういう風に利用しているかのアンケート結果を見たことがあるが、内容は非常に驚くものだった。ある人は、一旦ズボンを脱いでドアのフックにかけて、それから便器に座る人という使い方だった。またある人は、ズボンを下したときに、片足を完全に脱いで肩にかけて座るとしていた。こういう使い方をする人たちがそうする理由として挙げていたのは、ズボンの裾が床にこすれてしまったり、便器に触らないように気を付けているということだった。男性の場合スーツのスラックスは、生地が薄くて軽いものだから、ベルトの重さでスラックスが下に落ちて行ってしまう。そうならないようにするための工夫を色々行っているということだ。数字は忘れたが、一人二人いたという特殊な方法ではなく、そこそこの割合でそのような方法を取っている人がいるということだった。ほとんどの人が見て驚くような割合だったと記憶している。

 動画で見た三十六枚重ねのトイレットペーパーを作るには、相当丁寧に作業しなければならないから時間が掛かってしまう。トイレに行くときは、だいたい仕事の途中とか動画を見ている途中とかだから、トイレに行っている時間はなるべく短くしたい。だからトイレットペーパーを折ることに時間は掛けたくない。三十六枚重ねでなくても指先が濡れたことはないし、用を足した後は必ずハンドソープで手を洗うから、仮に指先が濡れたとしても衛生的には問題ない。最近トイレの中でスマホをいじる人が多くて、トイレにいる時間が長くなっているようだが、時間を掛ける目的は、単にスマホをいじることであって、トイレットペーパーを丁寧に折るためではない。スマホを見終えたら一刻も早くトイレから出たいはずだ。この三十六枚重ね案は現実的ではないから、不採用だな。





 発災十一日目

 ~交通各社のトイレ事情~


 東海道新幹線は未だ復旧工事のために、小田原静岡間が不通で、不通区間以外での折り返し運転を行っている。東京・品川・新横浜から京都・大阪・神戸への利用が一番多いだろうから、その間を直通で利用できない以上利用者は激減で、便数も減便されている。東北・北陸新幹線は通常運転だが、トイレットペーパー不足のため、トイレの利用個所を半分にして運行している。減便によって、業務の空いてしまった職員達を、トイレに配備して、一回一回利用者にトイレットペーパーを手渡ししているそうだ。

 新幹線のトイレの構造は、清水空圧式に変わりつつあるが、まだまだ真空吸引式が多く残っている。水を流すと最後にズポッと大きな音をたてて吸収されていく奴だ。吸引するから多少流れにくいペーパーでも、詰まることなく流すことが可能である。通常時は、もちろん水に溶けやすいトイレットペーパーのみの使用が、システムへの負担が少ないのはあたりまえだが、現在は非常時でもあることだし、乗客が自分で用意したポケットティッシュなどの使用を、例外的に認めているらしい。

 それに対してエアライン各社は、概ね順調に運航しているようだ。

 国際線を持っているエアラインは、行った先でトイレットペーパーを買い込み、帰りの便に乗せて戻ってくる。このところ増加傾向だった海外からの観光客が、今回の発災のため急遽搭乗をキャンセルしたので、座席はもちろん貨物室にも空きがあるから、結構な量のトイレットペーパーを持ち帰ることができている。

 もちろんエアライン各社で状況は異なり、国際線と国内線の比率も違うだろうし、グループに貨物便を有している会社などは、海外から持って帰ってこられる量も多いだろう。ただしその辺は、お互い融通してうまくやっていて、航空業界全体で、飛行機内や空港のトイレで、トイレットペーパーの不足がないように十分確保しているようだ。当然のことだが、パイロットやキャビンアテンダント達は、持っていくものを極力減らしてスーツケースをなるべく空けておき、自分や家族のためのトイレットペーパーを買い込んで日本に戻る様だ。

 航空機内は行動が目立つから、トイレに大きなカバンを持ち込んで、その中にトイレットペーパーを隠して持ち出すことが出来にくい。だから盗難リスクが少ないらしい。それでもポケットや服の中に、目立たないように十メートル、二十メートルと折りたたんで持ち出す人が後を絶たない状況らしい。だから消費量は、発災以前とは、比較にならない程多くなっている。

 地下鉄は都営に限るが、駅のトイレにトイレットペーパーがきちんと設置してある。東京二十三区内については、避難所を設置するほどの被害はなかったので、災害用備蓄のトイレットペーパーを、東京都の施設に配布しており、現状は不足になっていない。航空業界と異なって、営団地下鉄や私鉄に融通してあげるようなことはしていないらしい。表向きは、税金で購入している物品だから、軽々に民間に提供することはできないという理由だが、実際は競合相手に与えたくないし、与えるくらいなら職員が自宅用に持って帰りたいというのが本音だろう。

 都営地下鉄の駅では、入場券で駅に入り、トイレだけ使って出ていく人が多くなっていて、収入が増加しているそうだ。外出中にコンビニのトイレなどが使えないから、口コミで都営地下鉄の駅のトイレが使えることを知った人が、入場券でトイレだけを利用している。有料トイレだと考えればおかしな行動ではない。

 ただ当初は余裕のあった在庫も、相次ぐ盗難で急速に減ってきたそうだ。だから、複数ある個室は一室の利用に削って、トイレ待ちの人を意図的に作っているらしい。次に並んでいる人がドアの前に立って監視しているから、トイレットペーパーを盗みにくくなるだろうというのが、利用できる個室を減らした理由だ。当然のことながら利用者からは大クレームだ。

 公務員の行う施策というのは、基本的に市井の人々が善人であるという、性善説に基づいて行われている。住民を信用しているからではない。性悪説に基づくと、やらなければならないことが劇的に増えるからだ。面倒くさいのだ。同じ給料だったら、仕事は少ない方が良いと思っているのだ。もちろんこういう事案には、こういうリスクがあるから、こういうことを事前に考えていたほうが良いと提案する人は必ずいる。しかし、会議でそんな提案をしたところで、そんなことまで考慮したら話が進まない、そんな人員を割く予算がない、忙しくなるだけだと周りの反対にあって意見が採用されることはない。結果その人が心配していたことが、実際に起きてから対処するのに右往左往する。対処するにも時間がかかるから、SNSで非難され、マスコミからもたたかれる。

 災害用備蓄のトイレットペーパーを、不足分の補充として、緊急放出して活用するかを検討する会議でも、きっと盗難対策をどうするのかを提起した人はいただろう。しかし、盗難はレアケースだろう、防犯カメラなんか付けられないだろう、見張りをするなら誰がやるのだ、などと否定的な意見ばかりを矢継ぎ早に言って、せっかくの提案を却下してしまう。今度は在庫が不足しそうになると、慌ててどうするんだと騒ぐ。年配の役職の上の方にこんな人がいるから、日本はいつまでたっても物事を決定していくことに関して後進国だ。バブルで大量採用された人たちが、あと数年ですべていなくなれば、こんな会議も少しは変わるのかもしれない。





 発災十二日目

 ~トイレットペーパーを作る町~


 テレビのニュースを見ていて、興味深い取材が取り上げられていたので、後でじっくり見ようと、急いでレコーダーの録画ボタンを押した。こういう特集は、途中でCMが入るし、CMの後は、さっき放送した内容が何十秒かダブって放送されるから、一旦録画して不要なところを飛ばして観るのが効率的だ。取り上げられていた村では、役場の中でトイレットペーパーを製造していて、その製造したトイレットペーパーを、村民に無料で配布しているという内容のものである。

 行政機関は、過去からずっと溜まっている膨大な量の書類を、電子化しなければならないことが決定している。電子化についてはある程度進んでいるのだが、データを電子化した後は、紙の書類を処理していかなければならない。しかし、この村ではその処理方法について、相当に悩んでいたらしい。保存されているものは、外に漏れてはいけない個人情報がわんさかと書かれている書類ばかりである。だから、きちんとした業者に依頼して、きちんとした処理を行わなければならないのだが、処理費用の概算見積もりが、相当の高額であったらしい。しかし、このような小さな村では、それだけの多額の予算がなかなか組むことができず、紙の書類の処理が長い間滞っていたようだ。都心とは異なり、置いておくスペースが十分にあるため、処理しないで置きっぱなしになっても困ることはない。だから先延ばし先延ばしとなっていた。

 予算の大きな都心の市町村であれば、この程度の処理はどんどん進んでいくものなのだろうが、地方の人口の少ない行政機関は、どこも歳入が乏しいため、書類の処理に必要な費用が不足しており、共通の悩み事となっていた。中には格安の業者に委託したがために、いい加減な処理をされてしまい、書類に記載されていた情報が漏洩してしまう案件も幾つかあった。そこのトップが辞任するまでになったこともあったようだ。

 この村の村長は以前テレビを見ていた時、オフィス用紙を原料にして、オフィス内でトイレットペーパーを製造する機械についての取材が放送されていて、これは凄い機械だとその購入を検討してみたらしい。ただ計算上コスト回収ができず、残念ながら断念したらそうだ。ところがしばらくして、たまたまその機械の中古が販売されているのを見つけ、金額的にこれならいけると判断して購入したそうである。

 この村長は、発電量は低いが、格安で買える中古の太陽光パネルでの発電だの、既存の農業用水路を使った小型水力発電によって街灯の電力を賄うだの、ガソリンスタンド併設のコンビニを村営で経営するだのと、今までの行政機関では行っていないようなことを実行する、ちょっと変わったアイディアマンの村長として有名だそうで、マスコミにも頻繁に取材されている人物らしい。

 製造したトイレットペーパーは、役場や村営施設のトイレで使用していたらしいが、一般に販売されている大手メーカーの商品に比較したら、当然ながら使用感は芳しくないものだった。だから、村民からの評判は悪かった。職員の中には、自宅からマイペーパーを持ってくる人もいたし、職員と関係者との飲み会では、トイレットペーパーの質を下げるぐらいなら、お前の給料下げろと非難されたこともあったらしい。どこの組織でも、トップが突然ひらめいたアイディアを実行することで、発案者本人は満足だが、そこで働く人たちには、大変迷惑ということはよくあることだ。

 ところが今回のトイレットペーパー不足によって、状況は一気に変わった。

 この機械一台では一日中頑張っても、トイレットペーパーは、せいぜい四十個程度しか製造することはできないのだが、製造したトイレットペーパーの評判が悪かったため、その使用量は極端に少なかった。だから、製造はしたものの、大半は役場の倉庫に眠っていたのだった。その在庫を今回、村民家族に二個ずつ、単身者には一個をすぐに渡すことができた。村では皆が手のひらを返したように、村長を賛辞する声で一杯だそうだ。こういうことがあると、この村長は次の選挙には、確実に再選されそうだ。

 こういうニュースは、ウェブのニュースだけ見ていても、なかなか見つけることはできない。やはりテレビでニュースを見なければと思ってしまう。





 発災十三日目

 ~ペーパーホルダーの工夫~


 各施設や店舗では、トイレットペーパーが盗難されないように、様々な工夫がされている。店内のトイレが利用できることは、その施設や店舗の集客には物凄いメリットだから、トイレットペーパーの在庫を持っているところは、何とか営業を続けたいと思っている。しかし防犯カメラの設置が難しいトイレでは、トイレットペーパーの盗難を防止するのは容易ではない。SNS上には、自分が入ったトイレにこんな工夫があったという投稿が、チョロチョロと見受けられるようになった。

 ある居酒屋では、元々ついているペーパーホルダーの蓋の部分に穴を開け、その穴とトイレットペーパーの芯に自転車のワイヤーロックを通していたらしい。その投稿には、確かにこういう風にされていると、トイレットペーパーをそのまま一個持っていくことはできないが、自宅用に十メートル位グルグル引っ張って、ポケットに入れて持って帰ったと書かれていたように、あまり効果はないのかなと思う。

 ネットではトイレットペーパーの芯が売れているそうだ。前に夏休みになると子供の工作用にトイレットペーパーの芯が売れるという話を聞いたことがあるが、今回は何の目的で売れているのだろう。追跡記事を読んでみて理解できた。

 自宅にストックのある家庭は、外で使えるように自宅のトイレットペーパー数メートルを持って外出するが、持ち歩いているうちにモロモロに崩れてしまう。また丁寧に折って崩れないようにすると潰れてしまって使用時のソフト感がなくなるらしい。トイレットペーパーの芯に巻き付けて持ち歩くのが一番良いということで売れているのだという。確かに家族四人分とかの芯は家にないだろうから買うしかないのだな。他の書き込みには、色々な筒を試した結果が書き込まれていた。ラップの芯は分厚いのでカッターで必要なサイズに切るのが大変で、しかも硬いからバッグとかに入れておくとペーパーが潰れてソフトな肌触りがなくなるようだ。アルミホイルの芯は、トイレットペーパーの芯に近い厚みだが、ペーパーの幅に合わせて切ろうとすると潰れてしまって使えない。きっとメーカーはトイレットペーパーの芯ですら様々なテストをしながら適正な硬さを見つけているのだろうな。

 家のトイレでホルダーについているトイレットペーパーに、芯を押し付け一周ゆっくりと巻き付けた後は、芯にクルクルと巻き付ければ、あっという間に外出用のトイレットペーパーの完成だ。こんな短時間に巻き付けられるのだから、外出時に何も巻かれていない芯を持っていき、トイレでクルクルと巻き付けてしまえば、ワイヤーロックするぐらいじゃ何も意味ないな。しかしこれは明らかに窃盗罪だ。昔ニュースで、店の電源から勝手にスマホに受電していて、窃盗罪で逮捕されたというニュースを見たことがあるが、同じだ。一円、二円であっても窃盗は窃盗だ。

 また別の投稿では、駅ビルのトイレのペーパーがワイヤーロックされた上に、回らないように固定されていたらしい。グルグル巻きとられては困るからだろう。使うときに引っ張っては切れ、裏側の方から指で引っ張ったり、先っちょを探したりしていたけど、だんだん面倒くさくなって、思いっきりビリビリにちぎって使ってやったと書かれていた。確かに固定されていてもカッターか何かで切られてしまえば、短くなるとは言え一応トイレットペーパーを確保できてしまう。いたずらも含めればこれもあまり効果はないな。

 不正利用者との戦いの記録を日々書き込んでいる、飲食店の店長のブログは、かなり読みごたえがあった。最初は盗難防止をチェーンロックから始めたが、全く効果がなかった。この店長はネット検索が好きで、どんな方法で店のトイレのトイレットペーパーを持ち帰るのかを、実際に盗難した人たちの書き込みをネット上で検索しては、それを防ぐための対処法を考えていったそうだ。 

 ただ色々工夫を凝らしていたが、決定打となるものはなかったらしい。現在は、昔買って倉庫に眠っていたものを思い出し、それを使用しているとのことであった。

 倉庫に眠っていたのは、海外製品の巨大なトイレットペーパーで、直径が三十センチを超えるものだった。国内メーカーの製品にもジャンボロールがあったが、発注数量が十六ロールとか非常に多く、五百メートル巻をそれだけ買ったらどれだけの期間使えるのって感じだったから止めた。海外製のものは、家庭用の製品だから三個セットで買えるものだったので、テスト用に買うにはちょうど良い個数だった。

 交換の回収が減るからと買ってはみたものの、普通に自分の方に引っ張るのではなく、横に引っ張って使うしかないものだから、お客さんから使いづらいとクレームが来そうなので、トイレに設置できず倉庫にしまっていたものだ。大きいし、重さも二キロ近くあるから、持って帰ろうとする人もいないので、助かっているという。重ければ持って行ってしまう人もいないという単純な対策が一番効果あるということがわかったのだが、追加で買おうと思っても入手できなくなってしまった。だから最近は普通の五十メートル巻のトイレットペーパーをこの巨大なものの上に巻き付けて使用しているそうだ。結構面倒くさい作業なので、あの時国内製品の十六ロールを買っておけばと少し後悔しているそうだ。

『このジャンボロールを持っていない人でも、普通のロールにグルグル十個ぐらい自分で巻き付けたらいいさ。面倒くさい作業だけど、盗まれたりしなくなるよ』と笑いながら話していた。





 発災十四日目

 ~親友からのヘルプコール~


 地震が発生してから早二週間が経った。バタバタとした毎日だったので、あっという間の半月だった。

 久々に親友から電話が掛かってきた。発災直後にSNSで双方の無事を確認して以来だ。

「久しぶりだな、元気か?」

「おう、元気にしてるよ」

「電話なんて珍しいな、どうした?」

「いや、色々知っているお前なら何とかなるかなと思ってさ」

「なんだ、何に困ってるんだ?」

「実はうちの奥さんから、どうにかしてトイレットペーパーを調達して来いって言われてるんだけどさ、なかなか見つからないんだよ。困っててさ。どっか手に入るところはないかな?」

「おー、いいこと教えてやるよ。牛乳のカートンを水と一種にミキサーにかけてさ、トレイに薄く広げて乾かせば紙になるぞ。ユーチューブで見たからURL送ってやるよ」

「勘弁してくれよ。そんなことじゃなくってさ、トイレットペーパーを手に入れるところを知らないかな」

「わかった、わかった。冗談が通じるほど余裕はないみたいだな。家に少しストックがあるから、お前に売ってやるよ。一ロール五百円でいいか?」

「勘弁してくれよ。それならネットで転バイヤーが売ってる値段と変わらないじゃんか」

「そーか? ネットで売ってるやつの半額のお友達価格だけどな。まあ、冗談はこれぐらいにして、一パックやるよ」

「ほんとか、助かるわ、直ぐにお前んちに取りに行くよ」

 こいつを部屋に通したら、部屋にあるストックの半分を車に積んで持っていく奴だから、なにがなんでも家に来ることは避けなければならない。

「いや、お互い忙しいから、外で待ち合わせにしよう。前にしょっちゅう飲んでた居酒屋の前あたりで落ち合おう。あそこならそっちからもこっちからもちょうど同じ位の時間で行けるだろう。二十分後でどうだ」

「わかった、じゃあ後程」

「あー、何かでかい袋持ってきてくれ。俺はリュックに入れてチャリで行くから。こんなもん剝き出しで持ってたら、襲われるのは間違いないからな」

「わかった、探してみるわ、じゃあ二十分後な」

 こいつとは昔からよく二人で飲んだり旅行に行ったりしていた。他に年一で飲むメンバーがいるが、こいつは特別だ。こいつのなんとかしてくれには応えるしかない。


 待ち合わせの場所の傍まで行くと、奴は既に店の前で待っていた。昔からいつも待ち合わせには十分以上遅刻する常習犯が、こんなに早く来ているとは余程焦っているのだろう。

「おー、悪いな、助かるよ」

「奥さんの機嫌も直ったろ」

「ああっ、やっぱりあんたとは違うって言われちまったよ」

「まあ当然そう思うだろうな。そこの脇道入ろうぜ」

「おっ、おう、何で?」

「いいから、早く」

「わかった」

 人通りのない脇道で背負っていたリュックを開け、持ってきた一パックを奴に渡す。

「これ渡すと俺も結構しんどいんだけど、お前の頼みじゃ仕方がないからな」

「すまん、助かるわ」

 渡したトイレットペーパーを、そのまま手にぶら下げて帰ろうとするから、すぐに呼び止める。

「おいっ、袋に入れろよ」

「おー、そうだな、でも大丈夫だろ」

「あのなー、そのまま剝き出しで持ったまま、私はトイレットペーパー持ってますって感じでチャリ乗ってたら、バイオハザードのアンデッドみたいな奴らが、一瞬でお前に群がってくるぞ」

「わかった、袋にしまうよ」

 奴が持ってきた薄っぺらい袋は中身が半分透けて見えるようなものだった。どこかで襲われてトイレットペーパーを盗まれてしまうと、また連絡をしてくるに決まっている。アンデッドに襲われずに家に帰れることを祈るのみだ。

 自転車で去ってゆく奴を何となく眺め続ける。学生時代は、自宅からわずか百メートル先の自販機まで車でタバコを買いに行っていた男が、今は自転車で汗かきながらトイレットペーパーを持って帰る。時間の流れを感じる。

 




 発災十五日目

 ~スーパーの品揃え~


 東京では下水道の緊急工事や、外壁の修理の為にシートを被せている家などがあるものの、街の風景は、だいぶ地震の前の状態に戻ってきている。ただ道の渋滞は相変わらず物凄い状態だ。

 東名高速道路と中央自動車道が、未だ一部不通箇所がある為、西からの搬入経路が、大きく迂回して、関越自動車道などに限られてしまっている。

 スーパーに陳列されている商品も紙製品を除けば、ほぼほぼ量的には元に戻っているのだが、需給バランスが悪いのか、前よりは価格が高い状態になっている。決まった曜日に行っていたセールなんかも実施されていない。

 量的には変わらないとはいえ、仕入れ先がだいぶ変わったのか、陳列されている商品は、前とは異なるメーカーの商品に変わっている。見慣れない商品を手に取ってみると、北関東や東北・北陸のメーカーの商品が多い。関越自動車道経由だと、時間も掛かるしコストも掛かってしまうから、西からの商品の流通量は、極端に減少しているのだろう。

 発災以来ずっと自宅にある加工食品中心の食事だったので、久々に野菜を買おうと思ったのだが、皆が同じような生活パターンを送っていたのか、考えることは同じようだ。売り場に野菜が少ない。どの野菜も前の値段の三割増しになっている。

 路地物の野菜は生産地シフトといって、旬の最初は九州産から始まり、徐々に東に移り北へ移っていく。西からの物流が大幅に切断されている状況では、一部の野菜が入荷しない、他の野菜を買う、限られた野菜の需要が増えていく、値段が高くなる、といった感じだろう。

 高い物を無理してまで買う程、野菜好きではないので、冷凍食品で野菜が取れるものをと探していて八宝菜を見つけたのでカゴに入れたとき、ぴんときたので、通路を戻り焼きそばの麺を買った。

 横浜の中華街にあるお店に、カリッと焼いた焼きそばの間にトロリとした餡をたっぷり挟んだ名物料理があり、どうしても食べたくてわざわざ食べに行ったことがあった。外で食べたもので気に入ったものがあったら、自宅で再現するのは得意だったが、この焼きそばだけは手間も掛かるし、再現はあきらめていたものだった。

 最近ホットサンドメーカーを使っていて感じたのは、クリスピー感を出したい料理は、これを使えばいちばんうまくできるのではということだった。売り場で突然あの焼きそばがひらめいたのだった。

 あの焼きそばが再現できるかもしれないと、わくわくしながら家に帰り、さっそく調理に取り掛かる。

 ホットサンドメーカーを二つに分離して焼きながら、焼きそばの麺をザルに出し、さっと水で洗う。水分があると焼き目がキレイにつく。熱くなってきたホットサンドメーカーに多めに油を入れ、それぞれに麺を半分ずつ入れ、弱火にする。少し時間を掛けて焼いた方が表面がパリッとする。電子レンジで温めた八宝菜を片方の麺の上にたっぷりと掛け、もう一方の麺を上に重ね、ホットサンドメーカーをぎゅっと閉じる。何回か裏返して完成だ。

 出来上がった焼きそばを皿に移す。パリパリというよりバリバリだ。私の好きな硬さだ。このまま手で掴んで食べたいが、熱くて持てないし、持ってかぶりつけたとしても口の中をやけどするだけだ。ナイフを真ん中に刺すと中から餡が溢れてくる。そのままナイフでザクザクと壊しながら箸で混ぜ、一口目を口に入れる。至高の逸品だ。外側で揚げ焼きされた麺と、餡が染みている内側の柔らかい麺、箸で混ぜて口の中で更に混ざってたまらないうまさだ。

 これって売れるのでは? 最近ランチを提供しているキッチンカーが増えているが、まさにキッチンカー用のメニューだ。たい焼き屋が焼き台の上で焼き機を並べてクルクルとしているように、ホットサンドメーカーを並べてクルクルと焼くイメージが思い浮かぶ。

 キッチンカーで成功するには、ランチ客に素早く料理を提供することと、ロスを極力減らすという相反することをうまくコントロールすることだ。予め麺を焼いておけば、ホットサンドを作るように、面と具を入れてオーダーから二、三分で完成できる。これなら具の種類も増やせる。今日は塩味の八宝菜だったけど、本家の中華街の焼きそばは醬油味だった。エビチリも良いな。半分に切ったサイズを作れば、食べ歩きスナックにもなりそうだ。いや半分に切った残りが余ったらもったいない。餃子も両面焼けるからカリカリ餃子とかバリエーションも出来そうだ。アイディアが湧き上がってくる。真剣に事業化したくなってきた。時間があるときに事業プランを検討しよう。





 発災十六日目

 ~都内は渋滞だらけ~


 中央自動車道・外環自動車道が全面復旧した。これで西側から東京にアクセスするルートが一つ確保できることになった。東名高速道路・新東名高速道路は、相変わらず不通箇所があるままだ。

 東日本大震災の時は、あっという間に高速道を復旧させ世界が驚いたが、今回はなぜこんなにも時間が掛かっているのだろう。管理会社のサイトをチェックしてみる。

 中央自動車道は震源からある程度距離があるから、大した損傷もないと思われたが、八王子から相模湖付近で法面の崩落が多かったようだ。東日本大震災の際は、千五百メートルに亘る盛土の崩落をわずか六日で復旧させたらしいが、これは地権者がすぐ脇の農地を作業スペースとして提供してくれたため、ダンプカーを待たずに取り除いた土砂を置く仮置き場として活用できたからだそうだ。中央自動車道の場合は、山間部が多いため、効率を上げられなかったようだ。

 特に復旧まで時間がかかったのは橋梁の補修とトンネルの補修だったらしい。

 橋脚や橋梁には検査路が設置されており、五年に一回の目視による検査が義務付けられていたが、近年の技術開発により、数年前からドローンやカメラによって得られた画像をAI診断することも認められるようになった。そこで運営会社は社員にドローンを飛ばすための国家資格を取得させ、ドローン部隊を育成して全国の検査箇所を回って検査していた。数年前にその部隊で感染症のクラスターが発生してしまったために、検査ができない期間が発生してしまったそうだ。原因は洗面所での歯磨きの際に飛沫が飛散し、狭い洗面所だから次々に感染してしまったらしい。ドローン部隊が完全に復帰するのに数週間かかってしまったために、その期間の検査を外部に委託せざるをえない状況だったそうだ。

 その業者が検査報告データを、さも全体を検査したかのように装って捏造していたようだ。実際には半分も検査していなかった。検査していない部分に、野鳥が住み着いている部分があり、そのフンによりボルトが腐食して強度が落ちていた。その部分周辺が今回の地震による揺れによって亀裂が入ったようだ。緊急点検を短時間で実施するために、複数の業者にエリアを分割して発注したことから捏造が発覚したようだ。検査をごまかしていた業者には、検査費用をちょっとだけちょろまかしていた金額の数十倍の損害賠償が請求されるのだろう。

 トンネル内部の壁面には多くのひび割れが発生していた。通行が不可能な損傷ではなかったらしいが、今後同規模の余震があった際に、その損傷個所が大きくなるかもしれないので、完全な補修を行っていたようだ。

 東名高速道路・新東名高速道路・中央自動車道が不通だったので、西から来る物流は関越自動車道に迂回していた。また、西からの物流不足を補うため、東北自動車道や常磐自動車道から都内に入ってくる車は普段より多い。

 東北自動車道・常磐自動車道は、そのまま首都高速道路に入って都内南部方面に行くことができる。関越自動車道からは、外環自動車道を経由して首都高速道路に進むことは可能だが、相当に迂回することになるため、一般道で南方面に移動する車が多くなる。従って都内の環状道路やその周辺の道路は非常に渋滞している。

 更に都内も、地震によるアスファルトの変形や上下水道・ガス管などの緊急工事があるため、一般道も通行が制限されている箇所が多く、それも渋滞の要因になっている。

 新幹線が一部しか運行していないため、東京から移動先に一番多い大阪へは、空路を利用するしかないから、羽田へ向かう道も渋滞が多い。更に羽田発のチケットが取れない人は、成田からの臨時便に乗るため、東京から東方向に向かう道路も渋滞している。

 これだけ渋滞が多いと、都内では店舗への配送も遅延が多くなっている。コンビニでは一番の稼ぎ時のランチタイムだというのに、弁当やおにぎりといった売れ筋商品の棚が、ガラガラになってしまっている。ドラッグストアでは、トイレットペーパーを朝一で販売して行列をなくしたいのに、昼になっても搬入されないものだから、行列がなかなか解消できない。販売時間を聞いていた客が店員を怒鳴る、店員はひたすら詫びる、悲惨な状態だ。

 飲食店も食材が間に合わないようで、ランチメニューがよく変更されていたりする。個人商店のような店は、手に入る食材だけで作ることができるメニューに変えることが出来るが、チェーン店はメニュー以外のものは作り方すらわからず、セントラルキッチンからの納品があるまで、客への対応に苦慮している。

 これだけ道路が渋滞していると、緊急車両の走行にも問題が発生しているようだ。

 パトカーは現場への到着時間は、発災前平均で八分程度だったが、現状は二倍近くかかっているそうだ。こんなことニュースで言ってよいのだろうか。犯罪を計画している人が見たら、すぐに実行しそうだ。

 消防車や救急車も現場への到着に時間が掛かっており、東京都からの広報では、なるべく自家用車の利用を控え、公共交通機関を利用するよう呼び掛けている。





 発災十七日目

 ~ミニマリスト達の苦悩~


 自分に取って本当に必要な物だけを残して不要な物を極力持たない、ミニマリストと呼ばれている人たちがいる。

 私のように必要になるかもしれない物が部屋にあふれている生活というのは、ミニマリスト達に取っては真逆にあるライフスタイルだろう。私にとってはいざというときの物は、不要な物ではなく、必要な物だと思っているから、必要な物に囲まれて生活をしているだけなのだが。

 今回の発災によって、色々なおが世の中からなくなってしまったことで、SNS上では、ミニマリスト達の悲しみがSNSに多数載っている。

『場所を取る物は、なるべく家に置いておきたくなかったから、トイレットペーパーもティッシュペーパーもストックはわずかだった。もはや使い切ってしまった』

『物が無くなったら、下のコンビニに買いに行くだけで済んでいたのに、コンビニに物が無い』

『服が最低限しかないから、洗濯できなくて着る物がない、会社に行けない』

『給水車来ているけど、水を入れる物持っていない。空のペットボトルに入れてきたけど、直ぐに飲み切ってしまった』

 物を極力持っていない生活は、引っ越しも楽だし、小さな間取りに住むことも問題ないから、借りている部屋の家賃も安く済む。冷暖房だって余計な物を置いていないから、部屋がすぐに冷えたり温まったりするので光熱費も少なくて済む。そもそも物をあまり買わないのだから、お金を使うこともない。メリットだらけのライフスタイルだ。しかし、メリットが大きければ大きいほど、デメリットも大きくなる。このような災害が起きたときには、人並み以上にデメリットを受けることになる。

 日本経済のバブルが弾けるまでは、会社に束縛されず、アルバイトをしながら自分のやりたいことをするライフスタイルが流行っていた。盆正月に満席の新幹線や大渋滞の高速道路を移動する人たちを見て笑いながら、自分たちはガラガラの平日に旅行できることに満足していた。しかし経済が低迷して雇い止めが起こると、生活の糧を失い、自分の趣味を楽しむ余裕がないどころか、日々の生活すらも危うくなってしまった。普通の人と異なるライフスタイルにシフトした場合、短期的には素晴らしいことであっても、大体不可逆的なことだから、何か大きな変化が起こった時に元には戻れず、そのライフスタイルから享受したメリットの分だけデメリットを味わうことになる。

 シェアハウスに住んでいる人達も、トラブルが多いようだ。キッチンや風呂、冷蔵庫や洗濯機など、共有できる物は共有していく、そんなライフスタイルを満喫している人たちと言ってよいだろう。私の中ではミニマリストと同義語だ。

 仲の良い数人が集まって暮らしているシェアハウスでは、お互い持っている物を節約しながら、皆でうまく分配して、どうにか難局を乗り切ろうとしているが、いわゆる商業的なシェアハウスでは、知らない人も多く住んでいるわけで、物の取り合いや、力のある人達だけで少ない商品を分配してしまうような、一般社会をそのまま縮小したような争いごとが起きている。

 一方ノマドとか言われている人達は、とっとと東京を捨て、地方へと移動したようだ。地方のトイレ事情は、関東程悪い状況ではないようで、トイレに行きたいときに行くことができる、久々に満足感のなる生活を書き込んだSNS投稿が多い。

 前に見た深夜ドラマで、田舎から東京に引っ越してきた女の子が、荷物が届かなくて炊飯器がないから、コーラの缶でご飯を炊くシーンがあった。物が無ければ無いなりに、工夫をすれば何とかなるものだ。発災以来料理をする時にホットサンドメーカーの出番が多い。断捨離が流行った時期があったけれど、フライパンを捨ててホットサンドメーカーだけあれば、生活していくのに充分なのかもしれない。トーストを焼く時だって、バターをホットサンドメーカーに溶かして食パンを乗せれば、裏返して焼いても数分あれば出来てしまう。トースターも捨ててしまっても良いのかもしれない。

 使用頻度が少ない物は極力保有せず、どこにでもすぐに移動できるノマドというライフスタイルも面白いなと思う今日この頃である。






 発災十八日目

 ~トイレ修理~


 トイレ事情がなかなか改善しないので、トイレの排水トラブルが増加しているらしく、修理をお願いしてもすぐに来てもらえるところがないそうだ。修理業者に頼んでも一ヶ月待ちは当たり前の状態になっている。テレビのインタビューに答えていた水道業者は、トイレットペーパーが無くなってから、温水洗浄便座の設置工事や修理も増えているために、予約がパンパンの状況だそうだ。

 トイレが詰まる理由として、まず第一にトイレットペーパー使用量が多すぎて、便器の水流で溶け切らずパイプに詰まることだ。

 自分も子供の頃に、一回の使用量が多すぎて、何度もトイレを詰まらせ母親に怒られていた。なぜ使用量が多かったのかは、あまりに古いことなので思い出せないが、何度怒られても暫くすると同じことをしてまた怒られた。子供とはそんな生き物だ。

 流してはいけない物を流して詰まってしまうことも多い。特に今回のようにトイレットペーパーが不足して代用品を使っている状況では、この理由が一番多いのではないだろうか。

 子供がいる家庭では、ティッシュペーパーは流さずに横のビニール袋に捨てろ。お尻を拭いたハンカチは、ジプロックに入れて封をして、洗濯機の横に置け。家庭内のルールをお母さんが作っても、ついつい忘れてしまうのが子供達だ。まあ多分お父さんもだ。

 意外と知られていないのが水道の水圧だ。水道の水圧は一定ではないから、水圧の弱いときにいつもなら流れるトイレットペーパーが流れなくなってしまうことがある。広域で停電していて水道が出ない時に、『なんで?』と思っている人が、テレビの街頭インタビューで結構多かった。なんでと思っている人は、多分水道管の中は、川の流れのように水が流れていると思っているのだろう。

 水道管は地下を流れていて、蛇口は地上にあるのだから、地下から地上へ重力に逆らって水道は上がってくるとでも考えているのだろうか。そんなことができるのならば、タービンを回して発電ができてしまう。発電に重油も天然ガスも原子力もいらなくなる。

 水道水が蛇口を捻ったら出てくるのは、浄水場からかなりの高圧でポンプによって圧送されているからだ。水道局では、水道の使用量を細かく監視しながら、適切な水圧に調整してはいる。しかし、急激な使用量の増加で水圧が弱くなることもある。水洗トイレの便器には、タンク式とタンクレス式がある。タンク式は、背面のタンクに溜まった水で流すから、水圧が下がった時、タンクに水が溜まる時間は長くなるが、流す強さは変わらない。一方タンクレス式だと、水圧が弱くなった分、流す強さも弱くなるから、そんなときに溶けにくい物を流してしまうと、配管に詰まりやすくなってしまう。タンクがない分スペースを取らないので、都内の狭い敷地に建てる家屋で人気だが、メーカーが推奨していない高層階に設置していたために、詰まりの原因になっているそうだ。

 家庭だけでなく、お店のトイレも詰まっている。人の目のあるところでは、同調圧力に負ける日本人だから、ふるまいは大変紳士淑女であるが、トイレの個室の中という他人の目がないところではやりたい放題。詰まりそうな物でも気にせず流してしまうのだろう。

 投稿サイトには親切にもトイレ詰まり修理の方法を丁寧に教えてくれる動画が増えている。詰まりを直すにはラバーカップといういわゆる『すっぽん』と言われる商品があれば良いのだが、置いてある家などは多いはずもなく、ホームセンターに行ったところで売り切れ必死の商品だ。そんな人でもつまりを解消できるように自宅にある物を使っての説明は、今の状況を分かった上での説明で大変親切なことだ。

 トイレの詰まりを解消するには便器の入り口から圧力をかけて詰まっている物を排水管の方に流すのが基本だ。確かにラバーカップという商品は、排水の入口のところを塞ぐようにかぶせ、押し込んでその圧力で詰まっている物を流す。他の動画ではカップをゆっくりと押しつけグッと引き抜くとある。押し込むのと引っ張るのとどっちが効果的なのだろう。家にラバーカップがないから試してみることはできない。たぶん買いにいってもどこの店でも品切れだ。

 ラバーカップを持っていない人のために、ペットボトルで代用する方法もあった。二リットルなどの大きなボトルの底を切ってラバーカップのように押し込んで水圧で詰まりを流す方法だ。これならどの家でもできそうだ。ただペットボトルだと押し込むことはできそうだが、押し込んだらグシャグシャとなって、引き抜くことは不可能だ。効果的なのかどうかはなんともいえない。

 ペットボトルもない人には、ラップフィルムを使う方法もあった。ラップで便器をグルグル巻きにして密封し、上から押すというやり方だ。これは密封するのが難しそうだ。完璧に密封しなければ圧力がかからない。家にペットボトルがないのであれば、買いに行った方がラップで試すより良いような気がする。

 針金ハンガーを使った詰まりの解消方法を説明している動画もあった。アップしている人がとても丁寧で、代表的な便器ごとに細かく形状の説明がされている。便器の断面図を見ながらハンガーを曲げる位置を細かく説明する丁寧な動画なのだが、あるメーカーの商品に偏っていた情報だったので、多分便器製造メーカーの社員か関係者なのだろう。

 詰まった時に普通の人が最初にトライしてみるのは、単純にバケツで水を流すことや、重曹とかクエン酸とかを使ってみるのが多いそうだが、水を勢いよく流し込んだ時に、詰まりが解消できないと水が溢れ出してしまうし、薬剤を使用すると、便器の表面の防汚加工を傷つけてしまうこともあるらしいので推奨していない。こんな方法を推奨している動画もあったので、ユーチューブで見た情報は必ず検索して正しい情報なのかを確認した方が良いのだろうな。


 妹から電話だ。嫌な予感がする。

「おぅ、みんな変わりないか」

「うん、旦那も会社に行ってるわ」

「そうか。ところで水道は復旧したのか」

「おかげさまで。あと二、三日駄目だったらホテルに行くかって話しているとことだったから良かったわ」

「そうか、ところで要件はなんだ、トイレットペーパーか」

「そうなのよ。私じゃないのよ、あの娘がさ、学校で友達にしゃべっちゃったらしいのよ。トイレットペーパーに困ってないって」

 マウント取りたがるのは、母親そっくりだな。母親とまったく同じDNAなのか、困ったやつだ。いや待てよ。俺と気の合う性格のあの旦那の娘じゃないか。知っている限り姪っ子は父親似だ。友達に自慢をするようなタイプじゃない。アイツのことだ、またママ友にマウント取ったのを言えないから、娘のせいにしていやがるな。俺が姪っ子に甘いのを知ってるからな。アイツならやりそうなことだ。

 問い詰めてやろうかと思ったが、まあここは騙されたふりをしてやろう。

「こっちもそんなに在庫はないから、少しだけだぞ」

「助かるー、感謝感謝」





 発災十九日目

 ~政府による緊急輸入~


 発災から三週間近くなって、政府が海外から緊急輸入したトイレットペーパーが漸く日本に到着し、最初に医療機関や高齢者施設に配布された。

 ただし、評判はあまり良くない。輸入されたトイレットペーパーは、片面がツルツルで非常に硬く薄い商品だった。エンボス加工されてフワフワした肌触りに慣れてしまった日本人には使いづらい。前にマスクが不足して緊急輸入したときも、日本人が使わないようなマスクを輸入して、税金の無駄遣いといわれていたが、官僚には製品の質ということを吟味する能力に欠けていると言わざるを得ない。商品さえそろえば何でもよいと思っているのだろう。

 まあわからないでもないのは、現場で実務に関わる人達は、物凄い情報量を保有していて、この事態を冷静に分析している。私が知っている少ない知識だけでも、家庭に一ヶ月程度は平均在庫があり、業界も一ヶ月程度で回復できると言っている。だから一部の人たちが困ることはあっても、日本全体にはどうにかギリギリの量があるわけで、何とか乗り切れるだろうと。緊急輸入よりも、静岡以外のエリアでの増産や、そのロジスティックスの検討、各行政機関が保有している災害物資の放出など、他にやるべきことはあるのだ。しかし、首相から絶対に一ヶ月で解消しろと言われてしまうと、そうならなかった時のマイナス査定が嫌なのだろう。結局上層部からの命令に逆らうのは避けておきたい。だから最良のことを検討するというよりも、言われたことはやりましたよというアリバイ作りのために、どんな品質でも良いからすぐに手配できる商品を輸入してしまえとなってしまう。

 各省庁のお偉いさんたちもやらなければならないことだとは思っていないが、政治家たちからのプレッシャーがきついから現場にプレッシャーをかける。政治家たちも望んでやりたいとは思っていないが、あちらこちらの業界団体からのプレッシャーがきつい。言うことを聞かないと、次の選挙では自分に投票してもらえない。結局のところ、悪いのは政治家でもなく公務員でもなく、国民の一部ということになる。

 トイレットペーパーを緊急輸入すると発表された時から、ネットでのトイレットペーパーの価格が大きく落ちこみ始め、その動きにあせった転バイヤー達が、自分が在庫している商品の投げ売りを始めたので、価格がどんどん落ちていた。しかし、政府が輸入したトイレットペーパーの質が良くない、虫が入っていた、カビていたと日々ニュースが流れると、再び値上がりを始めた。


 質の悪いトイレットペーパーに税金が使われたと国民の評判は良くないが、対応に苦慮していた介護施設なんかでは、非常に喜んでいるということだ。マスク不足の時と同じだ。しかし、病院では別の問題も起こっている。

 介護施設では、トイレは基本その施設内の人だけが使うが、病院には、一般診療の患者も数多く来院する。その人達が、トイレからトイレットペーパーを持って帰ってしまえば、あっという間に在庫がなくなる。仕方がないので、トイレの前に人員を配置して、盗難防止対策を行っているそうだが、ただでさえ人手不足の病院で、こんな業務に人員を割くのは非常に困難で、事務員たちは、昼はトイレ監視、夜は残業して日常業務を消化している。

 また、バックヤードでの盗難も多いらしい。在庫しているトイレットペーパーが一個二個となくなるのは日常茶飯事で、中にはトイレットペーパーの入った大きな段ボール一箱を、廃棄物と混載して台車に乗せ、ごみ置き場に一旦おいてから暫くして自家用車に詰め込み、自宅に持ち帰ってネットで転売していた男が逮捕されている。

 緊急輸入分が、一般のところまで配布されるのはまだまだ先の話だ。配布手段もまだ決定していないようである。私のストックは、万が一断水して温水洗浄便座が使えないことも想定していたことだったけど、断水することもなかったので、充分にストックできている。発災日に急いで買った二パックも余分にある状態だ。

 そこで、明らかに余剰のストックを数パック、近くにある児童養護施設へ送ることにした。確か十八歳ぐらいまでの子供たちが入居しているはずだ。潤沢な予算がないところで運営している施設だから、食事や生活環境などきびしい生活を強いられている上に、思春期にトイレットペーパーのない生活は、精神的にもきついはずだ。

 私にとってトイレットペーパーを贈る行為は、タイガーマスクと名乗ってランドセルを贈ったような善行ではない。本来なら他の人に譲らなければいけなかった二パックを買ってしまったお詫びとしてお渡しするだけの懺悔である。





 発災二十日目

 ~ベンチャーの発明~


 ある企業が盗難防止に効果のある、電動式のトイレットペーパーホルダーを開発し、販売を始めたそうだ。その商品は、ロックしたホルダーから一回に出す長さと次に出る時間を、予め設定することができるという商品だ。長さは八十センチから百八十センチ、時間は三十秒から十分の間で設定できるらしい。一回使用するともう一回使用するまで時間がかかるので、トイレを使う人が何とかトイレットペーパー一回分で済まそうとするから、使用量も低減できるし、そもそもガラガラと何十メートルも持って行ってしまわれることもない。特殊工具を使用しなければ、壁面などに設置することができないので、誰かがドライバーや六角レンチを持参して外そうとしても無理な構造だ。ペーパーの補充も特殊工具を使用しないとできないから、アルバイトとか内部の人間の盗難も防げるという。色々な企業や団体から問い合わせが来ているそうだ。ただ、価格が税込みで五万円近く、更に設置工事費が別途かかるそうだ。かなりの高額商品だ。

 確かにこのホルダーがあれば、トイレットペーパーを盗まれるリスクはかなり低減されるし、使用量も少ないから、在庫のトイレットペーパーがどんどんなくなってしまうこともない。盗難防止のためにトイレに見張りをつけたり、見回り回数を増やすような人件費も削減していくことができるのは間違いない。ただし高い。問い合わせはあるだろうけど、導入する企業がどれほどあるのかは疑問だ。ちょっと不安なのは、百パーセント故障しないマシンというものはなく、故障したときのことが不安だ。長さを計測するということは、センサーが内蔵されているということだ。トイレットペーパーは紙粉も多いだろうから、センサーの読み取り部分が汚れて動作不良を起こしたら、トイレットペーパーが出てこなくなるか、延々と出続けてしまうことになりそうだ。トイレ使用中にこんな状況に遭遇したら大パニックだ。

 また他の企業は、トイレ入口に設置するトイレットペーパー配布ロボットの販売を始めたそうだ。トイレットペーパーを下さいと呼びかけると、お腹のポケットから一回分を手渡ししてくれる。顔認証を行っているので、直ぐに並びなおしても『さっき渡したでしょ』と拒否されてしまう。価格は六十万円強、話題づくり的要素が強い商品だ。遊園地のようなところに導入されるかもしれない。


 トイレットペーパーの販売で面白い記事を見つけた。飲料自動販売機ベンダーの会社についてだ。その会社の社長は自動販売機に入れる商品で悩んでいた。ベンダーは自動販売機を設置できそうな場所に設置料を支払い、そこで販売された商品で利益を出す仕組みだ。だから、設置料や電気代、商品補充の人件費などの費用は固定費に近いから、損益分岐点を超えると利益は良いが、ちょっとでも売れ行きが鈍ると途端に赤字に陥るビジネスだ。世の中が不景気だから、ディスカウンターとかが増え、自動販売機での飲料販売量は減っている。飲料以外の商品を自動販売機で売ることができないかを模索していた。

 その時たまたま知り合った人がフィギュア制作会社を営んでおり、近年はガチャガチャの販売が好調なのだが、新しい企画を行わないとすぐに飽きられてしまう。そこでガチャガチャに入れるカプセルより大きい物を作りたいと考えて、缶ジュースサイズのプラスティック筒にフィギュアを入れて自動販売機で販売してみたところ、物珍しさからバカ売れした。ただ飽きられるのも早かった。筒型のカプセルの大量在庫を抱えることになってしまい、在庫のカプセルの活用法を考えていた。自動販売機のスペースが空いている人と、自動販売機にセットできるカプセルを持っている人、中に入れる売れる商品さえ見つけられれば、お互いの悩みが解決できる。夜な夜なバーのカウンターで二人、ああだこうだと議論を重ねていたが、ある日、今一番ニーズがある物はトイレットペーパーだと意見が一致した。直ぐに製紙メーカーを検索していたところ、ある地方のトイレットペーパー製造しているメーカーを見つけることができた。この会社では自社オリジナル商品として、携帯用の十五メートル巻のトイレットペーパーを製造していた。キャンプ用品や旅行用品の並びで細々と販売をしているが、売り上げは芳しくない。一般のサイズの製品もあるが、ノーブランドだから販路も少なく、このトイレットペーパー不足にも関わらず、受注もそれほど伸びていない。

 自動販売機で普通サイズのトイレットペーパーを売ることはできないが、十五メートル巻のトイレットペーパーなら売ることができる。今世間で困っている人は、明日のトイレットペーパーがない人だ。だから今必要な商品は一ヶ月使える商品よりも一週間使える物だと。多少コスパが悪くても絶対に買うはずだ。すぐに手配をして、商品化にこぎつけたそうだ。

 大々的に広告を打つようなことは当然ないが、街中で見つけた人がSNSで発信して、口コミで広がり、扱い量が飛躍的に伸びているそうだ。


 妹から電話だ。荷物が付いたかな。 

「荷物着いたか」

「着いた着いた。一緒に水が入っていたけど、これ何?」

「あんなでかいダンボールで滅茶苦茶軽かったら、中身がトイレットペーパーじゃないかって、盗む奴がでてくるかも知れないだろ。だからペットボトル入れて重くして、品名食品って書いて出したんだよ」

「まさか盗む人なんていないでしょ」

「そんなことあるか、みんな飲み屋のトイレから盗んだり、買い物帰りにぶら下げている年寄りから強奪したりしてるだろ。病院で在庫を横領した奴もいたな。法を犯す奴って、自分だけは見つかることはないだろうと思って、結構安易に悪いことやるんだよ」

「まあ確かにそうかもね、とにかくありがとう、助かったわ」

「二度あることに三度はないからな、これが最後だぞ」

「今回は私のせいじゃないわよ、私じゃないからね」

 電話の向こうの声の感じから、私にばれたなとは思ったのであろう。何十年も家族でいると、行間のそのまた行間のところまでわかってしまうのである。お互いに。





 発災二十一日目 

 ~ポケットティッシュ~


 都心に出ないので知らなかったが、ポケットティッシュの中身をトイレットペーパーに変えた商品が物凄く売れているようである。一般に売っているのではなく、法人用らしい。デパートでは入口でお客さんに配布しているようだ。

 この商品を仕入れる前はトイレの前に社員を立たせ、トイレの利用者にトイレットペーパーを一回分ずつ手渡ししていたらしいが、そんなところに人員を割くのも大変だし、もっとよこせと騒ぐ客も多かったらしく、困ったことになっていたらしい。この商品を配布するようになってからは、そういったトラブルも少なくなり、施設の入り口で配布すればよいから、社員達も楽になったようである。

 ポケットティッシュ型のトイレットペーパーと言われて思い出すのは、昔は駅のトイレの個室にトイレットペーパーが設置されておらず、入口の自動販売機でトイレットペーパーを販売していたことだ。若い人にこの話をしてもクエスチョンマークが十個位頭の周りを飛び交うだろう。確かトイレットペーパーとは言わずちり紙という名称で、今のポケットティッシュより少し大きなサイズだったような気がする。そういえばいつから個室にトイレットペーパーが設置されるようになったのだろう。記憶が全くないのでネットで検索してみる。どうも一九八七年の国鉄民営化と共にトイレの美化に取り組み始め、順次設置していったようだ。

 話は逸れたが、今回販売しているポケットティッシュ型のトイレットペーパーを製造販売している会社の社長は、以前から東海地震があったときに、国内のトイレットペーパーが不足することを知っており、そうなった時に役に立つ商品として、ポケットティッシュの製造ラインで、ティッシュの代わりにトイレットペーパーを入れた商品が出来ないか試行錯誤を繰り返していたらしい。

 中身は長さ三メートル程度のダブルのトイレットペーパーなので、一回か二回分の利用にしかならないが、一個数円で製造できるため、施設や店舗で無料配布するにはちょうど良い価格ということだ。法人からの引き合いが多く、製造が間に合わないそうである。製造は中国なので運送代も結構かかるのではと思ったが、良く考えてみれば効率よく運搬できそうな商品である。

 トイレットペーパーは円柱状だから、梱包したら四方が空洞になる。全体の四分の一は空洞だ。更に真ん中は一割ぐらいが空洞だ。トイレットペーパーの輸送は空気みたいな軽い物を運んでいると思っていたが、三分の一は本当に空気を運んでいる。

 この商品ならダンポールに隙間なく押し込んで入れることが出来るし、トイレットペーパーの紙自体はエンボス加工がされているから、無理やり詰め込んで潰れてしまっても、配布する時は元に戻ってフワッと感を損なうことがない。トイレットペーパーをそのまま輸送するスペースに二倍近く詰め込めるのだから、単位当たりの運送代も減らすことが出来る。良い商品だ。

 政府がトイレットペーパーの緊急輸入を検討している時に、この社長も関係者を通じて政府に働きかけを行ったそうだが、こういった特殊な商品は全く候補に挙げてもらえなかったそうである。

 現状販売している物は、ポリ袋の中に無地の台紙と折りたたんだトイレットペーパーが入っているが、台紙はそもそも広告面になっている物で、次の輸入分は広告を印刷した物になっているそうだ。確かにティッシュペーパーを使うときに、広告を見る人は少ないと思うが、中身がトイレットペーパーならば、トイレで使用する時に、広告を読んでくれる時間もありそうだ。





 発災二十二日目

 ~福岡の高速船~ 


 福岡から釜山へは、高速船が運行しており、片道でも四時間弱かかるものだ。格安航空だと福岡からソウルまで一時間半弱で済むから、ずいぶん時間が掛かることになるのだが、この高速船が大人気となっていて、予約も取りづらいらしい。目的は韓国にトイレットペーパーを買いに行くためだ。シニア割引だと二万円も掛からずに往復できるので、高齢者がおそらく関東辺りに住んでいる息子、娘にトイレットペーパーを送るため、奮闘しているのだろう。孫に直接頼まれたら、ジージ、バーバは張り切らざるを得ない。

 事前予約さえすれば段ボール三個を船内に持ち込める。元々は持ち込み制限なしだったらしいが、日本からトイレットペーパーが消えてしまうと、直ぐに業者のような人達が限度無く積み込んでいたので、制限を設けたようだ。航空機を使うと無料で預けられる荷物大きさでは、トイレットペーパー六十ロール位入れるのが限界だ。段ボール三個なら百ロール以上持ち込める。

 女性たちは、あの韓流ドラマの撮影地だの、何とかっていう音楽グループのメンバーの生誕地だの、あちらこちらに聖地巡礼をしまくる。SNSで見たとか、誰々さんが絶賛していたとか、流行りのデザートを食べに行って、写真を撮りまくる。誰々さんが効き目がすごいって言っていたとか、日本の半値だとか、化粧品を買いまくる。やりたいことはたくさんあるので、大体一泊してから帰ってくるようで、元々トイレットペーパ―に関係なく、韓国に何度も旅行する人たちが中心のようだ。

 一方男性たちはというと、韓国なんて行きたくはないのだが、子供や孫に頼まれて渋々行く人が多い。最初の頃に高速船を使って釜山に行った人たちは、到着後急いでタクシーに乗り、市内のスーパーやドラッグストアみたいなところに買いに行っていたようだ。急がないと日帰りで帰れないからだろう。自分用に買いたい物もなく、辛い物も食べたくなく、目的のトイレットペーパーを購入できれば一刻も早く帰りたいし、宿泊費まで計算したらアマゾンの高額転売商品とあまり金額が変わらなくなってしまう。

 韓国側では、トイレットペーパーを買いに来る日本人があまりにも多いので、最近では免税店の通路に、山積みにして売っているらしい。この免税店の取り扱いは人気になっていて、男性たちは、タバコを買い、ウィスキーを買い、焼き肉を食べて、最後にトイレットペーパーを買って日帰りで帰るそうだ。一方市内の店舗のほうも、今まで来ていた客が来なくなるのはもったいないと、無料バスを設え、トイレットペーパーと一緒に何かしらを買ってもらおうと必死なようだ。

 九州の旅行社も、行きが航空機利用で移動時間が掛からないようにして、帰りを空いている午前中の高速船を利用した一泊のツアーなどを企画している。個人予約で高速船往復、日帰りするのと同じような価格で、一泊できる商品のため、こちらも好評なようだ。一泊できるから、年配の人たちだけでなく若い人たちも予約するため、空いている日程を探すのが大変なぐらいになっているらしい。

 一方で地元の人達には迷惑をかけているようだ。釜山市内で住民にインタビューをしている映像が流れていたが、どの店に行ってもトイレットペーパーの在庫は少ないし、価格も高くなってしまい大変に困っているらしい。

 かなりの量を持って帰れるので、自分だけでなく親族や友人の分ぐらいまでは一度行けば賄えるから、周りからも喜ばれることのようにも思うが、SNSには韓国製のトイレットペーパーを知り合いから貰ったけど、トイレに流すことができなそうな硬い紙で、流したら案の定トイレが詰まってしまったという残念な書き込みをする人が多い。

 韓国では十年ほど前までは、トイレットペーパーは流さずに、横に設置してあるごみ箱に捨てるところが多かったそうだ。理由は、配水管が狭くて詰まる、水圧が弱くて詰まる、紙の質が悪くて詰まるとのことらしい。ただオリンピックの誘致が決定して以降、トイレ改革が行われ、水圧の高いトイレの設置や、配水管の改良がおこなわれたそうだ。ホテルやショッピングモールなどは当然として、観光客が行くような所の大半は、日本と同じようにトイレに流せるようになったとのことだ。トイレットペーパーの質についても、だいぶ改善されている物が多くなってきているらしい。

 韓国に住んでいる日本人が、トイレに流せるか流せないかをまとめた、トイレットペーパー銘柄一覧をSNSに掲載してくれている。韓国のトイレットペーパーは、三十ロール一パックの商品も多いらしく、パック入り数も併せて書き込んでくれているので、若い人はこういう情報を集めてから、旅行に行って購入している。

 海外製品については、日本以外に住んでいる友人知人に頼んで送ってもらうケースが多いらしい。ITスキルの高い人たちならメールで頼んで、海外宅急便を手配して仮想通貨で支払って、特に苦労することもなくトイレットペーパーを手に入れることができる。輸入代行業者に依頼して個人輸入しているケースも増えている。ただこんなケースが増加し続けているので、通関手続きが大混乱しているそうだ。





 発災二十三日目

 ~一一〇番通報~


 都内では警察への通報が非常に多くて、電話をしても警察官がすぐに現場に行けない状態が続いている。

 トイレットペーパーは相変わらず売り切れ状態だが、少しずつ流通量も増え始めているので、開店前から店に並んだ人は買うことができるようになってきた。買うことができるようになると、今度は購入できた人の帰り道を襲うトイレットペーパー狩りなることが続発していて、高齢者や女性など抵抗されても強引に奪うことが出来そうな人がターゲットにされている。警察官の現場到着がどうしても遅れてしまうため、犯人の特定や検挙に時間がかかっている。テレビのニュースでは、できるだけ自家用車を使っての買い物か、複数の人間で購入に行ってほしいと呼び掛けている。

 まあ言うのは簡単だが、現実問題としてはなかなか難しいだろう。都内での一人住まいの人では、一緒に買い物に出かけられる人もいないだろうし、駐車場代が高くて自家用車なんてとてもじゃないが保有することなんてできないのが現状だ。警察もできるだけ街のそこここに立って、犯罪を未然に防げるよう巡回警備を強化している。

 通報でもっとも多いのが、店舗などでのトイレ関連のトラブルらしく、トイレットペーパーの盗難や、トイレットペーパー未設置についてのカスタマーハラスメントなどだ。店頭でのトラブルは、警察官があなたの行為は違法行為であって、ちゃんと罪名があり刑法で処理されることになりますよと説明を行うと、加害者は突然おとなしくなって店側に詫びることも多いようだ。例えば土下座しろとか謝罪文を書けとかいった行為は、強要罪にあたるので三年以下の懲役になる。机や壁を叩いて大声を上げるのは脅迫罪や威力業務妨害罪、ネットに流すぞと言ったり上司に言うぞと怖がらせて見返りを要求するのは恐喝罪に当たる。本人は怒りに任せて軽い気持ちで行っている行為なのだろうが、程度がひどいものは裁判にかけられることになる。もう少しこういった法律が世間に広まったら、こういうトラブルも減るんだがな。

 店側も少しずつトラブルを減らすべく対応を考えているようだ。あるショッピングモールでは、トイレットペーパーの手配ができず在庫も尽きたため、トイレの入り口にトイレットペーパーを設置していない旨を大きく掲示してトイレを開けていた。温水洗浄便座が一つ故障したのだが、たまたまそこに入った客がお尻を拭く物を何も持ってなかったため、トイレから出ることができず警察に通報した上、大事な商談に遅れたから損害賠償請求をすると騒いだことあったらしい。以前なら温水洗浄便座が故障していても、仕方なく紙で拭いて出て行ったのだろうが、トイレットペーパーがないことにより大きな騒ぎとなってしまった。そこでモール側は洗浄ノズルから水が出るかどうかのチェック用に、透明な半球に棒を付けた物を作成して、トイレ清掃の際にノズルにかぶせて洗浄水が出るかどうかを調べるようになったそうだ。店側の努力も警察の出動回数を減らすためには必要なことだ。


 静岡県や神奈川県では、地震の被害が大きかったため地元警察だけでは人員が足らず、東京都からの警察官の応援も相当数出ている。東京都下の方では、崖の崩落や古い住宅の倒壊など、警察官が行かなければならない案件も多い。こういった現場は消防の出番のように思われるが、人的被害がないかの捜査や交通規制など警察官の行うことも多い現場だ。昔読んだ漫画で主人公のスーパー消防士が、空き家の火事現場で指揮官の命令に逆らって捜索を行い、住み着いていたホームレスを発見したという話を見たことがあったが、倒壊した家屋が空き家とはいえ、そこに人が百パーセントいないことが確認できるまでは、時間のかかる作業だ。

 それ以外にも通報として多いのは、全く事件事故とは関係のない通報だ。広域災害が起きたときは、家族と連絡がつかないとかいったことは仕方ないかもしれないが、電気が付かないとか、給水車がこないとか、渋滞がひどいとかいった通報すべきではない内容のものが相当量増える。こういった不必要な通報への対応のために、事件事故への対応が遅れてしまう。助けられる生命が助けられないことになってしまう可能性もあるのだから、冷静にかけるべき連絡先を考えて行動するべきだ。

 知り合いの警察官に聞いたのだが、警察官はトイレに行きたい時は、基本として警察署に戻るか近くの派出所のトイレを借りるそうだ。コンビニや商業施設のトイレを借りるときに、じゃまだから拳銃のついたベルトを外してそのまま忘れてくるケースがたまにあるらしく、警察署内なら万が一忘れても問題にならないからだそうだ。大きな事件があって、大勢の警察官が長時間いなければならないような現場には、トイレカーが来るそうだ。その知り合いは、現状忙しすぎて派出所による時間もないため、毎日おむつを着用して勤務に当たっているとのことだった。小さなもめ事はなるべく警察官の負担にならないよう、当事者同士で解決してもらいたいものだ。

 警察署のトイレからトイレットペーパーを盗もうとした男が逮捕された事件もあった。警察署には、容疑者は当然として、被害者や関係者、弁護士、相談に来た人など相当多くの人の出入りがあるので、入り口でのチェックはあっても中に入ってしまえば、特にトイレなどは自由に使われている。だからこの男も簡単に盗めると思っていたようだ。この警察署は以前にトイレにあったトイレットペーパーをごっそり盗まれたことがあったようで、それ以降トイレに入る人を遠目から監視していたそうだ。監視さえしていればプロは不審な動きをしているのをすぐに見破る。トイレに入るときと出るときのカバンの膨らみ方の違いを見抜き、逮捕に至ったようだ。虎穴に入っても虎児は得られないので、そんな無謀なことはやめておいた方が良い。


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