第1話:885回目のアーデルハイド・アーレンベルク
「貴女のような下賎の者が私にぶつかるなんて身の程を知りなさい!」
長い黒髪をなびかせた少女が、廊下に倒れている気弱そうな栗色の髪の美少女を指差した。
「と、お姉さまがおっしゃているわ!」
(言ってないし……)
「貴女のような身分の者がワタクシと同じ廊下を歩くだけでも恐れ多いとわかりませんの!」
赤毛の少女が、同じく栗色の髪の美少女を指差し叫ぶ。
「とも、お姉さまはおっしゃっているわ!」
(いや、それも言ってないし……)
廊下に倒れている美少女がおびえた目を私に向けて、震えるような声を出す。
「そんな、私……、わざとではないのです」
(お~い。私は何も言ってないぞ~~)
倒れている美少女は私の左右にいる少女たちではなく、金髪碧眼で如何にも高貴な令嬢然とした私に視線を向けている。
小動物のように愛くるしく、いかにも”清純派”といった感じの美少女だ。
男性の庇護欲を掻き立てるような可愛らしいタイプね。
「わざとではない?! 貴女のその顔についているものは節穴なのかしら! と、お姉さまがおっしゃているわ!」
と、黒髪の少女。
「そんな……。ひどい……」
と、嘆く美少女。視線はあくまで私の方に向けられている。
(だから! 私が言ったんじゃないってば!)
「泣けば許されるとでも思って!? と、お姉さまがおっしゃっているのよ!」
と、赤毛の少女。
(これって、本人たちはどう思っているのかな?)
と、私が考えている間にも”イベント”は進んでいく。
周囲に他の学生たちも集まってきているが、この状況を不思議がる様子はない。周囲の学生や、いびられている栗色の髪の美少女も、私が暴言を吐いているかのように怯えた視線を送ってくる。
この狂った状況には理由がある。
それは昨夜のこと、……0時を回っていたので今日の深夜というべきか。
ベッドで寝ていた私は、身体を揺すられ起こされた。
「え? 誰……」
と、反射的に毛布を引き寄せ身体を起こすと、いるはずのない男のシルエットが目に入った。
「なーに。ちょっと話があってな」
そう言ってベッドの傍で不敵に笑う褐色の肌の男の目は金色に輝いていた。髪の色はなんと深い緑色をしている。
何こいつ? 人間じゃない??
「だ、誰か~~!!」
大声で助けを呼んだけど、誰も助けに来ない。
「無駄だ。今、この部屋には結界が張ってあるからな」
「け……かい?」
男はにやりと笑い私を見ている。
そうしている間に私も落ち着いてきた。私をどうにかする気はないようだし。
男は私が落ち着くのを待っていたかのように口を開いた。
「俺は魔王、魔王シュバルツ・ライゼガングだ。お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
確かにその名前には憶えがある。この王国に災害をもたらす魔族の王。その名前だ。
だけど私はその彼を美しいとさえ思い、見惚れてしまった。
そんな私にかまわず男は話を続けた。
「信じられねぇかもしれないが、この世界は現実の世界じゃないんだ。実は、ゲームの世界の中っていうやつでな。まあ、ゲームって言っても、お前にはわからないだろうがな」
そう言って男は笑い出したが、私はそれどころではなかった。
急にもの凄い量の記憶が頭の中に流れ込んできたのだ。
私はこのザクセンブルク王国のアーレンベルク。公爵家令嬢であるアーデルハイド・アーレンベルク。
幼いころから何不自由なく育てられ、しかも、アーレンベルク公爵家は王国一の有力者。
ザクセンブルク王国には2人の王子がいるが、私と結婚した王子が王位を継げるといわれているほどだ。
その記憶を上書きするように、新たな、いや、過去の記憶がよみがえった。
私はごく普通のサラリーマン一家の娘として育てられた、ごく普通の少女。
学校に遅刻になりそうだった私は、つい信号無視をしてしまい、車にひかれる!……というところまでの記憶がよみがえったのだ。
「ここって……ゲームの中なの……?」
呆然としながらそうつぶやいた私に、今度は男のほうが呆然とした視線を向けてきた。
「え? なに? お前、ゲームって知ってるのか?」
「知ってるのかって……。ゲーム……なんでしょ? プ〇ス〇とか、ニ〇テ〇ドーとか……」
「まじかよ……」
そう言って男は頭を抱え、よろよろと足元がおぼつかない。
しばらくふらふらとしていたと思ったら不意に口を開いた。
「そうか……そうなのか……。まさか……”中身”が、あるのか……」
「え? 中身?」
「お前……実は、この世界に来る前は別のところで暮らしてた……っていうんだろ?」
「そ……そうだけど、もしかして貴方もなの?」
「ああ、そうだ。それも、ずっと前からな」
「そう……なんだ」
私は茫然としていたが、しばらくすると男は何かを吹っ切るように頭を振った。
「よし分かった! 想定外だったが、そうなんだったらかなりやりやすくなった!」
気を取り直したように顔を上げた男は、そう言って現状を説明しだした。
この世界は、なんと乙女ゲーム『隣の君はサイコパス』の中だというのだ。
基本的な世界観はよくあるもので、登場人物は、身分の低いヒロインとそれを取り巻く美形の「攻略対象」たち。
ヒロインをいじめる、いわゆる「悪役令嬢」。
そして、敵役である「魔王」だ。しかも、この魔王が私と同じで現実世界の人間だというのである。
ゲームの大まかな流れは、この世界を脅かす魔王を、ヒロインが「攻略対象」とともに倒して、その中の1人と結ばれる……というものである。
「と、まあ、俺は滅ぼされちまうわけだが、俺が生き延びる”魔王ルート”っていうのがある。そのルートに入りたい。魔王とヒロインが結ばれるってやつだ」
「滅ぼされる? この世界でも死ぬってこと?」
「ああ、死んだ、と思った瞬間、ゲーム開始である”今日”に戻るんだ」
「じゃあ、生き返るんだったら大丈夫じゃないの?」
「何言ってるんだよ。死ぬのだって痛てえし苦しいんだよ! それに、この状況が説明つかないんだ。今まで大丈夫だったからって、これからも大丈夫とは限らねえ。だから死なないに越したことはないし、それに途中で死なずにこの世界で天寿を全うすれば、元の世界に戻れるのかも知れないしな。で、だ」
と、言って魔王は腕を組んだ。金色の瞳がきらりと光る。
「その魔王ルートにするために、”悪役令嬢”の力を借りようかと思ってたんだが……。まさか、”中身”がいるとはな……」
「でも、手伝うって言っても何をすれば良いか分からないし……」
まだ、状況を把握しきれず躊躇する私を魔王が睨みつけた。
「言っておくが、魔王ルートにならないと死ぬのはお前も一緒だからな」
「え? そうなの!?」
「ああ、魔王である俺以外の”攻略対象”とヒロインが結ばれると、その結ばれた攻略対象がもれなくお前を殺す」
「なによ。そのサイコパスどもは!」
「タイトルに偽りなしだろ?」
そういえば、ゲームのタイトルは『隣の君はサイコパス』……なんだっけ?
なんなのよ! そのイカれたタイトルは!
「それで、その”攻略対象”たちって、誰なの? 私の知っている人?」
「ああ、第一王子のカミルに第二王子のデニス。宮廷音楽家のライマーに宰相の息子のマルセル。外国から来た元傭兵のシンシチだ」
「ええ!? あの人たちが!? だって、みんな、いつも私をちやほやしてるのに!」
今まで生きてきた公爵令嬢としての記憶にある人々の印象と、私を殺すということとのギャップに思わず声を上げた。
「みんな国王になりたいやら出世したいやら、公爵家の影響力が欲しくてお前に近づいているだけみたいだぞ。シンシチだけはもう少し複雑だが、まあ、本心からお前に惚れてるわけじゃないのは一緒だ」
「そんな……ひどい!」
「ゲーム的には、計算で女に近づく、愛を知らない心が凍った男たちが、ヒロインと出会って真実の愛に目覚める……ってことらしいがな」
「ものは言いようってやつね。……って、どうして、それで私が殺されなきゃならないの? 勝手にヒロインと幸せになれば良いじゃない!」
「お前と結婚して利益があるってことは、ほかのやつがお前と結婚すれば不利益ってことだろ? 自分がヒロインと結ばれて、あぶれたお前が他の奴と結ばれるとまずいからな」
「それで私を殺すって? まじでサイコパスね」
「しかし、魔王とヒロインが結ばれるルートなら、お前は殺されないんだ。自分以外の誰かとお前が結ばれれば不利益になるってのは同じはずなんだが、ゲームではそこらへんはうやむやなんだ」
「え? うやむやなんだったら、どうなるかわからないんじゃないの?」
「いや、このゲームのファンもそう考えて、ファンイベントで、この世界の神である”シナリオライター”にこう質問したんだ。”魔王ルートでは、悪役令嬢は殺されないんですか?”ってな」
「それで……、そのシナリオライターは、どう答えたの?」
「シナリオライターは、こう答えた”令嬢のことはすっかり忘れてた”とな」
(忘れてたんか~い!!)
「だが、その次にこう言った”しっかり生き残って、わりと幸せにくらしていると思いますよ”ってな」
「わりと幸せに……」
「そうだ! 魔王ルートにさえなれば、お前は”しっかり生き残って、わりと幸せに”なれるんだ! 公式のファンイベントでの発言だからな」
「やった~~!!」
と喜んではみたものの、あることに気づいた。
「でも、ゲームなんだったら、ゲームの期間が終わったら、そこで世界はなくなっちゃうんじゃないの?」
「実はこのゲームは割と好評でな。続編が作られている。その舞台は、このゲームと同じ世界観の数百年後って設定だ」
「じゃあ、この世界は、少なくとも続編が始まる数百年後までは存在するっていうこと?」
「ああ、それが”公式設定”ってやつだ」
「つまり魔王ルートなら、私はゲーム終了後の世界を”生き延びて、わりと幸せに暮らせる”っていうのが、シナリオライターが保証する”公式設定”なのね?」
「そういうことだ」
そして魔王は額に手をやりため息をつき言った。
「しかし、その魔王ルートってのが、そう簡単にいかなくてな」
「どうしてなの? 何度でもやり直せるんでしょ? じゃあ、いつかできるんじゃない? そりゃ、気軽に死ねないのもわかるけど……」
「忘れるな。これはあくまでゲームだ。”ゲームのイベント”に縛られる。魔王である俺は、ヒロインと顔を合わせる回数も限られていて、どんな会話をするかも”イベントによって決められている”んだ。俺がコントロールできることなんて、ほとんどないんだよ」
「え……。でも、会いたかったら好きに会いに行けば良いんじゃないの?」
「うーん。まあ、こういうのは口で言ってもわからないな。じゃあ、物は試しに、明日1回で良いから授業をさぼってみろ」
「え? でも、私これでもこれまで無遅刻、無欠席なんだけど……」
「ああ、分かっている。お前のキャラ設定は”公爵令嬢としての意識から、校則を守り無遅刻、無欠席”だからな。だからこそ、だ」
そう言って、魔王は立ち去った。
もう少し話を聞きたかったが、身をもって分かってからが良い。と言うことのようだ。
イラスト:櫻てっこ先生
『ココナラ』でもイラストのお仕事を受け付けておられます。
とても丁寧にイメージ通りの素敵なイラストを描いてくださる先生です。
今回も可愛い悪役令嬢とカッコいい魔王のイラストをありがとうございました!