花火大会
花火大会当日
初めて彼と図書館以外で会う事になった。
昨日の夜はあまり眠れず、ずっとドキドキが止まらない。こんな事は人生で初めての事。
今までファッションにも興味がなかったので、可愛い服なんて一着もない。
仕方なく通販で今人気というワンピースを買ってみたのだ。
ふわっとしたスモーキーピンクのひざ丈のワンピース。果たして似合っているのだろうか?
何度も鏡を見てから出掛けた。
待ち合わせの駅に早めに到着した。
「はぁ〜」と深呼吸を一つ。
浴衣姿の女の子達や、カップルがたくさん居る。みんなお洒落をしていてとても楽しそう。
…もしかしたらこれは夢なのかもしれない。
彼は来ないのかもしれない。そんな思いがぐるぐるしていた時、ポンッと肩を叩かれた。
「日菜子ちゃんごめん!待った?」
その笑顔を見るだけで胸が跳ね上がる。私は恥ずかしくて…大きく首を横に振った。
「行こうか。」
「うん。」
夢ではなかったようだ。啓介くんはちゃんと来てくれた…嬉しい。
バスに乗って花火会場へと向かう。
バスの中は案の定、満員だった。
図書館の時とは違い、彼との距離が近くなる。肩が当たる程近い。
「俺につかまっていいよ。」
震えた手を伸ばし、彼の腕を掴んだ。胸は高鳴るが彼の体温はやっぱり感じない。
ようやくバスが会場へ着き、握っていた腕をパッと離した。バスを降りると涼しい風が吹き抜け、私の頬と体を少し冷やしてくれた。
その場所は屋台の提灯がぼんやりと灯り、たくさんの人が賑わっていてわくわくした。
花火大会に来たのは初めてだった。
それも男の人となんて…。
「花火大会初めて?」
「うん。」
25歳にもなって初めて来たなんて、恥ずかしかった。啓介くん変に思ったかな。
そんな事を思っていると、誰かの肩にぶつかって転びそうになる。
「大丈夫?」
と彼は私の手をすっと握ってくれた。
その優しさに頭がクラクラする…私はどうしてしまったのだろう?
屋台で色々と買い、川原の空いている場所で見る事になった。
花火まではまだ時間がある。
辺りは少し暗くなり、川は静かにキラキラ輝いて流れていた。
隣を見るとキレイな横顔がある。まつ毛本当に長いな…と見惚れてしまう。
このままずっと一緒に居たいなんて思うのは…おかしいだろうか?
「日菜子ちゃん一人暮らしって言ってたよね?」
「う、うん。」
「両親は?」
「…」
私の嫌な記憶。思い出したくもない。
こんな話をしたら啓介くんはどう思うのだろう?
「ごめん。言いたくなかったら言わなくていいよ。」
…どうしよう?言っても大丈夫かな。
知り合ってまだ間もないけど、彼には話してもいいと思った。
重い口を開く。
「実は…」
私の母はシングルマザーで、夜の仕事をしていた。私はまだ3歳だった。
保育園に迎えに来て、その後夕方に仕事に出掛け、帰って来るのは朝方。そして私はまた保育園へと預けられた。
夜ご飯はほとんどがコンビニ弁当か、菓子パン。
愛されていると思っていなかった。
時々男を連れて来る事もあり、その時私はトイレに閉じ込められた。
その空間が怖くて…気持ち悪くて…強く目を閉じて、耳を塞ぐのに必死だった。
母は段々帰って来なくなり、私は保育園へ行かなくなった。
食料も尽きて、苦しくても外に出れなくて、愛されたくても届かなくて…。窓の外を見ると青空が広がっていて、手を伸ばして母を呼んでいた。
そんな時、母が男と死んだ事を聞かされる。
二人で車に乗っていて、トラックと正面衝突。即死だったそうだ。
それを聞いた時、今まで喉に詰まっていた何かが溢れ出し…たくさん吐いた。胃はもう空っぽのはずなのに。
枯れてしまった涙もたくさん溢れた。
愛されたぬくもりは全く感じなかったのに。
そして私は、この日から何にも感じない…ぬくもりも感じない「人」ではなくなったのだ。
それから私は、親戚に預けられ育てられた。愛情を持って育ててくれただろうが、何にも感じなかった。学校では気持ち悪いといじめられ、友達なんていなかったが…寂しいと思わなかったのだ。
それから普通に就職し、親戚の家を出る事にした。親戚の人たちには申し訳ない事をしたと思う。その時はその愛情をどう受け入れ、どう返せばいいのか分からなかった。
今思うと何で感謝の一つも伝えられなかったのだろうと思う。
「…ひどい母親だよね。」
「日菜子ちゃんが寂しそうにしていたのは…これが原因だったんだね。」
と彼は涙を流す。
「えっ?ちょっと…啓介くん?」
まさか、私の為に涙を流してくれるなんて…
本当に優しい人だ。
「人ではなくなったなんて、そんな悲しい事言わないで。」
「もうその日から、何もかもどうでも良かったんだ。色々な人から逃げて…人と関わらない様に生きて来たの。」
…そうしてきたのに…でも今の私は啓介くんと関わろうとしている…何で?
ドーン!
花火の音が響いて、その花が夜空で弾ける。
それと同時に彼の腕の中へと包まれていた。
一気に体の熱が上がり、脈拍も上がる。
えっ?…この状況は何?
「俺の体温感じない?」
「うん…。」
「君の辛かった事はすぐに忘れられないかもしれない。でも、俺と居れば忘れられると思う。…俺と付き合って欲しい。」
ドーン!
花火がキレイすぎて涙が頬をつたっていく。
…これは夢?
…こんな私と一緒に居たいって思ってくれるの?
「こんな私で…いいのかな?」
「うん。日菜子ちゃんが好き。」
啓介くんが私を好きだと言ってくれている。
信じられない。でも凄く嬉しい。
私のこの感情も…彼と同じもなのかな?
「私も…啓介くんが…好き。」
もう涙がいっぱいで花火が見えなかった。
さっきよりも私を強く、優しく、包んでくれる。
自分の発した言葉に恥ずかしさを覚えながら…私も腕を彼の背中へと回した。
帰りはバスではなく、歩いて駅まで行く事にした。さっきまで見ていた空には、満天の星が輝いている。二人の手はぎゅっと繋がれていて少し汗ばんでいた。
「いつか体温が感じられる様にしてあげるから。」
「うん。」
楽しい一日が終わる…夢の様な時間が。
「じゃあまたね。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
彼の後ろ姿をずっと見つめていた。啓介くんは振り返って手を振ってくれる。
背中を見送ると、私は家へと向かった。
心臓は前よりも…ずっとずっとうるさかった。