12、夢遊病
「きみは2日間、昏睡状態であった」
2日、2日といったか。
デザートクラブが出現したのは昼頃だから、正確には2日と半日己は眠っていたのか。
エマは愕然とした。
「そんな、そんなのって」
両手でまろい顔を覆って視界を遮る。
そんなことをしても現実は現実のままで、夢だと覚めたりしない。冗談という言葉が頭をよぎるが、彼はそんなタチの悪い冗談を言うような性質ではない。
「.......ねた。損ねたのよ」
「落ち着け」
「落ち着いていられるわけないでしょ!だって、こんな.....わたし耐えられない」
「エマ」
ぐっと唇を噛む。悲しみを吐き出すように吠えた。血を吐くような思いだった。瞳は涙で滲む。これは現実だ。時間にして60時間。エマは眠り続け、そしてーーー
「8食分食べ損ねたなんて耐えられなぁいぃ!」
「そっちカァア!!」
ーーー八つ時を含めると12食を食べ損ねた。
嘆きを吹き飛ばすような鋭いツッコミが入る。聴き馴染みのない甲高い声だ。
嘆き悲しむ美少女に共感できないたぁふてえ野郎だ。
不届者の面を拝んでやる……とエマが顔を上げると、カラスと目が合った。水差しの隣にちょこんと止まり、こちらをくるくるとした愛らしい瞳で見ていた。
可愛い顔してるじゃねぇか。
荒んだ心が和らぐ。だが、それも一瞬のことだった。
「そっちってなによ。重要なことでしょう」
「さほど重要ではないわ!カア!」
「うぅるっさ!」
あまりの喧しさにエマは耳を抑える。
絶対に100dvある、と涙目でキッと彼を睨みつけた。
喧しいと嘴をシオンに摘まれている姿はカラスそのものだが、こいつは魔物だ。
近い間柄なのだろう、手付きは柔らかい。
伝書鳩代わりに呼んだのだろうか。
「はぁ.....魔王様、本当にこのへちゃむくれが今代の聖女なのですか?鴉にはそうは思えませぬ」
「一万年に1人の美少女捕まえて、へちゃむくれとはなによ」
「頭も小鼠のようで.....」
「カラスに言われたくない」
「神の御使とさえ言われる鴉を軽視するとは、知能が低い証拠ですな」
「あなた魔王側でしょ」
「崇める言葉であれば問題ありません」
「うわぁ、見境がない」
「なんとでもおっしゃい」
な、生意気〜!
これは一度、上下関係をはっきりさせねばならない。エマはふんすと鼻を鳴らした。人間様の恐ろしさを分からせてやる、とカラスに手を伸ばす。
くすぐり地獄に落としてやる。せいぜい泣き叫ぶがいい。
聖女とは思えない邪悪な表情を浮かべ、カラスに手を伸ばすが、それは叶わなかった。
「な、なによ」
返事はない。
赤い瞳がこちらを見ていた。
シオンだ。彼がエマの手首を掴んでいた。
「な、なに、怒ってるの?」
「怒ってはいない」
怒っている、わけではないらしい。
説教コース1時間かと身構えたエマが肩の力を抜く。
てっきり小動物を辱めようとした悪魔的な発想に、怒りを露わにしたと思ったのに。そうではないらしい。
ではなんだと瞳を覗くが、ゆらゆらと揺れていて感情を読み取ることが難しい。
庇護と沈痛とあとやっぱり憤怒。相反する感情が渦巻いているように見えた。
やっぱりちょっと怒ってるじゃん。
「じゃあ、離して」
「身体は痛むか?」
「別に普通だけど」
「怠さはあるか?腹はどうだ」
「お腹は、空いてるけど.....」
「.......そうか」
妙な聞き方だ。
「どこまで記憶がある」
「どこって」
「大雑把でよい」
「デザートクラブを倒した所まで、だけど……」
「その後は?」
「あと?」
「デザートクラブを殲滅した後だ。魔力不足で気絶したところは覚えていないのか?」
「魔力不足?あれだけで?」
「ああ」
あちゃぁ、とエマは口元を押さえた。
今世でのまともな戦闘経験は無い。以前のように動けるとたかを括って、幼子の身体だというのに無茶をしすぎたようだ。反省。
「あげすぎちゃったのか」
もにもにと唇を揉む。
魔力には行使するのに適した量と言うものがある。
日常的な初級魔法は小匙スプーン1杯くらいの魔力、中級になると大匙スプーン1杯……と、強力な魔法になればなるほど、消費される魔力量は増えていく。
それに加えて“注ぎ過ぎ“というものがある。
スプーンに勢いよく水を注ぐと跳ねて溢れる。魔力も同じだ。注ぎ過ぎれば、必要な量を溜めるまで倍以上の量が必要になり魔力不足に陥る。初心者がよく経験する失敗だ。
魔法を使う機会の減った今世のエマも、加減を間違ってしまったらしい。反省。
「でもそんなに使ったかな?ウォーターランスなんて小指の先ぐらいしか魔力使わな.....なに?」
頭上に影が指す。
上げた視線の先にはシオンがいた。まだ瞳の色は変わっていない。相変わらず複雑な感情を浮かべてエマを見ていた。
「なによ。不満?」
「そうだな」
「すぐに慣れるわよ」
「魔力の話ではない」
「じゃあなによ」
はくっと薄い唇が開いて閉じる。シーツを掴む手に力が入っているのか、擦れるような音を耳が拾った。
シオンが焦ったような表情を浮かべる。いつもと違う雰囲気に、緊張からか喉が鳴った。
己が眠っている間になにか起こったのだろうか。
彼の言葉を待った。
「......いや、よい。元気ならばそれで」
言葉にする前にシオンは首を振った。
含むような言い方にエマが焦れる。
「ちゃんと言ってよ。気になるじゃん」
「良い。良いのだ、生きているならそれで」
「含むような言い方しないで、言いなさいよ」
「………よいのか?本当に」
「い、良いわよ。隠されてた方が気持ち悪いもの」
そうか、とシオンが呟いた。
ならば正直に白状しよう、と伏せていた目を上げた。
「きみはな」
「うん」
「夢遊病が酷かった」
「うん、うん?」
「夜な夜な腹が空いたと部屋を徘徊し、冷蔵庫に入っていたゼリーを眠りながら啜っていた」
「は?」
「カラス用のとうもろこしを平らげ、肉と間違えて余の腕を美味しそうに噛んだこともあった」
「ちょ、ちょっと?!」
「大変刺激的ではまりそうな時間であったが、あまりの暴挙っぷりに周りが根を上げてしまってな。言うか迷っておったのだ。うん」
「やめっ」
「うっかり新しい扉を開きかけたが、意識の無いきみに無体を敷くのは余的にアウトでな。新鮮で愛らしい姿のみを堪能させてもらった」
「――――(絶句)」
寝起きにしてはお腹が空いていないと思ったが、まさか眠っている間に食べていたとは。しかも、足りなくてカラスの餌にまで手を出すなんて。エマは顔を手で覆った。ショックで泣きそうだった。女将さんに合わせる顔がない。
「冗談はさておき」
「なんだ冗談か」
「半分だけな」
「まって、どこ、半分ってどこ」
そこ重要だから、とシオンに詰め寄るがいなされる。
場所によっては人間としての尊厳が既に失われているから、迅速に答えて欲しい。最悪、首を吊らなければならない。
ねぇねえ、と詰め寄るシオンは笑顔だ。腹を叩きながら「ロープ?ロープ必要?」と詰め寄っているのに、頭を撫でられ質問には応えてくれなかった。
半分嘘が冗談なのか。頭をよぎる最悪の考察に、エマは露店でロープを買おうと固く固く決意した。
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