20.肝心なことを忘れてた
「なあエッケハルト、昨夜何か忘れてると言ったな?」
「奇遇ですね、今私も同じことを考えました」
「ローゼマリー嬢」
「は、はい」
「君、ブレンダンブルク辺境伯に今回のことを打診したかい?」
「い、いいえ………?」
そう。例のメモからも分かる通り、ローゼマリーはアードルフの意向を一切確認していない。シャルロッテがアードルフのことを慕っていると分かっただけで、彼がシャルロッテをどう思っているのか、彼女はまるで気にしていなかった。
そしてルートヴィヒも、シャルロッテに露見するのを恐れるあまりアードルフにまで全部隠し通していた。
「エッケハルト………」
「そんな縋るような目を向けてもダメです殿下。指示もないのに私がそこまでするわけがないじゃないですか」
「だ、よ、ねえ………」
「と、いうことは」
「「「アードルフ卿がシャルロッテ(嬢)を受け入れてくれるか分からないということ!?」」」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さあ大騒ぎである。
何しろシャルロッテはすでにブレンダンブルク辺境伯の居城ホーエンス城へ向けて、すでに送り出されてしまった頃合いである。しかもホーエンス城は帝都ヴェリビリの南方郊外にあって、馬車で行っても半日かからないのである。その距離を、シャルロッテは脚竜車で向かっているはずなのだ。
ちなみに馬車を曳くのは鬣馬という種類の馬で、脚竜車を曳く脚竜は家畜化された竜種である。一般的に脚竜車は馬車の倍ほどのスピードで、馬車とは比べ物にならない長距離を移動できる。世間的には鬣馬の馬車なんてものを使うのは貴族だけで、しかも通常は街中での移動手段としてしか用いない。
「わあ大変だ!風馬、風馬の急使を立てるぞ!」
「殿下、その前に親書をしたためませんと!」
「そ、そうか!よしじゃあ便箋とペンを持て!」
「それは執務室へ行かれた方が早いですよ」
「あっ、あの!」
ローゼマリーが不安げに声を上げた。
「陛下や父は何も動いてらっしゃらないのですか?」
「「それも確認してない!」」
「よしエッケハルト、お前はアードルフ卿に出す親書の下書きを頼む!僕は両陛下に彼に確認取ったのかお訊ねしてくる!」
「え、私が文面考えるんですか」
「つべこべ言うな!そしてローゼマリー嬢はお父上に確認取ってくれ!」
「わ、分かりましたわ!」
そして数刻後、彼ら3人は再び同じ応接室に戻っていた。
「「「誰も確認してない………」」」
「お父様も全く気付いてませんでしたわ………」
とローゼマリー。
「陛下には『え、お前が全部段取り組んどったんじゃろ?』って逆に言われたよ………」
とルートヴィヒ。
「リン宮中伯はじめ選帝会議諸侯もアードルフ卿にはなんの話もしてないそうです」
とエッケハルト。
「えっお前宮中伯のとこ行ってたの?親書の文面は?」
「そんなものは頭の中で考えておけば済みますから」
さも当然のように言うエッケハルト。皇子の、それも立太子が有力視されるような皇子の側近ともなると同時に複数の仕事をこなせなければ務まらないのである。
「えっ、エッケハルト様は頭の中だけで物事をお考えになれますの!?」
それができない貴女みたいな人って実は少数派なんですよ、ローゼマリー嬢。
「とっとにかく、大至急文面を起こしてくれエッケハルト!一刻も早くアードルフ卿に事情を説明しないと!」
「もう書き始めてます」
「さすが!」
だがエッケハルトが書くのはあくまでも下書きであり、完成後にそれをルートヴィヒが清書しなければならない。
そうこうしている間にも、シャルロッテは脚竜車に揺られてホーエンス城へと進んでいる。ルートヴィヒは皇宮の、つまりは皇族専用の脚竜車と馭者にシャルロッテを送らせるよう指示していたから、さすがに着いたその場で送り返されるような事にはならないだろうが、それでも可能な限り早く彼に事情を説明して、シャルロッテを受け入れてもらわねばならない。
「できました」
「早っ!?」
そうしてエッケハルトから渡された下書きを見てルートヴィヒは唖然とする。
「いや待て!なんだこの『シャルロッテ嬢をしばらくそちらで滞在させるように。詳しい事情は後日説明する』って!こんなんで納得してくれるわけないだろう!?」
「だってこんなしち面倒臭くて複雑怪奇な裏事情を全部詳細に書いてたら今日中に書き上がりませんよ」
それはまあ、確かに。
「それに婚約破棄まで全部終わったんですから、シャルロッテ様にも説明して差し上げないと。じゃないと殿下に捨てられたと思い込んだままですよ、きっと」
「「……………あーっ!その説明も必要だ〜!」」
そう。ルートヴィヒもローゼマリーも、当のシャルロッテに対しても何ひとつ知らせていないのだ。そしてそのことに気付いていなかったものだから、彼女が絶望と歓喜と混乱とに悩まされたまま、訳もわからずホーエンス城に向かっていることにさえ気付いていなかったのだ。
やはりどうやら、理不尽に婚約破棄するような者たちは酷いと相場が決まっているようである。