31.事の顛末、それぞれの幸せ(3)
「しかしまあ」
調度品のすっかりなくなってしまった室内を見渡して、ヴィルへルミナ・フォン・ブラオンシュヴィク=ヴェルフェンは、誰に聞かせるでもなく独りごちた。
「ルートヴィヒ殿下もずいぶんと思い切ったことをなさいましたわね」
その嘆息には、呆れとも諦めとも取れる色を含んでいる。
「まあ、あいつはそういう奴だからな」
ヴィルヘルミナの横に進み出た人影がある。その人物はやれやれといった感じで肩をすくめて、皇子であるルートヴィヒのことを『あいつ』と呼んだ。
言わずもがな、ルートヴィヒの兄で第一皇子のハインリヒである。
「まあ、そんな事を仰って。ハインさまだって止めもせずに話にお乗りになったのでしょう?わたくし知っておりますのよ?」
「う………いやまあ、反省はしている。だがそもそもあいつは言い出したら聞かんからな」
微妙に目線を逸らすハインリヒ。
その動揺を、彼女は見逃さなかった。
「そうですか。で、本音は?」
「…………………ちょっと、面白そうだと思った。すまん」
「はい。正直で大変よろしい」
全部見抜かれていると悟ってあっさりと白旗を上げたハインリヒに、ヴィルヘルミナはふわりと微笑う。
彼女だって長年婚約している彼の性格ぐらい分かっている。仕方のない人ねと思いつつも、そういう子供っぽいいたずら好きな所も好きなのよねえ、と彼女は淑女の仮面の下で苦笑するほかはない。そして、その苦笑は仮面で隠しきって彼に気付かせることもない。
「だが、これでも本当に済まないとは思っているんだ。結婚生活が当初の予定から大幅に狂ってしまったからな」
「それは仕方ありませんわ。責任は取って頂かねばなりませんもの」
皇族の、それも皇后の一人息子がやらかした騒動である以上、その責を負うのは両陛下になる。必然的にその他の皇子や皇女、つまりハインリヒもエーリカも責任の一端を負わねばならない。
そういうわけで彼らは今、皇宮の私室を引き払ってそれぞれ離宮へ移る準備をしているのだ。
皇帝夫妻は長子エーリカの夫となるヨーゼフが彼女と婚姻して帝位を継ぐまでは皇帝と皇后のままであり、そのため離宮へ移るのは退位後、つまり半年以上先になる。退位したあとはヴェリビリ郊外のリーツェンブルク宮殿へと移る予定である。
そう、つまり結婚後にリーツェンブルク宮殿に住むはずだったエーリカとヨーゼフが皇帝夫妻としてヴェリビリ皇宮に住むことになるので、入れ替わりに先帝夫妻となるフリードリヒ4世とブリュンヒルトがリーツェンブルク宮殿に入るのだ。
そしてハインリヒとその婚約者、ヴィルヘルミナはブロイス西北部の古都ハノヴェルにある離宮、ハノヴェル城へと一足先に移る予定で、それで引っ越し準備に追われているのだ。
「でもわたくしはね、それでもいいと思っていますのよ」
ヴィルヘルミナはそう言いながらハインリヒに歩み寄り、その右腕に己の腕を絡めて右肩にそっと頭を預けた。
「帝都を離れて、新しい土地でふたりっきりっていうのも、なんだか楽しそうだと思って」
普段から“完全なる淑女”や“いと気高き帝国の至宝”と称される彼女が滅多に見せない、甘えた仕草と声。それにハインリヒの心臓が跳ねる。
皇子として今まで培ってきた全てでもって外に出すのは抑えきったが、ホントこういう不意打ちはやめて欲しい。嬉しいけど困る。困るけど嬉しい。
「ウィルマ………」
だが全くの無反応というのも彼女が拗ねそうで、ハインリヒは愛称を呼んで彼女の頬を撫で、そして優しく抱き寄せる。
もちろん抱き寄せると言っても腰を抱くなどという密着体勢ではなく、その肩をそっと引き寄せて肩から上だけを腕の中に包む。まだ婚約者なのだから、人前であろうとなかろうと距離感は守らねばならない。それが帝国紳士というものだ。
「ま、わたくしたちが婚姻するのはまだ1年以上も先のことですけれどね!」
抱き寄せられるままにしなだれかかっていたヴィルヘルミナが、急に声を上げて彼の胸板を押し離した。
「今回のことで、また延びましたものね!」
ハインリヒとヴィルヘルミナの婚姻は本来なら、帝国学舎を卒業して2年で挙げる予定だった。だが姉であるエーリカの婚姻が決まって、姉より先に婚姻するわけにはいかないと、その姉の婚姻式と合同と変更された。
そして今回、その姉が婚姻と同時に夫婦揃って登極することになったため、皇帝夫妻と同時に婚姻など畏れ多いとして、さらに半年延びたのである。
ちなみにハインリヒとヴィルヘルミナはともに学舎を卒業して2年が経った今年18歳、つまりは当初予定では今頃は婚姻式を直前に控えた蜜月期間真っ只中のはずだった。しかしながら今回のことで、婚姻式を挙げられるのは早くても来年の今頃でしかない。
「あっいや、それは本当に済まないと━━」
「この埋め合わせはきっちり果たして頂きますからね!」
淑女らしくなくぷりぷり怒るヴィルヘルミナ。滅多に見せない、どころか初めて見せる怒った様子にオロオロしながらも目尻が下がるハインリヒ。どうやら美しくも可愛らしい妻の尻に敷かれる未来が確定した模様であった。
なお翌年の花季に予定されていたふたりの婚姻式は、留学から帰国した弟マインラートがハノヴェル城を寄越せと主張したことにより、さらに暑季にまで延びることになるのだが、ふたりはこの時、まだ知る由もなかった。




