5話 向こうの世界
ギルドに戻るとサポートキャラクターのトキさんが迎えてくれるのが恒例だった。「おかえりなさぁい。ご飯できてるわよぉ」がお決まりのセリフ。
トキさんはマッチョで野太い声の、いわゆるオネエだ。ギルドの家事全般を担当しているお母さん的ポジションのサブキャラクターだった。
勇者にとってトキさんは頼れる存在で。メインストーリーの中で壁にぶつかった勇者が、彼女に何度背中を押してもらったことか……。
「うん、美味しくできてる! 料理って錬金術に似てるよね。結構好きなんだ」
「…………」
食堂の長机の隅の方に座り、ルカの手料理を黙々と胃の中におさめていく。
――もうこの世界に勇者は存在しないんだよ。
ルカの言葉が頭の中をぐるぐると巡っていた。
勇者がいなければダイヤモンド鉱山の封印は解けない。封印が解けなければドラゴンを倒すことはできない。ドラゴンを倒せなければ9章には進めない。
この世界は詰んでいるのだ。私のネバドリと同じ。
状況を打開するためにSSRのヒカルくんをパーティーに入れたかったけど、それももう叶わない。
「魔道士用のね、魔法で簡単に作れるレシピ本を参考にしたんだよ。ちょっとズルみたいかな。マイの口に合うといいんだけど」
食事を楽しめる気分ではなかった。
食べないという選択が許されないから仕方なく口に運んでいる。作った側からしたらつまらない態度だろう。
それでもルカは気を悪くする様子もなく、にこにこしながら話し続ける。
「トキさんに比べたらまだまだ全然だね。トキさんは魔法が使えないのにパパっとたくさん作れてすごいなぁ」
ネバドリの食事シーンは気合いの入った専用ムービーまで用意されている。
ストーリー上でたびたび流れるが、何度見ても飽きない。
ネバドリの世界を彩るキャラクター達が長机にずらりと並ぶ様は壮観で、勇者もギルドの一員として混ざれている、その没入感が好きだ。
私の理想を詰め込んで作ったアバターはちゃんとネバドリの世界に馴染んでいたから、嬉しかったのだ。
勇者の席は長机の真ん中の方。丁度みんなの様子を見渡せる特等席で、右隣にヒカルくん、左隣にルカ。
そこへトキさんが料理をどんどん運んでくる。机に乗り切らないほどに。
まるでそれを模倣するように机には料理が贅沢に並べられていた。
私とルカの二人で食べきれる量じゃないことは明らかだ。昨晩も、今朝もそうだった。
残った料理はルカの指先の動き一つでゴミ箱へと吸い込まれていくのだ。
「何でこんなもったいないことするの」
「何でって。マイが寂しそうにしてるからだよ」
……ルカはおかしい。ルカのすることはズレているのだ。
いつも料理を作ってくれていたキャラクターがいない。いつも一緒に食卓を囲んでいたキャラクター達がいない。
だから、寂しいのに。
「……私、家に帰りたい」
ぽつり。自然と言葉がこぼれ落ちた。
「っ、こんな世界もう嫌だ! みんなも、ヒカルくんもいないネバドリなんて全然楽しくない……っ」
こんなわけのわからない状況でも冷静でいようと、ずっと抑え込んできた感情だ。
一度声に出してしまえば後は波のように押し寄せてきて止まらない。
「きっとお父さんもお母さんも心配してる! 帰りたい、帰りたいよ!」
苛立ちの全てをぶつけるように机を強く叩いて立ち上がった。衝撃で倒れ、転がり落ちたグラスが足元で派手な音を立てて割れる。
しかし、私はそんなことにはお構いなしで早口でまくし立てた。
「ルカなんて大っ嫌い! 私を家に帰して……!!」
ルカは私の剥き出しの感情に驚いたようだった。
私がルカに感じている怒りは至極当然のことなのに。信じられないとでも言わんばかりに大きな目をぱちくりさせてから眉間にしわを寄せた。
「……うるさい」
「っ!」
「僕が帰すと思うの?」
碧色の瞳から光がすうっと消えてなくなる。今まで見たことがない無表情に、氷の刃のような冷たい声。背筋がぞっとするのを感じた。
自分はきっと魔法で口を縫い付けられてしまったのだ。そう思うくらい、先程までの威勢はなくなっていた。
でも、ルカはすぐにまたいつもの微笑みを顔に張り付けた。
「そうだ! 明日は僕がこの世界を案内してあげるね! もうマイは勇者じゃないんだからドラゴンと戦うことないよ。自由な冒険に出発しよう! そうしたらきっとマイもこの世界にずっといたいって……思う……」
良いこと思い付いた! そんな口ぶりだが、私がちっとも乗り気でないことに気付いたのだろう……
「……わかったよ。少しだけ向こうの世界を見せてあげる」
ルカはそんな提案をした。
▽
「覗いてごらん」
気を付けてね、と一言添えて渡されたのは、手のひらサイズの鏡だった。
鏡といっても割れた鏡の破片らしく歪な三角形をしている。切り口は鋭利で、無防備に触れれば怪我をしそうだ。
うっかり落とさないよう、強く握りすぎないよう慎重に鏡を覗き込む。
すると、鏡の中に人影が見えた。私じゃない、二人の顔が映し出されている。
「お父さん、お母さん!?」
――絶対に家出なんかじゃないわよ。何かあったとしか思えない!
――ああ。あの子がスマホを置いて家を出るとは思えないな。行方がわからなくなる直前までなんとかっていうゲームのことで同級生とラインをしてたんだろ?
「たっ、助けて! 私、ネバドリの世界に連れてこられたの! わけわかんないと思うけど本当なんだよ。どうにかならない!? ねぇ、お父さん! お母さんってば!!」
鏡にかじりつく勢いの私に二人とも視線を向けている。だけど、目が合っている気がしない。
向こうもこちらを覗き込んでいるはずなのにどこか噛み合わないのだ。
「無駄だよ。向こう側からはこちらが見えないからね」
「え……」
――ラインはどこにあるんだ? マイのホーム画面ごちゃごちゃしててわかりにくいな。ああっ! なんか画面が変になったぞ! これどうすればいいんだ?
――ああもう。カメラが起動しただけよ。貸して。私が見るわ。何か手がかりがあるかもしれないんだから。
「あ……っ」
二人が見ているのは私のスマートフォンだ……!!
気付いた瞬間に冷や汗がどっと噴き出す。念のためにと、ロックナンバーを記したメモ書きを勉強机の引き出しに入れてある。恐らくそれが仇となった。
ああ……オタクのスマートフォンの中なんて見るもんじゃない。
私の人生色々と終わりそうな予感に、思わず頭を抱えた。