14、出発
鳥の囀りに意識が浮上する。
花の香り。風が頬を擽る。柔らかな日差しに誘われるように、ゆっくりと瞼を開いた。
ゆらゆらと揺れる身体。蹄鉄を鳴らす音に、エマは早朝から荷馬車に乗り込んだことを思い出した。
今後の方針を決めたエマたちは、早々に宿を出ようとした。密告され、兵士が宿屋にくれば、立派な営業妨害。匿うように泊めてくれた主人に迷惑はかけられない。
せめてものお礼にと店主に多めにチップを握らせ、今夜には去ることを告げたのだがーー
「それって夜逃げじゃないですか!恩人にそんなことさせられません!」
ーーと、号泣されてしまった。
おんおんと涙する店主を慰めている間に、女将さんが手を回してくれたのか、近くを通る行商人の荷馬車に乗せてもらえる事になった。
出発は明日の早朝。
別れの挨拶を手近に済ませ、今度こそ静かに街を去るつもりだったのだがーー
「ありがとう!」
ーー早朝にも関わらず、外門前にはたくさんのヒトが待っていた。
口々に告げられる感謝の念がこそばゆい。
照れて満足な返答が出来なかったエマだが、彼女が心から喜んでいるのを街人たちは理解していた。
まるで花が綻ぶようだった。エマの笑顔を彼らは嬉しそうに語る。
「ありがとう!魔物を倒してくれて!」
「本当に助かったんだ!」
「また、いつでもおいで!」
こうして、お弁当と感謝の言葉をたくさん抱えて、エマたちはデブリンを後にしたのだ。
そうして、馬車に揺られること数刻。眠りから覚めたエマがぼんやりとしていると、口の端を拭われた。
「んぐっ」
「おはよう、エマ」
「...ん、んー?はよ」
真上から声がする。だらりと背中を預けるようにして見上げれば、端正な顔立ちが覗き込んでいた。
シオンだ。
そういえば椅子になると宣言されて、しぶしぶ従ったんだったか。
背中から伝わる体温が眠気を誘う。まだ夢うつつな視界で、親指を舐める彼をぼんやりと見ていた。
「起きたかい」
「まだ寝ぼけておるがな」
「慣れない馬車で疲れたんだろう。コンコ村に着いたら宿で寝かせて貰うといい」
行商人が朗らかに笑う。
お勧めは村の東側にあるお店らしい。
まぁ、そこしか宿屋は無いらしいが。
「小さな村だが豊かな所だよ。作物の実りも良くて、魚なんかもよく捕れる。住人も親切ないい人ばかりでね。強盗や殺人どころか、喧嘩だって滅多に起きやしないさ」
だから旅人に人気の村だという。
確かに飢えない環境が整っていれば、犯罪を犯す村人はいないだろう。だが、それは村の中だけの話だ。
人の出入りが多ければ、それだけ揉め事も増えるはずだが、それも滅多に無いのだと言う。
「あそこには腕効きの護衛が居るんだと、揉め事を起こすような連中なんかあっという間に村の外に放り出されちまうって話さ!」
「ほう、腕利の護衛か」
「俺も見たことは無いが、盗賊の連中が「もうあの村には近寄らない」って愚痴ってやがったから本当の話だろうさ」
「それは一度拝んでみたいものだ」
「滅多に会えないって話さ。まぁ、悪さしたら話は別なんだろうが」
あんたらじゃあな、と商人は笑った。
代わりにとお勧めの観光スポットを教えてくれる。
「コンコ村についたら教会に寄ってみるといい。あそこは聖木が生えてるからね」
「聖木?」
「おいおい、聖木を知らないなんざ何処の田舎からーああ、ナーサリー・ツリーって言えば分かるか?」
「いや、アレは聖木ではーー」
「世界樹があるの?」
慌ててシオンの膝を叩いて注意を逸らす。遮るように会話に加わり、側頭部で鳩尾を殴打して黙らせた。
呻き声が頭上で漏れる。
「あそこは神聖な場所らしくてね、前のその前の王様が植えるように言ったらしいんだ」
「へぇ」
「遠征中に助けられた恩返しって噂もあるけどね」
「安直」
「けど、その方が良いだろう?見ず知らずの街に置いておくよりも」
「確かに」
結局は人情よ、人情!と行商人は笑う。
国益を優先するのが王の務めだが、人間臭さは嫌いではない。エマは笑って同意した。
「神聖だって話もあながち嘘じゃないんだろうな」
「どうして?」
「親切な人しか居ないって言ったろう?それって、悪人にとっては居心地が悪いからじゃないかっておじさんは思うわけよ」
「だから善人しか残らなかった、ってこと」
「そうそう!誰だって悪人より善人といたいだろう?聖木も同じさ」
「惹き寄せている、の間違いではないか?」
「それじゃあ、ホラーになっちまう!」
怖い話にしないでおくれ、とシオンの言葉に行商人が返す。人智を超えた力を持っているから、洒落にならないと。
なんだ、結局は都合よく解釈しているだけか。エマが目配せすると、シオンも考えは同じだったのか呆れたように嘆息した。
「お、噂をすれば。ついたよ」
行商人の言葉に外を覗けば、遠くに大きな門が見えてきた。木彫りのそれには「ようこそ、コンコ村へ」と彫られている。随分と賑わっているようだ。
村まで送るという申し出を断り、少し遠くに降ろしてもらう。渋られたが「歩くのも観光のうち」と言えば、納得したように行商人は頷いた。
「おじさん、ありがとう」
「こちらこそ、あんがとな!俺たちの街を守ってくれて!恩人たちを届けられて良かったよ。元気でな!」
行商人のおじさんが手を振る。姿が小さくなって見えなくなるまで手を振って、エマたちは村に向かって歩き始めた。
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