Ⅱ
十五歳の少女らしく、ノラの部屋は可憐な調度品であふれている。
天蓋付きの寝台に飾り棚、ロココ調の猫脚化粧台。いずれも白の塗装が施された天然木を使用しており、愛らしくも洗練された一室になっていた。
「ここが、君の部屋か」
白を基調とした空間のなか、黒づくめのオーウェンはどことなく異質に映る。
ノラの手引きで屋敷に侵入した彼は、窓辺の椅子に腰かけるとレースの窓掛越しに外を眺めた。
「いい場所だね。素敵な白薔薇の庭園がよく見える」
深く優しい声で褒められて、ぱあっとノラの表情が明るくなった。
「そうなの、薔薇が好きなわたしのために、お父さまがとびきりの品種を仕入れてくれて……! お母さまやお姉さまも一緒に、手ずから種を植えてくれてね。わたしの部屋はあの庭園の、」
はっと我に返る。いくら嬉しかったとしても、捲し立てるようにはしゃいでしまうなんて、はしたない。
淑女とはどんなときも落ち着き、優雅な言葉遣いで気品をそなえているものだ。グレイ伯爵家の娘としてノラもかくあれと、家庭教師に言われているのに。
「……あの庭園の?」
オーウェンが柔和に笑って続きを促した。
恥ずかしさで赤く染まった顔をうつむかせ、ノラは消え入りそうな声を振り絞る。
「特等席、なの。朝起きたとき、夜眠るとき、晴れの日も雨の日も……ここからの景色はいつもきれいで、わたしのお気に入り、なんだ」
「そうか。大切な場所を貸してくれてありがとう──君はご家族に、とても愛されているのだね。優しい心の持ち主なのも頷ける」
まっすぐな賛辞は、異性にまだ慣れていない少女をたやすく照れさせる。
しかし悠長に話している場合ではない。
平静を装っているが、オーウェンの顔にはうっすら脂汗がにじんでいた。よく聞けば呼吸も浅く、眉根が苦しげに寄っている。
ノラは急いで盥に水を張り、軟膏や包帯をはじめとする救急用具を準備した。心配性な父が揃えてくれたのだが、当の本人は引きこもりがちで怪我をする機会もなく……今日まで新品のまま眠っていた。
まさか、役に立つ日が来ようとは。
「結構痛むかも。なるべく手短かに済ませるね」
「ああ。跪かせて申しわけない、……頼むよ」
血や痛ましいものが苦手なノラだが、覚悟を決めてオーウェンの下衣、左の裾をまくる。
(あれ?)
指先に伝わった、上質でなめらかな生地の感触。
商人というより貴族がまとうような衣に思えたが、それよりも違和感を覚えたのが──野犬に咬まれたと聞いていた患部。
止血に使っていた手巾を取り、明るい照明のもとで彼の脛を見てみれば、牙痕らしき傷はどこにも走っていなかった。小さな何かが肉を貫通した、痛々しい傷がひとつあるのみ。
(獣に襲われたのなら、もっと、引っ掻き傷みたいなものが何本もできるはず……)
あらためて観察するとオーウェンの下衣は脛回りが軽く裂けているだけで、食いちぎられた様子もない。
最初に見た出血量と彼の苦しみよう……野犬が原因でないのなら、いったい何が。なぜ嘘をついたのか?
どちらかといえばこれは、銃創のようだが。
「……どうかしたかい?」
「あっ、ううん。なんでもないっ」
手早く薬を塗り、包帯を巻き終える──と同時に、ノックの音がこだました。
「入るわよ。ノラ」
マルティナの声だ。
とっさにオーウェンを窓掛でくるむ。慌てて入口に駆け寄ると、ノラが開けるより早く扉が開かれた。
「お、お姉さま、どうしたの?」
「どうしたのって。おやすみのキスをしにきたのよ」
「あ……」
いつもの日課じゃない、と言いたげなマルティナの怪訝な表情に冷や汗をかく。
不自然に映っただろうか。隠したいものがあると、神経が過敏になって余計な言葉を口走ってしまう。
「身体を冷やさないようにね。夜ふかしはだめよ」
「う、うん」
幸い、マルティナに怪しまれる様子はなかった。
いびつに膨らんでいるだろう窓掛を思うと気が気でなかったが、部屋を覗かれるそぶりもない。
「おやすみなさい。いい夢を」
「お姉さまも、いい夢を……」
ノラの額にそっとキスを落とし、マルティナは踵を返す。ぱたんと扉が閉められて数秒、
「………………ぷはぁっ」
知らず識らず詰めていた息をノラは吐き出した。
心臓が早鐘を打ち、手が震えている。見つかったらどうなっていたか考えるだけでどきどきだ。
(いまはなんとかやり過ごせたけれど、いつ誰が来るかわからない……)
オーウェンをこの部屋のどこかに隠さなければ。
(……そうだ!)
ノラは長櫃に目をつけた。
いつか、マルティナのおさがりでもらったものだ。
姉のもとでは衣装箱として使われていたが、ノラは宝物入れにしていた。好きな本や、白薔薇の押し花で作った栞、可愛い絵柄のクッキー缶、小さくなってしまったお気に入りの服、古びたテディベア──。
それらを取り出して寝台の下へ隠し、空にした長櫃にオーウェンをしまう。膝を曲げて仰向けになれば、彼の長躯もすっぽりとノラの宝箱におさまる。
「棺で眠る吸血鬼になった気分だよ」
長櫃に横たわったオーウェンが笑う。その姿を見たノラも、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
枕を差しこみながら軽口を交わす。
「寝心地はどう?」
「思いのほか快適だ。君は天才だな、ノラ」
マルティナとの会話を盗み聞きしたのだろう、彼はごく自然に少女の名を呼んだ。
名乗っていなかったことはおろか、するりと情報を握られたことにもノラは気づかない。
──穏やかで、楽しい夜だった。