04.はじまりはうわ言から
時は1ヶ月ほど前、前年の暮れに遡る。
年明け前の寒季の寒さがまだ厳しかった頃、シャルロッテはちょっとしたことで体調を崩して熱を出してしまい、公爵家の帝都公邸の自室で数日休んでいたことがある。
「お姉様、入りますよ?」
そこへやってきたのは妹のローゼマリーだ。
仲良し姉妹として知られるふたりは、お互いの部屋に許可無しで入室できるよう、あらかじめ約束しあっていた。とはいえ本人が邸に不在の時は立ち入らないし、勝手に出入りするのも本人が目の前もしくは部屋にいる時に限っていたが。
そんな仲だったから、シャルロッテの看病はローゼマリーも担当していたのである。
ローゼマリーが一応断りを入れつつも扉を開けて部屋に入ると、シャルロッテはベッドで眠っていた。額には少しだけ寝汗が浮き出ていて、相変わらず体調は思わしくなさそうである。
その寝顔を確認して、ローゼマリーはベッドサイドのローテーブルに持ってきた水差しとグラスを置くと、部屋の換気を施して寝具を整えてやり、寝汗を拭ってやって、そのまま姉を起こさずにそっと部屋を出て行こうとした。
「う…ん…」
シャルロッテが苦しげに唸ったのはその時である。
もしや体調が悪化したかと、ローゼマリーはベッドへ駆け寄る。
嫉妬するほど完璧でいらつく姉だが、こうして弱っている時にまで嫌がらせするほどローゼマリーも意地悪ではない。というか、早く本調子に戻ってもらわないとローゼマリー自身も調子が狂って仕方ないのだ。
「お姉様、だいじょ…」
「ドルフ…さま…」
(うぶ……ん?)
声をかけようとして、シャルロッテが呟いたその言葉にローゼマリーは固まった。
(ドルフさま、って………誰?)
姉はもう5年来の第二皇子ルートヴィヒの婚約者である。そしてルートヴィヒの愛称は「ドルフ」ではない。
ドルフの愛称で呼ばれる名といえば、まず思いつくのはアードルフ、ランドルフなどである。
まさか、姉はルートヴィヒ皇子という婚約者がありながら、他の男と不貞を働いている?
いやいや、この完璧な姉に限ってそんな事は。彼女はこの婚約の意義も重要性もきちんと理解しているし、自分がどういう役割を求められているかも承知している。
だが、それでは「ドルフさま」とは誰なのか。父や兄はもちろん親しい親族の誰にも該当しそうな名はないし、姉と関わりのありそうな使用人たちや出入りの商人たちにもローゼマリーにはそれらしい名の心当たりがない。
「ドルフさま……行かないで……」
「わたくしは…ずっと…、貴方様のことが……」
えっまさか、本当に!?
本当にお姉様、他の殿方に懸想してらっしゃるの!?
シャルロッテの額にはみるみる汗が浮かんでくる。どんな夢を見ているのか知りようもないが、どうやら「ドルフさま」とやらに置いていかれる夢でも見ているらしい。彼に去られかけて、思わず内心の告白をしてしまった、ということなのだろうか。
自分の他にこの場で聞いている者が居なくて良かった、と心の底からローゼマリーは安堵した。だってこんなもの、下手に使用人たちに聞かれようものならあっという間に噂が広まって、お姉様はお父様に罰せられるに違いない。もしかするとこの事でお父様から殿下との婚約を辞退するよう申し渡されるかも知れない。
いやそれはそれでローゼマリー的には願ったりな展開ではあるのだが。何しろルートヴィヒはローゼマリーの初恋の君だったし、何故彼の婚約者が自分ではなく姉なのだと、幾度枕を涙で濡らしたか知れないのだ。
だが、彼女のこうした意図せぬ失点でルートヴィヒの婚約者の座を奪うのは、何となく違うのではないかとローゼマリーは思った。確かに彼女は姉から婚約者の座を奪いたいと思っている。だがそれは、正々堂々と彼にアピールして、姉よりも自分のほうが魅力的だと、どうか婚約者になってほしいと言わせなければ意味がない。でなければ姉に勝ったことにはならないではないか。
そういうわけで、この一件はローゼマリーが固く自分の心に封じ込めてなかったことにすることで、何事もなく終わった。
翌日目を覚ました姉はうわ言のことを何も憶えてはおらず、それとなく確認して回ったが姉の侍女のライナも他の使用人たちも誰もそんなうわ言は聞いていなかった。だからローゼマリーが黙ってさえいれば、それで終わるはずだった。
何となく気になって、ローゼマリーが「ドルフさま」を調べさえしなければ、それ以上何もなかったはずだったのに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「この方だわ………!」
そう。それから数日後、ローゼマリーは見つけてしまったのだ。姉と接点のある「ドルフさま」を。
それは4年前にブレンダンブルク辺境伯を継いだ若き辺境伯、アードルフ・フォン・ブレンダンブルク、現在24歳である。愛称で呼び合うほど親しい人間にまで確認を取れたわけではないが、確かにアードルフなら愛称は「ドルフ」だろう。
彼が戦勝の英雄として賞された4年前の戦勝式典には、当時まだ11歳のシャルロッテもルートヴィヒの婚約者として参列していた。彼女と繋がりがあるのだ。
しかもそれだけではない。この情報を元にさらに調べたところ、アードルフは9年前の寒季の越年祭のさなか、街中で両親や使用人たちとはぐれてしまったシャルロッテを保護し、公爵家に連絡を取って送ってきてくれた当人でもあったのだ。
確かあの時は、急にいなくなった姉の姿を探してローゼマリー自身も不安になって大泣きしたのを憶えている。あの頃はまだ、お姉様大好きっ子だったから。そして姉を連れてきてくれた大人のお兄さんがやたら格好良かったこともうっすら憶えていた。
そっか、あのイケメンがお姉様の想い人だったのね。そりゃあ殿下の美貌にも靡かないはずだわ。
………ん、待って?
だったら、お姉様とアードルフ様をくっつけて差し上げれば、ルートヴィヒ様が余るのではなくて?