表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5


 十五歳の少女らしく、ノラの部屋は可憐な調度品であふれている。

 天蓋付きの寝台に飾り棚(キャビネット)、ロココ調の猫脚化粧台(ドレッサー)。いずれも白の塗装が施された天然木(マホガニー)を使用しており、愛らしくも洗練された一室になっていた。


「ここが、君の部屋か」


 白を基調とした空間のなか、黒づくめのオーウェンはどことなく異質に映る。

 ノラの手引きで屋敷に侵入した彼は、窓辺の椅子に腰かけるとレースの窓掛(カーテン )越しに外を眺めた。


「いい場所だね。素敵な白薔薇の庭園がよく見える」


 深く優しい声で褒められて、ぱあっとノラの表情が明るくなった。


「そうなの、薔薇が好きなわたしのために、お父さまがとびきりの品種を仕入れてくれて……! お母さまやお姉さまも一緒に、手ずから種を植えてくれてね。わたしの部屋はあの庭園の、」


 はっと我に返る。いくら嬉しかったとしても、捲し立てるようにはしゃいでしまうなんて、はしたない。

 淑女とはどんなときも落ち着き、優雅な言葉遣いで気品をそなえているものだ。グレイ伯爵家の娘としてノラもかくあれと、家庭教師(ガヴァネス)に言われているのに。


「……あの庭園の?」


 オーウェンが柔和に笑って続きを促した。

 恥ずかしさで赤く染まった顔をうつむかせ、ノラは消え入りそうな声を振り絞る。


「特等席、なの。朝起きたとき、夜眠るとき、晴れの日も雨の日も……ここからの景色はいつもきれいで、わたしのお気に入り、なんだ」

「そうか。大切な場所を貸してくれてありがとう──君はご家族に、とても愛されているのだね。優しい心の持ち主なのも頷ける」


 まっすぐな賛辞は、異性にまだ慣れていない少女をたやすく照れさせる。

 しかし悠長に話している場合ではない。

 平静を装っているが、オーウェンの顔にはうっすら脂汗がにじんでいた。よく聞けば呼吸も浅く、眉根が苦しげに寄っている。

 ノラは急いで(たらい)に水を張り、軟膏や包帯をはじめとする救急用具を準備した。心配性な父が揃えてくれたのだが、当の本人は引きこもりがちで怪我をする機会もなく……今日まで新品のまま眠っていた。

 まさか、役に立つ日が来ようとは。


「結構痛むかも。なるべく手短かに済ませるね」

「ああ。跪かせて申しわけない、……頼むよ」


 血や痛ましいものが苦手なノラだが、覚悟を決めてオーウェンの下衣、左の裾をまくる。


(あれ?)


 指先に伝わった、上質でなめらかな生地の感触。

 商人というより貴族がまとうような衣に思えたが、それよりも違和感を覚えたのが──野犬に咬まれたと聞いていた患部。

 止血に使っていた手巾(ハンカチ)を取り、明るい照明のもとで彼の脛を見てみれば、牙痕らしき傷はどこにも走っていなかった。小さな何かが肉を貫通した、痛々しい傷がひとつあるのみ。


(獣に襲われたのなら、もっと、引っ掻き傷みたいなものが何本もできるはず……)


 あらためて観察するとオーウェンの下衣は脛回りが軽く裂けているだけで、食いちぎられた様子もない。

 最初に見た出血量と彼の苦しみよう……野犬が原因でないのなら、いったい何が。なぜ嘘をついたのか?

 どちらかといえばこれは、銃創(・・)のようだが。


「……どうかしたかい?」

「あっ、ううん。なんでもないっ」


 手早く薬を塗り、包帯を巻き終える──と同時に、ノックの音がこだました。


「入るわよ。ノラ」


 マルティナの声だ。

 とっさにオーウェンを窓掛(カーテン )でくるむ。慌てて入口に駆け寄ると、ノラが開けるより早く扉が開かれた。


「お、お姉さま、どうしたの?」

「どうしたのって。おやすみのキスをしにきたのよ」

「あ……」


 いつもの日課じゃない、と言いたげなマルティナの怪訝な表情に冷や汗をかく。

 不自然に映っただろうか。隠したいものがあると、神経が過敏になって余計な言葉を口走ってしまう。


「身体を冷やさないようにね。夜ふかしはだめよ」

「う、うん」


 幸い、マルティナに怪しまれる様子はなかった。

 いびつに膨らんでいるだろう窓掛(カーテン )を思うと気が気でなかったが、部屋を覗かれるそぶりもない。


「おやすみなさい。いい夢を」

「お姉さまも、いい夢を……」


 ノラの額にそっとキスを落とし、マルティナは踵を返す。ぱたんと扉が閉められて数秒、


「………………ぷはぁっ」


 知らず識らず詰めていた息をノラは吐き出した。

 心臓が早鐘を打ち、手が震えている。見つかったらどうなっていたか考えるだけでどきどきだ。


(いまはなんとかやり過ごせたけれど、いつ誰が来るかわからない……)


 オーウェンをこの部屋のどこかに隠さなければ。


(……そうだ!)


 ノラは長櫃(ながびつ)に目をつけた。

 いつか、マルティナのおさがりでもらったものだ。

 姉のもとでは衣装箱として使われていたが、ノラは宝物入れにしていた。好きな本や、白薔薇の押し花で作った栞、可愛い絵柄のクッキー缶、小さくなってしまったお気に入りの服、古びたテディベア──。

 それらを取り出して寝台の下へ隠し、空にした長櫃にオーウェンをしまう。膝を曲げて仰向けになれば、彼の長躯もすっぽりとノラの宝箱におさまる。


「棺で眠る吸血鬼(ヴァンパイア)になった気分だよ」


 長櫃に横たわったオーウェンが笑う。その姿を見たノラも、なんだかおかしくなって笑ってしまった。

 枕を差しこみながら軽口を交わす。


「寝心地はどう?」

「思いのほか快適だ。君は天才だな、ノラ」


 マルティナとの会話を盗み聞きしたのだろう、彼はごく自然に少女の名を呼んだ。

 名乗っていなかったことはおろか、するりと情報を握られたことにもノラは気づかない。


 ──穏やかで、楽しい夜だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 年の功、ですねぇぇぇぇ! 世間知らずのお嬢様なんて、手のひらの上でころころ……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ