8話 呪い
ついさっきまで競うように美しく咲き誇っていた花たちは、あっという間に枯れてしまった。
辺り一面が炭のように真っ黒だ。精霊の加護で千年守られてきたという花畑が今や見る影もない。
エルフの森が舞台になったのはメインストーリーの6章だが、こんな光景見たことがない。
この世界に良くないことが起こり始めている――そんな、確かな予感。
状況確認のためにとさすがのルカも転移のコンパスを取り出した。
「エルフの村へ――」
エルフの村は巨大な木が立ち並ぶ森の中にある。村の中心地に着いて、すぐさま目に入ってきた光景に言葉を失う。
大地にしっかりと根を張り、生き生きと枝葉を伸ばしていたはずの大樹達が枯れている。
幹が縦にぱっくりと割れているもの、根っこから折れて横の木を巻き込んで倒れているもの、状態は様々だが、見渡せる限り全ての木々が枯れている。
「……エルフ達は!?」
エルフの家はこれらの木の幹を利用し作られているのだ。近くの木の根っこに急ぐと倒れている人影を見つけた。
「大丈夫ですか? しっかりして!」
「う……うう……」
「ルカ、すぐに回復魔法をかけてあげっ!?」
エルフは寿命が数百年という長寿の種族だが、耳が尖っていること以外は人間と変わらない見た目をしている。
幸いにも木の下敷きにならずに済んだらしいエルフの女性の顔に、黒い紋様が浮かんでいた。
この紋様は――ダイヤモンド鉱山のドラゴンの呪いだ。
「ドラゴンの魔力がエルフの森まで侵食してきたみたいだね。しかも草木を一瞬で枯らしてしまうなんて……この様子だと相当力が強まってる。僕らも警戒した方がいいね」
「で、でも何で? 呪いは8章の話で、ここは6章の舞台なのに!」
「何章とか関係ないよ。ダイヤモンド鉱山もエルフの森も同じ世界にあるんだから」
「そんな……」
ネバドリは現在9章まで配信されている。不意打ちで食らったネタバレの知識しかないけれど、9章はドラゴンの呪いが広がりましたっていう展開ではない。
だって8章の最後にドラゴンを倒してから次章に進むんだから当たり前だ。
じゃあもし、今のこの世界のようにずっと8章のドラゴンを倒せない状態が続いたとしたら……?
「と、とにかく考えるのは後だよね。今はエルフ達を助けなくちゃ。ルカの魔法で倒れた木をどうにかできないかな?」
「できるけど……魔力の消費が大きいから気乗りしないな。助けたところでエルフ達は呪いで死ぬんだよ。それより、この村から早く離れよう。マイの首輪の防御魔法も保たないかもしれない。長居するのは危険だよ」
ガチ装備のルカはともかく、生身の私がドラゴンの呪いの影響を受けないのは、ルカが首輪に防御魔法をかけてくれていたから……。
確かめるように私の首輪を撫でるルカの表情は険しい。
「ギルドに帰ろう。ギルドのある街ならダイヤモンド鉱山から離れてるから安全だよ」
「や、待って! 呪いはドラゴンを倒したら消えるんだよ。まだ死ぬって決まったわけじゃない。ゲームの中の優しいルカなら助けようって絶対言ってくれるはずだよ!」
「っ、そんなこと……っ」
ルカは私の言葉にびくっと肩を上下させる。失言だった。そう一瞬でわかるくらい、ルカの顔がぐしゃぐしゃに歪む。
「マイがその優しいルカを愛してくれなかったから今の僕がいるんだろ! 僕じゃ、強くて優しいヒカルくんには勝てないから……だから僕は……っ!」
「っ!」
首輪を撫でていた手に力が入ったのがわかった。金属の首輪越しだ。首が締まるわけではない。だけど、急に呼吸を奪われたような息苦しさを感じる。
今にも泣き出しそうなルカの手はぶるぶる震えていた。優しかったルカが変わってしまった理由は私にある。その罪悪感に息が詰まる。
悲痛な訴えに、私はそれ以上何も言い返せなかったが、ルカはすぐに諦めたようにため息をついた。
「……わかったよ。エルフを助けよう。その代わりにマイも僕のお願いを聞いてね」
▽
ルカはギルドに戻ってから早々にベッドに倒れ込んだ。
相当深い眠りに落ちているんだろう。規則的に胸を上下させ、寝息を立てている。幼い子供のような無防備な寝顔だ。
倒れた大樹をどかして、下敷きになっているエルフ達を救出し、ほぼ全員に回復魔法をかける……短時間でこれだけの魔法を使ったのだ。
「無理させちゃったね。ありがとう……」
――お願いだから僕の目の届くところにいて。僕から逃げないで。離れていかないで。そばにいて。お願いだよ……っ
それが、エルフを助ける条件としてルカに言われたことだった。
大勢のエルフ達を助けた代償に、ルカは疲労している。私には魔法のことはよくわからないけど、きっとルカがしたことに比べたら釣り合わない願いだ。
どうせ首輪がある限り、逃げたって居場所がバレてすぐに連れ戻される。
だけど、私を見付けるまでのひとときが耐えがたいから、こんなお願いをするんだ。
思えばルカの寝顔を見たのは初めてだ。ルカは必ず私より遅くに寝て、早くに起きる。私の前で常に神経を張り巡らせていて隙を見せない。
余裕の態度でいるけど、本当は余裕なんてないのかもしれない。
「ルカ……」
ヒカルくんやみんなを殺し、私が好きだったネバドリをめちゃくちゃにしたルカのことは許せない。元の世界に帰ることも決して諦めたわけじゃない。
でも、逃げないでと縋ってきたルカの表情を思い出すと胸が苦しくなる。
目が覚めて、私がそばにいないことに気付いたら深く悲しむだろう。その姿を想像すると、私はルカの隣を動けなかった。
「マイ、マイ、起きて」
「んん……」
薄っすらと目を開ければおはようといつものルカの声が降ってくる。
私を見下ろすルカの表情は私が約束を守った安心感からか、とても穏やかに見える。
「マイが寝てる間にコンパスで他の街の様子を見てきたよ。ダイヤモンド鉱山の隣の獣人の里は既にドラゴンの呪いに蝕まれてた。でも幸い、エルフの森から先にはまだ進行してないみたいだ」
「獣人の里も……」
メインストーリー7章の舞台である獣人の里は、ダイヤモンド鉱山とエルフの森の中間に位置している。
獣人の里には闘技場があり、イケメンキャラクターが多い。私のネバドリパーティーでアタッカーとして重宝している猫耳の弓使いもこの里出身だ。
大好きなマップだったけど、エルフの森に呪いが届いたということは、残念ながらそういうことなんだろう。
「ドラゴンをこのまま放っておいたら呪いはもっと広まっちゃうよ。私はもう勇者じゃないかもしれないけど、私達でドラゴンを倒さなくちゃ」
「そうだね。マイに危険が及ぶ前に倒すべきだ」
「何か方法はないのかな? 何かこう、魔導書とかに載ってたりしない?」
「あー……」
ゲームの世界に引きずり込む魔法が存在したのだからきっとあるはずだ。
ルカは目を逸らして躊躇う様子を見せた。でも観念したようにこちらに向き直る。
「お師匠様に聞きに行こう。お師匠様が知らないなら他の誰も知らない。本にも載ってないよ。一番手っ取り早い方法だ」