22.おや、辺境伯のようすが………?
「さて、早速だがご用向きを承りたい」
アードルフは応接間にツカツカと足を踏み入れ、シャルロッテの座るソファとテーブルを挟んだ向かい側の上座に座ると、開口一番そんな事を言った。
ご用向き、とは?
シャルロッテもライナも内心で首を傾げる。
用向きも何も、シャルロッテは辺境伯領へ追放されたのだ。受け入れる側であるはずの辺境伯は当然そのことを知っていなければおかしいのだが。
「あの、それはどういう…」
「このような陽も暮れる時間帯に先触れもなしにわざわざ公女がご自身でいらしたのだ。何やらよほどの重大事か、それとも内密の相談か。話を聞かねば判断はつかないが、ともかくも話だけは承ろう」
あら?
なんだか話がおかしいわ?
「というか、今日は確か貴女の学舎の卒業式典が催されたはずだな?今の時間はまだ記念パーティーの時間帯だと承知しているが………?」
あっ。
これもしかして。
「あの、辺境伯閣下」
「なんでしょう、公女」
「まさかと思いますが、何もお聞きおよびでないのですか?」
「……………はて、聞きおよびでない、とは?」
やっぱり!
辺境伯なんにも聞かされてないのだわ!
殿下!せめて話は事前に通しておいて下さいませんと困りますわ!!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なるほど………」
シャルロッテとライナが代わる代わる話してひと通り起こったことを説明し終えて、聞き終えたアードルフが額に手をやりながら一言そう呟く。
「とりあえず事情は分かりました。詳しい経緯をこちらでも調べますので、ひとまずそれまではこの城にてお過ごし下さいますよう。部屋を用意させますので、しばしお待ちを」
アードルフはそう言ってヘルマン執事を呼び、客間の準備を申し付ける。ヘルマンは一礼してすぐに下がって行った。
「お手数をおかけします」
申し訳ない気持ちで一杯になりながら、シャルロッテが頭を下げる。
「いえ、構いませんよ。それにしても災難でしたな」
アードルフが気遣わしげにそう言ってきて、シャルロッテは内心でドキリとする。
アードルフは確かにシャルロッテの長年の想い人ではあるが、まともに話をしたのは実は今回が初めてだ。子供の頃に迷子のところに声をかけてもらって、公爵家の帝都公邸まで送ってもらった時にも色々話しているはずだが、その時は不安でいっぱいで泣いてもいたし、何を話したのかほとんど憶えていなかった。
ただ、あの頃と同じく穏やかで落ち着いた話しぶりには懐かしさを感じて、心中密かに思い描いていたとおりの人柄だったことに、シャルロッテは心の高鳴りを抑えられない。時が経ち、彼も成長し大人になって体格も声もすっかり様変わりしているが、むしろ大人の色気がにじみ出ていてクラクラする。
そう。16歳のシャルロッテから見て25歳のアードルフは、カッコよくて逞しくて凛々しくて、大人の余裕と色気をたっぷりまとっていて、まだ子供の自分とは大違いなのだ。
彼の顔の疵は思ったよりも酷いものだった。5年前の戦勝式典の際はまだ負傷したばかりで彼は包帯を巻いていたから、実のところ彼の疵はそれ以降に皇城で行きあった際などに何度かチラリと見たことがあるだけで、こんなに間近でじっくり見たことは今までなかった。
だが改めてじっくり眺めると、まあ眺めると言ってもそんなに不躾にジロジロ見るわけにもいかないからチラチラ目をやるだけだが、よくこれで生きていたなと思うほどの深い傷である。いくら受傷直後に[治癒]できなかったのだろうとはいえ、残ったのが傷だけなのが奇跡にしか思えない。
なにしろ左の額から右頬にかけて、鼻梁を斜めに切り裂く形で一直線に傷が走っている。そのせいで左の眉は半分以上失われ、鼻梁も上部が欠損している。というか[治癒]と[回復]、ことによると[再生]あたりまで使って鼻梁を復元したのかもしれない。そう思えるほど、鼻がまるごとこそげ落ちていてもなんの不思議もないほど深く抉れているのだ。
「あ、失礼。やはり顔を隠してお会いすべきでしたな」
シャルロッテの視線に気付いたのか、アードルフが右手で鼻と頬を隠した。
「あっ、い、いいえ!」
シャルロッテは慌てて否定の声を上げる。
「閣下のお傷は皇城でも何度か遠目ながらも目にさせて頂いておりましたし、その、………お労しいと思いまして」
「労しい?この疵が?」
「は、はい………それほどのお傷をお顔に受けながらも閣下は奮戦なさり、ついに勝利を得られて凱旋なさったというのに、皇城では心無い噂を多く耳に致しておりました」
「………。」
「わたくし、それが口惜しくて。けれども今まで閣下とはお話する機会もなく、わたくしも皇子妃教育と公務で忙しかったこともあり、心中思うだけで何もして差し上げられず………本当に申し訳ありません」
「済まない、ちょっと失礼する」
「えっ?」
話していてだんだん自分が何を言っているのか分からなくなり軽くパニックになりつつも、シャルロッテは口の端に上る端からとりとめもなく話してしまう。思考もまとまらないままに、普段よりなぜか饒舌になってしまっている事にも混乱していると、何故かアードルフが断りを入れて応接間を出て行ってしまった。
止める間もなく扉の向こうに消えていった彼の背を、シャルロッテは呆然と見送るほかなかった。
「……………ねえライナ」
「はい、なんでしょうお嬢様」
「わたくし、なにか失礼なことを申し上げたのかしら?」
「お嬢様、きっとそれ逆です」