プロローグ 『彼女の名前』
依木野さんはクラス一、いや、同学年内でも指折りの根暗な女子だ。制服は着崩しなどなく、若くして白髪が混じった髪は無造作に長い。それで表情を隠してはいるが、そこから浮き上がるように大きな丸眼鏡をかけている。授業中にあてられても声がか細く先生の方が諦めるくらいで、席替えの喧騒の中でも『視力が悪いから』ということでいつも最前列に決まる。首もほとんど動かさないくらい静かに板書を取り、授業が終わってもそのままの姿勢で読書に移行する。機械のように正確な時刻に昼食を食べ終え、その後すこし間を空けて、移動教室を除けば唯一腰を上げて、花を摘みに行く。彼女は体内環境までも正確にコントロールしているらしい。
そんな彼女ゆえに運動神経はからっきしかと思えばそうでもなく、運動はおろか、あらゆる科目で平均をすこし上回る成績を誇る。絵を描かせれば賞をもらわない程度にうまく描き、楽器の演奏ではミスはなくとも変拍子だ。決して突出してはいないけれど、十分に優秀なくらいに繕っている。僕には、彼女がその成績をわざと演出しているように見えた。
彼女はきっと悪目立ちを嫌っている。僕もそうだからよく解る。だけどひとつだけ腑に落ちないのは、どうして友達を作らないのかということだ。彼女はたしかに根暗で目立たない。だからこそ目立つ。根暗で目立たない女子なんて、都会のど真ん中に位置するこの高校では目立つに決まっている。だから本来なら僕みたいに、仲良くもない友達を作って、無意味な話を楽しむふりをして、無駄な時間を積み重ねなければならない。この生活はそこそこに楽しく、そこそこに虚しく、賞味期限ぎりぎりで時間が止まったみたいな、熟成と腐敗の最中の時間だ。
横目で彼女を盗み見る。黒板に向かって最前列の左端。いつも通り首は動かない。自分の机の右奥の端を見つめているような角度だ。そうか。あの大きな丸眼鏡は視線を上げても下げても見えるようにするためなのか。そうまでして首を動かしたくないのか。動くことすら『目立つ』行為ととらえているのかもしれない。
ぼさぼさの髪に阻まれ、顔は見えない。やはり眼鏡が髪の毛に浮いているみたいだ。それでいてけっこうな長さもあるので、板書を写す手元の動きも見てとれない。だがかすかに腕の筋肉が、彼女が生きていることを主張している。そうでもしなければ本当に人形といつのまにかすげ変わっていたとしても気付きはしないだろう。
そんな依木野さんについて、あとひとつだけ情報を追加したい。そのうえでこの話を展開したいと僕は思う。その情報とは、依木野さんのフルネームだ。依木野輝夜。なんというお膳立てだろうと、僕はその名を知ったとき思った。そんな名前、目立って仕方がないだろう。いじめ、とまで発展してもおかしくはない。僕に言わせれば、すくなくとも『無視』されるだけに収まる程度の悪目立ちではないと感じる。酷い言い草だが、彼女がいじめられていない方が不自然だ。
だが、現実にはいじめなど起きていない。その原因として、そもそもいじめなど起きようもない校内環境である、というのはまずありえない。なぜなら事実として、この学校では間違いなくいじめが起こっていたのだから。しかしだからといって、依木野さんがいじめられないだけの要件を備えているとは、僕には到底、思えない。
現実としていじめが起きていないことはいいことだ。僕もべつに、いじめが起きていてほしいわけではない。ただ、いじめが起きうる環境にあって、どうして依木野さんがいじめられないのかが解らない。僕にとっては不思議でならないのだ。
彼女はその名も、行動も、立居姿、振る舞いに至るまで、あらゆる場面で悪い意味で突出している。もし同じ条件でいじめが起こらないとするならば、それは突出しすぎているときに限るのではないかと僕は思う。だが彼女はそうではない。むしろ突出しすぎないように自分をセーブしている。それも、脳ある鷹が爪を隠しているのではなくて、脳ある鷹にならないように生きてきた、かのような人間に、僕からは見える。彼女は潜在的にも顕在的にも、過去と現在のすべての時間で、きっと目立たないことだけを念頭に生きてきた。真実がどうであれ、僕の目には彼女が、そんなふうに映るのだ。
それでまあ。けっきょくなにが言いたいのかというと。
たぶん僕は、彼女のことが好きなのだろう。と、思う。
そういう話。