3話 僕のこと殺したい?
私はメインストーリーの3章が一番好きだ。
3章ボスの元から逃げ出してきた無力な奴隷少年イズナ。彼が自分も戦いたいと剣を取り、ボスに立ち向かう姿は涙なくして見られない。
イズナはその章で光の見習い剣士イズナとしてSSRの実装もされている。
そのイズナの剣術の師匠となったヒカルくんに、私は心を奪われてしまった。
ヒカルくんは太陽みたいに明るい男の子だ。ギルドメンバーだけでなく、訪れる街の人々から慕われて、誰とでもすぐに仲良くなれる。
どんな絶望的な場面でも彼の発言で状況が良い方向に向かうことは多い。
自慢の推しだったのに――
シンと静まり返ったギルドで、私は呆然と立ち尽くしていた。
ギルドに人の気配はない。みんなで作戦会議をする大広間も、みんなで手を合わせた食堂も、一人ずつ割り当てられた個室も全て回ったけど物音一つしなかった。
できるだけ考えないようにしていた。でも、もぬけの殻のギルドを前にして目を逸らすことなんてできない。
「あ、はは……」
乾いた笑いが口をついて出る。
いないんだ。私が好きだったキャラクター達は、このネバーエンディングドリームの世界のどこにもいない。
私の推しは、あの召喚の間で――
「またヒカルくんのこと考えてるんだね」
「っ!」
ルカは怒っているらしかった。魂が抜けたように立ち尽くす私のそばにツカツカと歩み寄ると、その恐ろしく整った顔を突き合わせてくる。
「マイはヒカルくんのことばっかりだ。今ここにいる僕を見てよ。もうマイのパーティーには僕しかいないんだよ」
「っ! それはルカが、」
みんなを殺したから……!
続けたかった言葉を飲み込んで、唇を噛んだ。手は無意識にポケットへと伸びていた。目薬ほどの大きさの硬い感触がある。ソフィーから渡された小瓶。これを使えばルカも、
「――僕のこと殺したい?」
ドクンと心臓が跳ねる。考えが見透かされている?
いや、でも、違う。殺そうだなんて恐ろしいことを本心から思っているわけではない。
「あれ。何震えてるの。いいよ。ヒカルくんのこと考えてるよりさ……僕をどうやって殺してやろうか考えてくれてた方がずっといい」
にっこりと作ったような笑顔を浮かべたルカの声はどこか寂しそうだった。
私はポケットにやっていた不自然な手を取り繕うようにスカートの裾を正した。
「でも、殺されてあげないよ。僕はマイのそばにいたいから。……まあ、そのときマイがどんな顔をするのかは少し興味あるけどね」
▽
ホーム画面の背景をキャラクターの自室に設定するとそのキャラの部屋に遊びに行っている感覚になれる。
ルカのボイスはプレイヤーである勇者に甘えるようなものが多い。特にお気に入りだったのはおやすみボイスだ。
「マイ、今日も一日ありがとう。夢の中で会おうね。おやすみなさい」
「……おやすみ」
ゲームとおんなじセリフだが、大いに不満があった。ルカに背を向けたまま投げやりな返事をする。
どうしてルカの部屋で、しかも一緒のベッドで眠らないといけないんだろうか。ギルドには私とルカしかいないのだからいくらでも部屋に空きはあるのに。
暗がりの中、できる限りルカから距離を取って体を丸めた。
私に嵌められた首輪は重厚な見た目とは裏腹に、軽くて痛みもない。というか、首輪をされていることを忘れてしまうほどに体に馴染んでいた。
これも特殊な魔法がかけられた首輪だからだろう。
付け心地は悪くなくとも、ルカが引っ張れば鎖が現れて自由が制限される。そう考えると、不自由のない首輪がずしりと重みを持った。
ヒカルくんのガチャを引いていたのが昨日の深夜四時。ネバドリ内で約一日過ごしたことになる。
ソフィーからもらった小瓶はポケットに入ったままだ。ヒカルくんを殺したルカのことは許せないけど、だからといって殺すだなんて。
どうしたら元の世界に帰れるのか検討もつかないのだ。今ルカの元から離れることが得策とも思えなかった。
「……マイ、寝てる? 装備も整えたことだし、明日は二人で冒険に行こうね」
「…………」
そもそもどうしてソフィーは勇者の涙をくれたんだろうか。
あれからすぐにルカが様子を見に来たから会話は途切れてしまったが、私のことを勇者様と呼んだのも不思議だった。
「本当は起きてるんでしょ? マイって寝つきがいい方ではないもんね」
「…………」
「ふぅん。無視するんだ」
「…………」
落ち着いて考え事をしていたいのにルカは容赦なく声をかけてくる。
それでも寝たふりをしようと決めたのは、私のことを知っているような口ぶりが何となく癪だったから。
「っ、ひゃあっ!?」
しかし、思いもよらない攻撃を受けた。突然の脇腹くすぐり攻撃だった。
「ひゃははっ、起きてる! 起きてるからやめて……っ」
「マイだって僕をつっつき回してたくせに」
「それはゲームの仕様で……! あははっ!」
反応の大きさから脇腹が弱点だとバレてしまったのだろう。覆いかぶさってこられたら逃げ道がない。
意地悪な手が許してくれるまでしばらく、私はベッドの上で笑い転げることになったのだった。
「……ねぇ、明日どこに行きたい? 見てみたい場所はある?」
「見てみたい場所……」
私が行きたい場所は元の世界一択。けど、そんな答えが許されるわけがない。
やっと開放してもらえたのだ。またくすぐられるのは御免だから、ルカの質問に素直に思考を巡らせる。
金平糖が降る丘に、エルフの森の歌う花畑、大賢者が作った魔法図書館、空に浮かぶ古代城――
ネバドリの世界は夢があふれている。見てみたい場所ならいくらでもあるが、今はどこに行っても楽しめる気がしない。
でも、そうだな。強いていうならば、
「ダイヤモンド鉱山の街に行きたい」
私のネバドリはメインストーリー8章「呪われた街」のボス戦前で止まっている。そのボスであるドラゴンの住処がダイヤモンド鉱山だ。
「……わかってて言ってるんだろうけど……あの街は危険だよ。どうしても行きたいの?」
この世界は私のネバドリのデータに基づいている。そのため、やはりまだドラゴンは倒せていないらしい。
私の自慢の最推しヒカルくんはドラゴンの呪いに苦しむ街の人達に心を痛めていた。
正義感が強くて心優しい彼はもういないけれど、ヒカルくんのためにも、街の人達のためにも、
「うん……ドラゴンを倒しに行きたい」
……なんて綺麗事だ。私はただ単に8章の続きが見てみたいだけなのだ。