16、ある女の独白
「どうして」
女の声が薄暗い室内に溶ける。
啜り泣く彼女に手を差し伸べる者はいない。
女はひとりだった。
力なく床に座り込む。白百合と評されることもある長い銀糸は、無造作に床に広がり埃を被っている。それを、汚いと結えるほどの余裕が彼女にはない。
ただ怯え、啜り泣いた。
「どうしてよぉ...」
両手で顔を覆う。
血を吐くような声だ。
「どうして、どうしてどうして」
声に反応するように、ポッと明かりが灯る。それは天井にひとつ、ふたつ、みっつと増えていく。
天井に壁に床に。明かりの無い部屋に、指の先ほどの光の玉がぽつぽつと増えていった。同時に、静まり返った空間に笑い声が増えていく。
まるで部屋が息を吹き返したようだ。
やめて、と耳を塞いだ。
鮮明に聞き取れた笑い声が、今はノイズの混じった笑い声にしか聞こえない。
「ねぇ、耳が変なの」
次第に大きくなる不協和音に頭を掻きむしる。この間にも音はさらに変化する。不協和音がパチパチとラップオンに変わっていく。
もう音すら上手に聞き取れない。
「ねぇ、聞いてる?変なんだってば」
『主人が戻られた』
『可愛い可愛い星の子ども』
『素敵な日だわ』
「ねぇ、ねぇったら」
ばちぱちぱち。
楽しげに跳ねる彼らは答えてくれない。
本当に聞こえているのか、いないのか。それすら判断できなかった。
ただ、彼らの喜びが、この現象と関係があることだけは理解していた。
光の玉が窓に向かって飛んでいく。
「ねぇ、どこにいくの?お願い耳が変なの。行かないでちょうだい」
『きっと戻られるわ』
『戻られる日も近いわ』
『それなら戻る準備をしなくちゃ』
「まって、わたしを置いてどこに行くの?!まってちょうだい!」
『我々の愛しの子』
『可哀想な可愛い子」
『大事にしてあげなくちゃ』
「ねぇ、お願いだから!」
女の悲痛な叫びは届かない。
窓をすり抜けてスルスルと外へ。魔法で施錠された窓でも、実態のない彼らには関係がない。
いやよ、行かせない。
両手を広げて窓の前に立った。
光の玉が動きを止める。
今さら出ていくなんて虫が良すぎる。絶対に行かせないから。
『ご苦労様』
『身代わりご苦労様』
『お仕事はお終い』
『自由よ、自由!』
「お願いよ。外には行かないでちょうだい。わたしにまだ力を貸してよ。そうやって上手くやってきたじゃない?」
『お疲れ様』
『お疲れ様』
『お疲れ様』
「行かないで!!!」
パチパチ、パチパチ、パチパチパチパチ。
彼らの言葉は理解できなくなっていた。
それでも、なにを言っているのか手に取るように分かった。それが許せなくて、叫ぶ。
「今まであなたたちに尽くしてきたのはわたし!名前も顔もしらない“主人“なんかじゃない!」
「だから、ありがとうって」
「どこの馬の骨とも知れない奴に、わたしの代わりなんて務まるはずないでしょ!?」
『ーーーーー』
『ーーーーー』
『ーーーーー』
破裂音が止む。
分かってくれた。そう勘違いして、女は捲し立てるように己の有能さをアピールした。
嬉しくて堪らなかった。
この時間を続けようと必死だった。
「そうでしょ?だって昼夜あなたたちのために駆けずり回っていたんだもの。曖昧で断片的な夢を繋ぎ合わせて、伝えてきたのはわたし。そんなことが出来るのはわたしだけ.....そうでしょ?」
静まり返った部屋に己の息遣いだけがある。
きっとすぐに肯定される。
女はそう確信していた。
いつものように肯定されて、賞賛されて、賛美されて、そうして暮らしてゆくのだと。
だが一向に返答はない。
「ねぇ、なんで黙ってるの?そうだって、今までみたいに同意してよ!!!」
焦燥と不安が同時に襲ってくる。
早く言ってお前は特別な存在なのだと肯定して。
女の願いはいつまで経っても叶わない。
どうして、いつもみたいに褒めてよ。
涙が今にも溢れそうだ。カタカタと震える手を握りしめて、おそるおそる顔を上げた。
待っていたのは、暴力だった。
「なに勘違いしてるの?」
「お前が、代わりなんだよ」
「えっ」
やけにハッキリと声が聞こえた。
冷たい氷のような声が心に刺さる。
バチバチと雷のような音が鳴っていた。
「なに、なん....」
「あの子は夢を途切れさせない」
「あの子は夢を私利私欲に使わない」
「あの子は望むままに夢を見られる」
「あの子は声を聴き漏らさない」
「わ、わたしだって、もう少し練習すればできるように」
「出来損ない」
「出来損ない」
「出来損ない」
「やめてよ、止めてったら!!」
「夢見させてやったのに、恩知らず」
刺さる、刺さる、言葉が心臓を貫く。
痛い、痛い痛い。泣いて止めてと懇願しても、一度始まった制裁は止まらない。
気が済むまで痛ぶられて、ボロ雑巾のようにされる。昔みたいに。
どうして今まで優しかったのに。
泣いて喚いて、耳を塞いでしゃがんだ。
それでも声は止まなくて、それでーー
「お前、もういらない」
「ーーーーーーっ!!!」
ーーーナニカが壊れる音がした。
「あっ、あ...?あああぁ...?」
彼らの声はそれきり聞こえなくなった。
弾けるような音すら、もう。
縋るように手を伸ばしても、すり抜けて窓の向こうへと消えてしまう。全部、そう部屋にいた全部が、居なくなってしまった。
この部屋には女以外誰もいない。
「ぁ...ぁぁっ、ぁああぁあああ、なん、なんで、いやいやよ..........なんでこうなるのよぉおおお!!!ァァァア!!」
女の叫びが虚しく部屋に溶けていく。
もう、部屋に明かりは灯らない。
最後までありがとうございます!
彼女の正体はーー? 次回投稿をお楽しみに!