12話 雲の上の箱庭
昔むかし。お城にはこの世界を統べる王族が住んでいたが、王位継承争いによる悲劇が起こった。
主を失ったお城は悲しみのあまり宙に浮かんで、雲を突き抜け、ネバドリ世界の上空を今もさまよい続けている。
5章はお城に住み着く王族のゴーストと戦い、成仏させるストーリーだった。
青い薔薇が咲き誇る庭園を抜けると、このマップの境界である切り立った崖が現れる。
崖の淵に立って見下ろしてみれば今日は空が澄み渡っていた。雲がないおかげで遥か下方の景色がよく見える。
お城の位置の丁度真下には空よりずっと濃い青色の海と、栄えた港街があった。ソフィーのいる港街だろうか。
もしもここから足を滑らせたら、私の体は真っ逆さまに落ちていくだろう。
どうすることもできずに地面が近付いていき、最後に体を叩きつけられる姿まで想像して内臓がヒュンと浮く。
一歩下がろうとした背中に衝撃が走った。
「ひっ!!」
「ただいまマイ」
後ろから不意に抱きつかれた衝撃でよろけて、靴のつま先が地面についていない。ルカの両腕が肩に巻きついているから何とか体勢を保っていられた。
「危ないから崖に近付いたら駄目だって言っておいたでしょ? もうここには来ないって約束できる?」
今ルカに腕を離されたら、少しでも押されたら、落っこちてしまう……。
足元で崩れた土がパラパラと崖を滑り落ちていくのを目の当たりにしながら、私は無言で頷く。
「下の様子が気になるの? それとも……僕から逃げようとしてたのかな?」
「……ち、違うよ」
「ふふ。それならよかった。大丈夫だよ。何も心配いらない。この世界が呪いに満ちても、僕が必ずマイを守るから」
お城は今こうしている間にも空の上を移動している。お城の上に立っている私からすればあまり実感が湧かないが、多分ものすごいスピードで。
再びチラリと下に視線を向けると、遠くの空に暗闇を形にしたような真っ黒な雲が広がっていた。あの雲の下はドラゴンの呪いに飲み込まれているのだ。
呪いの進行は思ったよりずっと早い。雲より上に浮かぶこの城に呪いは届かないと言うが、それなら。
「ル、ルカ……考え直してよ。まだ呪いが到達していない街の人達をここに連れてこようよ。せめてギルドの他のみんなだけでも!」
「もういいんだよ。この世界には僕とマイの二人だけでいい。他に何もいらないよ」
「…………」
ヒカルくん、イズナ、団長は城の地下牢に幽閉されている。
邪魔だからと無慈悲に殺されることはなかったけど、言うなれば人質だ。私がルカに逆らったり、逃げようとしたら何をされるかわかったもんじゃない。
もっとも、魔法が使えない私がここから逃げるなんて不可能だ。この空高く浮かぶ城全体が私を閉じ込める広い、広い檻の役割をしていた。
ルカが私を自由にさせて出掛けていくのもそれをわかっているからだ。
「ねぇ、マイ。好きだよ。好きなんだ――」
「っ!」
熱っぽい声で囁かれ、更に強く密着する体。耳にかかる吐息がくすぐったくて顔だけでルカを振り返ると、唇が重ねられた。
そのままルカの舌が侵入してきて無理矢理に絡められる。お城に来てからの一週間の間に深い口付けを求められるようになった。
初めてされた際に、嫌悪でルカの舌を噛んだ。あのとき見せたルカの傷付いた顔が忘れられないから二度と同じことができない。
下の世界は緩やかに破滅へと近付いている。なのに私は目を伏せて、災厄の元凶であるルカと口付けを交わしていた。
絆されたらいけないとわかっている。お父さんとお母さんの待つ家に帰りたいという思いも変わっていない。
だけど。私の足元の砂は下の世界にまた落ちていった。
▽
この世界の気候はマップ毎に違っていて、滅茶苦茶な設定だ。まだゲーム上でも訪れたことはないが、永久凍土と砂漠が隣同士にあるくらいだ。
とはいえ基本は穏やかで過ごしやすい環境の街が多い。
雲の上に位置するこのお城も快適な気候と酸素が保たれていた。
庭園の隅の植物園は存在感がある。ドーム状でガラス張りのその建物内に一歩足を踏み入れると、蒸れた空気が全身にまとわりついてきた。
「この魔法、お師匠様の元にいた頃は苦手だったんだけど、いっぱい練習したから今では氷魔法の次に得意なんだ」
園内の池には豊富な種類の魚が泳いでいて、うさぎや鶏がそこら中を自由に走り回っている。
ルカが得意気な様子で大賢者の杖を振ると、鶏が卵をポンポン生み落とす。卵はすぐにヒビが入り、生まれたひよこはあっという間に鶏へと成長するのだ。
園内で栽培されている野菜、果物、穀物も同様に、欲しいときに欲しいだけ収穫ができる。
沈んだ気持ちでその光景を眺めている私の額に、ルカの唇が降ってきた。
「ね、怖くないよ」
チュッとリップ音を立てて口付けると、私を安心させるように頭を撫でる。
「……怖いよ」
「どうしたら怖くなくなる?」
「…………」
ルカは本気なのだ。このままだと世界がどうなるのか理解した上で、本気で私を帰さないつもりでいる。
そして、世界がドラゴンの呪いによって滅んだ後も、私はこの箱庭でルカに守られながら不自由のない生活ができるのだろう。
それが実感できてしまうから、怖い。
無言を決め込む私の髪をもう一度撫でてから、ルカは天井近くで光を放っている魔法陣に手をかざす。
あの魔法陣によって植物園の温度管理と清掃、植物への水やり、動物達への餌やりなどは行われている。
一日一回、氷の塊と炎の渦を同時に出し、魔法陣に吸い込ませることで効果は継続されるようだ。
何度も目にしているが、これはどうやら相当に高度な魔法らしい。
「っ!!」
やっぱり今日も一度では成功しない。
宙に浮かぶ強すぎる炎が氷を飲み込んだ。炎の勢いは増していき、蒸し暑い植物園が更に熱気に包まれる。
このままだと大惨事間違いなしだが、毎日のことだから私も慣れっこだった。
念のためにすぐ近くの大きな木の下に避難すると、ルカの魔法で局地的な雨が生み出されて炎は鎮火した。
「難しい魔法なんだね」
「ハァ……ごめん。初歩的な魔法だよ。僕は昔から炎魔法が一番苦手なんだ」
「そうなの? まあ、ルカは氷魔法の使い手だしね。苦手なわりにあんな大きな炎を出せてすごいと思うけど」
「こ、れは、ヒカルくんから奪……もらった、炎魔法だから……僕ではろうそくに火もつけられないよ……」
ヒカルくんにもらった……?
左右に激しく泳ぐ目と、しどろもどろな言葉。どういうことかと追及したところで気分の良い回答は得られなさそうだ。
「……ルカはいいな。私だって魔法使ってみたい。私には使えないのかなぁ」
軽い気持ちで吐き出した願望だった。
石油王と結婚したいとか、美人女優の顔面になりたいとか言うのと、さして変わらない。ゲームの世界にいるのなら、魔法とか使いたい。
でも、ルカからは驚きの答えが返ってきた。
「いいよ。僕が教えてあげる」
「えっ、いいの!? 私でも魔法を使える可能性があるってこと?」
「知らない。けど、お師匠様も才能のない僕に根気強く教えてくれたんだ」
……意外だ。私が魔法を使えるようになったら都合が悪いだろうに。
目を丸くしている私の前でルカは再び氷魔法と炎魔法を同時に発動させて、今度は成功してみせた。




