2、はじまりの日
庭に出ると春風が頬を撫でた。
視線の先を小さな桃色の花びらが流れていく。
白いスカートがふわりと風に靡いて膝を叩いた。
片手に家庭菜園用のスコップを持って、先に飛び出した愛犬のお尻を追いかける。ときおり花弁に気を取られながらも、ふんふんと鼻を鳴らしてマドラは進む。毎日の散歩コースだが、その足取りは新天地を求めるように慎重だ。
「埋蔵金の匂いって上からでも分かるの?」
肉厚なお尻に問いかけるが返事は鼻息だけ。
小粒な尻尾は千切れんばかりだ。
重圧なお肉と柔らかな毛並みでマドラは元気だが、エマは寒いと腕をさすった。
春先はまだ冷える。上着を着てくれば良かった。
「ねぇ、わたし上着取ってくるからマドラは先に.....マドラ?」
ぽてぽてとした足取りが止まった。
熱心に地面に鼻を擦り付けて、やがてぽてぽて走り出す。いつもの散歩コースから少し離れた場所でまた止まると、草も生えぬようなカラカラの地面を小さな足で掻き始めた。
今までに無い反応だ。
これは、もしかしたらもしかしたかもしれない。
パッと表情が華やぐ。先程までの寒さはどこへやら。興奮からか上着のことなどすっかり頭から消えていた。
「宝石?金?金貨1000枚....ううん、100枚もあれば数年は贅沢出来る」
肉の並んだ食卓が頭をよぎる。
角煮、ステーキ、焼肉、すき焼き、牛丼、スペアリブ、ローストチキン、唐揚げ。
想像するだけで涎が出る。
エマはこくりと喉を鳴らすと、拳を空へと突き上げ声高らかに宣言した。
「絶対に見つけるのよマドラ。一攫千金!億万長者!似非お肉暗示生活からおさらばよ!」
「ワゥウ!」
今朝の食卓を思い出してエマは叫んだ。
似非お肉暗示生活とはジャガイモを「これは肉」と暗示をかけて食べる生活のことである。当然美味しいジャガイモの味しかしないので、積極的にこの生活から抜け出したい。
エマは意気揚々とスコップを握ると、マドラが掘り進める場所にその先を埋めた。
絶対になにか埋まっている。
エマは直感的にそう感じていた。理由も確信も無い。マドラが反応したという曖昧な理由だけだが、それでも不思議な確信がエマを突き動かしていた。
「お肉、お肉、おっにく〜」
「うふっ」
「生ハムって言うのも食べてみたいよね。あとは仔牛の.....っ、固い。え、固い物がある!もしかして本当にお宝が?!」
ゴツリ。
スコップの先が阻まれる感触。再度スコップで同じ場所を刺すが、それが砕ける様な感触は無かった。土の塊では無い。石でも無い。
マドラと目が合う。
言葉はいらなかった。
いっせいに同じ場所に手を伸ばすと、勢いよく穴を広げて行く。
5センチ、10センチ。
次第に姿を表す“それ“にふたりの期待値は爆上がりした。顔を出したのは黒い箱の様なもの。箱は相当な大きさなのか、まだ一部しか見ていない。表面には砂で汚れていて見えずらいが、金の文字が掘られていた。土を払う。上質な箱だにエマの口角が上がる。指でなぞりながゆっくりと、綴られた文字を読み上げる。
「なになに、闇の王はここにねむ……」
埋めた。
文字を理解したその瞬間、エマは後ろに積んでいた土を高速で穴へとリリースした。困惑する愛犬を他所にスコップの裏側で念入りに土を固めると、音もなく立ち上がる。
その瞳に先程の輝きは無い。
あるのは焦燥と困惑。
エマは細腕を愛犬の食パンのような柔い腹に手を入れると、一目散に駆け出した。
「やばいやばいやばいやばい」
走った。家に向かって力の限り走った。掘り当ててしまった現実を振り払うように、前だけを見て地面を蹴った。
「どうしようどうしようどうしたらいい」
やってしまった。
見覚えがあるなんてものではない。
あれは太古の負の遺産。300年前にエマ自身の手で土に埋めた宿敵のーーーーーー
ドンッ!ドンッ!
破裂音。
地面が揺れる。風圧にタタラを踏んで足が止まった。じわりじわりと漏れ出る黒い波動。懐かしい魔力。己と対になる属性の気配に、己の運のなさを呪った。
「起こしちゃった……」
目を閉じ、天仰ぐ。
パラパラと乾いた音に混じって、ガコンッとフタが開くような音。
眉間に皺が寄る。
細く怯えた声を上げるマドラを労りながら、エマはそろりと振り返った。
ああ、声が聞こえる。
「……の色、この形、この清純な少女特有の魂の香り……ふふっ、ふはははは、ようやく、ようやくだ」
「ヒィッ」
ガサガサ、ガサガササ。
穴から手だけが伸びていた。
指の長い青白い手が、出口を探すように仕切りに地面を擦っている。あれがゾンビか。見たことないけどそうに違いない。死んでないけど、生者(エマ限定)を求めて徘徊はするもの。
ガザ、ガサガサ、ガサガッガッガッ!
やがて手が動きを止める。出られないと理解したようだ。そのまま諦めてくれ。エマは薄い希望に縋った。だが、内心では半分ほど諦めてはいた。
だってあいつ、死ぬほど諦めが悪い。
思考を裏付けるように地中に魔力が集まっていく。
「.....よ、我を拒む......薙ぎ払え」
「ば、バカバカバカ!こんな所でそんな大きな魔法使ったら」
耳が拾ったのは中級魔法の詠唱。
咄嗟にマドラを己の背に隠す。エマは懐から杖を取り出すと、早口に魔法の詠唱を始めた。
「星よ絶対の障壁を、光よ集いて、か弱きモノを守りたまえ」
杖の先に光が集まる。それは杖を中心に彼女の前で広がり、やがて一枚の壁となった。魔法障壁。防御に特化した光がエマの前に盾となって現れた。
「芸術は爆発だ」
「光の障壁!」
その瞬間だった。
限界まで濃縮された魔力が足元で弾けた。
ドンッッッッッ!!
先程よりも強い衝撃派。
反射的に片手で視界を保護する。
殺しきれなかった突風に握った杖ごと身体が後ろに引きずられ、慌てて足に力を入れ直す。土煙で前が見えない。パキッと硝子の割れる音がした。
どうやら力は衰えていないらしい。
ガラランと蓋が転がる音がした。
「ようやく….ああ、ようやくだ。この日をどれだけ待ち望んだことか。いま、そうまさにいまこの時!最初の願いは成就した。今度は今度こそ....そうであろう?なぁ、せぇぇえぇえいぃいじょぉぉぉおぉお」
土煙の向こうから男の歓喜に濡れた声がする。役職名でありながら己が呼ばれていると理解できるーーいや、させられた懐かしい声。蜂蜜みたいに甘さを含んだテノールが、両手を広げて走ってきた。
ああ、逃げられない。
エマは視線を遠くに投げた。
頭上には憎らしいくらい晴天が広がっていた。
読んでくださりありがとうございました!