二人の出会い
母は死んだ。好きな男と一緒に。
そして、その時から私は…「人」ではなくなってしまったのだ。
心は何も感じない、触れても人のぬくもりも感じない。そんな私は一体…何者なんだろう?
「日菜子、愛してるよ。」
と優しく彼は呟く。私にぬくもりを教えてくれた人だ。そう、啓介くんと出会ったのはいつもの図書館。
私は週末に図書館へ行くのが好きだった。
静かな空間で、好きな本を読む。こんな贅沢な時間はない。
私には友達もいない。だから本だけが友達の様なものだった。ぬくもりも何も感じない私だけど、本を読むと自然に涙が出たり…胸が熱くなったりする。不思議だった。
この時間だけ「人」に戻れる気がしていた。
「隣、いいですか?」
振り返るとそこには、同じ歳ぐらいの男の人。男の人に話しかけられた事なんて今まで無かった。どうしていいのか分からないまま、目を逸らす。…そんな事聞かなくでも座ればいいのに。
「本好きなんですか?」
「…」
何だろう…この人は?
本読んでるから邪魔しないで。
そして私は席を立ち、その場から逃げ出した。
次の週末もいつもの図書館へと向かった。
「隣、いいですか?」
「!?」
振り返ると…また前の人だった。席は他にも空いているのに、どうして?
「どんな本が好きなんですか?」
「…」
そんな事を聞いてどうするつもりなんだろう?
どうしていいか分からずに、またその場から逃げ出そうとすると…
「ちょっと、待って下さい!」
とその人は立ち上がり、私の後を着いてくる。
…え?何で着いてくるの?誰も私なんかに興味なんてないのに。
足早に廊下を過ぎ、図書館の外に出た時に
「ちょっと待って!」
と突然ギュッと腕を掴まれる。
「!?」
「いつも寂しそうに本読んでるから、どうしたのかなって思って。」
彼はそう言うと、掴んでいた手をパッと離した。
「…別に寂しくなんかありません。」
「じゃあ何であんなに悲しそうな涙を流しているんですか?」
…え?悲しい?
「色々聞いてしまってすみません。びっくりしましたよね?」
「俺は啓介。また来週会いましょう。」
ふわっと風が舞い、木々を揺らす。
私は何も感じない腕を胸の前で握り締め、立ちすくんでしまった。彼の背中をずっと見つめながら。
——これから私たちは関わり合っていく。
次の週末も図書館に来たが、いつもとは違う席に座る。今日は来ませんように…そんな事を願う。
…今日は来ないみたいだな、とホッとして席を立つとまたあの声が耳に届いた。
「今日は違う所に居たんだね!」
またこの前の彼だった。
何で私に声をかけてくるのだろう?
はぁ〜と溜め息が漏れる。
彼はまた私の隣へと腰を下ろした。
眉間にシワを寄せながら隣を見ると、彼はとてもキレイな顔立ちをしていた。…まつ毛長いな…。つい見惚れてしまい、恥ずかしくなって急いで目を逸らした。
「あの、どうしてっ私なんかに…。」
緊張して声が震える。
「いつも寂しそうだったから気になって…。」
誰も私なんかに話しかけないのに…。
「君、名前は?」
「ひ、日菜子です。」
あっ!しまった…慌てて口を塞いだ。
「日菜子ちゃんか…。」
「あ、あのからかってるなら、やめて下さい。」
「別にからかってるわけじゃなくて、ただ君と話したかったから。」
…私と話したい?そんな事思う人がいるんだと不思議に思う。たぶん普通の女の子だったら、上手く返事を返す事が出来るかもしれない。
でも私は…。
「ごめん。困らせちゃって。少し休憩場所で話さない?」
どうしていいから分からずに私は首を縦に振った。
「お茶でいい?」
「は、はい。」
「はい、どうぞ。」
「あ、ありがとうございます…。」
彼と私はベンチへと腰を下ろした。男の人と二人で話すなんて初めてだ。どうしたらいいんだろう。ペットボトルを持った手に汗をかく。
「日菜子ちゃんがいつも寂しそうだから、何か悩みでもあるのかなって聞いてみたかったんだ。」
「私は悩みなんてありません。悲しくても泣かないし、楽しくても笑わない。そんな人間なんです。」
「でも、本を読んでいる時は泣いたり…笑ったり…してましたよね?」
だって…本は現実ではないから。
だから素直に心へと入ってくるんだ。
「日菜子ちゃんはそんな冷たい人じゃないと思う。」
そんな風に言われたのは初めてだった。
学校や会社でも冷たい人間、つまらない人間だと思われていて…自分ではそれは分かっている。人にどう思われようがどうでも良かったのに…この人は他の人とは違うのかもしれない、なんて思った。
それから彼とよく話すようになった。いつもの図書館で。
週末に会えるのを楽しみにしていたのかもしれない。
本の話をしたり、仕事の話したり、趣味の話をしたり。今までこんなに人と話した事がなかった。素直に彼と話すのが楽しくて、嬉しいと感じる。
初めて感じる胸の高鳴り…この感情は何だろう?自分の感情の変化に戸惑いながらも、毎日彼に会いたいなんて思ってしまう。
仕事中も彼の事が頭から離れない。こんな事は初めてだ。私はどうしてしまったのだろう?
彼と知り合って数ヶ月が経ったある日。
「日菜子ちゃん、今度の週末どこか出かけない?」
「えっ?」
突然の誘いにびっくりして、体中の体温が上がる。…出かける?啓介くんと?
「花火大会はどうかな?」
「う、うん。」
静かに頷いたが凄く動揺していた。
男の人と出かけるなんて今までなかったから、どうしていいのか分からない。
どうしよう…?
そう思いながら、私の心臓はとてつもなくうるさかった。