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ジントニックバー

作者: 鈴木衣毬

狭い箱に押し込められて、せっせと働く。柄じゃないし大いに失敗もしてしまうこともあるので向いていないといえば向いていない。半年前にバーでバイトを始めたのだけど、これがまあー自分の悪い所を嫌でも見させられる。

ここで働くことによって気づいたことなのだが、自分は慣れた流れの中で仕事をこなすのが得意であるものの、イレギュラーなことは苦手で、例えば、1週間前に店に新しく導入された電子決済の操作方法がなかなか覚えられなかったり、酒に酔って絡んでくるおじさんにセクハラまがいに腰を抱かれても上手く躱せなかったりするのだ。自分が思っていたよりも頭のはたらきが良くなくかなりショックを受けた。

入ったばかりの頃なんてもっと酷かった。ドリンクやカクテルの種類が全く覚えられなくて、バーのマスターにもお客さんにもたしなめられたり怒られたりした。今ではマシになった方だけど、それでもたまになかなか出ないやつを注文されるとできなかったりするから憂鬱で仕方ない。


だけど、嫌なことばっかりでもなくて、ほんとたまに良いお客さんもいた。常連さんだったのだが私の顔を覚えてくれて、たまに頑張れよとか言ってお菓子なんかをくれるので失敗ばっかりしててもいけないなって思える。悪いことばっかりじゃないからまだ辞めなくてもいいか、そんな惰性でまだこのバイトを続けている。もちろん、仕事はちゃんとするけど。

給料は割と良いし、家からそんなに遠くないし。それに私がやりたいことのためにはお金が無いといけない。生活するのにも、学びの場に行くのにも。

この世界というのはどれだけお金を持っていて使うことが出来るかというのが彩りの基準なのだ。


今日も今日とて食いつなぐための労働の時間が始まる。今月は入り用で買わないといけない道具が多くて金も底を尽きそうなのである。躍起になって働かないと。

頑張ることを決心しながら開店準備を進めて、瓶ビールの在庫を取りに行った時、空の夕焼けは夜に侵食されて追いやられていた。やばい。早くしないとお客さん来ちゃうな。

瓶ビールをケースに入れて急いで歩く。入口のドアを開けようとした時、

ぅおっ。

男の人が来ていた。開店まであと10分くらいあるのに、仕事帰りに寄ろうとしたのだろうか。早い。


大丈夫ですか?

来るのちょっと早いですよ、と思いつつドアを開けようと顔を上げた私と目が合った男の人はドアを開けてくれた。あ、いい人だ。

すみません、ありがとうございます。

いえ…お店、後どのくらいで開きますか?

あと10分くらいです。

そうですか…


男性は思っていたよりも悲しそうにそう返した。

…ドアを開けてもらったこともあるし中に入って待ってて貰ってもいいか。いつもだったらしないのだが、今日は暑い。ほぼ夜といった今の時間でももやもやと熱気が辺りに満ち満ちているし…。

あの、中に入って座って待ってていただいても大丈夫ですよ。中の方が涼しいですし…

いいんですか?じゃあそうさせてもらおうかな。

準備がまだ終わっていないので少し時間かかってしまいますがご了承ください。

そういって店内に男性を引き入れた。


端の方で細々と冷房が稼働している店内は、外よりは涼しい。

お好きなお席へどうぞ。

そういって瓶ビールを持ってカウンターへ私が向かっていくと、それを見た男性はカウンターの窓際から2番目に遠い席へと腰掛けた。高さのあるイスがギィと軋む。

何を飲まれますか。

じゃあ、ジントニックで。

かしこまりました。

グラスに氷を入れて、ジンを注ぐ。そこへライムを搾り、トニックウォーターで中身を満たした。

マドラーでくるりと液体を回せばこの店のレシピに沿ったジントニックができ上がる。



どうぞ。

あぁ、ありがとう。

そう言って男性は右手でグラスを持ちゆっくりと口をつけ、ジントニックを一口嚥下した。

うん。美味しい。

満足気にため息をつくと男性はこちらを見る。

しかし、まだ作業を続けている私はそれに気づくことはない。

男性は再びグラスを傾けカランと氷の音を鳴らし、もう一口酒を飲む。

そしてグラスを置いて、あの。

と私に声をかけてきた。

どうかしましたか。

と咄嗟に返事を返す。

すぐに返事が来たことに驚いたのだろうか男性は

一瞬言い淀んだ。

いや、このジントニック美味しいなと思って。お酒作るの上手だね。


なんだ、お世辞か…と思いつつ

いえ、そんな…ありがとうございます。

と返す。

店員さん、君だけなの?

今は、そうですね…。マスターはもう少し後になったら来ますよ。


マスターらしき人がいないを不安に思って聞いたのかと思い、私はそう返した。

あぁ、いや、その、君以外に人がいなくて不安になったとかじゃなくて、ちょっと、ほら人と話したい気分だったんだけど作業してる最中だと悪いかなと思って…。

そういう事でしたか。すみません、まだやることが残っていて…。

そうだよね。早く入れて貰えただけでもありがたいのにわがまま言ってすまない。作業続けてもらって大丈夫だから。


私はぺこりと頭を下げると先程とってきた瓶ビールを冷蔵庫にしまい始めた。冷蔵庫はカウンターの下にあるため、潜ってしまうとお客さんの顔は見えなくなってしまう。

2人だけの空間に瓶ビールが軽くぶつかり合う音が響く。それだけでなく、静かだからか冷蔵庫のモーターの音もいつもより大きく聞こえるように感じる。たまに男性がグラスを傾ける音が聞こえる度に先程の申し出を断ってしまったことへの罪悪感が胸に広がっていく。

瓶ビールを入れ終わる。

本当に今やらないといけないことは実を言うとこれだけであった。おつまみになるミックスナッツをそれぞれのナッツの袋から出し混ぜる作業は注文されてからしても問題ないし。

それよりも、せっかく来てくれたお客さんが話し相手になって欲しいというのを無碍にする方がなんだか悪いことのような気がして、居心地が悪くなった。ここはバーなんだし、今絶対やらないといけないことは済んだ、それなら応えないと。


お客様、作業、終わったので話し相手になっても大丈夫です。すみません、せっかく来て頂いて話し相手になって欲しいって言われたのに断ってしまって。

男性はカウンターの下から現れてそんなことを言う私に面食らったのか一瞬こちらを見て目線を下にすると、そうか、と零した。

断ってしまって気分を悪くさせてしまったのだろうか…。いや、十中八九そうに決まってる。ごめんなさい…と心の中で謝った。

そんなふうに考えていたら、男性は言葉を続けた。

いや、なんかな。ほんと俺、酒を飲むと人に絡んでしまう癖があるんだ。一回断ってもらって正気を捨てずに済んだ。一旦冷静になることが出来たよ。ありがとう。ここのジントニック、知り合いが美味しいって言ってて、気になってたんだ。

そうだったんですか。お知り合いの方ってどんな方なんですか?

ん?あぁー、営業マンだよ。画材を取り扱う会社で働いてて同じ大学の友達だったんだ。そいつは酒が好きで、今でも年1くらいで一緒に酒を飲みに行くんだ。

ご自分ではあまりこういったところには来ないんですか?

そうー、だね。いつも飲む時は大体家が多いかもしれないね。それか会社の飲み会で居酒屋か。

そうなんですね。



と、そんな感じで私たちはしばらく会話をしていた。その間何故か他にお客さんはなく、図らずとも彼との会話はゆるゆると続いていった。

絡み酒をしてしまうと言っていたこともあってお酒を飲むとかなりおしゃべりになる人のようだ。

45分ほどそんな時間が続き、彼の話も盛り上がってきた頃、彼がちびちびと飲んでいたジントニックは底をついた。

あ、と声をあげジントニックが無くなったことに気づくと、もう一杯だけ同じの貰ってもいい?と私に注文をした。

結構酔っているような感じだけども大丈夫だろうか。と思い、お水を一旦飲まれませんか。と聞く。

でも彼は、いいや、もうこれを飲んだら帰るから、気遣わなくても大丈夫だよ。

と水を受け取ろうとはしなかった。

同じの頂戴。

と、少し強めに言われてしまったので仕方なく同じものを出すことにしたのだ。


できたジントニックを彼の目の前に置く。

彼は、ありがとう。と言うとそれをゆっくりと、しかし長く飲み下している。あ、そんなに一気に飲んだら…


ん、ぷはぁ。彼は満足そうにグラスの中身を飲み干してため息をついた。

信じられない、一気に全部…。と思う私なんか気にもせず彼は、

ふぅ。お酒、ご馳走様でした。とても美味しかったよ。話し相手になってもらえてすごく楽しかった。ありがとう。お会計お願いします。

と言ってのけた。


呆気に取られてしまって私は、

あ、はい…と会計をするしか無かった。

会計が終わり、彼はまた来るよ。と笑顔で言って帰っていってしまった。1杯目は少しづつ飲んでいたのに2杯目あんなに一気に飲んで帰りは大丈夫なんだろうか…。すごく気さくなお客さんだったな、と思いつつ、入れ替わりで入ってきた別のお客さんの接客であまり深くは考えられなかった。

ここまで読んでくださりありがとうございました。かなりゆるっと書きました。

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