トリスの母
他愛ない世間話は二十分くらい続いただろうか?
アリア、リリア、それにビスカも、俺の魔術学院での生活に興味があるようだったし、逆にトリスさんの方も学院に来る前の俺がどんな風だったかを知りたがった。
共通の話題も他にないので、俺は自分が話しのネタにされるのを延々と聞かされる羽目になった。
まあ、四人がそれで仲良くなってくれるならいいさと、じっと耐える。
やがて話しの切れ目がやってきたので、俺はここぞとばかりに口を挟んだ。
「僕も長旅でちょっと疲れたみたいだから、そろそろ宿で荷物を下ろしたいんだけど」
「ああ、そうでしたわね。わたくしったら……トリスさんもお疲れでしょう、引き止めてしまって申し訳ありません」
「いえいえ! 全然、お話しできて楽しかったですよ!」
トリスさんは慌てて手を振る。とはいえ、やはり王都の熱気と人いきれもあって、少し疲れているように見えた。
「カディナさんの宿はビスカさんと同じでしたっけ? トリスさんもやっぱりカディナさんと一緒の宿に泊まるんですか?」
「いやぁ、お金ももったいないですし、一度くらい顔を見せないと後が怖いので、結局実家に寄ることにしました」
リリアの問いに、トリスさんは遠い目をして答える。トリスさんの母親って、一体どんな人なんだろう? 確か、作家だとかいう話だったけど……
「あの……わたしの勘違いだったら申し訳ないんですけど、トリスさんのお母様って、作家のアレサンドラ=ネイロール先生ではありませんか?」
「……ええ、あの……母をご存知なので?」
「もちろんお会いしたことはないですが、先生の作品のファンなんです。『少女探偵フィーナ』とか『花園の学園』とか」
「ああ、そっち……いえ、そういえば少女向けの小説も書いてるって手紙で言ってましたね」
「ええ、よろしくお伝えください」
「もちろん……あの、よかったらですが、来ます? 家に。領主のご令嬢を迎えられるような立派なものではありませんが」
「いいんですか!?」
「はい、リリアさんさえよろしければ」
「お姉さま」
アリアを見るリリアの瞳は期待に満ち溢れていた。可愛い妹からこんな目を向けられたら、アリアは断れないだろう。
「いってらっしゃい。帰りは気をつけるんですよ?」
「なら、僕もお邪魔しようかな。帰りにリリアを送るよ」
「あら、カディナは疲れているんじゃないんですか?」
確かに疲れてはいた。だが、本物の作家に会うなんて――カー先生を別にすれば――初めてだ。
トリスさんにはお世話になっているし、一度挨拶をしておきたいという気持ちもあった。
アリアにしても、俺がいた方が安心できると思ったのだろう。深く追求はせずに、「じゃあ、リリアをお願いしますね」と送り出してくれた。
ビスカとアリアは明日の大会に向けて練習をすることになっていたらしいので、ここでお別れだ。
二人と別れてから案内されたトリスさんの実家は、高級そうなマンションだった。
この世界では珍しくエレベーターが設置されていて、それで四階まで上がる。
トリスさんは扉の横にあるブザーを鳴らし、控えめに声を掛けた。
「お母さん? トリスです、今帰りました」
足音がこちらへ近づいてきて、勢いよくドアが開く。
「おかえりなさい! 待っていたわよ、あたしの可愛い一人娘!」
扉の向こうから姿を現した女性が、獲物を捕らえるライオンのように、トリスさんを抱きすくめた。本人は迷惑そうな、苦しそうな顔をしていたが、だからといって無下に振り払うわけでもなかった。
「はいはい、ただいま……お客さまも一緒だから、少しひかえてくださいね」
「お客さま……? あら?」
娘の肩越しに僕とリリアを見つけて、トリスさんの母親は目を見開いた。
「なに、この美しい子供たち……あんたの子供……ってわけじゃないわよね? いやいや、ありえない。トリスの子供にしては綺麗すぎる」
「余計なお世話ですよ、というか、その前に年齢の計算がおかしいでしょう? こちらの男の子がエリグール魔術学院でわたしが担当しているカディナ君です。手紙にも書きましたよね? その隣の方が、カディナ君のお友達のリリア=セルティア様、領主様の娘さんなので粗相のないように」
「いえ、あの、お気遣いなく……わたし、アレサンドラ先生の作品が好きで、トリスさんのお言葉に甘えてお邪魔してしまって……」
「なにが邪魔なものですか、今じゃあ爵位も売っぱらってしまいましたが、生まれは貴族。領主さまの娘さんを迎えられるなんて身に余る光栄ですとも。それに、あたしの作品も気に入ってくれたとなれば、なおさらです。どうぞ、二人ともお入りになって」
通されたリビングも、そこから見えるキッチンも簡素なものだった。だが、出されたお茶はいいものだったし、カップも意外と値が張りそうなものだった。
さすがは元貴族といったところか。
「それじゃあリリアさんは、あたしの書いてる少女小説を気に入ってくださったのね?」
「はい……いえ、あの、それ以外の本も読ませていただいています」
うつむき、少し赤くなりながらリリアがそう告げる。
「あらあら、顔に似合わずおませさんなのね」
「いえいえ、そんな……」
俺はアレサンドラ=ネイロール(ペンネームらしい。本名はニッカ=ネイロールだとか)の作品は読んだことがないので、三人の会話の流れがよくわからない。
手持ち無沙汰でキョロキョロしているところを、ニッカさんに見つかってしまった。
「ごめんなさいね、カディナ君でしたっけ? 退屈でしょう?」
「いえ、それより本棚を拝見しても?」
「……ああ……ええ、かまいませんとも。本はお好き?」
なんだろう、今の間は。
「はい、とても」と俺が応えると、「信じられないくらいに」とトリスさんが笑顔で付け加えた。まあ、反論は出来ない。
お許しが出たので、背表紙の列に目を走らせ、タイトルを読んでいく。
背の高い本棚だが、きちんと踏み台も用意されているようなので安心した。
下の方の棚には、リリアも名前を挙げていた『少女探偵フィーナ』といった少女小説のシリーズが並べられていた。シリーズ化されて続くくらいだから、人気は高いのだろう。
その上の棚には、歴史や科学に関する本がずらりと揃っていた。恐らくは執筆の際の資料だ。少しページを捲ってみたが、どれも専門書というよりは入門書の類だった。
踏み台の上に立って、さらに上の棚を探索する。
本人の著書と、それ以外のものが分け隔てなく並べられている。タイトルは……
『情熱の炎に灼かれて』『美しき伯爵の獲物』『騎士団長に愛を誓って』
なるほど、これは所謂ロマンス小説というやつか。表紙は、美男美女がうっとりと見つめ合っている写真やイラストばかりだ。リリアがさっき顔を赤くしてたのは……ああ、だからか。
どの本も保存状態はよかったが、あまり開かれた形跡はなかった。商売柄、最近はやりの作品は一応チェックしている、という程度で、熱心に読み込んでいるわけじゃないのかもしれない。
異世界のロマンス小説が珍しくて適当にパラパラと読んでいると、中に一つだけ、やたらと真新しいペーパーバックがあった。『美少年貴族の麗しきメイド』、なかなか直球のタイトルだ。
あらすじを読む。
――没落した貴族の娘パリスは生計を立てるため、ハイゼンベルク家のメイドとなった。他のメイドたちと違い、貴族の作法に詳しく、教養も豊かなパリスは、やがて長男ラディナ=ハイゼンベルクの教育係に任命される。
ラディナは息を呑むような美貌の少年だったが、過去のトラウマから堅く心を閉ざしていた。
他人の優しさが信じられず、最初はパリスに辛くあたっていたラディナだったが、逆境のなかでも精一杯生きるパリスの健気な姿に、徐々に心を開くようになり……――
パリス……ラディナ……どっかで聞いたような名前だな?
本を棚に戻して振り向くと、三人はまだ楽しそうに談笑していた。まあ、いいけどね。
俺は『美少年貴族の麗しきメイド』のことは見なかったことにして、三人の話が終わるまで棚の本をいくつか読んで過ごしたのだった。
お久しぶりです。




