『魔術史 第三巻』
カディナ=モーリアを名乗るようになっても、日々の生活はそれほど変わらなかった。
近所の子供たちとも、そこそこ遊んでいたし、図書館通いは相変わらず毎日のことだった。
アリアとリリアに会って以来、爺ちゃんは俺に、貴族と話すときの言葉遣いや、作法を教えてくれるようになった。これからも二人と付き合っていくなら、貴族に対しての口のきき方を覚えておいた方がいい。
言葉遣いに関しては、気を抜かなければ元々そう問題はなかったはずだ。なにせ日本の敬語と比べれば、この世界のそれはかなり画一的だった。
あるいは貴族同士なら、そのパワーバランス次第で微妙なニュアンスに気をつける必要があるのかもしれないが、こっちは平民なんだから、相手が王族だろうが没落貴族だろうが、とりあえず畏まっておけばいい。
それにひきかえ、作法の出来は壊滅的だった。
まず姿勢が悪いということで、体を鍛えるよう言われた。なにせ本ばっかり読んでいるものだから、少しずつ猫背になってきていたようだ。
筋トレにランニング、前世ではネットの記事に影響されてやっていた時期もあったけれど、あまり効果が実感できずに、すぐやめてしまった。
今回もそうなるんじゃないかと、俺はあまり自信がなかったが、爺ちゃんは本気だった。
最終的には爺ちゃんとのレッスンに筋トレが組み込まれるようになって、かなりハードにしごかれることになってしまった。
健康の大切さは誰よりも身に染みているから、運動することには異存はない。
だが、爺ちゃんとしては、どうやら俺に剣を握らせたがっているようなのだ。
ジェムによってこれから魔法がもっと身近になるだろうし、そうでなくても、すでに銃が発明されて久しい。なぜ剣なのだろう?
日本の剣道のように、スポーツとして、あるいは精神の鍛錬としてこの世界ではポピュラーなのかもしれない。あるいは貴族との話題作り? 確かに、お金持ちってフェンシングとかもやってるイメージ、ある。
俺としてはもちろん、そんなことよりは本を読んでいたかったけど。
本といえば、あれからアリアとリリアに出会う回数が劇的に増えていた。
というか、だいたい二三日に一度くらいのペースで顔を合わせている。
あの二人も以前から図書館はよく利用していたようだから、あれからお互いに意識するようになった、というだけで、今までも何度かすれ違ったりはしていたのかもしれない。
とはいえ、それだけでは説明のつかないこともある。
前にも言ったが、基本的に昼の図書館はガラガラで、席はかなり空いているのだ。にも関わらず、あれ以来、あの姉妹は必ず俺の正面に陣取るようになっていた。
アリアの方は、彼女が読書に集中しているときは何ともないのだが、帰り際には必ずギッとにらみを利かせてくる。妹のリリアは苦笑いと共に、俺に申し訳なさそうな視線を送ってくるのだが、どうやら姉を止めるつもりはなさそうだ。
図書館には一人用の席もあるが、そこに逃げ込んだって結局は横に並ばれるだけだろうし、俺も一度読書に集中してしまえば誰が一緒にいようと気にならないのだから、二人のことは放っておくことにした。
図書館では他の本に寄り道をしながらも、『魔術史』を着実に読み進めていた。
「魔物たちの体内から魔核と呼ばれる臓器が発見され、これに魔力が宿っていたことから、魔力とは魔物の体内で生まれる悪しき力であるというイメージが形成されていった。
魔法はそれ自体、人に災いをもたらし、害をなすものである、そんな考えがいつの間にか当時の人々の心に忍び込み、その奥底で燻りはじめていた。
これに油を注いだのが、ハーモイド教や、カルネット教といった主流宗教の指導者たちだった。彼らは揃って、魔法は悪をその発生源とする力であり、それを研究・使用する者は異端か魔物たちの手先であるとする布告を出した。
当時、両教会の権威はまさに絶頂期を迎えており、例えば経典や神話の記述に沿わない科学的事実を指摘した学者に対しては、破門をちらつかせることで、その研究を圧殺することすらできた。
それだけに、この布告もかなり真剣に受け取られることになる。
そしてその反応は絶大かつ、ヒステリックなものとなった。
布告から数ヶ月の内に、司祭たちのもとには隣人が魔術師なのではないかとする不安の訴えが、日に何件も寄せられた。
知り合いの普段とは違う言動、夜中山間にこだまする狼の遠吠え、あるいは路上で死んでいた動物の死骸……
疑心暗鬼に陥った人々にとっては、そういった一つ一つが不吉な予兆を孕んでいるように思え、その不安を掻き立てた。
布告から三ヵ月後のある日、ネルモという田舎町で一人の魔術師が残忍な方法で殺されるという事件が起こった。
彼を殺したハーモイドの四人の司祭は、夜中、町の人々が寝静まった後で魔術師の家に火を放った。家に火が回り、熱さに驚いた魔術師が家から飛び出してくると、司祭たちは彼を捕らえて縛り、裁判時の言葉を引用するなら「魔術が使えないように」手足を切り落とした上で、最後にその首を落とした。
被害者は自分が魔術師だということを特に隠そうともしていなかったらしい。有能ではあったが、危機感が足りていなかった。
おそらくは、教会の布告をそれほど真面目に受け取らなかったのだろう。
彼は以前から病人やけが人に薬草を処方したり、農家に天気を予言してやったりしていた。この予言の的中率はなかなかのものだったらしい。
魔術師には人望があったが、その一方で、ハーモイドの司祭たちはそんな彼が気に入らなかった。人々の悩みを解決し、心を癒すのは教会の仕事だからだ。
司祭たちによれば、魔術師が怪しい秘術を行っているとする匿名の告発があったらしいが、彼らの家や教会の執務室をいくら捜索してもそのような手紙は見つからなかった。
今や教会の権力が増大するにしたがって、その腐敗の進行もとめどがなくなっていた。だが悪臭を放つその病巣は、まだ神の栄光の陰に隠れて人々の目には触れていなかった。
司祭たちは、布告を自分たちの私刑の口実として使ったに過ぎない。にも関わらず、彼らの犯行は宗教的に正しい行いと判断され、大した罰も受けなかった。
しかもこれに類する事件は、この一回だけではない。
それどころか、布告から時を経るごとにその数は増えていき、国境すら越えてかなりの数の教区においてある種のブームを引き起こすことになる。
魔術師狩りの時代だった。
(中略)
そういった宗教的な偏見や、独善的な弾圧から魔術が救い出されるきっかけになったのは、皮肉なことに科学技術の発展だった。
この時代、数学と物理学との間には絢爛たる橋がかけられ、それによって物理学は飛躍的な進歩を遂げていた。
シンプルな数式とその応用によって、木から落ちるリンゴから、空をめぐる星々の動きまでが信じられない精度で計算・予測できるようになると、そのあまりの正確さと有用さゆえに、誰一人としてその正しさを否定し去ることはできなくなってしまった。
貴族や司祭はもちろん、宗教的な指導者、果ては王族ですら物理学が先導する技術の恩恵にあずかっていたのだから、それも当然だろう。
宗教は依然として心の平穏や、生きる指針を求める人々に必要とされていたが、もはや絶頂期ほどの勢いはなかった。
科学の発展によって、自然の神秘のベールは次々と剥がされてゆき、人間が抱える悩みの質も変化し始めていた。
想像力豊かな経典や神話の物語は、そのリアリティを失い、もはや世界が巨大な砂時計であると信じる知識人は一人もいなかった。
こうした流れの中で、魔術はやっと自由な議論の舞台に立つことができるようになった。だが、それは魔術や魔術師たちにとって決して喜ぶべきこととはならなかった。
宗教によって謂れのない悪の観念を押し付けれた魔術は、今度は科学によって実験における再現性や、論理的整合性・一貫性といったものを押し付けられる破目になった。
そして魔術師たちは、そういった科学的・数学的価値観に馴染んでもいなければ、科学者たちとの議論への備えもしていなかった。
魔術師狩りの時代を通じて、多くの魔術師が命を落とし、その研究の成果は燃やされ、永遠に失われていた。魔術師たちには、過去の遺産から学ぶこともできず、人目を忍んで研究してきた貧弱な理論を、たどたどしく説明するだけで精一杯だった。
当然、新しい時代の幕開けに、魔術は無様な出遅れをきっすることになった。
魔術は悪ければペテンか詐欺扱いをされ、最良の場合ですら嘲笑の渦の中で静かにうつむいていることしかできなかった。
とはいえ、具体的な研究の成果が失われてしまっていたのだから、それも無理からぬことではあった」
架空の歴史書です。この『魔術史』はあと一回くらいですんなり終わらせたい。
次はアリアとリリアとのお話しです。