13、ダイトッショカン国
sideアリス
「こんにちは、アリスちゃん」
不気味な女だった。
小娘の癖に妙な気配の女。
隠してはいるが光の気配を強く持つ者が、会場に入ったのは分かっていた。情報屋とVIP席に陣取っていたのも。だけどケイが行ったのは予想外だった。彼が負けることも。
挑発するように己に向けられた水の弓。発狂するケイの声で、あたしは我慢できずに扉を開けた。
「.......手ェ、どかせよ」
目が覚めるような金髪に、空を模した瞳、透けるような肌の内側に隠された光の気配。強い強い、太陽のようなそれに息を呑んだ。
聖女だ。庇護対象ではない、本物の。
ーーアリスちゃん。
耳奥でなるお母様の声を掻き消す。
息を吸って、胸を張る。瞳を見開いて、口角は人を馬鹿にするような角度に上げる。
「あたしの部下に手を出すとか良い度胸じゃん。いいよ、お望み通りスクラップにしてあげる」
「お逃げくださいアリス様!その女は破魔の弓を!」
「はあ?お母様しか使えるわけ.....もしかして、さっきの弓のこと?あんな紛い物と一緒にするとか不敬だわ。でも」
カツンと高いヒールが音を鳴らす。
「お母様の技を語るのはもっと不敬」
「アリスちゃん」
「........おい、名前呼びとかまじイカれてんのか。いまさら子どもぶったところで、意味ないし」
「まずは挨拶でしょう」
「挨拶ぅ?賊にする挨拶なんて、コレしか無いでしょ」
指先に薔薇が纏う。
真紅の花弁は指を離れ、短刀へとその姿を変える。5センチほどのそれで少女の首元に向ける。もちろん脅しだ。相手は年端もいかぬ子ども。ビビッてすぐに手を離してーーーとはならなかった。
「ああ、動かないでちょうだい。動かれると範囲を間違ってしまうから」
邪魔になると判断したのだろう。身動いだケイの首に、手を絡めて動きを制していた。
こちらが武器を構えても怯えるどころか、他人の心配までして眉を垂らす。なんなんだ。気持ちが悪い。胸の奥から言いようのない感情が、喉へと押しあがってくる。
早く、遠ざけないと。
「ゴチャゴチャ言ってないで、その手を離せって言ってんのが分っかんない?」
弱者を虐める趣味はない。
特に女で子どもなんて。普段なら悪戯だと片手間に追い払ってそれでお終いのはずなのに、ナイフを握る手から力が抜けない。
怯えてる?このあたしが?
ないないと内心で首を振る。
きっと久方ぶりに見た部下のピンチに、気が急いているだけ。だと思いたいのに。
水色があたしを離さない。
「あ.......あぁ、理解った。家族を引き剥がされそうになって、怒ってるんだ。ふーん」
少女の不満を解消しなきゃ。
無意識に思考はそちらに傾いて、視線を彷徨わせれば後ろに白髪の乙女を見る。
豊かな白髪に大きな耳、隠されていても分かる潤沢な光の気配。警戒するような赤色が彼女の生きてきた環境を匂わせた。一緒に生きてきた少女もまたそう。
あれだ。あれが怒りの原因だ。
口角が上がる。
そう、いい子じゃない。妹を守るために身体を張るなんて。見上げた根性だ。それに分かりやすくていい。
ごくりと喉が鳴る。
それなら、同情してやればいい。ケイを怒って、少女に共感して、オークションには出さないと明言すれば安心するだろう。
元々、こんな小さな子どもは対象外なのだから。
「あんたまたやったの。家族を引き剥がすような真似はすんなって、あたし言ったよな」
「あ、もうしわけ」
「安心しなよ。こんな小さい子をオークションに出すとか、あたしの美意識に反する。家は?ちゃんと送ってあげ」
「アイスコア」
氷の呪文が一言。
耳が音を拾った瞬間には冷気が頬を撫でていた。えっ、と口から漏れた吐息が白い。
なにが起こったの。
眼前に広がる透明なそれ。突如として床に広がった鋭利な氷は、アリスの左足ごと包み込んでいた。
なんで足が凍って。
うろうろと彷徨う視線は凍った己の足と、その下にいた部下へと辿り着く。ナイフごと腕を氷漬けにされたケイへと。
「ーーーーえ?」
見えなかった。魔法の初動が見えなかった。魔力の気配さえ、感じ取れなかった。凍っていた。気付いた時には足は動かなくて、大事な家族の腕は氷漬けにされていた。理解する度に息が上がっていく。
「アリスちゃんがいけないのかな?それとも、ウエイターさん?もしかして、わたし?」
「は?なに、言って」
「挨拶しましょう。他人に暴力を振るってはいけません。強い相手が来たらーー
ちゃんと逃げましょう
ーーーちゃんと逃げましょう」
ドクン。心臓の音がする。
バクバクと嫌な音を立てて今にも飛び出してきそうに、激しく波打つ。
だって、その教えは。
「ねぇ、No.2382」
「ーー!?」
「お母さんちゃんと教えたわよね。それとも今の子には伝わりづらかったのかな。ねぇ、シオン。どう思う?」
「あ、」
「そうさな、他と比較出来ぬほどに頭が回らぬ子どもゆえ、きみの言葉は難解であったのだろう」
男の声がした。
重圧を纏った声が後ろで。
あぁ、ああ、ああ!なぜ、なぜなぜなぜ!なぜ今まで気が付かなかったのだろうか。気配などしなかった。完全になにも。否、それはそうだ。だってだってだって、彼は至高の存在。
「ま、おぅ......しゃま」
背中を冷たい汗が伝う。カタカタと歯が震えて、瞳は見開いたまま虚空を彷徨う。
少女に背中は見せられない。ああ、でも王の御前で仁王立ちなど、どんな理由があれど不敬。首を刎ねられる所業だ。
どうしたらいい、どうするべきだ、どうしたらいいんだっけ。
呼吸が止まる。下の喧騒が遠い。否、否、少女の声だけは鮮明だ。
「じゃあ、最近の子の言葉で言うから、今度はちゃんと覚えてね」
揺れる視界の向こうで少女が言う。
ケイもアリスも威圧感に押し潰される寸前なのに、彼の少女は堂々としている。
なぜ、なぜ。王の御前に立つことを許されているのは、なぜなのか。
疑問が感情を占める。脳が理解することを拒ばみ、正解から目を背けていく。
シオン。我が王様の名前を呼び、対等に会話することを望まれるただひとりの存在。魔族の天敵、魔王の仇、聖戦に咲いた血塗られた花。
あの少女の真名はーー
「お母さんの命令は、絶対」
ーーー聖女、アリアナ・フォステュアッド
お母様。
言葉は声にならない。
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