手紙
「どうした? そんなものか?」
俺を見下ろすマルカスの表情はどこか愉快そうだ。
胸の鼓動をなだめ、呼吸を整えると俺は競技用の剣を握り、立ち上がった。
「もう一回、お願いします!」
体育会系のノリは苦手だけど、郷に入っては郷に従えだ。気合を入れて大きな声を出す。
マルカスが頷いて構える。
「よし、かかってこい」
エリグール魔術学院には部活動というものは存在しない。しかし、魔術にしろ剣術にしろ研鑽を積みたいと思う者には、この学院のほぼ全ての施設が解放されている。
放課後の道場では、俺たちの他にも数人の生徒が組み手や素振りで剣を振るっていた。
今いるのは一年生だけだが、上級生がやって来ても道場にはまだ十分なスペースがある。場所の取り合いにはならないだろう。
掛け声や剣戟の音が背後へ遠ざかっていく。
汗のにじんだ手で柄を握りこんで、俺は目の前の相手に集中した。
柄にもなく剣の修行などを始めたのは、別に剣の道に目覚めたわけでもなければ、健康のためでもない。原因は一通の手紙だった。
拝啓 カディナ=モーリア様
サルティでは、吹きつける潮風に、ときおりムッとするような熱気がこもっています。夏の息吹はもう耳元にせまっているようです。
そちらはいかがお過ごしでしょう? 息災でしょうか? 勉強ははかどっていますか?
……いえ、カディナには無用な心配でしたね。
わたくしは元気です、もちろんリリアも。
リリアはあれから、さらに沢山の本を読んで、難しい言葉をどんどん覚えています。最近では魔術の勉強もはじめたようです。新しいことに挑戦する中で、いずれはリリアの進むべき道を見つけてくれればと思います。
わたくしの方は今、作曲に挑戦しています。音楽の理論は難しいですが、頭に浮かんだメロディを形にするのは誰かと競い合うのとはまた違った喜びがあります。
もちろん、剣の鍛錬も怠ってはいませんよ。夏の大会ではビスカさんとの決着をつけるつもりですもの。彼女と当たる前に敗退するわけにはいきません。
さて、今回お手紙を差し上げたのは、その剣術大会のことです。
夏の休暇はサルティに帰って来るのでしょう? それなら途中、王都に寄りませんか? カディナがどれくらい上達しているか興味がありますし、ビスカさんもきっとあなたに会いたがると思います。よろしければ御一考ください。
アリア=セルティア
手紙には剣術大会の会場と日程が添えられていた。それと、リリアからのたどたどしいメッセージ。リリアも夏に俺と会えるのを楽しみにしてくれているらしい。
エリグールに入学してから、早いものでもう二ヶ月になっていた。学院での生活にはもう大分慣れてきた。友達と呼べるのは、相変わらずカロとマルカスくらいのものだが、他のクラスメイトとも話す機会は増えた。
授業には無理なくついていけている……実技以外は。先生にも質問したり、放課後にトリスさんから手ほどきを受けたりはいるのだが、それでも成績は下から数えた方が圧倒的にはやい。一組ではなく、全校生徒での話しだ。
入学式以来、露骨に難癖をつけられることはないが、まだたまに嘲笑や侮蔑の視線を受けることはある。カロに言わせれば「気にしたら負け」だ。俺も本当にそう思う。ペースを崩さずに努力を続けて、何とか三年生になる頃には皆に追いつきたい。
で、アリアからの手紙だが、これを読み終えたとき、俺は少しばかり冷や汗をかいた。
アリアとビスカの決着はもちろん見届けたい。だが、そうなれば必ず二人とも組み手をすることになるだろう。アリアからは「剣の練習は続けたほうがよろしくてよ」と以前言われていた。確か……週に三回とか、四回とか。
ところが、今の俺は週に一度の剣術の授業以外では、そもそも剣を握ってすらいないのだ。このままではバレる、サボっていたことが、確実に。
いや、言い訳ができないわけじゃない。実技の授業についていくためとか、読書のためとか、読書のためとか……ただ、アリアには通じても、ビスカの方が聞く耳を持ってくれるかは分からない。
仕方なく、俺は頼れる友人にそのことを相談することにしたのだった。
「で? 女にいいところが見せたいから付け焼刃の練習に付き合えと?」
マルカスは腕を組み、眉を吊り上げながらそう言った。
「いや、いいところが見せたいというより、無様な姿を見せたくないってとこなんだけど」
「似たようなもんだろう! なぜ俺がそんなものに付き合わなきゃならん」
「理由を問われると困るけど、友達のよしみってことで一つ、お願いします! 剣術のことで頼れるのはマルカスしかいないんだよ」
「……いや、悪いがダメだ。今年の大会は俺も出る。自分より弱いやつの手を引いている時間はないんだ」
見栄っ張りで人から頼られることが好きなマルカスが、そんなことを言うのは珍しかった。だが、彼の表情はいつになく真剣だった。
「そういえば、マルカスは去年の大会は参加しなかったの?」
「ああ、父上に止められた、まだ早いとな。だが、俺は納得できなかった。勝負に絶対はないが、それでも出場すればいいところまで行くはずだと思っていた。それで……我ながらバカな話だが、父上の考えを変えさせようと思ったのだ」
「どうやって?」
「実力を見せつけることで。そのために練習量を増やし、剣術の師から一本とるためにがむしゃらに組み手を申し込んだ。食事の時間を切り詰め、寝る間も惜しんだ。二週間後、剣が握れなくなった。練習中、不注意から怪我をしてな。どれだけ実力があろうと、それで出場は絶望的だ。俺は愚かだった」
「でも今は……その愚かさを乗り越えてここにいるんだろ? そんな話を聞かされたら、僕もマルカスの邪魔はできないな」
「すまんな」
「いいよ、その代わり、僕がマルカスの練習に付き合うから」
「はあ?」
「君は普段どおりのメニューをこなしてくれればいい、僕がそれに勝手についていく。マルカスの練習相手はいつも上級生か、先生だろう? でも彼らはいつも相手をしてくれるわけじゃない」
「まあ、それはそうだが……」
「その時は僕が相手になる。一方的にやられることになるだろうけど、手加減はいらない。まあ、怪我をしないよう気をつけては欲しいけど」
「お前……いや、まあいい。そこまで言うのなら好きにしろ」
「うん、ありがとう」
今、俺が握っているのはアリアがくれた競技用の剣だ。おかげで、練習の目的をいつでも思い出すことができる。
俺とマルカス、お互いの間合いの一歩外。目に見えないその境界線の内側へ、大きく踏み出す。もう、俺の姑息な手の内はおおかたバレて、小手先の技術は通用しなくなっている。残されたのは、今の俺に出来うるかぎりの最速の剣だけだ。
「ふん、悪くないじゃないか」
意外にも優しい笑みを浮かべたマルカスの剣が、うなりをあげる。
刹那、競技用の剣が軋み、柄を握る手に衝撃が走った。だが、今はその痺れが心地いいとすら感じる。
二本の剣がぶつかり鈍い合う音が、大きく、道場に響き渡った。
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