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2話 奴隷

 剣と魔法でモンスターと戦いながらアイテムを集め、冒険するソシャゲ、ネバドリ――

 画面の向こう側に存在していたゲームの世界は今や私の現実だ。

 でも、私は魔法なんか使えない。


 空は澄み渡り、気候は穏やかで、通り抜ける風は心地がいいものなのに。

 私は必死だった。必死で、広大な草原を駆け抜ける。


「はっ……はっ、はっ」


 息が苦しい。体はとっくに限界を迎えている。少しでも気を緩めたら胃の内容物全て出てきそうだ。

 けれど、止まるわけにはいかない。何度も後ろを振り返りながら足を前へと動かす。

 群れをなし追いかけてくる緑色の体をした小型の魔物、ゴブリン達との距離は着実に縮まっている。

 早く、早く、もっと早く! このままじゃ追いつかれる……!


「あ……っ」


 背丈の高い草むらをかき分けた先は湿地帯だった。

 ぬかるみに足を取られ、転んだ私の背後にゴブリンの群れが迫り来る。

 ゴブリンといえばネバドリの一番の雑魚敵だ。ゲームでは全体攻撃スキルを使って一発で蹴散らしてきたのに……ああ、もう駄目だ!

 私は死を覚悟してぎゅっと目を閉じた。


「ハァッ!」


 一瞬で、周囲の温度がぐっと下がった。肌を刺すような冷たい風が吹いて、ゴブリン達の断末魔が響く。

 恐る恐る目を開けてみるとゴブリン達の体はそこにはなく、微かに残った光の粒がゲームコインへと姿を変えていった。


「ほら、僕から逃げようとするから怖いめにあうんだよ。これでわかったでしょ? 外は危険だってこと」

「ル、ルカ……」


 気付けば目の前にゴブリンの群れよりずっと危険な存在が立っていた。

 涼しい顔をしながら色の白い手のひらを宙にかざす。すると、ふわふわ浮かんでいたコインはローブの内側に吸い寄せられていく。

 ここまで来るのに髪も服も全身泥だらけになってしまった私とは違い、ルカの真っ白なローブには汚れ一つない。

 隙をついて逃げ出したつもりだったが、単に泳がされていただけなんだろう。



「ああ……っ、怪我してる!」

「っ、痛……っ」


 言われてみれば。派手に擦りむいた膝が思い出したようにじんじん痛み出す。

 痛い――確かに痛いのだ。

 非現実的な世界にいるのに痛くて痛くて、泥で汚れた傷口からはリアリティーのある赤色が滲んでいる。


「すごい……マイも血を流すんだ……僕と同じように赤い血が全身を巡ってるんだ……」


 私の膝を見つめながらぽつりぽつりとこぼす言葉は私に向けたものというより、独り言に近かった。

 自分が今見ている非現実的な、信じられない光景を咀嚼(そしゃく)し、これは現実なのだと飲み込んでいくための時間。

 突然この世界に連れてこられた私と同じでルカもその時間を必要としていた。


「す、すぐ治すから! じっとしててね」


 ルカが慌てたように傷口に手のひらをかざすと、白い光を放つ紋様が現れた。

 バトルやストーリー中によく目にした回復魔法のエフェクトだ。

 数秒もせずに傷は綺麗になくなった。


「これでよし。立てる?」

「…………」


 ゲームで何度も見てきた屈託のない笑顔。そんな笑顔見せられたって……私は差し出された手から露骨に顔を背ける。


「ねぇ……勇者様から奴隷に堕ちたのがそんなにショックだった?」

「っ!」


 耳元で囁かれる普段よりずっと低い声。

 驚いて跳ねた肩にルカの指が触れる。

 人差し指と中指を交互に動かして、歩く人の真似をしているかのような指先が肩から首に進んで。その悪戯な指先が私の首輪をつっついた。


 本来ならネバドリのプレイヤー、主人公の役職は勇者だ。悪さを働くモンスター討伐を目的としたギルドに入団するところから物語は始まる。

 勇者はゲームシステムの都合なのかバトルでは動かせないものの、魔法と剣技に長けている設定だ。メインストーリー内では主人公らしく大活躍している。


 どうしてもゲームの世界で過ごさなくちゃいけないなら勇者がいい。

 絶対そっちの方が楽しい……のに、私に与えられた役職は奴隷だ。

 杖を持っていれば魔道士。剣を持っていれば剣士。

 この世界は存外単純らしい。

 私は奴隷キャラのシンボルである首輪を嵌められてしまったから、奴隷。

 ルカの奴隷。


――その首輪は永遠の誓いなんだ。僕の魂と強く結びついている。僕が死ぬまで外すことはできないよ。


 召喚の間での言葉が頭に過ぎる。私に嵌められた鈍色の首輪には氷の結晶のような模様が刻まれている。

 私がこの世界のどこにいても首輪が位置を教えてくれるとも言っていた。

 先ほど苦もなく追ってきたことを思うとどうやら本当のようだ。


「それとも、ヒカルくんのこと考えてた?」

「……っ」

「あははっ意地悪してごめんね。思い出させちゃったかな。服も汚れてるし、新調しに行こうよ」


 そう言ってルカがローブの内側から光沢のある金色のコンパスを取り出した。

 ギルドメンバーに支給されている魔法道具の一つだ。クリア済のダンジョンや、行ったことのある街などを記憶させ、一瞬で飛ぶことができる。

 要はプレイヤーにストレスをかけないようにマップ移動ができるご都合主義アイテムだ。


「港街のマーケットへ――」


 行き先を告げると、コンパスの針がくるくるとすごい勢いで回り始める。

 足元に魔法陣が浮き上がり、私達の体は真っ白な光に包まれた。



 港街のマーケットは活気にあふれていた。

 大きな港があり、貿易が盛んなため、獣人やエルフなど異なる種族が多く行き交っているのがこの街の特徴だ。

 ゲーム内の変わらない背景や繰り返しのBGMとは違う。実際に街に訪れて肌で感じる熱気に圧倒される。

 絨毯に乗った魔法使いがビラをばらまきながら頭上を通過していく。サーカスの宣伝のビラには「世にもおかしなクラーケンの火の輪くぐり!!」という文字が踊っている。


「わわっ!」


 焼きイカになっちゃうんじゃないか。なんて手元のビラに気を取られていると、首輪をぐっと引っ張られた。

 蹴躓きそうになるのを何とかこらえる。


「マイ、はぐれちゃうよ。ちゃんとついて来てね」


 私の首輪とルカの手の間を白い光の鎖が繋いでいる。普段は目に見えないし、触れない鎖だが、ルカだけは自由にこの鎖を具現化させることができるらしい。

 賑やかな人混みの中。犬みたいに鎖を引っ張られてルカの後ろをついて歩く私は、本当に奴隷みたいだ。



「らっしゃい! おおっ、魔道士様と奴隷の嬢ちゃんじゃないか。まさかあの一連の事件がクラーケンの仕業だったとはなあ。捕まえてくれて助かったよ!」


 ゲームの立ち絵そのままの豪快な笑顔。陽気な髭面の商人には数パターンのセリフが用意されている。

 これはメインストーリー4章でこの街が抱えていた問題を解決してから追加されたセリフだ。

 ただ、普段なら「勇者様じゃないか」と言われるのに、今は奴隷の嬢ちゃんと呼ばれた。やはり他キャラクター達からの認識も勇者ではなく奴隷に変わってしまったらしい。


「それで今日はなんのご用ですかい?」


 このお店では、着せ替え衣装やスキル付きの装備をゲームコインで購入したり、アイテムを使って作ってもらったりできる。


「彼女に似合う衣装と、それから……僕も何か良い装備があったらほしいです。今後は彼女を僕一人で守らなくちゃいけないので」

「おお、それなら新入荷の良い装備があるんだ。是非見てってくれ! 奴隷の嬢ちゃんは奥の部屋で着替えるといい。おい、ソフィー! 案内してやってくれ!」

「は、はい……」


 店の奥から眼鏡を掛けたおさげ頭の少女が顔を出す。髭面の店主の一人娘で、着せ替えの案内をしてくれるサポートキャラクターのソフィーだ。

 ネバドリの数少ない女の子キャラということもあって密かに人気がある。おずおずと店の奥に私を導いてくれる姿は可愛らしかった。


「ご、ごめんなさい。ど、奴隷さん用のお洋服は少ししかなくて……」

「あ、ううん。ありがとう……」


 何着か試着用の衣装を受け取り、小さく息を吐いた。

 わずかだけどルカから離れられたおかげか、あるいは私と年が近い同性のソフィーがそばにいるからだろうか。この世界に来てから初めて少しほっとできた瞬間だった。


「……こ、これを。どうかお役立てください」

「え……?」


 突然そっと握らされた透明な小瓶に目を丸くしてしまう。

 瓶に貼られたラベルには英語で"勇者の涙"と書かれている。

 これは確か。少し前にネバドリのデータ解析をしているサイトが画像と性能を載せていて、ユーザー間で話題になったアイテムだ。

 ゲーム内にデータだけは入っているようだが、今後も実装されることはないだろうと。なんせこのアイテムは、使った相手に確定死を与えられるというチートみたいな効果を持つのだ。

 そんな強いアイテムを何故、


「わ、私は勇者様の味方です。これを使って、あの悪い魔道士を……ルカを殺してください!」


 疑問に答えるようにソフィーは私の手に自身の手を重ねた。


――ルカを、殺す?

 握った小瓶がカタカタと揺れている。私の手は震えが止まらなかった。

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